第57話 The Youth We Lived
店を出ると、夜風が頬を撫でた。
「じゃあな」
「またな」
誰からともなく交わされる短い別れの言葉。
葛城は家族の待つ家へ。
白石はいつもの調子で雨宮を連れて帰っていく。
蒼真は麗華と共に帰ることにした。
「蓮」
蒼真が振り返る。
「明日、何時」
「……いつもと同じだ」
「了解」
それだけだった。
二人は手を振ることもなく、それぞれ反対方向へ歩き出す。
長年、それで十分だった。
カチャ――。
鍵を回す音だけが静かな廊下へ響く。
扉を開けると、見慣れた部屋が迎えてくれた。
黎明 独身寮 104号室。
第一特務遊撃隊へ配属された頃から住み続けてきた部屋だった。
結婚もしなかった。
だから、引っ越す必要もなかった。
引っ越し自体もめんどくさかったのもある。
「……」
照明を点けスーツのジャケットを脱ぎ、いつもの椅子へ無造作に掛けて座る。
テーブルの上の灰皿は山盛りの吸い殻。
その隣にボロボロのジッポライター。
ふっと目に入ったジッポライターを手に取り、火を点ける。
紫煙がゆっくりと天井へ昇っていく。
静かだった。
静か過ぎるほどに。
今日、葛城達は黎明を去った。
大将も店を閉めた。
一つ、また一つ。
当たり前だった景色が終わっていく。
「……俺だけか」
誰に聞かせるでもない独り言だった。
煙草を一吸いすると、蓮は静かに目を閉じた。
それでも不思議と寂しさはなかった。
蒼真が居る。
奏も律も、第一も、蒼志も居る。
約束もまだ残っている。
だから——
「……まだ終われねぇか。」
首元のドッグタグを握りながら小さく笑った。
「……っゴホ……ゴホッ……!」
突然込み上げた咳に、蓮は口元を押さえた。
ようやく咳が落ち着くと、小さく息を吐く。
理由は分かっている。
蒼真に黙っている、肺がん。
最初に告知を受けたのは、白石からだった。
『黒瀬、肺がんだ。……まだ初期だ』
あの日から何年経っただろうか。
“がん”と聞いても別に絶望することもなかった。
それよりも『仕事、どうしよう』が先に頭に浮かんで、口に出したら白石に怒られた。
蒼真の事ばかり言っているけれど、自分も大概だ。
外部の病院で手術を受け、定期的な通院も続けている。
再発してからは、毎日薬を飲む生活になった。
蓮は立ち上がると、古びた棚の引き出しを開け、奥へしまわれた薬のシートを取り出し、一錠だけ押し出した。
コップへ水を注ぎ、何事もないように飲み込む。
薬のシートは再び引き出しの奥へ戻した。
誰にも見られることはない。
誰にも見せるつもりもない。
「……」
普通にしていれば、蒼真は気付かない。
……いや。
あいつなら、何かあることくらいは、とっくに気付いている。
それでも病名までは知らない。
知らなくていい。
そう思ってしまう。
知っているのは今は蒼志だけだ。
担当医になったあの日。
カルテを見れば、隠し通せるものでないことは分かっていた。
蒼志は驚いていたが、だからと言って、蒼志が蒼真へ話すことはないだろう。
それが医者だから。
それが、あいつだから。
「……面倒な親子だ」
誰に聞かせるでもなく呟くと、蓮は小さく笑った。
自分も同じなのは分かっている。
類は友を呼ぶ。
腐れ縁だ。
蓮はふと、小さく笑った。
「……大将の飯…もう食えないのか」
第一に配属され、任務と訓練で腹を空かせ、隊室の床に倒れこむ俺と蒼真を見下ろしながら葛城さん達3人が言った。
『旨い店あるぞ』
『大盛りだぞ』
『唐揚げだぞ』
腹を空かせた19歳のガキ2人には悪魔の囁きだった。
それからは飯と言えば大将の店になった。
長年通い続けた店がなくなるのは確かに惜しい。
けれど、それも時代の流れなのだろう。
「……そういや」
最初にあいつと話したのも、飯だった。
腹が減った。
ただ、それだけだった。
『飯行かね?』
あの一言で、40年以上の付き合いになるなんて、あの頃は、思ってもいなかった。
——15歳の春。
黎明の訓練所へ入所して、1週間ほど経った頃だった。
訓練所の雰囲気にも慣れてきたが、訓練量に疲れ果てて昼休みに机に俺は1人で突っ伏していた。
訓練所に来る前からの連れ達は先に食堂に行ったが、なんだか行く気にならなかった。
体を起こすのも面倒で、ただぼーっとしていた時だ。
「なぁ、飯行かね?」
声が聞こえて顔をあげると銀髪が居た。
(……ぁあ、総統の息子か。名前なんだっけ…)
