第55話 Find Your Way Home
翌朝――。
黎明本部、統括室には朝から静かな空気が流れていた。
大型モニターには各地の災害情報や気象データ、火山観測データが映し出されている。
いつもと変わらない朝に見えた。
その中で奏だけが眉を寄せ、難しい顔で書類を睨みつけている。
「……総統、まだ来てませんね」
「今日は会議あるから来るだろ…」
答えたのは奏だった。
書類から目を離す事なく淡々と言う。
「一昨日、不整脈起こしたらしい」
律は苦笑していた。
「蒼真さんらしいですね、国家の予算会議中でしたっけ」
「らしいで済ませるなよ…葛城さんが言ってたけど、それでも続けようとしたって」
「うわぁ……」
信じられないという声を出す律を横目に奏は手元の書類を閉じると椅子へ深く腰掛けた。
大型モニターの端に移る黒い機体。
マットブラック。
長年、蒼真と共に飛び続けてきた機体だった。
「……限界…だよな」
誰にも聞こえないほど小さな声だったが、律は聞き逃さなかった。
「奏さん?」
「いや」
奏は首を振ると机の引き出しから一枚の資料を取り出した。
その表紙にはこう書かれていた。
災害統括空中機動指揮機
零式統括機
運用規程改定案
律は表紙の文字を見ると目を見開いた。
「また変えるんですか?」
「変えるしかないだろ」
即答だった。
「今度は何です?」
「総統搭乗条件と…総統搭乗時以外の運用規定。葛城さんから引き継いだんだよ…」
律が黙ると奏は資料を開いた。
そこには赤字で修正案が並んでいた。
『補佐官による搭乗承認』
『統括室部長による搭乗承認』
『黎明第2権限者又は第3権限者搭乗での運用』
「これ、総統は知ってるんですか」
「今日の会議で叩きつける」
奏も即答すると律は頭を抱えた。
「絶対、怒るし…会議荒れるじゃないですか」
「荒れるよなぁ……でも葛城さんにお前がやれ。って言われたんだよ…奏がやらなきゃ意味ないぞって…」
「葛城さんも、あと1週間で引退ですもんね…」
そう呟く律は少しだけ寂しそうだった。
奏も律も葛城と共に現場に出たことはなかったが、どれだけ葛城が優秀なのかは昔から知っていた。蒼真と蓮が仕事以外で話すときは敬語を使う事があるのを知っていた。
同世代の中で誰よりも早く、本部幹部へ食い込んだ。
そして、長年に渡って蒼真と蓮を支え続けた。
葛城は黎明を支える柱の1本だ。
その葛城が、引退する。
その後を引き継ぐのが自分なのだ。
これほど重い責任があるのだろうか…。
けれど、そんな葛城に託された零式統括機の運用規定変更案。
ここで総統を止められないなら、お前は第3権限者にはなれない。とはっきりと言われた。
最終試験とでも言いたげだった。
「……さて、総統をどうやって捕まえるか考えるか」
資料を見つめながら、奏は呟いた。
その声は小さかったが、弱くはなかった。
決意が感じられる、力強さが込められていた。
黎明本部・第一会議室。
月ごとの定例会議の行われる会議室には幹部達が集結していた。
その中で着席する奏だけが怖い顔をして資料を睨みつけていた。
そんな奏の様子に他の者達は「何かが起こるぞ…」と震えていた。
そして、定刻を5分過ぎた頃、蒼真と蓮が会議室へ入室した。
入室するとすぐに蓮が口を開いた。
「遅れて悪い、消防からの電話対応が長引いた」
「マジで…なんであいつ電話切らねぇんだよ、長ぇんだよ。仕事しろよ」
「仕事の電話だったろ」
長電話で会議に遅れたのが嫌だったのか、はたまた電話自体に疲れているのか分からないが、蒼真の機嫌はかなり悪そうだった。
そんな蒼真の様子を見て、奏は胃痛がした。
そんな奏を心配そうに律は横目で見つめ、葛城は向かい側の席でニヤっとした笑みを讃えていた。
会議はいつも通りに進んでいった。
蒼真の機嫌も少しずつ戻りつつあった。
そして、終盤に差し掛かった頃、奏が意を決して声をあげた。
「本日の追加議題です。……零式統括機、運用規程改定案を提出いたします!」
奏の声が会議室に響いた瞬間。
空気が凍った。
会議室の視線が一斉に奏に集まる。
そして———。
「なんだと?」
蒼真のドスの利いた低い声が響くと視線は一斉にそちらに移る。
奏も恐る恐る、蒼真へ視線を向けた。
