第74話 You Were Always There
バーベキューが終わり、賑やかだった庭には静けさが戻り、聞こえてくるのはヒグラシの鳴き声だけだ。
「紬、完全に寝ました」
食器を片付けながら渚が苦笑する。
「蒼空もだよ」
華凛も同じように笑った。
あれだけ走り回り、水遊びをしていたのだから当然だろう。
「楽しかったんでしょうね」
「だろうね」
2人で後片付けをしながら、庭へ視線を向ける。
今日は本当に賑やかな一日だった。
葛城達まで来るとは思わなかったが。
全員が今日を楽しんでいた。
子供達だけでなく、疲れ果てた蒼志と悠真も早く寝て、麗華も久しぶりにお酒を飲んで眠かったらしく、寝室に戻っていた。
リビングではソファに蒼真が寝転び暇そうにしている。
昼寝をしたらしく、まだ眠くないそうだ。
「お義父さん、嬉しそうでしたね」
そんな蒼真を見ながら不意に渚がそう言った。
華凛は少し驚いたように顔を上げる。
「そう見えた?」
「はい」
渚は迷いなく頷いた。
「なんだか……ずっと庭を見てましたし」
その言葉に華凛は小さく笑う。
確かにそうだった。
蒼真はずっと窓の向こうを眺めていた。
蒼空や紬が遊ぶ姿を。
悠真と蒼志が騒ぐ姿を。
蓮達が笑う姿を。
まるで宝物を見るように。
「昔から家族が好きだからね」
「そうなんですか?」
「うん」
華凛は微笑みながら即答した。
世間は父を英雄だと言う。
伝説の総統だと言う。
だが華凛にとっての蒼真は少し違った。
休日になると家にいた父。
怪我をしてしばらく家で過ごしていた時は髪の毛も結んでくれた父。
時間を作って学校行事にも顔を出してくれた父。
仕事の電話が鳴るたび不機嫌になっていた父。
どれだけ忙しくても帰って来ようとしていた父。
それが華凛の知る神代蒼真だった。
「なんか意外です」
渚が少しだけ笑う。
「私、お義父さんって仕事人間だと思ってました」
「みんなそう思うんだよね」
華凛は苦笑した。
「でも実際は逆かも」
「逆?」
「仕事より家が好き」
その答えに渚が吹き出した。
「蒼志さんも同じ事言いそうです」
「あー、お兄ちゃんは言うかも」
2人で笑い合う。
しばらくして渚は時計へ視線を向けた。
「私、紬の様子見てきますね」
「うん」
渚が二階へ上がっていく。
静かになったリビングへ華凛は視線を向けた。
ソファには蒼真が変わらずに寝転がっている。
テレビはついているが見ている様子はなく、ゆっくりと過ごしていた。
鼻先には見慣れた酸素カニューレ。
その姿を見ながら、華凛はふと思う。
そういえば父と2人でゆっくり話したのはいつだろう。
そう思い、華凛はソファへ近づいた。
「お父さん」
声を掛けると蒼真が顔を上げた。
「ん?」
「ちょっといい?」
蒼真は起き上がると華凛が座れるようにソファの隣を開けてくれた。
華凛は静かにソファへと腰を下ろした。
「どうした?」
突然話しかけられて驚いたのか、蒼真は少し心配そうな顔で華凛を見つめた。
昔よりずっと痩せた顔。
鼻先には見慣れた酸素カニューレ。
それも華凛にとっては当たり前の光景になった。
幼い頃は怖かった。
父が入退院を繰り返す度に不安だった。
だが今は違う。
病気も酸素も含めて、それが華凛のお父さんだった。
心配そうな蒼真を見て、華凛は笑いながら口を開いた。
「蒼空、楽しかったみたい」
「だろうな」
蒼真が少しだけ安心したように笑う。
何か深刻な話だと思っていたのかもしれない。
「遊び過ぎだ」
「誰かさんの血筋じゃない?」
華凛がからかうように言うと蒼真は眉をひそめた。
「俺はもっと大人しかった」
「嘘」
「嘘じゃねぇ」
「おじさん達に聞いたもん」
「誰だ余計な事を」
「全員」
蒼真が天井を仰いだ。
その姿が可笑しくて華凛は思わず吹き出した。
昼間、葛城達から聞かされた数々の武勇伝。
どれも父の話とは思えなかった。
総統だった父。
英雄だった父。
けれど華凛にとっては、ただのお父さんだ。
だからこそ、ずっと聞いてみたい事があった。
「ねぇ、お父さん」
「ん?」
華凛は少しだけ迷い、それから口を開いた。
「お父さんってさ……後悔した事ある?」
「……後悔?」
「そう。今までの人生でさ…後悔した事あるのかなって思って」
蒼真は少しだけ考えた。
今までの人生で後悔した事などあっただろうか。
全て誰かにこうしろと言われたことはなく、自分で決めて来たことばかりだった。
でも、もしも後悔があるとすれば1つだけある。
蒼真はソファに背中を預けて、小さく息を吐いた。
「お前達と思いっきり遊んでやれなかった事かな」
「……え、それだけ?」
「それだけってなんだよ」
蒼真の答えに華凛は目を丸くした。
もっと別の答えが返ってくると思っていたのだ。
仲間の事や仕事の事や病気の事とか。
そういう話だとばかり思っていた。
蒼真は苦笑しながら肩を竦めた。
