第38話 Like a Son
照り付ける太陽が汗を流す隊員達の額を光らせていた。
黎明本部・第一訓練場。
「おらぁっ!!」
「甘ぇ!!」
乾いた打撃音が響く中、若手隊員達が汗だくになりながら組手訓練を続けていた。
「止め!」
教官役の悠真が声を上げると若手達はその場に崩れ落ちた。
今日は第一特務隊と第二特務隊が合同で訓練を行っていた。
第二に配属された若手を悠真が生き生きと扱いている姿を蒼真と蓮は日陰で笑いながら見ていた。
第一の日向と本城、黒崎兄弟もそれぞれに組手訓練をしながら生き生きしている悠真を横目で笑っていた。
「無理です……」
「死ぬ……」
「水……」
弱音を吐く隊員達を見下ろしながら悠真は呆れたように息を吐く。
「まだ午前中だぞ」
「鬼だ……」
「総統の息子が鬼だ……」
「鬼がいる…」
若手達の悲鳴が上がった。
その様子を見ていた蓮が仕方ねぇなと隊員達にホースで水を掛けてやると「補佐官が神だ!!!」と隊員達は目を輝かせた。
水を浴びながらはしゃぐ若手達と一緒になる悠真を見ながら笑う蓮のスマホがなったのはその時だった。
珍しく蓮が眉をひそめた。
「誰だ?」
「橘さん」
その名前に蒼真は視線を上げる。
蓮は何気なく、いつものように通話ボタンを押した。
「もしもし」
だが次の瞬間、蓮の表情が消えた。
「……はい」
蒼真の胸の奥がざわついた。
長年の勘だった。
嫌な予感だけはいつも外れない。
蓮はしばらく無言で話を聞いていた。
「分かりました。行きます」
それだけ伝えると電話を切り、蓮はホースの水を止める。
「蓮」
蒼真が静かに呼ぶが蓮はすぐには返事をしなかった。
悠真と若手達が再び組手を始めるのを眺め、蓮はタバコに火をつけると口を開いた。
「……橘さんが倒れた」
訓練場の喧騒が遠く聞こえた。
病院へ向かう車内は静かだった。
運転席の蓮は一言も喋らず、助手席の蒼真も窓の外を見つめたままだった。
嫌な予感だけは昔から外れない。それが余計に胸を重くする。
しかし、2人とも同じ事を考えていた。
——黎明の一つの時代が終わる時が近い。
病室の前へ辿り着くと蒼真は一度だけ深呼吸をした。
「行くぞ」
「あぁ」
ドアを開けると、そこには見慣れた顔があった。
「よう」
ベッドの上の橘はいつも通りだった。
酸素マスクもつけていない、点滴が繋がっているだけでいつもと変わらなかった。
「騒がせやがって…倒れたって言うからついに死んだかと思ったぞ」
蒼真が吐き捨てると橘は鼻で笑った。
「死んでねぇよ」
「知ってる」
「つまんねぇ返しだな」
「病院呼び出しの時点で面白くねぇんだよ」
橘は少しだけ笑った。
蓮は無言のまま病室の壁へ寄り掛かる。
「で、結局なんなんだよ」
蒼真が椅子へ腰を下ろしながら聞く。
橘は面倒臭そうに頭を掻いた。
「夏風邪だ」
「は?」
「肺炎だとよ」
蒼真と蓮は同時に眉をひそめた。
「……歳考えろ」
「誰がジジイだ」
「ジジイだろ」
即答する蒼真に橘は舌打ちした。
「医者が大袈裟なんだよ」
「死にかけたくせに」
壁にもたれたまま蓮が吐き捨てると橘が蓮を睨みつけた。
「死んでねぇ」
「だから死にかけて倒れたんだろうが」
蓮の口調は珍しく荒く、橘は少しだけ目を細めた。
「うるせぇな」
「うるせぇのはあんただ」
病室に沈黙が落ちる。
その沈黙を破ったのは蒼真だった。
「肺仲間じゃん」
「仲間じゃねぇ」
蒼真が軽く言うと橘は蒼真の頭を軽くこずいた。
「いや、仲間だろ。高濃度酸素、貸すか?」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。お前、やっぱ猿だな」
「猿言うなよ」
半分ふざけている蒼真に橘は笑っていた。
そんな穏やかな空気の中、口を開いたのは蓮だった。
「で、いつまで入院なんですか」
「医者の話だと一週間くらいだそうだ」
「……そうですか」
蒼真と蓮は顔を見合わせた。
橘本人も元気そうに見え、ほっと胸を撫でおろした。
橘はそんな二人を見ながら小さく笑った。
2人が帰った病室で橘は窓の外を眺めていた。
「……天音、龍二…てめぇら、俺にバカ2人押し付けやがって…」
