第12話 Still Delicious
「……最悪だな」
シュー…静かな酸素音と共に、蒼真の低い声が診察室に響いた。
「最悪でも仕方ない。ちゃんとつけとけよ」
「……はぁーい」
やる気のない返事をする蒼真に白石の顔が少しだけ険しくなった。
少しずつ悪化していく肺の状態。
安静時も低酸素になりやすくなり、日常生活、仕事中全ての時間で常時、酸素吸入をするようにと白石の診断がくだされた。
今までは必要時に酸素マスクを使用していたが、鼻カニューレへと変更にもなった。
「これ、鼻が変な感じする…」
「ワガママ言うなら、今から挿管してやろうか?」
白石は笑顔で挿管器具を手にすると、蒼真が青い顔をする。
「冗談だ。……で、最近、食えてるか?」
「食えー」
「食えてない」
蒼真が答えようとするが蓮が蒼真を遮って答えた。
白石は視線を蒼真から蓮に向けると次の質問をする。
「寝れてるか?」
「……多分、寝てねぇ」
その答えに白石は息を吐きながら椅子に背を預けた。
「俺、前に麗華さんから眠剤出してくれないか。って言われた事あるんだよ」
その言葉に蒼真は目を見開いた。
いつの間に麗華がそんな話を白石にしたのか?
「まぁ、断ったけど……正直に答えろ、神代。寝てんの?」
白石のその話し方は昔から変わらない。
逃がさず問い詰める時の話し方だ。
ーもう、誤魔化せない。
蒼真はゆっくりと白石へ視線を向けると口を開いた。
「……寝れねぇ」
そして少しだけ視線を逸らし、蓮を見た。
蓮は口を開く事はなかった。
だが、その目は白石に相談しろ。と訴え掛けていた。
「……死神が…ずっと耳元で囁いてくる…こっちの世界は楽だぞ、痛みもない…って」
蒼真はそう伝えと恐る恐る白石の表情を伺った。
こんな事、言ったら引かれるに決まってる。
頭がおかしくなったのか?と言われるに決まってる。そう、思っていた。
「で、その死神とやらは、なんかして来んの?」
白石の返答に蒼真は目を丸くした。
「いや……ずっと喋ってるだけ…」
「死神がお前を殺しに来てんの?」
「違う……ただ、話しかけて来る…」
「……お前が今、安心出来るものはあるか?」
これはなんの質問なんだ?
寝れないのと関係ないだろ。と思いながらも蒼真は白石に言われた安心出来るものを思い出せるだけ思い出してみた。
「…麗華の匂い……麗華の笑顔、かな」
白石の表情は少し柔らかかった。
白石はまっすぐ蒼真を見るとこう言った。
「じゃあ、麗華さんに隣にいてもらえよ。一緒に夜寝てください。って頼めよ。寝れないから別部屋とかお前やってそうだし」
「……」
蒼真は何も言わなかった。
いや、言えなかった。
全て、図星だった。
診察室を出た後も、蒼真はどこか不機嫌だった。
シュー……
鼻カニューレから酸素が流れる音だけが静かに響く。
車椅子を押す蓮がちらりと蒼真を見る。
「何拗ねてんだ」
「拗ねてねぇ」
即答だったが明らかに拗ねている。
「白石に図星刺されたからか」
「殺すぞ」
「図星か」
「うるせぇ」
蓮は小さく笑った。
蒼真は眉間に皺を寄せたまま車椅子に座っていた。
座って居て、酸素まで流しているのに、それでも少しだけ息苦しい。
そんな自分が蒼真は腹立たしかった。
「やっぱ、これ嫌だ……鼻が気持ち悪い」
「子供か」
蒼真は返事をしない代わりに鼻カニューレを少し触る。
違和感は確かにある。
だが、それ以上に常時酸素吸入が必要、
その事実の方が重かった。
昔は簡易酸素だった。
本当に苦しい時だけだったのに。
