第58話 Before You Break
——いつも、そうだ。
目の前の高い壁は近づいたと思えば、遠ざかる。
その壁は、登っても登っても頂上にたどり着けない。
俺、なんでここに来たんだっけ。
「おい、悠真!」
「…え、あ、はい」
「何ぼーっとしてんの?補佐官から、電話来てるぞ」
隊室の自分のデスクでぼーっとしていたら、謙が声を掛けてきた。
内線のランプが点滅していた。
補佐官から電話なんて、珍しい…。
「お待たせしました」
『おい、悠真。何してる』
「え、隊室に居ますけど…」
『さっさと統括室に来い、10分遅刻だ』
「……統括室…遅刻…………あ゛――――!!!!すみません、すぐ行きます!!」
電話を切ると悠真は隊室を飛び出した。
これから行われる一般部隊の実戦訓練の統括をする蒼真の見学が予定されていたのだ。
一緒に行く予定だった駿は何故、声を掛けてくれなかったのか。
……いや、掛けられたかもしれない。
「すみませんッ!!!!」
悠真が統括室に飛び込むとオペレーター達は驚いた顔をし、駿はあちゃーっとした顔をし、蓮は…睨んでいる…。
しかし、蒼真は悠真に視線を向けることもなく、静かに訓練映像の映る大型モニターを見ていた。
「遅れました……」
息を切らせながら悠真は頭を下げたが蒼真から返事はない。
すでに始まっていた訓練。
大型モニターの一般部隊員達の動き、オペレーターの報告、 現場指揮官の判断に蒼真は目を光らせている。
統括室には、いつも通りの緊張感だけが流れていた。
「……」
怒鳴られると思った。
補佐官に怒られ、父にも怒られる。
そう思っていた。
いつもなら『寝坊か』『時間管理も仕事だ』くらいは言われるはずだ。
今日は、それすらない。
(……怒ってる)
そう思った瞬間、胸が締め付けられた。
「悠真」
低く名前を呼んだのは蓮だった。
「壁」
「……はい」
悠真は静かに壁側へ移動した。
椅子も用意されないその場所で訓練終了まで立ったままの見学。
いや、立ちっぱなしが罰なのではない。
第一特務隊として動いていると、真近で総統の統括が見られる機会は少ない。
総統候補であるからこそ、総統のすぐ後ろで同じ視点で勉強の為に設けられた機会だった。
しかし、壁側へ移動させられた。
それが遅刻への罰だった。
山間部を想定した救助訓練だった。
倒壊家屋、要救助者役。それぞれの無線が飛び交い、現場指揮官の指示が統括室へ送られてくる。
「東側班、進入開始しました」
「南側班、救助活動開始」
オペレーター達も淡々と情報を整理し、画面へ表示していく。
悠真は壁際で黙って映像を見つめていた。
「現場指揮」
蒼真が静かに口を開いた。
「判断が5秒遅い。今、隊員達は何を待った」
誰も答えられない中で、蓮だけは小さく息を吐いていた。
「安全確認を待ったんだろうが、周囲は既に確認済みだ。現場指揮官は情報をちゃんと共有しろ」
『…はい!』
そうして隊員達がまた動き出すが蒼真が眉を寄せた。
「……遅い」
「二次隊投入が遅れてるな」
蒼真の言葉に蓮が駿に分かるように補足を加えていた。
駿は2人と同じ視点でそれを確認して問題点をメモしていく。
「一隊だけで抱え込むな。救助対象が三人いる時点で人員追加を考えろ」
統括室は誰一人として無駄口を叩かず、蒼真の声だけが静かに響いていた。
怒鳴らない。
誰もが真剣に耳を傾けている。
総統の統括には絶対的な信頼がある。
「隊員、特に若手は焦る。だから現場指揮は冷静でいろ。現場の時間と、統括の時間は違うが、助けたい気持ちは全員同じだ。だからこそ、現場指揮はその場の全員を見ろ」
蒼真が一般部隊の現場指揮官に語りかけた言葉に、悠真は思わず息を呑んだ。
自分は現場しか見えていない。
自分はまだ、その場の全員を見れない。
だけど父は違う。
救助隊も医療班も搬送も交代要員も、帰路でさえ、その全てが見えている。
全部を見ている。
「……悠真」
蒼真に突然名前を呼ばれ、悠真の肩が跳ねた。
「はい!」
「今の現場」
蒼真はモニターから視線を外さない。
「お前ならどう動く」