腹は空いていた。
誘われたら、別に断る理由もなかった。
「……おう」
椅子から立ち上がり、2人で食堂に向かって歩きながら、とりあえず名前を聞いた。
「お前、名前は?」
銀髪は少しだけ目を丸くした。
けれど、すぐに口を開いた。
「神代蒼真。お前は?」
「黒瀬蓮……なぁ、それ地毛?」
訓練所に来てから気になっていた。
やたらと目立つ銀髪。
「地毛」
「すげぇな」
ただ、それだけだった。
それからなんとなく、一緒に飯を食うようになって、一緒に居る事が増えた。
ある日、同期が俺に聞いてきた。
「なぁ、神代と最近お前一緒にいるけど、どうなの?総統の息子だし、御曹司じゃん?近寄りがたいんだよ」
総統の息子
御曹司
そんな単語を聞いた後でも、俺の口から出た言葉は1つだけだった。
「……アホだぞ、普通にアホ。唐揚げ奪いに来るアホ」
地方から出てきた俺にとって、神代グループは確かに耳にしたことがある名前だった。
だけど、それがどれだけ凄いのか、よくわからなかった。
神代蒼真は普通の15歳だ。
そして、アホだ。
それからだ。
周りが少しずつ、蒼真に話しかけるようになったのは。
「神代…課題、教えてくんない?」
「いいよ。どこ?」
1人が声を掛けると、また1人…いつの間にか俺と蒼真の周りは囲まれていた。
2人で食べてた飯もみんなで食べるようになった。
その中心が、蒼真だった。
相変わらず「唐揚げ1個くれ」と奪おうとみんなの皿を狙っていた。
あの日の訓練終わり、珍しく蒼真が見当たらなかった。
一通り探して、見つけた場所は野外訓練場の木の上だった。
「蒼真、何してんの」
「んー?登ってみた」
「猿か」
「誰が猿だ」
ただ、なんとなく木に登った蒼真。
木の上と下で話していると同期が寄ってきた。
「うわw猿が居る。おい、みんなー!猿が居るぞ!」
誰かが面白がって声をあげると
「シルバーモンキー!」
なんて声も上がる。
蒼真はそのシルバーモンキーに反応して、木から降りてきた。
「待て、モンキーは嫌だ」
真顔で、真剣に言う蒼真にみんな腹を抱えて笑った。
突っ込むところはそこなのか。と俺も笑っていたら、蒼真の蹴りが入った。
「痛ぇわ、アホ」
「お前まで笑うな、お前も猿だろ!」
「うるせぇ、シルバーモンキーw」
思わず俺も蒼真をシルバーモンキーと呼んだら、蒼真がふざけて殴りかかってくる。
だから、俺もふざけて殴り返した。
そのうち、近くにいた同期にどちらかの拳か蹴りが入ったらしい。
いつの間にか全員で乱闘騒ぎ。
「下級生、乱闘してるぞ!」
「…いや、中心、神代じゃん!誰か橘教官呼んでこい!」
乱闘に焦った先輩達がその中心にいる蒼真を見て、肝を冷やしたらしい。
総統の息子が乱闘で怪我をしたら大問題だと思ったんだろう。
でも、俺達には総統の息子なんて関係なかった。
だって、蒼真は蒼真だから。
肩書も血筋も何にも関係ない。
ただの蒼真で同じ15歳だったから。
「おい、てめぇらぁ!!」
先輩に呼ばれた橘さんから全員で怒鳴られ、全員がげんこつをもらう。
蒼真も例外じゃない。
むしろ…
「いや、痛ぇよ!!俺だけ強かった!音重かった!!」
「お前が主犯だろ?」
「いや、このクソ蓮もだよ!」
一番力を込めた橘さんのげんこつを食らった蒼真が訴えたら、もう一発食らっていた。
その様子に先輩たちが「え…橘教官、神代にげんこつ落とした?しかも2発?」と困惑していた。
橘さんが幼い頃から蒼真を見てきた事は後から知った。
だから、あの時は、橘教官も蒼真を蒼真として見ているのだと知った瞬間だった。
「クソ蓮のせいだ…」
「うるせぇ、クソ蒼真」
殴り合って。
笑って。
怒られて。
みんなで訓練して。
みんなで飯を食った。
総統の息子なんて、誰も気にしなかった。
御曹司なんて、誰も見ていなかった。
そこに居たのは、唐揚げを奪いに来るアホと、それを取り返そうとするアホ。
ただ、それだけだった。
気付けば、2人だった飯は大勢になっていた。
同期も。
先輩も。
教官も。
いつの間にか、みんな笑っていた。
あの頃は、それがずっと続くものだと思っていた。
でも、大将も店を閉めた。
葛城さん達も黎明を去った。
俺達も、気付けば57歳だ。
それでも――
「明日、何時」
「……いつもと同じだ」
たったそれだけで通じる相手が、今も隣に居る。
あの日、腹が減った。
ただ、それだけで始まった腐れ縁。
俺達は、そんな青春を生きた。




