第36話 The Missing Calculation
総統室に沈黙が落ちていた。
奏は俯いたまま何も言えなかった。
蒼真も急かさない。
ただ静かにソファへ身体を預けていた。
夕日が窓から差し込み、部屋を橙色に染めている。
長い沈黙だった。
「……ずるいですよ」
奏が小さく呟くと蒼真は苦笑する。
「何がだ」
「そんな言い方されたら、何も言えないです」
その言葉に蒼真は肩を竦めた。
「俺は事実を言ったまでだ」
「変わりませんね、蒼真さん」
その返答に蒼真は少しだけ笑う。
ようやくいつもの調子が戻ってきた。
奏の表情が穏やかになった。
奏は小さく息を吐くと顔を上げた。
「でも、それとこれとは別です」
「何がだ」
「運用規定です」
蒼真の表情から笑みが消える。
奏は真っ直ぐ蒼真を見つめていた。
「俺はまだ納得してません」
頑固な所は昔から変わらない。
一度決めたら簡単には曲げない。
だからこそ蒼真は奏を買っていた。
「そうか」
「そうです」
再び即答する奏に蒼真は小さく笑う。
「面倒臭ぇな」
「蒼真さんにだけは言われたくありません」
蒼真が言葉に詰まると、それを見て奏が少しだけ笑う。
久しぶりに見た顔だった。
先日の会議から奏がずっと笑っていなかったことを蒼真は知っていた。
蒼真はその顔を見ながら静かに口を開く。
「……俺な」
奏が姿勢を正すと蒼真は窓の外へ視線を向けた。
本部から見える夕暮れは何十年も見てきた景色だった。
「最近やっと分かったんだよ」
その声はどこか自嘲気味だった。
「何がですか」
蒼真は少しだけ笑うと静かに答えた。
「帰る計算をしてなかった」
奏の表情が止まったが蒼真は続けた。
「全員、帰す」
それは総統になった日から変わらない。
蒼真自身の誓いだった。
「でもな」
そこで蒼真は一度、言葉を切ると奏の目を見つめた。
「俺、自分が帰る計算だけはしてなかった」
蒼真は苦笑した。
「馬鹿だろ」
その言葉を奏は否定できなかった。
数え切れない災害。
蒼真はいつだってその最前線に立っていた。
だが自分がどう帰るかは考えていなかった。
考える前に飛び込んでいた。
「本震で埋まって、やっと分かった」
奏を見るその目は穏やかだった。
「俺も帰らなきゃ駄目なんだってな」
奏は何も言わず、ただ静かに蒼真を見つめていた。
「昔はさ正直、自分がどうなるかなんて考えてなかった」
そう言って窓の外へ視線を向けた。
夕暮れの空だった。
奏は黙って聞いてくれていた。
「死ぬのは、別にって…でも麗華が居て…子供達も産まれてさ…ああ…俺、帰らなきゃ、生きなきゃ…本震で埋まったの見てるからお前も分かると思うけど…生きるのに挿管されるのは嫌だった…でも、生きる為なら仕方ねぇって思った」
「……挿管の時の蒼真さん、マジで怖かったっす」
奏の言葉に蒼真は気まずそうに苦笑いした。
あの時、奏や律を暴れた勢いで殴って蹴って逃げようとしていたらしい。が、蒼真にその記憶はなかった。
「自分より他人」
奏の表情が僅かに揺れると蒼真は少しだけ笑った。
「馬鹿だろ」
否定出来なかった。
本震の崩落現場。
あの日の蒼真は。
誰よりも最後まで残った。
そして埋まった。
奏はその光景を思い出していた。
蒼真は続ける。
「帰せるかどうかしか考えてなくて、俺が帰るかどうかは後回しだった」
総統室に静寂が落ち、蒼真はソファへ深く身体を預けた。
「でもさ」
そこで一度言葉を切ると少しだけ困ったように笑った。
「帰れって言う奴が増えたんだよ」
奏が顔を上げると蒼真は指を折りながら数え始めた。
「麗華」
少し笑う。
「蓮」
また少し笑う。
「蒼志」
「悠真」
「華凛」
呼ぶ度に表情が柔らかくなっていく。
「白石」
「葛城」
「奏」
奏は何も言わない。
言えなかった。
蒼真は目を伏せる。
「だから考えた。……初めてな」
静かな声だった。
「自分の事も考えなきゃいけない。自分の体ともいい加減、向き合わねぇといけない」
奏の拳がゆっくりと解かれると蒼真は続けた。
「零式統括機の規定変更も同じだ」
その言葉に奏が顔を上げると蒼真は真っ直ぐ奏を見ていた。
「俺を守る為じゃない」
「……」
「お前の為でもある」
奏の呼吸が止まったように感じた。
「お前も同じだからな」
その言葉だけで十分だった。
