第49話 Keep Him Standing
「……神代、問題だ」
白石がモニターを見つめながら重く落とした。
白石と蒼真と蓮だけの診察室には重たい空気が流れ込んだ。
「なんだよ…」
中々、続きを話さない白石に蒼真は眉を寄せた。
蓮は腕組をしながら壁にもたれ掛かり、静かに待っていた。
「……心臓にも影響出てきてる」
「……」
“心臓”
その単語を聞いた瞬間、蒼真の呼吸が一瞬、浅くなった。
分かっていた。
時々、脈が飛ぶような感覚。
疲れが中々、抜けてくれない事。
前より右半身に力が入りにくいこと。
それでも——いつもの事。と深く考えないようにしていた。
もう何十年もポンコツになった体と付き合って、折り合いをつけてきた。
「…心臓か」
「心臓だ」
「頭はなんともねぇか」
「脳みそは綺麗だ」
「じゃあ、仕事出来る、問題ない」
言い切る蒼真に白石は大きな溜息をついた。
蓮も「アホ…」と呟いている。
「お前ってホンットにバカなのかよ…」
「バカじゃない、と思う」
「はいはい、頭の切れは凄いよ。…で、死神はどうだ」
「変わんねぇな、特に」
「あーそぅ…」
診察上、一応問診する白石だが蒼真の訴える死神に変化はなく、白石は呆れている。
本人も昔ほどは深刻そうにしていないところも白石には救いだった。
「さて…今日の本題。新しいお前の担当医のご紹介~」
「紹介必要ないだろ」
昔から変わらない白石の軽口に蒼真は鼻で笑った。
紹介もなにも、良く知っている。
決定も最後は自分でした。
「父さん」
自分をそう呼ぶ医者は一人しかいない。
「……まぁ、よろしく頼むわ、蒼志」
少しだけ気まずそうに呟く蒼真を横目に蒼志は早速、白石と共に蒼真のカルテデータを眺めていく。
カルテを見る蒼志が麗華に似て見えた。
芯のある眼差しが同じだ。
が、そんな蒼志はカルテを見ていく度、どんどん表情を曇らせていく。
「父さん?」
「なんだよ」
「銃創オペって……」
「……あー、流れ弾が当たったらしい」
「らしいって!!分かるでしょ!!」
「分かんなかった。白石がその時の状況詳しい」
「うん、流れ弾。19歳の時ね~」
そんなこともあったなー。と蒼真と白石が盛り上がる中、蓮は蒼志を見つめていた。
自分の父親の怪我の履歴、病歴を見る息子はそうそう居ない。
しかも、蒼真のカルテだ。
そのすべての怪我の現場を見てきた蓮だから分かる。
普通の感覚なら、次に口を開いて出る言葉は1つしかない。
「なんで、生きてんの?」
「失礼だな」
「…フッ…」
予想通りの蒼志の言葉に蓮は笑った。
笑う蓮を他の3人が見つめた。
蓮がくだらないやり取りを見て笑うのは珍しい。
「……とりあえず…白石先生、不整脈の薬も追加していいですか」
「担当医はお前、好きにして」
「はーい」
「え、薬増えるのか」
「増えるね」
蒼真が嫌そうな顔をすると蒼志は息を吐いた。
我が父はこういう事は本当にめんどくさそうにする。
薬管理は母さんと蓮さんがしているけど…果たして父は自分の薬を知っているのか、それすら疑問に感じてしまう。
「父さん、薬の種類知ってる?」
「薬は薬だろ」
「……もう、いいや」
病識が薄いのか?いや、深く考えていないのか…。
わざと気にしていない。その方が父の性格には合う。
担当医の変更が決まったのは1週間前の事だ。
白石が60歳を迎え、黎明をやめる事が決まって少しした後だった。
ずっと…父を知りたかった。支えたかった。
息子としてではなく、医師として。
けれど、現実は思っていた以上に深刻だった。
それでも————。
「うーん…肺線維症も進行してるし…不整脈…肺高血圧まぁそうだよね…仕事してんのがおかしいよ…鼻カニューレの酸素流量増やして、不整脈の薬も追加。苦情は受付ないからね」
蒼志はそう言うと一旦、カルテを閉じた。
そして、椅子に座ると蒼真に向き合った。
「父さん…肺移植と…死神って何」
蒼志の言葉に蒼真の目がほんの一瞬だけ揺れた。
一番知られたくなかった現実。
蒼志を担当医にすると決めた以上、避けられないことは分かっていたが、言葉に出されると重かった。
蒼真は少しだけ俯くと口を開いた。
「移植は受けねぇ。その気持ちは今も変わってねぇ」
「そうみたいだね、何度も拒否してるね。で、死神」
蒼志の口調はいつもの口調ではなかった。
この意味の分からない物について説明を述べよ。とでも言うように蒼真を攻めてくる。
「……死神は知らん。ただ、なんか聞こえてくるだけだ」
「……白石先生、蓮さん、どういうこと」
蒼真に聞いても埒が明かないと思った蒼志が2人尋ねた。
白石はお手上げ。と呟いた。
「…こほっ…死神は気にすんな。ずっと前からだ。特になんも変化ねぇ」
小さな咳をし、蓮がそう言うと蒼志は溜息をついた。
この人達はこういうところがある。
