第68話 You Can Let Go
────ガタンッ!!
重い音が廊下まで響いた。
廊下で待機していた候補者4名は一斉に顔を上げ、会議室の扉へと目を向けた。
「え、何の音!?」
突然の物音に駿と謙は顔を見合わせた。
「……会議室だな」
「会議中ですよね?」
謙の言葉に悠真が慌てて立ち上がり、扉に耳を押し付けた。
「大丈夫なのか!?中!」
「落ち着け悠真」
駿が苦笑しながら肩を押さえた。
「仮にも幹部会議だぞ」
「そうそう」
謙も頷くと口を開く。
「会議中に何か起きる訳――」
そこまで言いかけた時だった。
「父さんが暴れてる気がするのは何でだろう……」
蒼志が遠い目をして呟いた。
悠真と黒崎兄弟が一斉に蒼志を見る。
「分かるのか?」
駿の問いに蒼志は少し考え込むように首を傾げた。
「勘だけど…」
「勘かよ」
謙が即座に突っ込むが、蒼志は真面目な顔のままだった。
「昨日から父さんと蓮さん、何か変で…父さん家に帰っても機嫌悪かったんだよ」
「嫌な予感しかしないな、それ」
蒼志が小さくため息を吐き、悠真が同感した、その瞬間だった。
────バンッ!!
再び大きな音が響き、廊下の空気が止まった。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
数秒の沈黙、そして蒼志は静かに口を開いた。
「ほら」
「いや、ほらじゃねぇよ!!」
黒崎兄弟のツッコミが廊下に響いた。
一方その頃。
会議室の中では神代蒼真が静かに立ち上がっていた。
「それ以上言ってみろ」
蒼真の低い声が会議室に落ちた。
誰も動けなかった。
誰も口を開けなかった。
会議室にいる全員が理解していた。
今の蒼真は総統ではない。
父親だ。
そして、その父親が本気で怒っている。
蓮はそんな蒼真を真っ直ぐ見返していた。
一歩も引かず、視線も逸らさない。
41年間、隣を歩いてきた男だった。
今更怖い訳がない。
「言う」
静かな声だった。
その一言で蒼真の表情がさらに険しくなる。
奏は思わず額を押さえ、律は本気で帰りたくなった。
誰か止めろ。
全員そう思った。
だが止められる人間などいるわけがない。
「お前は蒼志を守ってるんじゃねぇ」
「黙れ」
蓮が口を開くと即座に蒼真が返した。
だが蓮は止まらない。
「自分が安心したいだけだ」
次の瞬間だった。
────バンッ!!
蒼真が机を殴りつけていた。
そして、そのまま蓮の胸ぐらを掴み上げた。
一瞬の出来事に会議室の空気が凍り付いた。
「蒼真さん!!」
奏が思わず立ち上がり、律も息を呑んだ。
蒼真がここまで感情を剥き出しにした事など今までにあっただろうか。
いや、ない。
一気に慌ただしくなった会議室の中心で
だが当の本人たちは微動だにせず、睨み合っている。
蒼真の手が蓮のスーツを強く握り締めるが、それでも蓮は表情を変えない。
怒りもせずただ真っ直ぐ、蒼真を見ていた。
「図星か」
蓮の言葉に蒼真の拳へさらに力が入る。
「黙れ」
「違うなら離せ」
「黙れと言ってる」
「離せ」
静かな応酬だった。
怒鳴り合いではない。
だからこそ恐ろしい。
会議室にいる全員が息を殺していた。
誰も割って入れない。
24年間、総統と補佐官だった怪物達。
その本気の衝突を見た事がある人間などいなかった。
「蒼真」
蓮が静かに名前を呼ぶ。
「お前は怖ぇんだ」
蒼真の目が揺れたのは、ほんの一瞬だった。
だが蓮は見逃さなかった。
