第52話 Where Are You Going?
官邸医務室。
ベッドへ横になった蒼真の顔色と呼吸は少しずつ戻り始めていた。
高濃度酸素マスク、モニター、心電図の静かな電子音だけが室内に響いている。
「……」
蒼志はモニターを真剣に見つめていた。
そして、静かに口を開いた。
「……父さん」
「なんだ」
「不整脈出てます」
「だろうな」
即答する蒼真に蒼志は真顔になった。
「だろうな、じゃないんだよ」
「勝手に心臓が暴れたんだ。どうにも出来ねぇ」
「だから!」
思わず蒼志の声が大きくなった。
ベッド脇の椅子に座っていた蓮が小さく吹き出した。
「言ったところで聞かん」
「蓮さんは黙っててください」
「はいはい」
全く反省していない蓮の返事に蒼志は深く息を吐く。
心電図波形を再確認すると発作は少しずつ落ち着いてきている。
だが完全には戻っていない。
けれど、もう大丈夫、会議に戻る。と父は起き上がろうしたため、ベッドへと押し戻した。
「……いつからですか」
蒼志が静かに聞くと蒼真は天井を見上げたまま答える。
「何が」
「不整脈」
「前から」
蒼真は面倒そうに顔をしかめていた。
「時々だったんだよ」
「時々?」
「脈飛ぶなぁ。くらい」
蒼志は額を押さえる横で蓮が補足する。
「半年以上前にはあったな」
「蓮さん知ってたんですか!?」
「知ってた」
「なんで言わないんですか!」
「本人が気にしてなかった」
「気にしてくださいよ!不整脈で済んでるけど…心不全になってもおかしくないんですから…」
医務室に蒼志の声が響くと蒼真は高濃度酸素マスク越しに小さく笑った。
蒼志は今なら白石の言っていた意味が分かる。
担当医になる。
それは病気を診るだけではなく、神代蒼真という患者を診るという事だ。
普通の患者ではない。
普通の説得も通じない。
普通の常識も通じない。
「……父さん」
蒼志は真剣な声で呼んだ。
蒼真も視線を向ける。
「今日の会議は終わりです」
「無理。今日の為にどんだけ準備したと思ってんだ?最終だぞ。これで予算が決まるんだよ。その結果どれだけの人を帰せるかがやっと見えるんだ。……お前はその結果を見に同席してんだ、医者としてじゃねぇ」
確かに…会議同席は総統候補としての出席だった。
医者としてではない。
それは分かっている。
候補者として、現上層部の仕事の一端を見れる機会はほとんどない。
候補者の中でも国家の会議に参加したのは4年経っても自分が初めての事だった。
しかし…この状態で続けさせるのは危険だ。
蒼志は息を吐きながら、改めてモニターへ視線を向けた。
規則的ではない波形。
数値、酸素、脈拍は全部現実だった。
カルテの中の数字じゃない。
目の前にいる患者の現実に蒼志は小さく息を吐く。
そして誰にも聞こえない声で呟いた。
「……本当に生かし続ける仕事なんだな」
その言葉に。
蒼真だけが小さく目を細めていた。
その時だった。
医務室に一度、会議室へ戻っていた葛城が姿を現した。
「どうだ?」
「……今すぐの会議続行は正直、厳しいです」
「ああ、会議はもう大丈夫だ、終わった。神代、予算通ったぞ」
「…そうか」
葛城の報告を聞くと蒼真は少し安心したように目を閉じた。
続きを葛城が説明したのか、それともこんな姿を見せてしまった自分への同情なのかは分からない。
けれど、結果として、数字で殴り勝てたのだ。
『しがみつくのか』
また、アイツだ。
目を閉じると囁いてくる。
『また悲しませるのか』
分かってる。
分かってるけど、今はまだ止まれない。
『お前はどこにいく』
そんなこと、分かりきってる。
——全員、帰す。
『本当にそれだけか』
……多分、違う。
『答えはどこにある』
その言葉に蒼真はそっと目を開けた。
蒼志はまだモニターを真剣に見つめ、蓮と葛城は会議資料から今後の予算の動きを確認してくれていた。
それを見て、蒼真はまた目を閉じた。
——答え。
それはまだ分からない。
全員を帰して、繋いだその先にあるのは何なのか。
蒼真は横になりながら小さく息を吐く。
答えはまだ分からない。
けれど昔みたいに考えもしない訳ではなかった。
いや、一度は考えた。
他人より自分と言う言葉が刺さったあの時に。
だけど、あの時の事は答えではないんだろう。
────俺は、どこに行くんだろう。
「神代」
葛城の声で蒼真は現実へ引き戻された。
そんな葛城は資料をカバンに入れている。
蓮は腕を組んで壁に持たれるいつもの体制。
心配そうな顔で覗き込む蒼志は何か言いたげだ。
「……なんだ」
「帰るよ」
蒼真は顔をしかめた。
予算が取れたといっても、その確認をしたかった。
「本部戻る」
「帰宅です」
「本部」
「帰宅です」
葛城が吹き出しそうになり蓮は息を吐くと口を開いた。
「帰宅だな」
「お前まで」
蒼真は不満そうな顔を蓮に向けたが蓮は全く気にする様子もなく、車椅子の準備を始めた。
「不整脈起こして会議止めた総統を本部に戻したら白石に殺される」
「起こしたくて起こした訳じゃねぇ」
「知ってる」
「なら────」
「帰宅だ」
即答され、蒼真は天井を見上げた。
味方がいない。
「葛城」
「帰宅だな」
「お前もか」
「俺はまだ生きてたい」
葛城は真顔で答えていた。本当にこれ以上、何かあれば白石に殺されかねないと。
蒼真は諦めたように深く息を吐く。
「……会議資料」
「持って帰る」
「予算資料」
「持って帰る」
「報告書」
「俺がやる」
「……」
完全包囲だった。
一切、許してくれそうにない。
蒼真は静かに目を閉じると口を開いた。
「麗華には言うな」
「「無理」」
蒼志と蓮の声が重なっていた。
葛城は耐えきれず吹き出した。
「お前ら息ぴったりだな」
「嫌なところだけな」
蓮が呟くと蒼志も否定しなかった。
産まれた頃から蓮も見てきた蒼志。
どうしても、その行動や言動は似てくる。
「……クソ」
蒼真が小さく悪態をついたがその声には先程までの力は無かった。
疲れている。
本人が一番分かっているはずだ。
蒼志はそんな父を見ながら小さく息を吐く。
分かっていても、この人は止まれないのだ。
けれど、担当医として今日は譲れない。
「父さん」
「なんだ」
「帰ろう、家に」
蒼真は少しだけ黙って、口を開いた。
「……分かった」
その言葉に医務室の全員が安堵し、肩を落とした。
神代蒼真。
57歳。
国家予算会議を止めたその日。
担当医による初の強制帰宅命令が執行された。




