第53話 Why He Can’t Stop
神代家の玄関の扉が開く。
「ただいま」
聞こえて来たのは、少し疲れた声だった。
その声にリビングから麗華が顔を出して、いつも通りの言葉をいつも通りの笑顔でする。
「おかえりなさい」
けれど、玄関の様子はいつもとは少し違った。
蒼真の脇を蒼志と蓮で支えていて、珍しい人物がいる。
「珍しい…葛城がいるなんて」
「久しぶり」
予算会議から、蒼真をそのまま自宅へ送ってきた為、葛城が車から荷物を持って来てくれたのだ。
その瞬間、蒼志は決意した。
母も葛城がいる事できっと何かあった事に気がついただろう。
「母さん」
「なぁに?」
「父さん、不整脈起こした」
蒼真は目を閉じた。
蒼志に裏切られた。
「蒼志」
「なに」
「言うなって言っただろ」
「無理」
麗華は少しだけ目を丸くしたが、驚いたのは一瞬だけだった。
「あー」
「あー?」
麗華の反応に蒼志は困惑した。
しかし、麗華は納得したように頷いている。
「たまに脈飛んでたものね」
「母さん知ってたの!?」
今度こそ蒼志が驚いた。
当たり前のように言う母に蒼志は目を丸くする。
麗華は不思議そうに首を傾げる。
「知ってたわよ?」
「なんで!?」
「だって本人言ってたもの」
蒼志がゆっくりと父を見ると蒼真は視線を逸らした。
「父さん?」
「……」
「父さん?」
「……言った」
小さな声で気まずそうに蒼真は呟いた。
蒼志はため息をつきながら天井を見上げた。
担当医になった初日から早くも胃が痛い。
蓮も麗華も知っていたのに何も言わなかったのだ…。
父の状態を考えると、知っていたなら伝えて欲しかった情報だった。
「でもねぇ」
麗華はソファへ腰掛けながら続けた。
「私もたまに脈飛ぶし」
「え?」
「年かなぁって」
「母さんも!?」
「60だもの」
微笑む麗華に蒼志は固まった。
確かに母は60歳だ。
しかし…。
「見えないんだよ……」
思わず本音が漏れると麗華は楽しそうに笑った。
すると、横から蒼真が真顔で口を開いた。
「麗華はいつまでも綺麗だ」
一瞬、空気が止まった。
蒼志は頭を抱え、蓮は壁にもたれながら静かに目を閉じた。
葛城は口元を押さえていた。
「父さん」
「なんだ」
「今それ関係ある?」
「あるだろ」
蒼真は真顔だった。
蒼真は19歳で麗華と出会った時から、ずっとそう思っている。
だからこそ、結婚式の写真も見る必要もなかった。
どんな服を着ていようが、蒼真にとって麗華は麗華なのだ。
そんな蒼真に麗華は少しだけ照れながら笑う。
「ありがとう」
蒼真は満足そうに頷き、麗華の隣へと腰を降ろした。
蒼志は思った。
不整脈より先に。
この夫婦をどうにかした方がいいのではないだろうかと。
だが、それは多分。
無理なのだろう。
自分が幼い頃から両親は仲がよく、喧嘩をする姿も見たことがなかった。
2人の間には確かに”愛”があるのは分かっていた。
2人共ベタベタするような事はほとんどなかった。
「好き」「愛している」等の愛の言葉も会話に出てくることはなかった。
父の様子から母を愛していることは伝わっていたが…。
大人になった蒼志は両親は”愛”で結ばれた。というより、”信頼”によって結ばれた夫婦だと思っている。
「じゃあ、そろそろ行くかぁ」
葛城が「惚気、御馳走様」といって玄関へ向かう。
「明日は休め」
蓮はいつものように短い言葉を残して出ていった。
2人が出て行くと蒼真は小さく息を吐き、呟いた。
「そういや、渚と紬は?」
「渚ちゃんは夜勤、紬は夜間保育。ご飯食べる?」
「……紬が居ないなら寝る。飯は…とりあえずいいや」
蒼真は紬が居ないことを知り、残念そうな顔をしてゆっくりとソファから立ち上がった。
その足元はまだ少しふらついていた。
咄嗟に蒼志が蒼真の肩を支えた。
「……歩ける」
「ふらついたよ」
「今のはいつもの」
蒼真は蒼志の手を払うとゆっくりと歩き出し、大人しく寝室へ消えていった。
リビングには麗華と蒼志だけが残り、静かな時間が流れた。
蒼志はキッチンに向かうと自分でコーヒーをいれ、椅子に腰掛けマグカップを両手で持ちながらため息を吐く。
「……本当に心臓まで来るとは思わなかった」