「蒼志が補佐官になって悠真が総統になって、危険な場所へ行くのが…命を削るのが、怖ぇんだろ」
蓮の声が落ちたが蒼真は何も言わない。
言い返さなかった。
しかし、蓮はさらに踏み込んだ。
ここで止まったら意味がない。
今日だけは嫌われてもいい。
殴られてもいい。
それでも言わなければならなかった。
「だからお前は」
蓮は蒼真を真っ直ぐ見た。
逃がさない。
補佐官としてではない。
40年来の親友として。
「息子達を信じる事から逃げてる」
その言葉が落ちた瞬間だった。
蒼真の表情が変わる。
今まで押し殺していた感情が一気に溢れ出してきた。
「ふざけんな」
低い声だった。
だが、その声は確かに震えていた。
「俺が逃げてるだと?」
蓮は何も言わない。
蒼真は胸ぐらを掴んだまま続けた。
「蒼志がどれだけ努力してきたと思ってんだ。何年も勉強して、寝る時間削って、遊びてぇのも我慢してやっと医者になったんだ」
自然と握る手に力が入っていた。
「俺は全部見てきた」
その声は怒りというより。
苦しさだった。
「当主だって…俺の体がポンコツなせいで継がせた。家庭だってある、子供だっている。それでもまだアイツに背負わせろって言うのか」
誰も口を挟めなかった。
蒼真の言葉に嘘はない。
全部本心だった。
だから重い。
だから痛い。
「お前は簡単に言う」
蒼真の視線が蓮を射抜く。
「信じろ?任せろ?好きにさせろ?」
自嘲気味に蒼真が笑った。
「そんな事、とっくに分かってる」
その言葉に蓮の目が僅かに細くなった。
蒼真は続ける。
「分かってるから苦しいんだろうがよ!」
会議室の空気が止まる。
その一言は今まで誰にも見せなかった本音だった。
「俺だって分かってんだよ、蒼志も悠真も、もう子供じゃない。俺なんかより立派になった」
言葉が続くたび。
蒼真の声は少しずつ掠れていく。
「分かってるんだよ」
ぽつりと落ちた声は。
総統のものではなく、父親のものだった。
「でも……」
その先が続かなかった。
そんな蒼真を蓮は静かに見ていた。
ずっと見てきた。
40年以上、誰よりも近くで。
だから分かる。
今の蒼真は怒っているんじゃない。
怖いのだ。
失うことが。
託すことが。
手放すことが。
「蒼真」
蓮が静かに呼んだが、蒼真は答えなかった。
「お前が守ってきたのは何だ」
返事はなくて蓮は続けた。
「命だろ」
静かな声が落ちる。
「だから、いつまでもお前が抱えてたら駄目なんだ」
蓮は蒼真を見据えた。
その言葉に蒼真の手が僅かに止まる。
「命を繋ぐってのは」
蓮の声はどこまでも静かだった。
「次の世代を信じるって事だ」
蓮は静かに蒼真を見つめていた。
胸ぐらを掴まれていても。
視線を逸らさない。
逃げない。
昔からそうだった。
蒼真がどれだけ無茶をしても。
どれだけ危険な場所へ向かっても。
ずっと隣にいた。
だから分かる。
今の蒼真が怒っている訳ではない事を。
「蒼真」
静かな声だった。
「てめぇが悠真達を信じられねぇなら」
会議室は静まり返っていた、
誰も動かず、
誰も言葉を発しなかった。
蓮は真っ直ぐ蒼真だけを見ていた。
「俺が信じる」
その瞬間、蒼真の表情が止まった。
「悠真も蒼志も、てめぇが育てたんだろ」
「お前が命を懸けて育ててきた」
蓮の声は静かだった。
「だったら信じろ」
蒼真の握る手が僅かに震える。
蓮は構わず続けた。
「蒼真が盾になってやらなくていいんだ」
その言葉に奏が息を呑みら律も目を見開いた。
誰もが理解した。
