第45話 Before the Storm
翌日の神代家の朝は少しだけ賑やかだった。
紬が元気な声で泣き、悠真が慌て、それを麗華達が笑う。
しかし、そんな賑やかな朝に蒼真の姿がなかった。
いつまでも起きてこない蒼真を不思議に思い、麗華は寝室へと様子を見に向かった。
「…蒼真?具合悪いの?」
心配そうにベッドに麗華が腰かけると蒼真から言葉が帰ってきた。
「……体、痛ぇ…」
「大丈夫?」
心配した蒼志もやって来ていた。
「節々?熱でも出た?」
「……いや…節々ではない…」
蒼真の様子に蒼志が問診を始めると、麗華は小さく息を吐いた。
「筋肉痛じゃない?」
麗華の一言に寝室は静まり返った。
蒼志は昨日の蒼真の胸骨圧迫の時間を思い返す。
……8分。
20代の自分でもそれだけやれば確かに翌日、辛いだろう。簡単そうに見えて、全身を使う。
50代の父、それも肺機能が悪い。
筋肉痛でもおかしくはない。
「……筋肉痛、確かに」
妙に納得した顔で立ち去ろうとする蒼志が「心配して損した」と呟いていた。
しかし、振り返ると言葉を続けた。
「俺、今日さ本邸の整理に行ってくるね」
「……積車とサーキットカーは整理すんなよ」
「しないよ」
蒼志は少しだけ笑うと寝室を後にした。
「で、仕事は今日どうするの?」
「急ぎないし……蓮が休めって言いそう」
「じゃあ、ゆっくり休んで」
麗華はベッドから立ち上がると酸素流量を確認し、寝室を後にする。
蒼真は布団の中でスマホを確認すると床へと放り投げた。
スマホの画面にはメッセージが1件。
蓮
お前、今日休み。
「分かりきってて、怖い補佐官様かよ」
そう呟くと蒼真は再び布団へと潜り込んだ。
昼のリビングは賑やかだった。
華凛が蒼真が家に居ると聞き、蒼空を連れて遊びに来て、悠真が甥と姪と遊びそれを女性陣が和やかに見ている横で蒼真はソファに座っていた。
蒼真の元に時々やってくる蒼空と紬を抱き上げたりして蒼真も穏やかに過ごしていた。
肺の影響で長く遊んでやれない事を蒼真は悔しそうに、肩車は悠真に任せていた。
そんな穏やかな時間が流れ、夕日がリビングに差し込む時間に蓮が現れた。
「生きてたか」
「殺すな」
「返信ねぇから、死んだと思った」
何十年も繰り返してきたやり取り。
孫2人と和室に寝転ぶ蒼真が蓮を見て嫌そうな顔をし、蓮も嫌そうな顔をする。
「蓮、ご飯食べてくー?」
「いただきます」
「帰れ」
麗華とのこんなやり取りもいつもの事だ。
渚はまだ見慣れず、余りにも自然なやり取りに少しだけ驚いている。
悠真と華凛はまた始まった。と笑いながら麗華の夕食の準備を手伝い始めた時だった。
蒼志が帰宅した。その腕には紙袋やダンボールが持たれている。
「凄い荷物だね」
「いや、書庫の整理してきたんだけど…アルバム見つけて」
渚が声を掛け、蒼志が蒼真の元へ持ってきたアルバムを差し出す。
「……アルバムなんて持って来んなよ」
嫌そうに眉を寄せる蒼真に蒼志は続けた。
「いや、写真の事聞きたいんだけど、おばあちゃんも今日出掛けてたから、父さんに見てもらおうと思って」
「アルバムなんて…俺、見た事ねぇけど…」
渋々起き上がり、蒼志が差し出すアルバムのページを見る蒼真。
そこには…まだ幼い自分の写真が並んでいた。
「アルバム?!見たい!!」
和室に飛び込んで来たのは悠真だ。
目を輝かせている。
蒼真が蓮に視線を向けると、ニヤニヤしている。
────嫌な予感しかしない。
蒼真はアルバムを閉じようとしたが蒼志がそれを止めた。
「神代家当主命令。父さん、写真説明」
「そんな命令存在するのか」
「今から存在する」
そしてアルバムを蒼志は捲りある写真を指差した。
その写真には海外の建物を背景に若い天音と澪、小学生位の蒼真と銀髪の外国人の女性が映っていた。
「この女の人、誰?」
蒼志の言葉に全員の視線が蒼真へと集まった。
いつの間にか、華凛と渚も興味津々な様子で子供達を抱き上げながら写真を覗き込む。