ソファから移動して蒼志の向かいに座ると麗華は苦笑した。
「そうね」
「父さん、分かってるのかな」
その言葉に麗華は少しだけ考えて静かに口を開いた。
「分かってない訳じゃないわよ」
蒼志は顔を上げた。
「蒼真だって自分の体だから」
「……」
「知らない訳じゃないし、気付いてない訳でもない」
麗華は窓の外へ視線を向ける。
「蒼志が産まれる前から肺とは付き合ってきたの」
「……うん」
「ずっと折り合いつけながら生きてきた、仕事も」
その言葉は重かった。
蒼志が知るより遥かに長い時間。
蒼真は病気と付き合ってきたのだ。
確かに父は自分たちと遊ぶ時も無理をしないようにしていた。
キャッチボールをせがむ悠真に困った顔をしながら「1回だけ」と言って付き合い、その後は遊び終わるまで、庭のベンチで見守ってくれていた。
「だからね」
麗華は少し笑う。
「本当は誰より分かってると思うわ」
「……だったら」
蒼志は小さく俯いた。
「なんで無理するの」
麗華は即答しなかった。
しばらく沈黙して小さく肩を竦める。
「責任感かしらね」
「責任感だけじゃ説明つかないよ」
蒼志は苦笑した。
「普通あそこまでやらない」
国家予算会議。
不整脈。
強制退席。
それでも会議へ戻ろうとした姿は責任感だけで説明するには無理がある。
麗華もそれは分かっていた。
だから少しだけ笑う。
「そうね」
「……」
「責任感だけじゃないわね」
蒼志は黙って続きを待った。
麗華は懐かしそうに目を細める。
「昔からね」
「うん」
「蒼真、自分の事は後回しなの」
蒼志は苦笑した。
それは今も変わらない。
「家族も」
「うん」
「仲間も」
「うん」
「知らない誰かも」
「……うん」
全部守ろうとする。
全部背負おうとする。
だから止まれない。
麗華は静かに笑った。
「不器用なのよ」
その言葉に蒼志は思わず吹き出してしまった。
「不器用で済む?」
「済まないわね」
二人は顔を見合わせて笑った。
そして麗華は少しだけ真剣な顔になった。
「でもね」
「?」
「蒼真が一番怖いのは、自分が出来なくなる事なのかもしれないわ」
蒼志は言葉を失った。
麗華は続ける。
「守れなくなる事」
「……」
「帰せなくなる事」
「……」
「だから余計にしがみついちゃうのよ」
蒼志は黙った。
その言葉は妙に納得出来た。
総統だからじゃない。
父だからじゃない。
神代蒼真だから。
きっとそうなのだ。
そして麗華は小さく笑う。
「だから蒼志」
「うん」
「ちゃんと止めてあげてね」
蒼志は少し驚いた。
「俺が?」
「担当医なんでしょ?」
麗華は微笑む。
「私の言う事は聞かない時あるけど」
「うん」
「担当医の言う事は聞かなきゃいけないし。それにね…担当医を蒼志に最終的に決めたのは蒼真なんだから、あなたを信頼してるのよ。息子として、医者として」
麗華の言葉に蒼志は目を見開いた。
確かにそうだ。
父は自分が思っているよりずっと、自分を信頼している。
そうでなければ、担当医にもしないし、国家会議への同席も許可しないはずだ。
4年経っても、自分が候補者にいることの理由は教えてくれないが…。
そこには何かあるのだろうか。
「……ねぇ母さんはどうして俺が候補者に名前が上がってるか知ってたりする?」
「総統と補佐官候補?内部事情だから蒼真も話さないけど…ぁ、蓮に怒ってたわね、あの頃」
「怒ってた?」
蒼志は麗華の言葉に興味を持った。
父はどんな怒り方を蓮にしていたのか。
そこから何か分かるかもしれないと身を乗り出して麗華の言葉を待った。
「直接の喧嘩じゃないけどね、蒼真の愚痴ね…クソ蓮、ぶっ飛ばしたいって」
「……それ、いつもじゃん」
期待しただけに蒼志は肩を落とした。
そんな姿に麗華はクスッと笑うと続けた。
「言い方にいつもとは違う悪意がこもってたわ」
「なるほど…」
しかし、それだけでは何も分からなかった。
いつか説明はされるのだろうが、モヤモヤするのも当然の事だ。
けれど…初めての国家会議を目の当たりにして、自分がいつかここに父のように、蓮のように発言する日が来るのかもしれないと思った。
医者の道も辞めたくはない。
だけど、父の守ってきた場所を守りたい気持ちも蒼志の中に出来上がっていた。