「俺なら……一隊を増援して、一気に救助を……」
悠真が言い切る前だった。
「却下」
蒼真が即答すると、悠真はそれ以上、何も言えなかった。
「理由、分かるか」
「……」
「駿、お前は分かるか」
「……南側の斜面でしょうか…」
悠真は答えられなかったのに、駿は答えられた。
やはり同じ視点でないと見えないものが出てくる。
「そうだ」
蒼真が頷く。
大型モニターには崩れかけた斜面が映っていた。
「増援を突っ込めば、人は助かるかもしれねぇ。でも、斜面が崩れたら全員埋まる」
蒼真は椅子に深く座りなおした。
「統括は最悪を先に考える。助けたいだけじゃ、人は帰せない」
その言葉が悠真の胸へ深く刺さった。
助けたい。
その気持ちだけでここへ来た。
でも——それだけじゃ足りない。
壁は、まだ遥か先で…。
たどり着かせようとはさせてくれない。
「———訓練終了」
蒼真の低く落とされた言葉に俯いていた悠真はすぐに顔をあげた。
きっと、怒られるだろうと身構えた。
蒼真が息を吐きながら背もたれに身体を預けながら、悠真へやっと視線を向けた。
「悠真、具合でも悪ぃのか?」
「へ……?」
蒼真が出した言葉に悠真は驚いて、可笑しな声を出してしまった。
遅刻した事を怒られると思っていたのに、何故か体調の心配をされた。
「お前、遅刻したことねぇだろ子供の頃から。だから、具合でも悪ぃのかなって」
蒼真の声は普段、自宅で聞くような穏やかな声で驚いた。
本部で聞く、総統の声ではなく、父の声だった。
「いえ…体調は大丈夫です。遅れて申し訳ありません」
「ならいいけど。次はちゃんと時間管理しろよ」
それだけ言うと、蒼真は車椅子に乗り、蓮と共に統括室を後にした。
蓮は悠真とすれ違う瞬間、小さく「後で喫煙所に来い、連絡いれる」と呟いた。
悠真が肩を落とすと駿が肩に手を置いてくれた。
「声掛けたのに」
「……全然分かんなかった。これ、怒られるよなぁ」
「うーん、まぁ仕方ないよな」
悠真は蓮に怒られる覚悟で連絡を待った。
1時間ほどしてから、蓮から『来い』とだけメッセージが送られてきたため、溜息を吐きながら悠真は喫煙所へと向かった。
喫煙所には蓮がすでにタバコに火をつけていた。
「来たか」
煙草も吸わない自分が喫煙所へ呼ばれる時など、一つしかない。
(怒られる……)
そう思いながらも逃げる訳にはいかなかった。
蓮は壁にもたれながら煙草を吸うと、煙を吐きながら悠真を見る。
「壁側に立たせた理由、分かるか」
「……遅刻したからです」
「半分正解」
蓮の言葉に悠真は顔を上げた。
「駿は時間どおり来て、オペレーターも時間どおり仕事してる。そんな中、遅れたお前を総統の後ろで見学させたら、周りはどう思う」
「……」
「贔屓と見る奴もいる」
その一言で悠真は言葉を失った。
「お前は総統の息子だ。だからこそ、一番線引きをしなきゃならない」
それは分かっている。
黎明にくると決めた事を父に話した時…『俺の息子、なんて肩書きは捨てろ』と言われた。
自分でもそうして来たつもりだったし、父さんもずっとそうだった。
「俺も怒ってはいない。だが、あの場ではあれが正しい判断だった」
悠真は静かに頷いた。
「……すみませんでした」
「次から気を付ければいい」
蓮は短く答えると煙草を灰皿へ押し付け、腕を組むと口を開いた。
「……総統教育さ……ぶっちゃけキツイよな」
突然そう言われ、悠真は思わず顔を上げる。
「……はい」
「でも、お前らはまだいいぞ」
「え?」
「早めから時間作って教育してるから。……今、4年目か。俺と蒼真はな」
そういうと蓮はまた一本、新しい煙草に火を点けた。
「一年で叩き込まれた」
「…………」
「総統候補に名前は上がってた。葛城さんは幹部だったから俺らより早めに始まってたがな、総統と補佐官決定の翌日から教育」
「現場、国家会議、各省庁、海外対応、統括、全部一年」
悠真は思わず口を開いた。
「バケモンか……あんたら」
現場に出ながら時間をかけて教育を受けても、量が多すぎてまだ覚え切れていない。
それを…1年でやった?
