第35話 Too Much trust
その日、幹部会議が終わったのは夕方だった。
各部署からの報告、今後の運用方針。
予算や人員配置等の議題は山ほどあった。
だが最後まで重く残ったのは零式統括機の運用規定変更だった。
そして、今回も奏は承認をしなかった。
会議室の扉が開くと幹部達が次々と席を立っていく。
葛城も資料をまとめながら立ち上がった。
「神代」
「ん?」
「今日は早く帰れ」
「努力する」
「帰れ」
「善処する」
葛城は呆れたようにため息を吐く。
いつものやり取りだった。
だが葛城の視線だけは少しだけ柔らかかった。
「……そうか」
蒼真もそれ以上は何も言わない。
葛城は何かを知っている。
今回の運用規定変更の意図も本当の意味はわからない。
だが聞かない。
聞いても答えが変わらない事を知っているからだ。
だから何も言わない。
それが葛城だった。
「蒼真、俺、資料保管庫に寄ってから戻りたいんだが、お前はどうする?」
蓮が蒼真に聞くと蒼真は首を横に振る。
「自分で戻るよ」
そう言って、車椅子のブレーキを外した時だった。
「……俺が、押しますよ」
会議室の扉近くに居た、奏だった。
ゆっくりと蒼真に近寄り、背後に回ると車椅子を押してくれた。
そのまま、蒼真と奏は何も話さず総統室へと向かう。
廊下で2人の後ろ姿を見送りながら、蓮は小さく息を吐いた。
「似た者同士のクソ猿が…」
蓮の呟きは夕方の廊下に静かに落ちて消えていった。
総統室に着くと、蒼真は車椅子から降り自分の椅子へと座る。
その間、奏は蒼真を見守り、座ると水を用意するなどいつも通りだった。
しかし、何も話さず2人の間の空気は重かった。
総統室はしばらく沈黙が流れ、送り届けたと言うのに奏は部屋から出て行こうとはしなかった。
奏が何か言いたいのは蒼真には分かっていた。
きっかけが欲しいのだろうと見兼ねた蒼真は声をかけた。
「……座ったらどうだ」
「……」
奏は蒼真の言葉に返さず、ただ静かにソファへと腰を下ろし、膝の上で手を組むとやっと口を開いた。
「いつからですか」
蒼真の表情が僅かに止まったが奏は続ける。
「肺移植の話です」
総統室に静寂が落ちた。
蒼真は視線を机へ落とした。
数秒に感じられた。
いや、もっと長かったかもしれない。
奏は逃がさなかった。
「白石さん、麗華さん、蓮さんは分かります。……葛城さんも知ってました」
その声は怒っていた。
だが怒りだけではなかった。
少し震えていた。
「俺だけ知らなかった」
蒼真は小さく息を吐くと水を一口、口にした。
「そうだな」
「そうだなじゃありません」
初めて奏が感情を露わにした。
強い口調だった。
「俺は何なんですか」
その言葉に蒼真は顔を上げ、奏を見ると拳を握っていた。
握られた拳は震えている。
「俺は…何も知らされない。なのに規定変更だけ突然出された。納得出来る訳ないでしょう」
蒼真はしばらく奏を見つめていた。
やがて、小さく笑う。
「怒ってるな」
「当たり前です」
即答する奏は視線を蒼真に向けた。
その返答と視線に蒼真は少しだけ困ったように頭を掻いた。
そして、誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いた。
「……言えなかったんだよ」
奏の表情が止まった。
しかし、蒼真は続けた。
「奏には言えなかった」
奏を見つめる蒼真の目は優しくて、
でも、悔しそうな色を宿していた。
「俺には言えない…って、どうしてですか。俺の事、信用してくれてないんですか」
「違う」
奏が捲し立てるように話すと蒼真は即、否定をした。
信用してないんじゃない。