助けたい。
帰したい。
諦めたくない。
その気持ちは蒼真も奏も同じだった。
だから分かる。
いつか奏も自分と同じ場所へ立つ。
誰かを助ける為に。
自分を後回しにする日が来る。
蒼真は静かに言った。
「助けるだけじゃ駄目だ」
蒼真は小さく息を吸うと力強く言葉を出した。
「帰れ」
総統ではない。
上司でもない。
命令でもない。
師匠として。
兄貴分として。
蒼真はそう言った。
奏はすぐには口を開けなかった。
ゆっくりと言葉を探しているように見えた。
蒼真も返事を急かす事はなく、窓の外の夕焼けを眺めて待った。
どのくらいの時間が流れたか分からない。
奏はゆっくりと口を開いた。
「……分かりました。次の会議では承認させてもらうと思います」
「思いますかよ」
奏の返事に蒼真は笑った。
「まぁ、納得は出来たんで…もう他に隠し事はないですよね?」
奏は蒼真をまっすぐ見つめていた。
これ以上、秘密があったら許しません。と言う目だった。
その目に蒼真は少しだけ俯き考えると、ゆっくりと口を開いた。
「……死神」
小さな声だった。
蒼真自身も驚く程、小さかった。
奏に聞こえたかどうかすら怪しかった。
蒼真は恐る恐る顔をあげると奏は真顔だった。
やはり、聞こえなかったか、ともう1度蒼真が口を開こうとした時、奏がいつも通りにいつも通りの声を出した。
「死神…?で、どうしたんですか?」
いつも通り過ぎる奏に蒼真は面食らいながら、少し慌てたような表情をした。
「いや、死神だぞ?」
「はい」
「驚かねぇの?」
「まだ、何も聞いてないですから」
奏の反応は今までの誰とも違った。
“死神”
その言葉を出しただけで、蓮ですら眉を歪めていたというのに、奏は怖いくらいにいつも通り過ぎた。
そんな奏の反応に蒼真は小さく息を吐いてソファに背中を預けた。
そうだ。
奏はそういう奴だった。
「……死神がな、囁いてくんだよ。ちなみに肺移植の件を知ってる奴らはこの件も知ってる。……お前は誰だ、とか、あとどれだけ悲しませるんだって、言ってくる。……俺、頭おかしくなったのかなって」
蒼真は奏に全てを打ち明けた。
話すのが怖いと思っていたのに、言ってしまえば不思議と胸が軽かった。
「……その死神って、姿はあるんですか?」
奏は少しだけ目を輝かせて蒼真に問いかけた。
そんな奏に蒼真は少し笑う。
「いや……黒い影みたいなもんが見える事はあるけど」
「で、飛び降りろとか。死を誘うような言葉はないんですよね?」
「まぁ…そうだな」
「なら、気にしなくていいんじゃないですか」
奏の言葉に蒼真は目を丸くし、吹き出してしまった。
こいつは白石と似たような事を言うな。と思った。
「いや、頭おかしいとか思わねぇのかよ。葛城さんなんて、めちゃくちゃ焦ってたぞ?」
「だって、蒼真さん結構、変ですよ昔から」
「あ?」
「いや、睨まれると怖いんですけど。……俺にメット忘れるなって言っといて自分は忘れたり」
蒼真に睨みつけられながらも奏は昔の色々な出来事を思い出して、目を細めた。
「昔もなんかなかったでしたっけ…蓮さんの長期離脱してた頃…ぁ、そうだ、幻聴聞こえた、やべぇ!!って焦ってましたよ?忙し過ぎて耳おかしくなった!!って」
奏が笑うと蒼真も思い出したように笑う。
「そういえば、あった。しかも、その幻聴の正体さ…」
「通信機のイヤモニの不具合だったか別回線に繋げてただけっていうw」
堪えきれずに奏は腹を抱えて笑っていた。
そんな事あったな。と蒼真も笑っていた。
ひとしきり笑うと奏は姿勢を正し、蒼真をまっすぐ見ると口を開いた。
「まぁ、その死神がなんであれ、今の蒼真さん笑えてるし、普通に喋ってるし、俺は気にしませんよ」
奏が少し微笑むと蒼真に頭を下げた。
「でも、ありがとうございました、教えてくれて」
「……いや、頭を上げろ。俺こそ……ありがとうな」
頭を上げた奏は昔と同じ笑顔だった。
蒼真は少し照れたように頭をかいていた。
そして———
零式統括機の運用規定は変更される。
総統による零式統括機搭乗には医療班責任者の承認を必須とする。
総統本人の健康状態によっては医療班責任者が搭乗を停止できる。
この運用規定変更は自らの翼を奪うことではない。
逃げることでもない。
神代蒼真が自分自身を守ることを覚えた証明だった。