蓮は苦笑して答えた。
「俺もそう思う」
煙が静かに流れていくのを蓮は少し懐かしそうに見つめた。
「タバコの本数、半端なく増えた一年だった」
「ちなみに父さんは……」
「あいつは…」
蓮は少し笑った。
「壁向いてブツブツ呟いて頭に叩き込んでたよ。資料も法律も運用規程も全部声に出して覚えてたな。で、疲れると立ったまま寝る」
「……立ったまま?」
「あぁ」
「俺が起こす、また覚える、また寝る、また起こす。俺は補佐官………あいつは総統だから俺より遥かに多かったんだろうな。訓練所で試験勉強もしなかった奴がずーっと壁に向かってブツブツ言って法律覚えてて、奏でさえ引いてたよ」
悠真はしばらく黙っていた。
なんて言っていいのか分からない。
ただ、1つ分かった事がある。
「だから父さん……玄関で寝てたんだ……」
「電池切れるように寝るよな、あいつ。ちなみに限界突破した蒼真はヤバかったぞ」
「限界突破……」
「三徹、会議、現場続きでストレスも限界。で、癒やし補給しようとして麗華さんの写真見た」
「それなら普通じゃ……」
蓮は真似をするように少し視線を落とした。
「その数秒後だ。『…………会いたい。』って泣き出した」
「え?」
「そのまま『親父ぶっ飛ばす!』とか叫んで総統室向かおうとした」
悠真は固まった。
「……は?」
「出勤して三十分くらいだったかな、いや、家から来ただろ、お前!って、みんな突っ込んでたし、総統関係なくね?って言ったけど、理性ぶっ飛んでたな、あれは。止めなかったら、多分マジで総統室に殴り込んでた」
笑いながら、蓮はタバコをひと吸いすると続けた。
「まぁ橘さんと天音さんだから負けなかったかもしれんが、二人とも六十近かったし、蒼真は三十代でまだ元気だった………締めるしかなかった」
悠真は額を押さえる。
「色々、怖いんですけど。」
蓮は吹き出した。
「めちゃくちゃ泣いてるから、第一も『マジでやべぇって……』って笑えねぇけど笑うしかなくてな、そのまま床で寝せた起きたら元通り。隊長制圧事件って奏と律がしばらく盛り上がってたな」
蓮はタバコを灰皿で押し消すと再び口を開いた。
「第二の隊長達とかも近くにいて青ざめてたけど」
悠真は深くため息を吐いた。
「父さんの黒歴史、多すぎません?」
「いっぱいあるぞ」
蓮はニヤッと笑った。
「あいつ、アホだったから」
「……父さんディスってます?」
「いや、褒めてる」
蓮は即答した。
「褒めてないですよ、それ」
悠真のツッコミに、蓮は珍しく声を出して笑った。
「あれ見てからな……限界超える前に止めるようになった」
蓮は思いだすように目を細めていた。
喫煙所の煙は換気扇に消えていった。
まるで、蓮が蒼真を止める理由を知っているかのように。