むしろ、信用し切っている。
だからこそ、奏に話す事が蒼真は怖かった。
蒼真はゆっくりと立ち上がると、奏の向かいのソファへと腰を下ろした。
そして、真っ直ぐに奏を見つめた。
「……本当はさ、怖いんだよ、肺移植。怪我で手術台に乗るのとは訳が違う。自分で決めて自分で手術台に乗るんだぜ…どんなに成功率も高い、大丈夫って言われたって、怖いよ」
そう言うと蒼真は少しだけ笑った。
「ダッセェだろ?50過ぎたオヤジが手術が怖いなんて、誰が慰めてくれる?だから、カッコつけてみんなには、俺が決めたなんて言ってるだけだよ。………でも、お前は違うだろ」
そこまで言うと蒼真は少し目を伏せた。
そして、椅子に背中を預けると呼吸を整えながら再び口を開いた。
「お前は蓮が滑落した時、連れて帰って来てくれ。って俺に頼んだ…だから、肺移植も絶対に受けろって俺に頼む。お前に頼まれたら、俺が断れねぇのお前…知ってるから」
蒼真は目を閉じた。
そして、閉じたまま続けた。
「だからって、零回線をお前に渡した訳じゃないし、第一の隊長に任命した訳でもない」
奏の表情が僅かに揺れた。
蒼真はゆっくりと目を開くと奏を真っ直ぐに見つめた。
「律を推す声は多かった」
奏が息を飲んだ。
その名前が出るとは思わなかったのだろう。
蒼真は静かに続けた。
「冷静だし判断力もある。全体も見える。隊長としてなら律の方が向いてるって意見もあった」
それは事実だった。
黎明の上層部でも。
第一の中でも。
律を推す声は決して少なくなかった。
奏は何も言わず、蒼真を見つめ続けた。
蒼真は少しだけ笑った。
「蓮なんか最後まで律派だったしな」
「……そうだったんですか」
「ああ」
奏は少しだけ目を伏せたが蒼真は首を横に振った。
「でも違った」
その一言で奏が顔を上げた。
「律は止まれる」
蒼真はそう言うと一度言葉を切ると、静かに続ける。
「お前は止まって考える」
奏の瞳が揺れた。
蒼真は覚えている。
奏も覚えている。
本震の日。
第一が止まった瞬間を。
奏が止まった瞬間を。
誰よりも助けたいと思っていた男が。
誰よりも現場へ飛び込みたいと思っていた男が。
それでも立ち止まって考えた。
考えて。
悩んで。
苦しんで。
その上で。
零回線を使った。
「律なら使わなかった」
奏は黙ったまま聞いている。
「それが悪い訳じゃない」
蒼真は静かに言う。
「律は正しかった」
その判断は正しい。
指揮官として、組織として、命を預かる人間として間違っていない。
「お前は諦めなかった」
静まり返る総統室で蒼真は少しだけ笑った。
「助けたかったんだろ」
奏は答えられなかった。
本震の日、崩落現場、第一ですら手が出なかったあの現場。
それでも
助けたかった。
誰一人置いていきたくなかった。
その結果が零回線だった。
帰せる可能性に賭けた。
蒼真は奏を見つめる。
「だから零回線を渡した」
奏の目が見開かれた。
「信用してなかったら渡してない」
その言葉に奏の呼吸が止まる。
「肺移植の話をしなかったのは信用してないからじゃない」
蒼真は少しだけ困ったように笑った。
「信用し過ぎてたんだよ」
奏が何か言おうとした。
だが声にならなかった。
蒼真は続ける。
「お前なら絶対に受けろって言う」
「……」
「頼むから生きてくれって言う」
奏は俯いた。
否定出来なかった。
間違いなく言う。
必ず言う。
蒼真は小さく息を吐く。
「昔から、そうだろ…訓練生時代から」
「……はい」
「だから言えなかった」
蒼真は目を細める。
どこか悔しそうに。
どこか情けなさそうに。
そして少しだけ安心したように。
「お前に頼まれたら、俺は断れねぇんだよ」