蓮が今、一番言わなければならない事を言ったのだと。
「もういいんだ」
蓮は静かに言う。
共に歩いてきた男だからこそ言える言葉だった。
その瞬間だった。
蒼真の表情が歪む。
怒りではなく、苦痛だった。
「簡単に言うな……」
掠れた声が落ちる。
「簡単じゃねぇよ」
蓮は即座に返した。
「俺も見てきた」
蒼真が何を背負ってきたのか。
どれだけ失ってきたのか。
どれだけ傷付いてきたのか。
全部知っている。
それでも言わなければならなかった。
「悠真には悠真の戦い方がある」
「蒼志には蒼志の守り方がある」
「お前と同じじゃなくていい」
蒼真の手が震え、胸ぐらを掴む力が再び強くなる。
「違う……」
ぽつりと零れる蒼真の声を蓮は黙って聞いていた。
「違うんだ……」
蒼真は俯く。
何かを堪えるように。
必死に押し殺すように。
だけど、もう限界だった。
本音が零れ落ちた。
「俺の息子を……」
会議室の誰もが息を呑む。
あの、総統の声が震えている。
蒼真は顔を上げられなかった。
総統ではいられなくなっていた。
「俺の息子を」
もう一度繰り返した、その声は弱かった。
誰よりも強かった男とは思えないほど。
弱かった。
「二人も奪うな……」
誰も何も言えなかった。
ただ静かに蒼真を見ていた。
あぁ…そういう事だったのかと。
ようやく理解した。
総統だから反対していたんじゃない。
父親だったのだ。
悠真を総統に。
蒼志を補佐官に。
それは蒼真にとって2人の息子を最前線へ送り出す事と同じだった。
だから反対した。
だから認めたくなかった。
だから必死だった。
蓮はそんな蒼真を見つめていた。
長い付き合いだった。
誰よりも知っている。
この男は昔からそうだ。
自分が傷つくことには無頓着なのに、守りたい相手の事になると弱い。
どうしようもなく。
弱い。
蓮は小さく息を吐くと静かに言った。
「奪わねぇよ」
蒼真の肩が僅かに揺れる。
「誰も奪わねぇ」
蓮の声は優しかった。
会議室の誰も聞いた事がないくらい。
優しかった。
「悠真は悠真だ」
「蒼志は蒼志だ」
一つずつ、蒼真へ言い聞かせるように。
「総統になっても補佐官になっても、お前の息子だろ」
蓮は続けた。
「お前が帰ってきたように、帰ってくるさ」
その言葉に蒼真の瞳が揺れた。
「お前が命懸けで守ってきた場所にな」
「悠真には悠真の戦い方が、蒼志には蒼志の守り方がある。俺やお前と同じじゃなくていい。俺たちのように傷だらけになる必要もねぇ」
蓮は1度だけ視線を奏と律に向けると、すぐに蒼真に向き直った。
「俺たちの代わりを作る為じゃねぇだろ」
「次の世代が、自分の足で立つ為だろ」
蒼真の手から力が抜け始めていた。
少しずつ。
本当に少しずつ。
蓮は最後に。
41年間隣にいた男として。
補佐官として。
親友として。
静かに言った。
「蒼真」
その声に怒りはなかった。
責める気持ちもなかった。
ただ、願うような声だった。
「お前、いつまで一人で背負うつもりだ」
「俺たちはもう、黎明の牙でも怪物でもねぇんだ」
その瞬間、ゆっくりと蒼真の手が離れていく。
ぐしゃりと掴まれていた蓮のスーツが元に戻っていく。
会議室には誰の声もなく、静かに蒼真の酸素の音が響いた。
蒼真は俯いたまま動かない。
誰も話しかけられない。
蓮だけが知っていた。
今、神代蒼真は総統としてではなく。
父親としてでもなく。
ただ一人の人間として。
自分が繋いできた未来と向き合っている事を。




