第17話 System Error
その日、神代家のリビングは賑やかだった。
工業地帯の大規模爆発から2週間が経っていた。
仕事がひと段落した蒼真は久しぶりに3日間のオフを取っていた。
「……可愛い」
左腕を三角巾で吊っている悠真が小さなほっぺを突いていた。
「ほっぺた落ちそうってこういう事か」
「悠にぃ、何言ってんの?」
華凛が子供を連れて神代家へ帰省していた。
見慣れない生後間もない赤ん坊に悠真は落ち着きがない。
「悠真…お前24歳だろ、しかも妹の子供を…」
「いや、だって!ほっぺが、むっちむちで柔らかくて!大福みたいで!」
ため息をつきながら蒼志が言うと悠真は熱弁し始めた。
その様子を麗華はキッチンから眺め、蒼真はソファから眺めていた。
「全員揃うのは久しぶりだね」
麗華が嬉しそうに微笑みながら、キッチンからお茶を運ぶ。
華凛は嫁ぎ先で暮らしているし、悠真も突然1人暮らしをする!と宣言して家を出ていたが、骨折療養中は神代家で生活をしている。
こうして、神代家に家族が集まるのは本当に久しぶりだった。
「ほら、華凛座って」
「座るとこの子、泣くよ?」
家に入ってきてからずっと子供を抱きながら立ったままの華凛を心配した麗華が促すと華凛が困ったような顔をした。
「じゃあ、俺が抱く!」
「お前は骨折」
悠真が言うと蒼志が即答した。
「……父さんに任せろ」
静かにすわっていた蒼真がゆっくりと立ち上がり、華凛の腕から子供を抱き上げるとその腕に優しく子供を抱きかかえる。
子供は少しだけ母と離された事で泣きそうになったが、蒼真が優しく頭を撫でてやると蒼真の目をじっと見つめ出した。
「ありがとう、お父さん。じゃあ、抱っこよろしく」
華凛は蒼真の抱き方に安心したのか、素直に椅子へと腰を降ろした。
「父さんが抱っこ…うまくね?」
「お前ら抱いてきたの誰だと思ってる」
悠真が意外そうな声をあげたので蒼真は少しムッとした顔をする。
「たくさん抱っこしてくれたものねぇ。悠真なんて私より蒼真の抱っこが好きだったわ」
麗華が懐かしそうに目を細めると悠真が呟く。
「ぜんぜん、覚えてないよ?」
「覚えてたら怖いわ」
悠真の発言に蒼真は溜息をつきながら子供を抱いたままソファに腰を降ろした。
「お父さん、座ったら泣く…」
華凛がは泣くよと言おうとしたが、子供は泣き出す様子はなかった。
居心地よさそうに蒼真の腕の中で眠そうにしている。
大きな胸の中が落ち着くのか、とても穏やかだった。
「蒼真の抱っこってなんか落ち着くらしいのよね」
コーヒーを飲みながら麗華が呟く。
「父さんが子供好きだからとか?」
「さぁ?」
蒼志の質問に麗華は首を傾げた。
昔から子供達が泣いて麗華が抱っこしてやっても中々泣き止まないことが多かった。
蒼真が抱いてやるとピタっと泣き止むという現象は何度も麗華を驚かせた。
そして、その現象に麗華は何度も助けられた。
「そうだ、お父さん、クッキー焼いてきたんだ!」
「おっ、そうか」
華凛のクッキーを喜ぶ蒼真が笑ったその時、玄関のチャイムがなった。
麗華が玄関へ向かう。
その時、ふいに庭に蒼真は目を向けた。
黒い影が笑った気がした。
『ほらな』
「……なにがだ」
本当に小さな声。
腕に抱く華凛の子供にも聞こえないくらいの声で蒼真は呟いた。
『楽になれるぞ』
「……うるせぇ」
蒼真の声は蒼志にも聞こえなかったが、何かを喋ったのは口の動きで気が付いた。
けれどそれは一瞬で、見間違いか。と蒼志は手元のスマホを確認すると玄関へ向かっていった。
麗華がリビングに戻って来ると後ろから付いてきたのは蓮だった。
「久しぶりの休みになんでお前の顔を見ないといけねぇんだ」
「昔は休みでも一緒だったじゃない」
麗華はクスッと笑う。
「いや、華凛の子を見に来た」
見に来て当然だろ。という顔で蓮は当たり前のように子供の顔を覗き込もうとする。
「やろめ、タバコくせぇ」
生まれたばかりの子供に近づくな。と言わんばかりの蒼真の表情に蓮は溜息を付く。
「お前も吸ってただろ」
「蒼志が生まれる前に辞めたわ」
「ぁあ、肺やったのに吸ったら麗華さんにも怒られたしな」
ハッと蓮は笑った。
「てめぇのタバコは特にくせぇんだよ」
「はいはい」
「……おい、蒼志、医者からもなんか言ってやれ…ってあれ?どこ行った?」
蒼真が蒼志にお前からも言ってやれ。と声をかけようとしたが、先ほどまでリビングにいたはずの蒼志の姿がない。
「さっき、玄関に来たぞ……ぁ、それから…」
蓮がその続きを話そうとした時だった。
ーガチャ。
リビングの扉が開かれた。
廊下から、蒼志が現れ、その隣には何故か渚の姿。
「??」
蒼真は首を傾げていた。
何故、渚が家にやってきたのか、全く意味が分からない。という表情をしている。
華凛はそんな蒼真の腕から子供を回収していった。
「……父さん…あの…」
少し口ごもる蒼志に蒼真の頭の中のクエスチョンマークが増えていた。
渚が来た?
