第67話 Let Them Choose
蒼真がジャケットを脱いだ後も、会議室は静まり返っていた。その中で蒼真はネクタイも緩め、Yシャツを腕まくりまでしていた。
普段、会議中に蒼真がそんな事をする事はなかった。
誰も軽々しく口を挟む事はなかった。
それほどまでに、蒼真の言葉には感情が乗っていた。
総統としてではない。
父親として。
それが分かってしまったからだ。
蓮はそんな蒼真をしばらく見つめていた。
24年間、補佐官として隣にいた。
だから分かる。
蒼真が何を守ろうとしているのか。
何を恐れているのか。
何から目を逸らそうとしているのか。
全部、分かっていた。
だからこそ、ここで引く訳にはいかなかった。
「蒼真」
静かな蓮の声だった。
怒りもなく、責める響きもない、ただ確認するような声だった。
蒼真は答えなかったが、蓮は構わず続けた。
「お前は何を守ろうとしてる」
会議室の空気が張り詰め、奏も律も息を呑んだ。
その問いの意味を理解したからだ。
蒼真は小さく眉を寄せた。
「何の話だ」
「蒼志だ」
蓮は即答だった。
逃がさない。
そんな意思が込められていた。
「医者だからか」
蒼真は何も言わずに前を見ていた。
「当主だからか。父親だからか」
ピクリと蒼真の眉が動いたのを蓮は見逃さなかった。
「……お前は蒼志が補佐官になったら、不幸になると思ってるのか」
会議室が静まり返っていた。
誰も言葉を発しない…いや、発せる訳がない。
これはもう人事会議ではなかった。
24年間、誰よりも近くで怪物達を見続けてきた幹部達だからこそ分かる。
今、この場で行われているのは。
総統と補佐官の議論ではない。
神代蒼真という父親への問いかけなのだ。
「答えろ、蒼真」
蓮は椅子から立ち上がると、蒼真を見下ろし言葉を落とした。
それは、有り得ない光景だった。
総統に上から声を落とす。
組織のトップに容赦なく。
「お前は蒼志の人生を守りたいのか」
蓮は一拍置いて続けた。
「それとも信じられないのか」
蒼真の眉間に深い皺が刻まれ数秒、沈黙が続いた。
「違う」
蒼真の低い声が会議室に響いた。
「信じてねぇ訳じゃない」
その言葉は迷いがなかった。
蒼志を信じていない。
そんな事はない。
幼い頃から見てきた。
誰よりも努力家で。
誰よりも責任感が強くて。
誰よりも優しい。
そんな息子だ。
信じていないはずがなかった。
「だったら何だ」
蓮は静かに返す。
「蒼志は医者だ」
蒼真は繰り返した。
「医者になる為に努力してきた」
誰よりも近くで見てきた。
夜遅くまで机に向かう姿も。
試験前に眠そうな顔で教科書を開いていた姿も。
国家試験の結果を待つ緊張した表情も。
全部、覚えている。
「やっと夢を叶えたんだ」
会議室は静まり返ったままだった。
蒼真の声は怒っている訳ではなかった。
ただ苦しそうだった。
「神代家の当主も継いで、渚と紬だっている」
一つずつ、確認するように言葉を落としていく。
「これ以上、何を背負わせる」
その言葉に奏も律も何も言えなかった。
間違っていないからだ。
蒼志は既に十分過ぎるほど背負っている。
だからこそ蓮も少しだけ目を伏せた。
だがそれでも、蓮は引くつもりはなかった。
「蒼真」
静かな声だった。
「それはお前の願いだ」
蒼真が視線を上げると、蓮は真っ直ぐ見返していた。
逃げない。
逸らさない。
24年間そうだったように。
「蒼志の願いじゃねぇ」
会議室の空気が更に張り詰めた。
「聞いたのか」
蒼真は蓮をまっすぐに見つめながらも何も答えない。
「補佐官になるなって言ったのか」
答えられない。
「医者を続けろって言ったのか」
答えられるはずない。
蓮を見つめる蒼真の瞳はほんの僅かに揺れていた。
