第76話 Seeing Beyond the Scene
白峰山麓──白嶺湖周辺。
第一特務隊を乗せた車列は昼過ぎには現地へ到着していた。
車両から降りた悠真は思わず空を見上げた。
雲ひとつない夏の晴れ渡った空だ。
湖畔では観光客が写真を撮り、遊覧船には長い列が出来ている。
一見すれば何も異常はない。
むしろ平和そのものだ。
「本当に火山活動活発化してんのか?」
謙が湖を見ながら呟くと、駿も周囲へ視線を巡らせた。
「観光客も普通に多いな」
「総統達が警戒するくらいだから何かあるんだとは思う」
悠真はそう言いながらも周囲を見渡した。
確かに蒼真と蓮がここまで動くのは珍しい。
まだ警戒レベルも正式には引き上げられていない。
それなのに第一特務隊を先行派遣した。
つまり、2人は既に何かを感じ取っているということだ。
「まずは役場だ」
律が先頭を歩きながら振り返った。
「現地対策本部予定地、避難経路、避難所候補。全部確認するぞ」
「了解」
隊員達が返答した時だった。
ふと風が吹いた。
湖から流れてきた風の匂いに悠真は僅かに眉をひそめた。
「ん?」
「どうした?」
駿が尋ねると悠真はもう一度風の流れてきた方向を見る。
微かだった。
本当に微かだった。
だが確かに感じた。
「……硫黄臭くないか?」
そのひと言に全員の動きが止まった。
謙も鼻を鳴らす。
「あー……言われてみれば」
「気のせいじゃねぇな」
律の表情が僅かに険しくなった。
蒼真達から送られてきた報告書に記載されていた情報と一致する。
白嶺湖周辺で確認されている硫黄臭や魚の大量死。
微小地震の増加と火山ガス濃度の上昇、その全てが頭を過った。
「役場へ急ぐぞ」
律の声に隊員達は頷く。
しかし、その時は誰も気づいていなかった。
白峰山の頂から白い噴気が僅かに上がり始めていたことを。
第一特務隊の車両が庁舎前へ到着すると、すでに数名の職員が待機していた。
「災害統括機関黎明、第一特務隊です」
律が代表して名乗ると、年配の男性職員が慌てて頭を下げた。
「お待ちしておりました」
案内された会議室には町長や防災担当職員、消防関係者が集まっていた。
だが、その表情はどこか困惑している。
それも当然だった。
まだ噴火もしておらず、警戒レベルも引き上げられていない。
それなのに黎明の第一特務隊が派遣されたのだ。
町長が遠慮がちに口を開いた。
「総統は本当に噴火するとお考えなのでしょうか」
律は首を横に振った。
「分かりません」
その返答に会議室の空気が一瞬止まったが律は続けた。
「噴火するとは誰も断言できません」
「なら……」
「ですが」
律の声が少しだけ鋭くなった。
「噴火しないとも誰も断言できません」
静まり返る会議室。
律の言葉には重みがあった。
第一副隊長として最前線で活動してきた律の言葉だからこそもある。
しかし、黎明は予言者ではない。
未来は分からない。
だからこそ備える。
それで何もなければ、それでいい。
無駄な事だと思うな。
それが神代蒼真から叩き込まれた考え方だった。
「私達は準備をしに来ました」
律はそう言うと資料を机へ広げた。
資料の項目に対する職員達の表情が変わった。
これはただの視察ではない。
本気だ。
本気で噴火に備えに来ている。
その空気が伝わっていた。
「まずは現状確認から始めます」
律が言うと、悠真達も立ち上がった。
「黒崎隊長班は避難経路確認」
「了解」
「副隊長班は観光施設と宿泊施設の収容人数確認」
「了解」
「悠真」
突然名前を呼ばれた悠真が顔を上げた。
「お前は俺と来い」
「はい」
「自治体との調整を覚えろ」
当然のように言う律に悠真は一瞬だけ目を丸くする。
現場確認だと思っていた。
だが違う。
次期総統になるのだから、現場だけでは足りない。
自治体、消防、警察、病院、観光協会、住民。
全てと繋がらなければならない。
蒼真や蓮がずっとやってきた仕事だ。
引継ぎでも蒼真から叩きこまれた。
しかし、それは資料上でだ。
実際に肌に感じる事が出来る実戦ではなかった。
だからこそ、この先行派遣には意味もあるのだ。
「分かりました」
悠真は真剣な表情で頷くと、律はそんな悠真を見ながら小さく笑う。
「総統候補様には少し退屈な仕事かもしれないけどな」
「いえ」
悠真は首を横に振った。
「父さん達が何を見てきたか、何を感じてきたのか知りたいです」
その言葉に律の表情が少しだけ柔らかくなった。
「さすが、次期総統様」
窓の外では夏を楽しむ観光客達が笑っている。
誰もまだ知らない。
この町が。
この湖が。
この穏やかな景色が。
大きく姿を変えることになるかもしれないことを。