あれ、孫は?
蒼志は何をうじうじしてる?
なかなか口を開かない蒼志に耐えかねた蒼真が口を開いた。
「なんだ、言うことあるなら早く言え」
怒っているわけでもなんでもない、父の低い声が蒼志には少しだけ今は怖かった。
蒼志は大きく息を吸うと決心したように口を開いた。
「渚と結婚します」
はっきりと、蒼志は蒼真の目を見てそう伝えた。
シュー…
蒼真からは返事がなく、代わりに酸素の音だけがしばらく神代家のリビングには流れていた。
蒼真は何も喋らず一度、麗華の顔を見た。
麗華はニコニコと華凛とこちらを見ている。
悠真も「よーやくかぁ」とコーヒーを飲みながら呟いていた。
蒼真の隣に立っている蓮は蒼真の表情を見ながらやれやれといった表情をしている。
「……ちょっと待て、結婚?」
蒼真は左手を額へ当て、俯いて何かを考え出した。
パッと顔をあげると口を開く。
「結婚の前に交際だろ」
その言葉に悠真が吹き出していた。
「……3年前から付き合ってる」
「……は?」
「付き合ってました」
蒼志と渚の言葉に蒼真の頭脳は再び考え始めた。
いやいやいや、この2人付き合いながら現場出てたのか?
だから息あってんの?
だから大将の店にもこないだ一緒にいたのか?
いやいや、違う。
3年?蒼志のそんな噂流れてんのも知らねぇぞ?
そもそも、こいつ休みの日なんて…。
「父さん?」
黙り込んでいる蒼真に蒼志が声をかけると、はっとする蒼真。
戸惑ったような目で蒼志と渚を見つめていた。
「……付き合ってた……結婚…?」
まだ処理落ちしている蒼真を見かねて、渚が口を開いた。
「お義父さん、ご報告が遅くなりました。蒼志さんと3年間お付き合いさせていただきました。先日の総統室でのご指摘から、私は妻としても蒼志さんを支えたいと思いました」
渚が一気に喋ると蒼志が続けた。
「俺も仕事だけじゃなく、渚に傍に居てほしい。隣にいてほしい。一緒に生きていきたいんだ」
2人は真っ直ぐな目を蒼真に向けていた。
その目は冗談でもからかいでもないことは処理落ちしている蒼真にも理解出来ていた。
「……いや、それは…うん…」
「もう…だから蒼志、ちょっとは伝えておきなさい。って言ったでしょ?蒼真が恋愛事に気が付くわけないんだから」
麗華が椅子から立ち上がり、蒼真の隣へと腰掛けた。
戸惑っている蒼真の肩に手を置くと声を掛けた。
「蒼真、驚いた?」
「うん」
「落ち着いてる?」
「……うん」
「蒼志の結婚、どう思う?」
「……結婚は別にしていい」
少し落ち着きを取り戻した蒼真が蒼志の目を真っ直ぐに見つめた。
「蒼志」
「はい」
「女は泣かすな。怒鳴るな、殴るな。恐怖で支配しようとするなよ」
「……父さんを見て育った俺が、そんなことするわけないだろ」
少しだけ、蒼志は困った顔をした。
「あと、金の心配させんな……あ、お前普通に高給取りか」
「それも分かってる」
蒼真は少しだけ微笑んだ。
小さいわが子を愛おしく見つめるみたいに。
「……帰る場所、見つけたのか」
「うん」
「そうか」
父の眼には戸惑いはもうなかった。
ただ、育った息子を見つめる父親の目だった。
そして蒼真は渚へ視線を向けた。
「渚」
「はい」
「第一、続けるのか」
「続けます」
渚は迷うことなく返した。
「どうしてだ」
「だって、蒼志さんを止められるのは、私しか居ませんから。蒼志さんが間違えたら、私が引き戻します。殴ってでも、骨を折ってでも」
渚がそう答えると蒼真は少しだけ俯き、息を吐いた。
まさか総統室で言った自分の言葉がここで帰ってくるとは思っていなかった。
確かに、渚の性格なら蒼志が間違ったら止めてくれるはずだ。
看護師として、妻として。
蒼志を支えてくける人が出来たならそれでいいのかもしれない。
蒼真は小さく笑うと2人を交互に見つめた。
まだ少し緊張している蒼志。
真っ直ぐと決意を決めた目をしている渚。
「……2人でしっかり生きていけ」
「はい」
2人の声が重なったその瞬間、悠真と華凛が拍手を送っていた。
それは若い2人へ向けてなのか、結婚を許した父への拍手なのかは誰にも分からない。
けれど、その日の神代家は夜まで賑やかな声が途切れる事はなかった。