蓮は小さく息を吐いた。
そして、最後の一歩を踏み込む。
「蒼志はどうしたい」
その瞬間だった、蒼真の拳が強く握られた。
蓮は見ていた。
蒼真が答えられない事を知っていた。
聞いていない。
聞けなかった。
そんな事は分かっていた。
もしも蒼志自身が補佐官になると言ったら。
蒼真は反対できない。
だから聞かなかった。
父親だから聞けなかった。
「……違う」
蒼真が低く呟く。
だが、その声には先程までの力がなかった。
蓮は何も言わずに、ただ待っていた。
蒼真自身が言葉を探すのを。
「お前は聞いてねぇ」
会議室の空気が重く沈みこんだ。
「蒼志が何を選ぶか、悠真が何を選ぶか、聞いてねぇ」
蒼真の拳がさらに強く握ると口を開いた。
「聞かなくても分かる」
思わず零れた言葉だった。
その瞬間、蓮の目が鋭くなる。
「分かる?」
低い声だった。
「お前が?」
蒼真の視線が蓮へ向く。
「当たり前だろ」
「何が当たり前だ」
蓮は一歩も引かなかった。
「蒼志はお前じゃねぇ」
会議室が凍り付いた。
奏は思わず目を伏せ、律は胃が痛くなった。
来た。
誰もがそう思った。
蓮が一番踏み込んではいけない場所へ踏み込んだのだ。
「悠真もお前じゃねぇ」
蓮は静かな声で続けた。
「お前が19で黎明に入ったように、お前が総統になったように。お前が勝手に全部背負ったように」
一つずつ。
蒼真の逃げ道を潰していく。
「悠真には悠真の人生がある。蒼志には蒼志の人生がある」
蒼真は何も言わない。
言えない。
蓮の言葉が間違っていないからだ。
「お前はずっと守ってきた」
蓮の声が少しだけ柔らかくなる。
「それは認める」
24年間、誰よりも知っている。
蒼真がどれだけの物を背負ったのか。
どれだけ守ってきたのか。
だからこそ、次の言葉は重かった。
「でもな、守る事と信じる事は違ぇんだよ」
蓮は真っ直ぐ蒼真を見つめた。
蒼真の表情がほんの僅かに動いたのを蓮は見逃さなかった。
「お前は怖ぇだけだ」
その言葉に蒼真の視線が鋭くなったが、蓮は構わず続けた。
その瞬間、会議室の空気が張り詰めた。
奏の心臓が跳ね、律が思わず息を呑む。
蓮が言ってしまった。
「失うのが怖ぇんだろ」
蒼真の鋭い視線が蓮を射抜く。
だが、蓮も蒼真から視線を逸らさない。
41年、今更そんな視線で引くような関係ではなかった。
「……何が言いたい」
蒼真の低い声だった。
怒りを押し殺しているのが会議室の全員が分かる程に。
蓮は静かに息を吐いた。
「言葉通りだ」
即答だった。
「お前は怖ぇんだ」
会議室が静まり返る。
誰かが口を挟める状況ではなかった。
蓮は見てきた。
誰よりも蒼真を知っている。
蒼真が弱い人間だからではない。
むしろ逆だ、強すぎるから。
全部抱え込んで全部守ろうとする。
だから壊れる。
昔からそうだった。
「……悪ぃかよ」
蒼真が呟くと会議室の誰もが顔を上げた。
「親が子供を守って何が悪い」
蓮はその言葉を聞いて目を細めた。
やっぱりだ。
そう思った。
総統じゃない。
今ここにいるのは神代蒼真という父親だ。
「悪くねぇよ。親なら当然だ」
蓮は静かに答えると蒼真の表情が僅かに動いた。
だが、蓮の言葉は終わらなかった。
「でもな」
蓮はしっかりと目を開け、真っ直ぐ蒼真を見る。
「親だからって、子供の人生を決めていい理由にはならねぇ」
その瞬間だった。
────ガタンッ。
蒼真が立ち上がり、会議室の空気が一変する。
奏の顔が引きつり青ざめ、律は本気で胃が痛くなった。
他の幹部達もオロオロし始めたが、誰にも止めることなど出来るはずがない。
蒼真は蓮を睨みつけていた。
その目は総統の目ではなく、父親の目だった。
「……蓮」
蒼真の低い声が落ちた。
「それ以上言ってみろ」