睨んでる…怒っている時の鋭い目つきだ。
奏は思わず背筋を伸ばした。
会議室の誰もが息を呑んでいる。
そんな中、葛城だけが面白そうにコーヒーを飲んでいた。
「説明しろ」
蒼真の視線が奏へ向いていた。
その圧力に奏は一瞬だけ言葉を失った。
だが、ここで引く訳にはいかない。
「はい」
資料を開きながら奏は深く息を吸った。
「零式統括機――マットブラックの運用規程改定案です」
大型モニターへ資料が映し出された。
赤字で並ぶ修正内容を見たその瞬間、蒼真の眉間の皺が深くなった。
奏は手元の資料を読み上げだした。
「補佐官による搭乗承認」
「統括室部長による搭乗承認」
読み上げるたびに会議室の空気が重くなっていくのを感じた。
ただ読み上げているだけなのに、背中に嫌な汗が伝った。
そして最後の項目を奏が読み終えると沈黙が落ちた。
「黎明第2権限者又は第3権限者搭乗での運用」
数秒後、蒼真が小さく息を吐くと口を開く。
「却下」
即答する蒼真に奏は思わず机を叩きそうになった。
「まだ説明終わってません!」
「終わってるだろ」
「終わってません!」
珍しく奏が声を荒げていた。
それは怒りからではなかった。
奏の隣では律が青ざめ、驚いていた。
(奏さんが総統に怒鳴った……)
歴史的瞬間だと律は感じていた。
そもそも組織内最高権限者であり、今や国家でも最重要人物となった蒼真に怒鳴れる人間など、蓮以外に律は見たことがなかった。
蓮ですら、会議で怒鳴ることはない。
現場等で怒鳴りつけるのを見たことがあるだけだった。
それだけに、奏は本気なのだと律は理解した。
そんな奏に蒼真は面倒そうに椅子へ背を預ける。
「俺は飛べる」
「飛べます」
「なら問題ない」
「問題あります」
蒼真の目が更に一段と鋭くなった。
「奏」
「はい」
「お前、最近怖ぇぞ」
「総統が怖いんです」
蒼真の口調が荒くなった。
こういう時は本当に機嫌が悪い。
それでも奏は蒼真に向き合った。
蒼真と奏の視線が真っ向からぶつかる。
会議室は静まり返っていた。
数秒、いや、数十秒にも感じられた、その沈黙を破ったのは蓮だった。
「蒼真」
「なんだ」
「最後まで聞け」
蓮の言葉に蒼真がゆっくりと視線を奏から蓮へうつした。
「……てめぇ、知ってたな」
「昨日な」
「なんで言わねぇ」
「言ったら逃げるだろ」
「逃げねぇよ」
蒼真のその言葉に会議室の全員は同じことを思っていた。
逃げる。
絶対逃げる。
蓮は小さく溜息を吐く。
「一昨日、不整脈起こしたの忘れたのか」
蒼真は答えなかった。
それは事実で図星だからだ。
「みんな、心配してる」
「……」
「奏が一番心配してんだよ、バカ」
その言葉だけは少し静かだった。
“みんな”という言葉にはこの会議室全員の、黎明全体、家族、そして…蓮も含まれていることを蒼真も分かってはいた。
そして、あれほど1回目の規定変更に反対した奏が自分から言い出した。
奏が自分に現実を叩きつけた。
心配しているのなんて、分かってる。
会議室が再び静かになっていて、奏が資料を握りしめた乾いた音だけが響いた。
ここで引けば意味がない。
葛城から託された最後の仕事なのだから。
だから、乗り越えなければならない。
自分を守り続けてきてくれた蒼真を。
「総統」
奏は真っ直ぐ蒼真を見る。
「俺達はマットブラックを止めたいんじゃありません」
「……」
「総統を降ろしたい訳でもありません」
「……」
「全員、帰す為の機体なんです」
会議室の空気が変わる。
奏は続けた。
「だから総統も帰ってきてください。自分がちゃんと帰る計算をするってあの時、俺に言いましたよね。俺のためでもあるって」
その言葉に蒼真は少しだけ、目を伏せた。
そうだ。
全員、帰して…自分も帰る計算をする。
忘れていた。
一度は気が付いていたはずなのに。
約束の為に俺はまた、走っていた。
『だから、言った』
『お前はどこにいく』
答えなんて、とっくに出ていた。
いや、自分で出していた。
———チャリ……。
誰も喋らず静まり返る会議室には、蒼真が服の上から握りしめたドックタグの小さな金属音だけが響いた。
迷子札、なんて旨い事を言ったつもりだった。
違う。
それは、自分に向けて言った言葉だった。




