第72話 Come Back to Us
総統室は静まり返っていた。
誰も口を開かなかった。
酸素の流れる音だけが静かに響いている。
そして、蒼志の言葉はまだ空気の中に残っていた。
——父さんに生きてて欲しい。
医師としてではない。
補佐官としてでもない。
息子としての願いに蒼真は視線を落とした。
返事が出来なかった。
出来るはずがなかった。
医師としての話なら答えは出ている。
肺移植を受ければ生きられる可能性は高くなる。
蒼志の説明は間違っていない。
蓮の言葉も。
麗華の想いも。
全部分かっていた。
分かっていて、それでも決められなかった。
いや、正確には違う。
決められないのではない。
既に決めている。
だが、その決断を息子へ突き付ける事が出来なかった。
蒼真はゆっくりと目を閉じた。
脳裏に浮かぶのは幼い蒼志だった。
埋没事故の日。
病室で必死に涙を堪えていた小さな背中。
自分が目を覚ますのを待っていた息子。
あの日から何年経っただろう。
気付けば背丈は目線が合うほどになった。
医師になった。
結婚もした。
子供も生まれて、父親になった。
本当に立派になった。
それなのに、今だけは。
あの日と同じ顔をしている。
今だって、本当は逃げ出したいんだろう。
この現実を突きつけるのにどれだけの勇気が必要だったか。
蒼真は小さく息を吐く。
「……困ったな」
思わず零れた言葉だった。
その呟きに隣に座っていた蓮が小さく鼻で笑った。
「珍しいな」
「何がだ」
「お前が困るの」
蒼真は蓮の言葉に何も言えなかった。
蓮はいつもこうだ。
分かっていて、煽ってくる。
昔から性格が悪い。
そんな空気の中、口を開いたのは蒼志だった。
「父さん…困るくらいなら、選んで」
「選ぶ……?」
蒼志の言葉に蒼真は首を傾げた。
この状況で何を選ぶというのだろう。
移植に関しては決断が変わることはないというのに。
「移植を受けて、総統を続けるか。受けずに退任して俺達の父親に戻るか」
蒼志は一度、息を吸い込んで意を決して言葉を落とした。
「選べ」
真っ直ぐな強い言葉と視線だ。
蒼志の言葉に蒼真の目が揺れた。
こんなにも蒼志が真正面から強い言葉を投げたことは今までなかった。
それほどまでに本気の問いかけなのがよく分かる。
蒼真は蒼志から視線を外そうと思った。
しかし、今外してしまえば”逃げ”になる。
息子が正面からぶつかってきている。
ここで父親が逃げるわけにはいかなかった。
真っ直ぐな視線をぶつけ合いながら、時間だけが過ぎていく。
親子のぶつかり合いの決着が出るまで、蓮は静かに待っていた。
———蒼志がここまで言えた。
本当に賢い奴だ。
蓮はそんな事を思った。
子供の頃から、どこか父親に対して遠慮があった蒼志。
長男という事もあるだろう。
3人兄弟の中で一番責任感が強くて、母親の麗華譲りの冷静さと蒼真の頑固さを受け継いでいる性格の蒼志だ。
ここぞという時は引かない強さを持っている。
そして——。
長年、蓮を見てきた蒼志。
どうすれば蒼真が困るかも、蓮を見て分かっている。
どのくらいの時間が流れたのか分からない。
それでも、選ぶ答えはそう簡単には出てこない。
総統か父親か。
いや……次期総統が決まった今、俺が出す答えなど決まっている。
ただ———。
言葉に出してしまえば、全てが終わってしまうような気がして。
ここで崩れてしまうような気がしていた。
だけど……。
『もう、いいんだ。道は照らした……帰ろう』
そう言うと、あの声はすっと消えた。
ずっと頭の中に靄のようにあった何かが晴れたような気がした。
蒼真は、ほんの一瞬だけ蒼志から視線を外し、すぐに戻した。
そして、口を開いた。
「1年……1年だけ、時間をくれ」
蒼真の言葉に蒼志は目を見開いた。
蒼真の表情がとても穏やかだったからだ。
まるで、麗華と過ごす時のような顔で。
「あと1年だけ。そうしたら、俺はお前達の父親に戻る」
はっきりと、蒼志の目を見ながらそう言う蒼真。
その表情は穏やかなままで。
諦めも、未練も何も感じさせない。
蒼志は揺れる目で蒼真を見つめ続けていた。
言葉が出てこなかった。
自分が突きつけた選択だというのに。
父は真正面から受け取り、逃げなかった。
「……俺…ごめん、父さん…」
「違うよ。謝らなくていいんだ」
父の声は優しかった。
まるで、幼い子供に声を掛けるような。
「泣くなよ、蒼志」
父に言われて初めて気が付いた。
涙が溢れて止まらなかった。
自分が父の人生を決めさせてしまったような気がして。
「ありがとう、蒼志」
そんな優しい声で慰めないでくれ、父さん。
「お前達の作る暁の道筋を作る。その為の1年だ。蓮、最後の仕事だ」
「そう言うと思ったよ」
蓮はコーヒーを飲みながら、蒼真を鼻で笑った。
黎明の———”暁”の継承者達を
黎明最後の怪物達が見届ける。
神代家のリビングは静かだった。
夜も更け、蒼志達はそれぞれの部屋へ戻っている。
ソファに腰を下ろした蒼真は、ゆっくりと酸素チューブを整えながら息を吐いた。
蒼志があんなに戦えるようになっているとは思わなかった。
そんな事を思っていると、隣に麗華が腰を下ろした。
何も言わず、ただ、そっと肩を寄せた。
蒼真も何も言わなかった。
その沈黙が心地良かった。
しばらくして、蒼真が静かに口を開く。
「麗華……1年後に俺、退任するよ」
「……本当に?」
「ああ」
驚く麗華に蒼真は短く返した。
退任すると決めても、まだ知っているのは自分と蓮と蒼志のみ。
黎明に所属する渚の前では話すことは出来なかった。
だけど、麗華にだけは伝えたかった。
これまで、どれほどの心配を掛けて。
悲しませてきたか知れない。
「……待たせて、悪かった」
「今更ね」
麗華はクスッと笑うと、そっと蒼真の手を握った。
昔より少し痩せた手。
長い年月を共に生きてきた手。
「蒼志がさ、移植するか父親に戻れって言うから…アイツに言われたら、断れねぇし…次の総統も決まって、断る理由もなかった」
「蒼志は鋭い所を突くものね。あの子らしいわ」
「そういえば、蒼志が泣いたんだよ」
「…蒼志は昔から感情爆発すると泣く子だから」
「そうだっけ…?」
「蒼真にそっくりだよ」
「いや、俺は泣かない…」
麗華の言葉に蒼真は苦笑いした。
本当は思い当たる節はある。
総統になることが決まって、限界を越えた日があった。
自分ではあまり覚えていないのだが、蓮や奏が滅茶苦茶泣いていた。と後から教えてくれた。
蒼真には蒼志が子供の頃から泣いている印象が薄かった。
あまり泣かない子だと思っていた。
それだけに今日の蒼志の涙には驚いた。
でも、母親である麗華にはちゃんと泣けていたのだと知るとなんだか安心した。
父親をしていても、分からないことは多いようだ。
2人の穏やかな話し声が静かなリビングに溶けていく。
窓の外では夜風が木々を揺らしていた。
蒼真はその音を聞きながら目を閉じる。
あと一年。
総統としての時間。
そして、その先は———
家族の元へ帰る。
その未来を、今は穏やかに思い描くことが出来た。