蒼真はため息をついてから、口を開いた。
「……親父の母さん、つまり俺のばあちゃん」
「「は?」」
その場の全員の声が重なる。
蓮ですら、目を丸くしている
蒼真は「だから、アルバムなんて持って来んなよ…」と呟く。麗華だけがキッチンで、お祖母様ね〜。と同じく呟いていた。
「父さんのおばあちゃんが…外国人?」
「そう」
「どこの国?」
「……ロシア人」
「……父さんハーフ?」
「違う。親父がハーフ、俺はクォーター、お前達3人はエイス」
目を丸くしたまま悠真が尋ねると蒼真が呆れて答えた。
悠真のアホな質問に蒼真が説明していくと蒼志が驚いた顔をしていた。
まさか自分にロシアの血が流れていたとは思わなかった。と言う顔だ。
「…なんで、聞いた事ない!って、母さんは知ってたの?!」
蒼志が驚いた声をあげるとキッチンからやってくると蒼真の隣に腰を降ろし、写真を覗き込む。
「お会いした事はないけどね。結婚のご報告でお電話したけど…わっ、蒼真の子供時代、悠真とそっくりね」
「電話なー。早口過ぎて殆ど聞き取れなかったな、あの時。そんなに俺と悠真似てるか?」
「うん、蒼真も分かんなくて天音さんに代わってもらったもんね。…いや、そっくり」
当たり前のように会話する両親に蒼志、悠真、華凛はぽかんと口を開けていた。
そして、重大な事実に気がついた蓮が口を開いた。
「蒼真、お前…ロシア語も分かるのか」
「……日常会話レベル。使わねぇと忘れる」
「……天音さんがたまに総統室で電話してる時に話してた謎の言語はロシア語だったのか!」
「え、あーうん。国際電話してたんじゃね?」
驚いている蓮を放置して蒼真はいつの間にか麗華とアルバムに見入っていた。
麗華は楽しそうにアルバムを覗き込む中、蓮が呟くと蒼志が不思議そうにする。
「あーなるほど」
「蓮さん?」
「こいつの身体能力とか筋肉量とか、日本人離れしてると昔から思ってたんだよ…」
「………」
「海外の血が流れてれば、納得する」
「ぁあ…なるほど」
蓮は疲れたように息を吐き、タバコを吸いに庭へと出て行った。
そして、悠真が口を開いた。
「ねぇ、曾祖母って銀髪だよね?って、事は…父さんと俺の銀髪って遺伝って事?」
「……多分な」
「ぉお…なんかかっこいい。銀髪で得した気分!」
「俺は黒髪が良かっ……いや、蓮と同じは嫌だな」
蒼真のひと言に全員が笑った。
華凛が笑いながら口を開く。
「でも、お父さん銀髪似合ってるよ」
「……華凛がそう言うなら、いっか」
その日、神代家は賑やかな時間を過ごした。
天音と澪の結婚式の写真や蒼真の幼少期から成長していく写真。神代家の歴史を眺めながら、穏やかに夕食を食べるその様子はどこにでもある家族の形だった。
夕食を摂ると悠真と華凛は帰って行き、蒼真と蓮は2人で書斎へと入り、仕事の話を始めた。
「昨日の地震…火山活動の影響らしい」
「火山活動…噴火の兆候あるのか」
「いや、まだそこまで警戒レベルが上がる段階ではないらしいが…昔の地震の件もある。国側から黎明に打診があった。内閣危機管理室の緊急招集、明日朝イチからだ」
「………了解」
いつまでも穏やかなこの家に居たい。
けれど、災害は待ってはくれない。
いや、その災害から家族を国民を守る事が仕事だ。
────全員、帰す。
その理念の元、黎明は走り続けている。
少しの沈黙の後、蓮が口を開いた。
「……それから、次期総統候補の件についてだ」
「……俺はまだ辞めねぇ」
「決定事項じゃねぇよ。俺らもそうだったろ、候補者は考える時期だ」
「まぁ…確かに…俺らの名前が上がったのも今の悠真と同じ年の頃か…」
蒼真は目を伏せると少しだけ考え込むと、口を開いた。
「…お前、悠真に”良くやった”って言ったんだって?」
「ぁあ……悠真は成長してるぞ、判断力かなり上がってる。あの大型バスの事故以降、勉強してんの分かるぞ」
「……まぁ蓮がそう言うなら、そうなんだよな…」