夏の夕日が病室に目が眩むほどの強さで差し込んでいた。
その夕日を、橘はどこか懐かしそうに目を細めていた。
その翌日の事だった。
面会時間終了ギリギリの時間に病室に蓮が1人で現れた。
「どうした」
「…いや、橘さん独り身だから…色々と必要な物があるかなって」
蓮は橘と目は合わせずに持ってきた荷物を棚等に綺麗にしまっていく。
「俺は自分で出来るぞ」
橘は蓮の行動に苦笑いしながらも小さく「ありがとよ」と呟いた。
その呟きが蓮に聞こえたかは分からない。
蓮は手際よく荷物をしまい終えると病室のドアノブに手を掛け振り返る。
「…ジジィは大人しくしてろよ」
「オッサンに言われたくねぇ」
蓮は小さく笑うと病室を後にした。
——ガラッ。
唐突に開く病室の扉に本を読んでいた橘は顔をあげた。
「……また来たのか」
「……」
呆れた顔をする橘は息を吐く。
翌日も病室に現れたのは、蓮だった。
「暇かよ」
「暇です」
短く言うと蓮は椅子へと腰をおろした。
「仕事しろ」
「してます」
声を掛けると即答する蓮に橘は苦笑いすると本へと視線を戻した。
何も喋らない時間が病室に流れていた。
ただ、その時間が何故か心地よかった。
「じゃ、帰ります」
「お前、何しに来たんだよ」
「時間潰しに」
それだけ言うと蓮は病室を後にした。
そんな蓮の背中に橘は「バカ野郎が」と小さく呟いた。
——ガラッ。
「……またか」
「あら?息子さん?」
開いた扉の先に見えた姿に橘は溜息をつく。
点滴の交換を行っていた看護師が目を丸くする。
「違います」
看護師の言葉に答えたのは蓮だった。
蓮は橘の洗濯物に目をやると何も言わずにまとめだす。
「おい、何してんだよ」
「洗う」
ぶっきらぼうに言う蓮は洗濯物を纏めると病室を後にしていく。
「やっぱり息子さんですか?」
クスッと笑う看護師に橘は苦笑いしながら答えた。
「…そうですね…息子みたいなもんです」
そう呟く橘の声はとても穏やかで、優しかった。
「蓮、また行くのか」
「いや、洗濯物返しに」
急ぐように席から立ち上がる蓮に蒼真が声を掛けた。
ここ最近、蓮の書類の捌き方が異常に早く、時間を作ろうとしているのが蒼真には分かっていた。
そして、どこに行くのかも。
「へぇー」
書類にペンを走らせながら蒼真がそう言うと総統室に来ていた律に蓮は蒼真がサボらないように見張っておけ。と言うと部屋から出ていった。
「……補佐官の洗濯物って…」
「あー…橘さんの」
「心配してるんですね」
律が目を細めながら蓮が出ていった扉を見つめた。
——ガラッ。
「……」
扉が開いても橘は何も言わなかった。
蓮も何も言わずに持ってきた洗濯物を片付けていく。
「蓮」
片付け終わると何事もなかったように出ていこうとする蓮を橘が呼び止めた。
「……なんですか」
「いや…なんでもねぇ」
「そうですか」
会話はそれだけだった。
病室を出て扉を閉めると蓮は少し歩き立ち止まる。
そして、橘の病室を振り返ると小さく笑った。
——ガラッ。
それは毎日の恒例行事になっていた。
「おう」
病室の入口に見える姿に橘が声を掛ける。
特に返事もなく、蓮は椅子に腰掛けたり日用品の確認をする。
橘にとって、蓮がやってくる時間が楽しみのひとつになっていた。
いつもと変わらず無表情な蓮を橘は鼻で笑う。
「毎日毎日、お前は何しに来んだよ」
「……別に」
「別に?」
「…暇で」
「嘘つけ、バカ野郎が」
「……じゃあ、生存確認」
少し恥ずかしそうに呟いた蓮に橘は吹き出した。
「笑うなら、もう来ねぇよ」
「はいはい」
蓮は椅子から立ち上がると「じゃあ」と声をかけ部屋を出ていく。
そんな蓮の背中を見る橘の目は優しかった。
「あら、また来てらしたんですね」
廊下を歩く蓮に声を掛けたのは先日、橘の点滴の交換を行っていた看護師だった。
声を掛けられた蓮は看護師へ頭を下げると立ち去ろうとしたが看護師は言葉を続けた。
「本当の親子のように仲良しなんですね」
「いえ……親子ではなく…」
微笑む看護師に蓮は少し言葉を詰まらせた。
そして、言葉を紡いだ。
「……橘さんと俺は師弟です」
そう言う蓮の顔はどこか嬉しそうで、誇らしげだった。