とりあえず”生きてる”から、それでいい。と結論付けでもしたのだろうと蒼志も思うことにした。
“死神”
その言葉に誰も緊張感を持っていない。
だからこそ、蒼志もこれ以上騒ぎ立てても仕方ないと諦めたようだと蒼真は小さく息を吐いた。
そのことよりも蒼真は別の事が気になっていた。
——蓮が、咳をした事を。
最近、蓮は咳をすることが増えた。
57歳にもなって、タバコを辞めないせいか、風邪か。と蒼真も最初は思っていたが、なんだかしつこそうな咳だ。
何か隠しているようだが、蓮が何も言ってこないので、蒼真もそれ以上は聞かずにいた。
「母さんは知ってるの?」
「知ってる」
蒼志にとって、麗華がどこまで知っているのかも確認しておきたかった。
肺移植、謎の死神。
母も知っているなら、仕方ないとばかりに息を吐いた。
「…白石先生、この患者やばいです」
「やばいよ?」
「……つまり…総統として生かし続けるのが担当医の務めですか」
「正解」
自分が望んで決めた事だ。
父も総統をまだ辞めるつもりもない。
けれど、死ぬつもりもない。
だからこそ、定期的な検査、薬の飲み忘れもしていないようだ。
父はそういう人だ、昔から。
診察室には重たい空気が流れていた。
それは蒼志が現実を知ってしまったからではない。
蒼真の覚悟が重すぎたからだ。
蒼志は知ってしまった。
父の覚悟を。
沈黙を破ったのは蒼真だった。
「……もういいか。次の会議がある」
ジャケットを蓮が手渡すと、それを着る蒼真。
その動きは少しだけ昔に比べるとゆっくりに感じられた。
立ち上がる時も転倒しないように慎重になった。
歩行も最小限。
車椅子での移動が基本的になっていた。
全ての動きが変わって来ていた。
その事を蒼真本人が自覚はしている。
老いと戦いながら。
息苦しさにもがきながら。
神代蒼真は総統として今日も立ち続けている。
蒼真と蓮が退室した診察室で、白石と蒼志は引継ぎを続けた。
蒼真専用の高濃度酸素の設定、普段の酸素量。
全てを見た来た白石から、蒼志は漏らすことなく頭に叩きこむ。
——生かし続ける。
父が総統として立ち続けていく時間を。
それは、蒼志の覚悟だった。
「……白石先生」
カルテと設定資料が広げられた診察室で蒼志が静かに口を開いた。
「なんだ?」
「今まで……お疲れ様でした」
白石は一瞬だけ目を丸くした。
そして苦笑する。
「まだ引退じゃねぇぞ」
「いや……そういう意味じゃなくて」
蒼志は机の上に並ぶ資料へ視線を落とした。
酸素流量、高濃度酸素マスク。
緊急時対応。、薬剤一覧、定期検査項目。
想像していたより遥かに多い。
「……ずっと、これを?」
「まぁな」
白石は肩を竦めた。
「でも、周りも助けてくれた」
そう言いながらも蒼志は理解していた。
それでも最終判断は白石だったのだ。
「……俺、父さんを支えたいと思って医者になりました」
「知ってる」
「でも」
蒼志はカルテを閉じた。
「思ってたのと違いました」
白石が笑う。
「だろうな」
「もっとこう……治すもんだと思ってました」
診察室に少しだけ沈黙が流れた。
白石は窓の外へ視線を向けると夕暮れの光が差し込んでいた。
「治したかったよ」
その言葉に蒼志は顔を上げると、白石は小さく笑っていた。
「でもな、神代は治る病気じゃねぇんだ」
「……」
「肺もな」
「……はい」
「後遺症もな」
「はい」
「性格もな」
「それは無理ですね」
蒼志が即答すると白石が吹き出すと、診察室の空気が少しだけ軽くなった。
「だろ?だから目標変えたんだよ」
白石はカルテを指先で叩いた。
「生かす」
その一言は重かった。
「治せなくてもいい」
「……」
「総統として立てるなら立たせる」
「……」
「帰りたいなら帰らせる」
「……」
「家族と飯食いたいなら食わせる」
蒼志は静かに聞いていた。
「それが俺の仕事だった」
白石の視線は診察室の扉へ向いていた。
さっき蒼真と蓮が出て行った方向。
「だから次はお前だ」
蒼志は小さく息を吐いた。
重い。
想像以上に。
「……胃薬ください」
「出してやるよ」
白石は即答した。
「保険通ります?」
「通らん」
「ですよね」
蒼志が肩を落とす。
そんな蒼志を見ながら白石は笑った。
「安心しろ」
「何がです?」
「そのうち慣れる」
「慣れたくないです」
「俺も最初そう思った」
「マジですか」
「ああ」
白石は懐かしそうに笑った。
「そんで気付いたらこんなに経ってた」
蒼志は思わず天井を見上げた。
「……白石先生」
「ん?」
「父さんのカルテでこれなら……」
白石がニヤリと笑う。
「おう」
白石の表情に蒼志は嫌な予感しかしなかった。
「次は黒瀬のカルテな」
診察室に沈黙が落ちた数秒後。
蒼志は真顔で言った。
「帰っていいですか」
「ダメだ」
「ですよね」
その日。
神代蒼志は担当医として最初の胃痛を覚えた。