黎明は、第一特務隊は、静かに動き始めた。
白峰山との戦いが静かに始まったのだ。
会議終了後、悠真は律と共に役場を後にして行政関連の施設を回る。
夏の日差しは強く、観光客達の楽しそうな声が聞こえてくる。
そんな光景を移動車両のハンドルを握りながら悠真は見ていた。
父さんのような守り方は俺には出来ないかもしれない。
いや、俺は俺だ。
そして今は第一特務隊の神代悠真なんだ。
この町の人を、この町に訪れる人達の笑顔を守る事が今の仕事だ。
「次は観光協会だ」
「了解」
律に言われ、スマホの経路誘導を聞きながら運転し観光協会へ向かう。
到着後、観光協会の職員から渡された資料を見た瞬間、悠真は息を飲んだ。
そこには現在の観光客数や宿泊施設の利用状況が記されていた。
「多くないですか?」
「多いな」
同じ資料を見つめながら、律は即答した。
「夏休みだからな」
「いや……」
悠真は資料を見返した。
宿泊客だけではない。
日帰り観光客、キャンプ場利用者、遊覧船利用者、温泉宿等の各宿泊施設の数字を合計すると想像以上だった。
「これ全部避難させるんですか」
「そういう事になる」
律は平然と言った。
悠真は思わず空を見上げた。
救助活動なら分かる。
負傷者対応も分かる。
だが数万人単位の避難計画。
それは今までの第一特務隊が得意とする分野とは違う。
「父さん達っていつもこんなの考えてたのか」
「考えてた」
律は迷いなく答えた。
「現場は目の前の命を見る」
「はい」
「総統はその後ろにいる数万人も見る。だから…22年前のあの大地震で蒼真さんと蓮さんは怪物と呼ばれたんだよ」
その言葉に悠真は黙り込んだ。
あの大地震の被害者数は国の予想を遥かに下回ったと聞いた事があった。
それは、蒼真が地震発生と共に使用した救助初動権限のおかげだったと。
しかし、蒼真は悠真にそれを自慢したことなどない。
引継ぎでも、備えることは叩きこまれた。
全員、帰す。という思想のその裏でこんな数字と向き合っていたとは知らなかった。
資料の確認が終わると、更に現実を突き付けられた。
「お盆期間になりますと、現在の1.5倍ほどになります」
担当者の説明に悠真は思わず顔を引き攣らせた。
「1.5倍……」
「今年は例年より予約も多いですね」
律が小さくため息を吐いた。
「最悪のタイミングだな」
「ですよね」
担当者も苦笑いを浮かべる。
誰も噴火して欲しい訳ではない。
だからこそ準備だけは必要だった。
夕方の役場会議室に第一特務隊が再び集まった。
駿班。
謙班。
そして律班。
それぞれの調査結果が机に並べられていく。
「避難経路は一部ボトルネックあり」
駿が報告する。
「橋が二箇所。ここが詰まります」
「観光施設は想定以上です」
謙も駿に続けて報告をする。
「特に湖周辺がヤバい」
資料を受け取った律は眉を寄せた。
そして隣の悠真を見る。
「どう思う」
突然振られた悠真は資料へ視線を落とし、考えた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「避難開始基準を早めるべきです」
会議室が静まり返る中、気にせずに悠真は続けた。
「噴火してからじゃ避難は絶対に間に合わない」
その言葉に律は小さく笑っていた。
駿と謙も同じような顔をしていた。
悠真だけは気付いていない。
今の答えを出した悠真の顔が、蒼真と同じ総統の顔だったことを。
「お前、本当に蒼真さんにそっくりだよ」
律が椅子に背中を預けながら口を開いた。
「顔は似てる。って言われてますけどね」
悠真は律の言葉の意味をよく分かっていないようだ。
あまり気にすることもなく、資料を読み込んでいる。
顔が似ているのなんて親子なんだから当たり前だ。
特に悠真には蒼真の家系の血が濃く出ているのだろう。
律も蓮が蒼真の祖母がロシア人だったんだ…と驚きながら話してくれた事がある。だから銀髪だったらしい、と。
本当に似ているのは、思想…考え方、見るべき場所だ。
「……律さん、報告をお願いします。警戒レベルの正式な引き上げと同時に、せめて…高齢者だけでも先に避難させる計画に切り替えるように」
「分かった」
悠真がそう言うのには避難者数の多さだけではなかった。
到着時よりも白峯山から立ち上がる噴煙が夕方にははっきりと自分の目で確認出来たのだ。
そして、本部からタブレットに共有された今日の火山観測データの数値が昨日よりも確実に上がっていた。
頼むから、嫌な予感で終わってくれ。
悠真はそう祈り続けるしかなかった。
夕日に照らされた白峰山は
煙を吐き出しながらも不気味な静けさを保ちながら
まだ、白嶺町と白嶺湖を見下ろしていた。




