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帰る場所を守るために―国家災害統括特殊救助機関 "暁" の継承者達―  作者: HANA
第3章 移りゆく時

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第37話 Lay It Down

春だった。

神代家の庭では柔らかな風が桜の花びらを運んでくる。


縁側に腰を下ろした蒼真は、小さな身体を腕の中へ抱いていた。

「……何度、抱いても慣れねぇ」

思わず零れた言葉に、隣から呆れた声が飛ぶ。

「毎回、言ってるもんね」

麗華が蒼真の腕の中の赤ん坊の顔を覗き込みながら呟く。

腕の中の赤ん坊は気持ち良さそうに眠っている。


蒼志と渚の娘。

神代紬。

神代家の初孫だった。


蒼真は微笑みながら紬を見下ろした。

「蒼志はもっと重かった」

「そりゃ、紬ちゃんは女の子だもの」

「男女差ってやっぱあるのか」

「あるんじゃない?」

蒼真と麗華は微笑みながらそんな会話をしていた。

珍しく正装の悠真と華凛夫婦、蒼空がそんな2人を眺めていた。


賑やかな声が続いていた。

平和だった。

本当に、穏やかな春だった。

気付けばあの運用規定変更から一年近い時間が過ぎていた。

蒼真は総統のまま。

蓮は補佐官のまま。

変わらないものもある。

だが ——。

変わるべきものも確かにあった。


「父さん」

後ろから声が聞こえ、蒼真が振り返るとそこには蒼志が立っていた。


天音、蒼真が袖を通した紋付袴姿で。

蒼真は一瞬だけ目を細めた。

蒼志の少し後ろには澪と麗華も袖を通してきた紋付留袖姿の渚。


そして、疲れた顔をした蓮が無言でリビングから庭に抜けると離れた場所でタバコに火をつけた。


「行くか」

「うん」


その短い会話だけで十分だった。

今日。

神代家当主は正式に次代へ引き継がれる。



—————


それはいつもと同じ夜だった。

蓮に本部から送ってもらい、リビングのソファで酸素吸入をしながら蒼真は寝落ちしてしまった。

本人は、そう思っていた。


「蒼真っ!」

「……麗華?」


麗華が焦った声で蒼真を呼んだ。

何かあったのかとゆっくり目を開け、ぼんやりとした頭で蒼真が麗華を見つめると麗華はほっとしたように息を吐いた。


「良かった…」

「ぇ…なに…」

「今レベル落ちてたのよ…」

「え……」


蒼真の肩に置かれた麗華の手が震えている。

それだけで、冗談ではないことが蒼真にもよく分かった。


——ただ、寝たつもりだった。

いつと同じことをしただけなのに。


突然、足音もなく近づいてきた恐怖に蒼真は俯き顔を覆った。

もし、今…麗華が居なかったら、自分はどうなっていたんだ?

