第30話 The Mirror
黎明本部の医療棟の廊下は静かだった。
集中治療室前の椅子へ腰掛ける女性とその隣には制服姿の少女。
事故車両の運転手の妻と娘だった。
蒼真が立ち止まると蓮も葛城も悠真も立ち止まった。
誰もすぐには声を掛けられなかった。
事故の当事者であり、父親の帰りを待つ家族だった。
「神代総統ですか」
蒼真達の姿が目に入ったのか先に声を掛けてきたのは母親だった。
蒼真は静かに頷く。
「夫の件で…」
「少し、お話を」
蒼真がそういうと母親は小さく頭を下げていた。
頭をあげたその顔は疲れ切っていた。
「夫は……何か言っていましたか」
その言葉に蒼真は少しだけ目を伏せると口を開いた。
「後ろを助けてくれ、と」
蒼真が短く答えると母親の肩が震え、娘は俯いた。
「そうですか」
それだけだった。
泣き崩れる訳でもなく、叫ぶ訳でもない。
ただ、どこか納得したように頷いた。
「……あの人らしいです」
母親の声は静かな声だった。
そして、目を細めて少しだけ笑っていた。
「昔からそうなんです」
娘が初めて口を開いた。
「自分より他人」
苦笑するように少し怒ったように、そう呟いた。
蒼真は何も言わなかった。
言えなかった。
その言葉はこの場にいる誰より自分に刺さる。
静まり返る廊下で最初に口を開いたのは葛城だった。
「今後、私どもは警察の捜査に協力することとなりました。お2人にもお話を伺う事もあるかと思います。……奥様、娘さんへのお話は行っても大丈夫でしょうか?」
「……娘には控えていただけると…」
葛城の確認に母親がそう返すと、娘が口を開いた。
「なんで?私は平気だよ。それにお父さんの事を聞かれるだけでしょ?」
葛城を真っ直ぐ見ながら話す娘は真剣だった。
その眼差しを受け取るように葛城は頷いた。
「奥様、娘さんに事故の写真等はお見せしません。奥様にも普段のお父様のご様子を伺うようになるかと思います。ご安心ください」
ニコッと葛城が笑うと、母親も娘もほっとした顔をしていた。
そんな2人を見て、蒼真が呟いた。
「……心強い、娘さんですね」
そして少しだけ蒼真は俯き、顔をあげると言葉をつづけた。
「事故原因はまだ分かりませんし、我々も警察もお父様が悪い等の決めつけもしておりません。……今は回復を待ちましょう」
蒼真のその言葉に母親の目からは涙が零れ落ちた。
母親はただ頷き、娘はそんな母の肩を支えていた。
蒼真は悠真に医療棟の宿泊施設への案内を命じると、総統室へ戻るために歩き出した。
医療棟入口に置いていた車椅子に座り、外していた鼻カニューレをつけると蓮が自然に押してくれた。
「……耳が痛かったろ」
エレベーターを葛城と3人で待つ中、蓮の声が響いた。
蒼真は少しだけ俯き、呟いた。
「……まぁな」
エレベーターに乗り込むと蒼真には先ほどの”自分より他人”の言葉が響き続けていた。
『そうやって、あとどれだけ悲しませる』
あの声だった。
不気味な、実体のない黒い影の声。
どこからか蒼真に話しかけて来る。
『それでも、飛ぶのか』
……うるせぇ。
そう返そうとして、言葉が出なかった。
ーバシッ。
「…ってぇな、おい」
蓮が蒼真の頭を書類で叩いていた。
「黒瀬…死神か」
葛城が声をかけると蓮は頷いた。
「死神だ」
その言葉に葛城は小さく息を吐いた。
「……だから、叩くなよ」
蒼真は2人の様子を見ながら小さく息を吐くと少し俯く。
確かに、この”死神”は厄介…いや、少し困ってはいるけど
不思議と怖いと思ったことはない。
今のも、脅しではなかった。
“問いかけ”だった。
それだけに“自分より他人”という言葉がどうしても胸に突き刺さる。
あの運転手はまるで自分の映し鏡だ。
あの運転手を責める気にはなれなかった。
むしろ理解出来てしまう。
後ろに要救助者がいる。
助けてくれ。
その言葉を残した理由が。
「なぁ……」
静まり返るエレベーターの中、蒼真は口を開いた。
「……零式統括機の運用規定、変えたい」
蒼真の言葉に葛城は目を見開いた。
蓮は何も言わず、車椅子に座る蒼真の背を見続けた。
「……神代、零式統括機は…」
お前が総統就任時から難題をいくつも乗り越えて手にいれた物だろう、と葛城は口に出そうとしたが、言葉は出なかった。