それが今は違う。
寝ている間も起きている間も。
仕事中も移動中も常に、
肺は助けを必要としている。
「……だっせぇ」
小さく呟いたその声は蓮に聞こえていたが何も言わなかった。
代わりにエレベーターのボタンを押すと扉が開く。
他には誰も居ない静かな箱の中。
蒼真はふと鏡へ視線を向けた。
鏡に映る自分は鼻カニューレをしていて
少し痩せた顔に疲れた目をした自分。
その瞬間だった。
鏡の奥にほんの一瞬だけ黒い影が笑った気がした。
『ほらね』
低い声が聞こえた気がした。
『だから言っただろ』
蒼真は目を細めたが次の瞬間には何も居なかった。
ただ自分だけが映っている。
「……」
「どうした」
蓮の声で我に返り蒼真は鏡から視線を逸らした。
「いや」
そう答える。
今のは何だったのか。
見間違いか。
疲れているだけか。
それとも――。
エレベーターの扉が開く。
蒼真が小さく息を吐くと蓮が車椅子を押す。
「車椅子もさぁ…必要?ずっと思ってたけど」
「転倒予防、暴走予防」
「俺、老人?」
「おっさんだろ」
「……てめぇもだろ」
「……おっさんが、おっさんの車椅子押してて、不気味だな」
「……不気味だな、確かに」
蒼真は真顔で呟いた後で少し笑った。
蓮もつられて笑ってしまった。
「さて、昼飯どうする?」
「いつも通りでいい」
いつも通り…社食でいいと蒼真は言う。
そして少しだけ笑う。
「…どうせ、食えないし」
食べたくても昔のようには食べれない。
元々、食べる量が人より多かった蒼真。
そして何よりどんな料理も美味そうに食べていたのに、最近は”美味い”という言葉も少なくなっていた。
蒼真の楽しみがまた減っていた。
「いや、大将の店、行くぞ」
「…だからさ、残したら申し訳ねぇだろ」
「そんなの大将が気にするか?」
蒼真は何も答えなかった。
19歳から通い続ける大将の定食屋。
訓練終わり、任務終わりにボロボロの姿でも、馬鹿げた量を食べる蒼真に笑いながら料理を出してくれた。
本震後もリハビリ期間に車椅子で行っても何も言わなかった。いつもの座敷の席からテーブル席に変えてくれただけだった。
蓮は医療棟を出ると総統室に向かわず車へと向かって歩いた。
ーガラガラ…。
「いらっしゃいっ!…あれ、久しぶりだなぁ、神代と黒瀬」
扉を開けると聞きなれた声が耳に響く。
賑わう店内、カウンターの奥から大将が笑った。
昔から変わらない大将の顔に蒼真の顔が少し緩んだ。
「え」
座敷席からも聞き慣れた声が聞こえた。
「うぉ、蒼真さん!」
奏が驚いた顔で、でも嬉しそうに名前を呼んだ。
「お疲れ様でーす」
奏の隣には律が座り、昼飯ですか?と冷静な顔をしている。
「…サボり?」
箸を口に運ぶ途中だった葛城が総統と補佐官、仕事しろ。とでも言う視線を向けている。
「さっきぶり」
白石まで居た。
「……蓮、やっぱ帰る」
「なんでだ」
面倒くさそうに蒼真は頭をかくと、店内奥のテーブル席を指さした。
蓮もテーブル席を見ると…蒼志、悠真、渚、黒崎兄弟がぽかーんとこちらを見ている。
総統、来た…と黒崎兄弟は固まっている。
「若手が食えなくなるなら、居ない方がさ…」
どうしても若手は気を遣うだろうと蒼真が店を出ようとしたその時だった。
「店に入って食わずに出てくの禁止、だろ?」
ニカッと笑う大将が蒼真をいつものテーブル席ではなく、蒼志達のテーブルへ案内し座らせた。
「……この店、怖ぇ」
「30年以上の常連が何言ってんだよ」
大将の言葉に座敷席の4人が吹き出していた。