「だって仕方ねぇだろ」
「何が?」
「仕事だったし、身体も壊してたし」
まるで当たり前の事を言うように蒼真は答えた。
「華凛が小さい頃なんて、総統になったばっかりで特に忙しかった…家に殆どいなかったし、肺のせいで運動制限もあったから」
「でも学校行事とか来てたじゃん」
「行ける時はな」
「運動会も来てたし」
「途中で呼び出された」
「それは覚えてる」
華凛は思わず笑った。
確か小学校の運動会だった。
徒競走が終わった頃、蒼真の携帯が鳴った。
それまで楽しそうにしていた父の顔が一瞬で変わったのを今でも覚えている。
そして数分後には会場からいなくなっていた。
当時は少しだけ寂しかった。
だが同時に、それが父の仕事なのだと理解もしていた。
「お父さんがいなくなるの、慣れてたし」
華凛がそう言うと蒼真は少しだけ複雑そうな顔をした。
「それが駄目だったんだろ」
「え?」
「慣れさせたくなかった」
静かな声だった。
窓の外ではヒグラシが鳴いている。
蒼真はしばらく庭を見つめ、それから小さく笑った。
「普通の父親ならさ」
「うん」
「もっと遊んでやれたと思うんだよ」
「……」
「休みの日に公園行ったり」
「行ったじゃん」
「いや、一緒に走り回ったり」
「どんだけ遊びたいの」
華凛が呆れたように言うと、蒼真は真顔で答えた。
「もっとだ」
その答えがあまりにも蒼真らしくて、華凛は吹き出した。
「華凛が誘ってくれたカフェもスイーツビュッフェも行ってやれなかった」
「覚えてたの?」
「忘れねぇよ」
神代家の甘党2人組と蒼志に昔は茶化された。
華凛が誘ってくれた、それだけで蒼真は嬉しかった。
約束を守ろうと仕事の調整もした。
けれど、災害はそういう時に限って襲いかかる。
何度も何度も約束を破り続けた。
その度、華凛にケーキを買って帰ったら、麗華に怒られた。
「お父さんと行けなかったのは確かに残念だったけど…そんなの気にしてないよ?」
「……俺がさ、あんまり親父と遊んだりってなかったから、遊んでやりたかったんだよ」
「え、おじいちゃん?だって、私たちとは沢山遊んで……あ…そっか…」
華凛は少しだけ気まずそうに俯いた。
祖父、天音も父と同じく総統だったのだ。
忙しくてそれどころではなかったのだろう。
「まぁ、あんまり気にしてなかったけどな俺も。そういうもんだって思ってたんだ。でも……学校行くとさ、普通に学校行事にみんな父親が来てて、みんなお父さんに遊んでもらったとか、連れてってもらったとか聞くわけだ。ガキの俺はちょっと寂しかったのかもな」
蒼真はそう言うと小さく笑った。
「親父が俺に愛情なかったとは思ってねぇよ?むしろ、ウザいくらいだった。俺と遊べなかった分、お前達と遊んでくれてたんだろうな」
蒼真はそう言うと小さく笑った。
華凛はしばらく父の横顔を見つめる。
昔からそうだった。
父は自分の事になると案外鈍い。
誰かの気持ちは分かるのに、自分がどう思われているかは分かっていない。
「お父さん」
「ん?」
「私ね」
華凛は少しだけ笑った。
「寂しかった事がないって言ったら嘘になるよ」
蒼真が静かに視線を向ける。
「運動会の途中で帰っちゃった時とか」
「……悪かった」
「授業参観来るって言ったのに来れなかった時とか」
「悪かった」
「約束してた日に仕事行っちゃった時とか」
「それも悪かった」
あまりにも素直に謝るので、華凛は思わず吹き出した。
「だからそういう話じゃないって」
「じゃあなんだよ」
「でもね」
華凛はゆっくりと言葉を続けた。
「私、お父さんがいなかったって思った事ないんだ」
蒼真が少しだけ目を見開く。
「え?」
「だってちゃんと居たもん」
その言葉に蒼真は黙り込んだ。
「忙しかったけど帰って来たし」
「……」
「休みの日は家にいたし」
「……」
「学校行事も来れる時は来てくれたし」
華凛は小さく笑う。
「あと、ピンクの毛布も使ってくれた」
「……入院した時に持ってきた時は恥ずかしかった」
「だよね」
2人で少しだけ笑った。
窓の外ではヒグラシが鳴いている。
静かな夏の夜だった。
「私ね」
華凛はソファに背中を預けた。
「お父さんが総統だった事も知ってる」
「うん」
「凄い人なんだろうなって事も分かってる」
「そうか」
「でも」
華凛は父を見る。
世間が英雄と呼ぶ人を。
伝説の総統と呼ぶ人を。
それでも自分にとっては昔から変わらない。
「私にとってはお父さんだよ」
蒼真は何も言わなかった。
ただ少しだけ困ったように笑っていた。
「だからさ」
華凛も笑う。
「そんなに後悔しなくていいと思う」
しばらく沈黙が続く。
やがて蒼真は小さく息を吐いた。
「……そうか」
その声はどこか安心したようにも聞こえた。
華凛はそんな父の横顔を見て小さく笑う。
窓の外ではヒグラシが鳴いていた。
穏やかな夏の夜だった。