そんな時にあの声が耳に響いてきた。


『降ろせ』

何を降ろすっていうんだ…。

てめぇは俺に何をさせたいんだ…。


「ねぇ、蒼真」

麗華の声に蒼真は顔をあげた。

麗華の目はまだ揺れていた。

麗華の目を見た瞬間、蒼真の耳にまた声が聞こえた。


『こっちの世界は楽だぞ』


声はそれだけだった。

蒼真はゆっくりと口を開いた。


「……麗華…俺、もう……疲れちまったのかも…」


素直に言葉が出てきた。

自分でも驚いたくらい、自然すぎた。

そして、目から涙が流れていた。

“疲れた”その言葉を待っていたかのように涙はまた一筋、また一筋と流れた。

目の前に突然、突き付けられた現実が蒼真にやっと本音を出させた。


「やっと、気が付いたの?」


麗華は蒼真の隣に座ると、蒼真の手を強く握った。


「……黎明総統と神代家当主…もうどっちも背負う必要はないんじゃないかな」




数日後。

神代家の仏間には蒼真と蒼志の二人だけがいた。

正座した蒼志の前に、蒼真は静かに座る。

しばらく沈黙が続いた。

「父さん…本当にいいの?」

蒼志の問いに蒼真は少しだけ笑った。

「何がだ」

「当主」

蒼真は視線を落とした。


短い時間ではあったが背負ったその名前。

神代家当主。

そして——長年背負ってきた黎明総統。

その二つは、いつしか自分の中で同じ意味になっていた。

どちらも自分が背負って行かなくてはいけないと思いこんだ。


蒼真は視線を蒼志に向けると静かな声を落とした。

「いいんだよ。お前が育った」

それだけだった。

言葉を失う蒼志を見つめながら蒼真は続けた。

「俺が限界だからじゃねぇ」

「……」

「お前が任せられる男になった」

それが理由だった。

今の蒼志なら任せられる。

家庭を持ち、父となった蒼志ならば”神代”の名に潰されることはないだろうと蒼真は確信していた。


蒼志はゆっくりと頭を下げる。

「……はい」

蒼真は小さく息を吐いた。

肩から何かが一つ降りた気がした。


—————————

神代本邸の古くから受け継がれてきた座敷には神代家の人間達が集まっていた。

正面には歴代当主の写真が飾られ、その中には天音の姿もある。

静寂の中、蒼志が前へ進み出た。

真新しい紋付袴姿を蒼真は静かに見つめていた。

袴の着付けは蓮がしてくれた。

隣には紋付留袖姿の渚。

渚の着付けは麗華がした。

少し離れた場所ではそんな麗華が紬を抱いている。

悠真、華凛。

澪、橘、そして蓮。

全員がその瞬間を見守っていた。

形式そのものは決して長くはなかった。

代々受け継がれてきた当主の証や神代家当主の権限、それらが蒼真から蒼志へ正式に引き継がれる。


それだけだった。

だが、その「それだけ」が何より重かった。


やがて儀式が終わる頃、蒼志が深く頭を下げた。

「神代家二十二代当主として、責務を果たします」

静かな声だったがその声にはしっかりとした覚悟があった。


蒼真は何も言わずにゆっくりと頷いた。

だが蒼志には十分だった。

神代家当主はこの日、正式に次代へ継承された。



「やっぱり黒髪は袴が似合うな」

儀式後にみんなで食事を取っていると橘が袴姿の蒼志を見つめながら呟く。

「銀髪でも似合ってたろ」

「いや、なんか違うだろ。天音もお前も微妙だった」

蒼真が銀髪舐めんな。と言うと橘は笑っていた。

蒼真の3年前の儀式の時は橘が着付けてくれた袴。橘は天音の家督継承儀式にも立ち会っていたという。親子三代を見届けてくれたのだ。


「蓮の着付けも旨いじゃねぇか」

「こいつ、めちゃくちゃ動くからやり難くて疲れましたよ…」

疲れ果てた顔をした蓮にみんなが笑った。


「でも、蒼志くん立派になったわぁ。渚ちゃんも紬ちゃんも可愛いし」

澪が蒼志を見つめながら微笑んでいた。

「ありがとう、おばあちゃん」

そんな澪に蒼志と渚は微笑み返した。

「で、蒼真は何も変わんないわね。久しぶりに会ったのに相変わらず無愛想だし。……全然食べてないし…また少し痩せた?」

年をとってもマシンガントークを炸裂させる母に蒼真は苦笑いした。

澪は蒼真の食事の皿を見て、蒼真の顔を見ると少し心配そうな顔をしていた。

「……母さん…俺も53だよ?孫いるんだよ?そりゃ食えなくもなるって」

いつまで経っても親は親で子は子なんだろうと蒼真は思った。

昔なら、母に心配されたら大丈夫とだけ返していたが、蒼真の大丈夫を昔から1番信用していないのは澪だった。


痩せて来たのも本当だった。

ただ、食べれなくなった訳じゃない。

食べたくない訳でもない。

食事にすら、体力を持っていかれるようになった。


けれど、母にこれ以上、心配を掛けたくなくて

精一杯、気丈に振舞った。


食事が進む中、蒼真は蒼志を連れて親戚や食事会から参加した神代グルーブの重役達に挨拶をして回った。

神代家の前当主として、息子にこの先を任せるため頭を下げ蒼真は最後の勤めを果たしていく。

そんな父の背中がいつもより少しだけ軽そうで蒼志は、ほっとしていた。

まだ、何も分からない、正直…当主と言う言葉もまだ重く感じる。

祖父と父が袖を通した紋付袴も重かった。

着物に着慣れていないからではない。

2人の背負ってきた物が大きすぎる。


「ぇえ、黒瀬はまだ名前が残りますので、蒼志で分からないことがあれば、黒瀬にご連絡ください。……蒼志、ぼーっとするな、挨拶しろ」

「ぁ…すいません、よろしくお願いいたします」

「若輩者ではありますが、よろしくお願いいたします」

蒼真が重役へ頭を下げるその横で蒼志も並んで頭を下げた。


招待客達に挨拶を終えると蒼真は部屋から1人出て行ってしまった。

トイレだろうかと麗華も紬の世話をしていたり、挨拶に回りあまり気にしていなかった。

しかし、その蒼真の後を追う人影が3つあった。



「おい、流量あげるぞ」

神代本邸の自分の部屋から外を眺めていた蒼真の耳に蓮の声が聞こえた。

蒼真が部屋の入口を振り返ると、そこには蓮と橘、澪がいた。


「なんだよ、この面子…コホッ…」

蒼真は小さく笑いながら咳をすると蓮は慣れた手つきで酸素流量を上げた。

「……蒼真、ありがとうね」

「何が?」

先ほどまでのマシンガントークの澪の声とは違って穏やかな声に蒼真は少しだけ目を見開く。

「あんたの時は天音が亡くなったから家督を継がせたけど…今思うと大変だったよね」

澪は蒼真の隣に腰を降ろすと、蒼真の右手を優しく握った。

「……気にしてない。そんな事、生まれた時から分かってた事だろ」

「だから、ありがとう。あんたはいつも逃げない子だった。今日も蒼志の道筋をちゃんと作ってあげて、偉いよ」

「……褒めてんの、母さん」

蒼真は少しだけ笑うと澪の手を握り返した。

「褒めてる」

澪は蒼真の目を見つめながら微笑んでいた。


「まぁ、猿の割にはよくやったよ」

「俺はいつまで猿なんだよ」

橘が鼻で笑いながら言うと蒼真は呆れた顔をしていた。

いつまで経っても橘は蒼真を猿扱いから卒業させてくれない。

「でも、まぁ…猿も少しは人間らしくなったな」

そう呟く橘の目は優しかった。

「……そうかよ」

「……よしっ、蓮、後は任せた。俺も神代グループ関連から退く」

「は?それはちょっと待ってくださいよ、橘さん」

橘の言葉に蓮が珍しく焦った声を出すと橘は蓮の肩に手を置き真っ直ぐに目を見つめた。


「蒼志は蒼真ほど厄介じゃねぇだろ?」


ニヤッと笑うと橘は蓮の肩を叩き部屋から出て行ってしまった。

「いや……2人同時にグループ退くのやめてくんねぇ?」

「頑張れ、蓮」

絶望する蓮の顔を見ながら蒼真が笑うと澪も笑っていた。

橘によって、蓮の仕事は増やされた。

しかし、忙しさ以上に橘が蓮に託したことが蓮は嬉しくも感じていた。





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