蓮も当然のように蒼真の向かいへ座る。
蒼志と悠真は何事も無かったかのようにいつも通りの表情に戻ったが、黒崎兄弟はまだ呆然と固まっている。
「何食う」
「魚…」
「蒼真も俺もいつもので」
蒼真が焼き魚を注文しようとしたのを遮って、蓮がいつものメニューを注文する。
蒼真は黙って蓮を睨みつけていた。
残したら申し訳ない。って言っただろという視線だった。
「……蒼真、ハイエナ共がいるから安心しろ」
蓮のひと言に店内に笑いが広がった。
悠真が目を輝かせている。蒼志までも残ったら食べるよ。と視線を蒼真に送る。
「…お前らがハイエナか?」
「いや、息子」
「知ってる」
黒崎兄弟はまだ固まったまま、箸が進んでいなかった。渚はそっと食べ出した。
「いや、お前ら…食えよ」
呆れたように蒼真が呟くと黒崎兄弟はハッとして返事を返した。
「食ってます」
「食ってるな」
既に黒崎兄弟の皿は半分以上食べられていた。
どんだけ食ってるんだ。と蒼真は呆れたように息を吐く。
その様子を見ていた大将が厨房から声を飛ばした。
「神代ー」
「はい?」
「お前がそいつらくらいの頃、もっと食ってたぞー」
テーブル席と座敷席に再び笑いが起きた。
「確かに!蒼真さん大盛り3人前食ってた!」
「締めのラーメンまで食べてた!」
奏と律は思い出し笑いが止まらない。涙まで流して笑っている。蓮も確かに。と笑っている。
「酒もすんげぇ飲んでたなぁ〜」
葛城が懐かしそうに目を細めている。
「でも、神代って美味そうに食うし、美味そうに飲むんだよな」
白石も昔を懐かしんでいた。
数分後、運ばれてきた定食を見て蒼真は固まった。
昔からいつも頼む唐揚げ大盛り定食。
「多い」
「食え」
「無理」
「食え」
「大将」
「食え」
蒼真と大将の会話は成立していなかった。
座敷席から葛城が吹き出した。
「諦めろ」
白石も頷く。
「食え」
「お前まで」
「診察結果だ」
「診察結果に食えってあるか?」
「ある」
白石は真顔だった。
その時、悠真が定食を見て口を開く。
「父さん」
「あ?」
「無理なら貰う」
蒼志も続く。
「俺も」
黒崎兄弟も静かに手を上げた。
「下さい」
「下さい」
蒼真は数秒固まった後、蓮を見た。
蓮は既に食べ始めている。
「……お前」
「何だ」
「最初からこれ狙ってたろ」
「知らねぇよ」
絶対、嘘だと蒼真は思った。
が、蓮は本当に来てみたら、たまたま若手が居て、蒼真の残りを自分が食べる必要がなくなった。と実は安心していた。
蒼真は少しだけ笑って、箸を手に持った。
「じゃあ半分」
その瞬間、若手4人が一斉に身を乗り出した。
「俺!」
「俺!」
「下さい!」
「下さい!」
「ぁ、私も」
「お前、女なのによく食うな」
「ダメですか?」
「いや、食え」
蒼志の隣の渚まで身を乗り出して男に負けない勢いに蒼真は驚いた。
店内に笑いが広がる。
大将はその様子を見ながら満足そうに頷いた。
蒼真はゆっくりと味噌汁を一口飲む。
温かい、昔から変わらない味だった。
若手達が美味しそうに唐揚げを頬張っている。
奏まで、そーっと蒼真の皿から唐揚げを1つ奪っていく。
そして蒼真は気が付く。
最近こんな風に飯を食ったのはいつ以来だろうと。
騒がしくて。
うるさくて。
落ち着かなくて。
でも少しだけ。
悪くなかった。
「……美味いな」
本当に美味しそうに笑顔で食べる蒼真は昔と変わらなかった。
そんな蒼真の笑顔を向かいに座る蓮と座敷席に座る4人も暖かい笑顔で見守っていた。