蓮が認めているならば確かにそうなのだろう。
どうしても蒼真は悠真を息子として見てしまう。
どんなに優秀だと分かっていても、不安もある。
けれど、時代は進んでいる。
「……第一、再編する」
蒼真の言葉が2人だけの書斎へと重たく落ちた。
腕組みをする蓮は蒼真をまっすぐ見ていた。蒼真は蓮の持ってきた火山の資料を眺めながら口を開く。
「……黒崎兄弟が育った。悠真もお前が認めてる、日向は幹部に入れたい…本城は教官にしたい。雨宮もそろそろ引退したいってよ」
「雨宮から俺もそれは聞いてる。葛城もだ…」
「葛城にはもうちょっと居てもらわねぇと。奏に全部引き継がせねぇと……後さ、白石」
蒼真の目が僅かに細くなる。
自分達の先輩世代が引退を決め始めている。
雨宮や葛城は引き継ぎさえ上手くいけば特段、問題はない。だが、白石となると話は別だった。
────医療統括部長。
現場の命を繋ぐ要の存在。
そして────蒼真の担当医でもある。
「白石の後釜、まだ居ねぇだろ」
「蒼志が居るだろ」
「……蒼志はまだ若いから現場に出させたい。本部で医療統括より……」
「違ぇよ、担当医の方」
蒼真のカルテを見れるのは蒼真本人と白石のみ。
担当医変更により、蒼志がカルテを見れるようになるということは、蒼真が全てを蒼志に知られてしまうという事だ。
それを蒼真が嫌がっている事も蓮は分かっている上での発言だった。
「……担当医は白石とも相談する」
「蒼志本人はやりたがってんだろ」
「いやさぁ…別にあいつを医者として信用してないとかじゃねぇよ?……移植と死神の話はしてねぇから」
「……移植はともかく、死神を知られんのはやばいな」
「だろ?俺の親父、頭おかしい。ってあいつは絶対なる」
「間違いねぇ」
さっきまで国家規模の話をしていたはずなのに、今はカルテを息子に見られたくない。という話で盛り上がっていた。
書斎で話すといつもこうなってしまう。
総統、補佐官、国家の英雄。色んなものを2人で背負ってきた。
だけど、2人きりになるとどうしても内容が脱線していくのは昔から変わらない。
「で、総統と補佐官候補の話だが」
「……黒崎兄弟と…悠真か」
「……あとな、蒼志も入れてくれ」
「……蒼志は医療だ。総統にも補佐官にもならねぇ」
「医療統括にはなるだろ、将来的には。で、若いうちに総統教育もさせておくと案外、役に立つだろ」
蒼真には蓮が蒼志にこだわる理由が分からなかった。
けれど、確かに医療統括となる可能性のある蒼志が総統教育を受けても問題はなく、将来的に総統になる者とのやり取りも円滑になるかも知れない。と蒼真もこの件を深く考えることはなかった。
「まぁ、いいよ。蒼志の件はそれで」
「よし…じゃあそろそろ帰るわ。明日、8時には迎え来る」
「りょーかい」
蓮が椅子から立ち上がると蒼真もゆっくりと立ち上がり2人が書斎を出るとリビングには麗華と蒼志、渚の姿があった。
「紬は?」
「もう寝ちゃいました」
孫がいないと残念そうな蒼真に渚が呆れていた。
大体、帰宅すると蒼真はいつも紬を探し、寝ているとがっくりと肩を落としている。
「紬が寝たなら、俺も寝る」
「ジジィ、気持ち悪ぃな」
「てめぇもジジィだ」
蒼真は蓮を見送り、玄関の鍵を閉めると寝室へと向かった。
布団に入るとあの声が聞こえた。
『こっちの世界は楽だぞ』
蒼真にしか聞こえない声。
姿も見えない。
唐突に聞こえて来る、その声は何なのか。
「……こっちってどこだよ」
蒼真の呟きが静かに寝室の暗闇に落ちる。
『すべての終わりだ』
また囁いてくる。
まるで眠ることを阻止するかのように。
「……俺はまだ、終わらない」
寝室のドアを開けようとしていた麗華に蒼真の呟きが聞こえていた。
ドアノブを引こうとする手が動かなかった。
蒼真が、何かと話している。
蒼真にしか聞こえない声と。
見えない何かと。
それが何なのか、何を意味するのか。