「……運用規定変更に何か問題があるのか」
「…いや…資料、作っておく」
蒼真の低い声に葛城は何も返せなかった。
いや、返していいのかが分からなかったのだ。
ならば、何も言わずに従うのが得策だろう。
蓮は何も喋らなかった。
ただ、なんとなく蒼真の考えや想いが分かったような気がしたからだ。
それは、蒼真がペットボトルの蓋を開けてくれと最近になって頼む様になっていたからだ。
ある時から蒼真は蓮に頼ることをし始めた。
最初こそ、珍しい事もあるもんだ。と思っていたが、在日米軍との訓練2日目も自分から座る、熱いから氷を寄越せ、と言ってきたのだ。
蒼真の中で、何かが変わっている。と蓮は感じていた。
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数日後、運転手の意識が回復したと医療棟からの連絡を受け、蒼真と蓮と葛城は運転手の病室を訪れていた。
ベッドに横たわりながら、運転手は申し訳なさそうに何度も頭を下げようとした。
「俺達は警察でもないし、被害者じゃない。ただ、知りたい…なんでブレーキを踏んだと嘘をついたんだ」
「いえ……ブレーキは踏みました…」
「タイヤ痕が残ってなかった…何か隠してるだろ?」
蒼真の声は起こっているわけでもなんでもなかったが低いその声が運転手にどう届いたのかは分からない。長い沈黙の後、ゆっくりと運転手し口を開いた。
「……ブレーキは踏んだんです…でも…利かなかった…」
運転手は目を閉じて当時を思い出すように言葉を続けた。
「壊れてる…そう思って減速させよう…いや、この先には観光施設がある…減速しても止まらなければ…怖くなりました…右は崖…でも、被害者の数は減らせるんじゃって…」
運転手の目から涙が零れだす。
「…っ……ブレーキも整備不良となったら…会社も同僚もみんな、仕事を失うかもしれないと思いました……だから…」
「わかった」
運転手の言葉を遮ったのは蒼真だった。
強いまなざしで運転手を見ながら、近くの椅子へ腰を降ろし目線を近づけた。
「あなたの判断で多くの命が守られました。今回の事故の死者もいませんでした。あなたの判断は正しかった。……けど、自分を後回しにはしないで欲しい。嫁さんと娘さん、泣いてましたよ」
運転手の意識回復前に車載カメラの映像は実は確認できていた。
警察も事件性はないと結論付けていた。
それでも、蒼真は運転手本人の言葉を知りたかったのだ。
そして、自分と同じこの人を放っておくことが出来なかった。
「あなたは守ることの出来る人間だ。事故の責任に潰されることなく、生きてください。……あと、嫁さんは泣かしたらダメですよ」
蒼真はそういうと少しだけ微笑んだ。
葛城と蓮はお前が何言ってんだ。と言う顔をしていた。
病室を出ると、廊下は静かだった。
葛城と蓮はいつものように次の会議の議題の話をしている。
蒼真だけが、少し後ろを歩いていた。
『自分を後回しにはしないで欲しい』
数分前、自分が運転手へ告げた言葉が頭の中で何度も繰り返される。
『嫁さんと娘さん、泣いてましたよ』
あの言葉も全部、自分自身へ向けているようだった。
「……」
蒼真は足を止めて窓の外を見つめた。
窓の外では夕陽が街を赤く染めていた。
その時だった。
『お前はどうなんだ』
聞き慣れた声がする。
振り返っても誰もいない。
それでも、確かに聞こえた。
『あと何度泣かせる』
蒼真は小さく息を吐いた。
「……うるせぇな」
返す言葉が見つからなかった。
否定出来なかった。
しばらく沈黙が続く。
やがて前を歩いていた蓮が振り返った。
「蒼真」
「……なんだ」
「置いてくぞ」
蒼真は少しだけ笑った。
「待てよ」
蒼真はゆっくりと歩き出し、蓮と葛城の背中を追いかけた。
答えはまだ出ない。
出せない。
それでも――
今まで見ようとしなかったものが少しずつ形になり始めていた。
医療棟の入口に置かれた自分の車椅子と酸素キット。
目に入る自分自身の現実が押し寄せてくる。
そして守るべきものが。
夕陽に照らされた廊下を歩きながら、蒼真は小さく呟く。
「……難しいな」
誰にも聞こえない程、小さな声だった。




