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帰る場所を守るために―国家災害統括特殊救助機関 "暁" の継承者達―  作者: HANA
第3章 移りゆく時

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第32話 The First Step

会議室には蒼真と蓮だけが残っていた。


先程までのざわめきが嘘のように静かだった。

長机の上には回収されなかった資料が数部、残されている。

窓の外では太陽がジリジリと照り付けている。


蒼真は椅子へ深く腰を預けながら小さく息を吐いた。

「随分嫌われたな」

静寂を破ったのは蓮だった。

蒼真は窓の外を見たまま鼻で笑う。

「奏にか」

「お前にな」

即答だった。

「ひでぇな」

「事実だろ」

蓮はそう言いながら資料を手に取る。


――零式統括機運用規定改正案。


しばらく沈黙が続いた。

やがて蒼真がぽつりと呟く。

「……あいつ、覚えてたんだな」


マットブラック。


あの機体が地下格納庫へ搬入された夜。

驚いていた奏の顔が脳裏を過る。

蓮は小さく笑った。

「そりゃ覚えてるだろ」

「そうか?」

「お前が思ってる以上にな」

蒼真は何も返さず、窓へ映る自分の姿を見つめる。


酸素チューブ。

椅子の後ろへ置かれた車椅子。

そして資料。


昔の自分なら絶対に作らなかった書類だった。

蓮はそんな蒼真を見ながら口を開く。

「後悔してるか」

「何を」

「規定変更」

蒼真は首を横へ振った。

「いや」

その返答に迷いはなく、蓮は少しだけ安心したように息を吐く。

「ならいい」

「お前、反対しねぇのな」

その言葉に蓮は少しだけ笑った。

「俺は昔から反対してる」

「は?」

「お前の無茶にだ」

蒼真は思わず吹き出した。

「今更かよ」

「今更だ」

二人の間に短い笑いが生まれる。

だが、それも長くは続かなかった。

蓮は真顔へ戻る。

「……蒼真」

「なんだ」

「お前、ようやく考え始めたんだろ」

蒼真は視線を落とした。


数日前の医療棟の廊下。

運転手の娘の『自分より他人』あの言葉が蘇る。

否定出来なかった。


今も、これからも。

きっと自分は誰かを優先する。

それは変わらない。

だが――守るべきものが増え過ぎた。


守らせてしまう人も増え過ぎた。

しばらく沈黙した後、蒼真は静かに立ち上がると車椅子へと乗車した。

「行くか」

蓮は立ち上がるといつものように車椅子を押してくれた。


「しばらく奏、荒れるぞ」

「静かになっていい」

蒼真は苦笑しながら会議室を後にした。

その背中を見ながら蓮は小さく息を吐く。

今日の規定変更は。

零式統括機の話じゃない。


神代蒼真が初めて自分自身を守ろうとした。

その第一歩だった。



—————


蓮に送ってもらい玄関の扉を開けると、どこか懐かしい夕食の匂いが漂っていた。

「ただいま」

「おかえりなさい」

すぐに返ってきたのは麗華の声だった。


昔から変わらない声で迎えてくれる。


蒼真は小さく息を吐きながら靴を脱ぐ。

朝の幹部会議の後は国家の会議に向かった。

1日かかる長時間の会議、その後の資料確認。

思っていた以上に疲れていたらしい。


靴を脱ぎ、玄関に一歩上がった瞬間だった。

ふらり――

視界が僅かに揺れた。

ほんの一瞬で倒れる程ではない。

蒼真にとっては慣れた感覚だった。

若い頃はそのまま玄関で寝たこともあった。

だから何事もなかったように歩き出そうとしたその時。

腕を支えられた。


「……麗華」

いつの間に近くにいたのか。

麗華が蒼真の腕を掴んでいた。

「大丈夫だ」

反射的に出た言葉だった。

麗華は表情を変えない。

「知ってるわ」

「なら離せ」

「嫌よ」

即答する麗華に蒼真は小さく息を吐く。


「見てたのか」

「見てたわ」

逃げ場のない返事だった。

麗華は蒼真の顔を見つめて静かに言う。

「ふらついた」

「一瞬だ」

「ふらついた事実は変わらない」

正論に言い返せず蒼真は視線を逸らすと麗華は少しだけ笑った。

「昔なら認めなかったわね」

「今も認めてねぇ」

「認めてるじゃない」

そう言いながらリビングへ向かう。

麗華は腕を掴んだままだったが蒼真も抵抗しなかった。

いや、出来なかった。

蒼真がソファへ腰を下ろすと麗華は慣れた手付きで酸素キットを確認し、水を差し出した。

何十年も繰り返してきた動作だった。


「会議、荒れた?」

「まぁな」

「奏?」

「奏」

即答する蒼真に麗華は苦笑する。

「でしょうね」

蒼真は受け取った水を一口飲んだ。

しばらくリビングに静かな時間が流れ、蒼真の酸素の音だけが響いていた。


やがて麗華が口を開いた。

「規定変更の話?」

蒼真の手が僅かに止まる。

「蓮から聞いたのか」

「聞いてない」

「じゃあ何で分かった」

麗華は当たり前のように答えた。

「蒼真の顔」

蒼真は眉をひそめた。

「そんなに分かりやすいか」

「ええ」

麗華は少しだけ優しく笑い、蒼真は少しだけ俯いた。


「やっとね」

蒼真は顔を上げた。

「何がだ」

麗華は少しだけ考えるように視線を落とすと静かに言った。


「自分を守る方法を考えるの」


その言葉に蒼真は何も返せなかった。

返せる言葉が見つからなかった。

窓の外では夕陽が街を赤く染めていた。


事故の運転手。

運転手の娘の言葉。

死神の問いかけ。

全部が頭の中を過ぎっていく。


そんな蒼真を見ながら麗華は小さく息を吐いた。

「三十年以上待ったのよ」

「……」

「少しくらい期待してもいいでしょう?」

その声は責める声ではなかった。

怒ってもいなかった。

ただ、ずっと隣で見てきた人間の声だった。

蒼真はしばらく黙り込んだ後、小さく笑った。

「難しいな」

その呟きに麗華も少しだけ笑った。

「知ってるわ」

麗華はそっと蒼真の手を握ると肩へ頭を乗せ寄り添った。

「でも…俺も帰りたい…」

「…うん」

玄関の扉の開く音とともに、蒼志と渚の声が聞こえてきた。

「ただいまー」

玄関から蒼志と渚の

「ぇ、父さんの靴ある」

「珍しく早いね」

聞こえてくる会話に蒼真は心地よさを感じて耳を傾けていた。

2人が帰ってきた。と立ち上がろうとした麗華の肩に蒼真は腕を回した。


「まだ…隣に居て」


そう小さく呟いた。

麗華は少しだけ困った顔をしながらも蒼真に寄り添った。

リビングにやってきた蒼志は小さく息を吐きながら呆れた顔をした。


「……父さん、母さん…いつまでラブラブなんだよ」

「ぇ、お義父さん…素敵ですね」


呆れる蒼志とは対照的に渚は目を輝かせていた。


神代家の夕飯が始まろうとしていた。



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