第10話 One More Drive
熱はようやく平熱に下がっていた。
リビングには誰も居なかったが、蒼志はまだ出勤前のようだ。
麗華は華凛の学校の付き添いだとかなんとか…悠真は昨日は泊まり込みしたらしい。
蓮は昨日は泊まらず自宅から本部へ向かった。
静かな朝だった。
蒼真はコーヒーを片手に書斎へ入り電気をつける。
机の上には昨日のまま検査データが置かれていた。
肺機能。
酸素飽和度。
予測生存率。
肺移植適応。
見慣れた文字が並んでいる紙を蒼真は数秒だけ見つめた。
「……」
白石の言葉も麗華の表情も。
頭の中には残っていた。
だが、答えは変わらない。
蒼真は静かに検査データを手に取る。
シュッ。
引き出しが開くと、その奥へ書類をしまう。
そしてゆっくり閉じた。
ガタン。
鍵は掛けないし、捨てもしない。
ただ、今は見ない。
今は自分の現実の優先順位は低い。
「……さて」
小さく息を吐き、机の上に積まれた別の書類に目を向ける。
全国災害発生件数。
各地域被害報告。
危機管理室共有資料。
さらに神代グループ関連の書類。
こちらは後回しには出来ない。
蒼真は椅子へ腰を下ろし、まずは黎明の仕事の資料を手に取った。
数枚目を捲った所で眉が僅かに動く。
「……多いな」
例年よりも確実に災害件数が増えていた。
大型化している。
偶然と言われればそれまでのことだが何かがおかしい。
その時だった、机の上のスマホが震えた。
画面には見慣れた名前。
黒瀬蓮。
蒼真は通話ボタンを押した。
「なんだ」
『出てこい』
開口一番がそれだった。
蒼真は少しだけ笑う。
「仕事はしてる」
『いや、出てこい』
「せっかく麗華待ちながら家でしようと思ったのに」
数秒の沈黙が流れた。
『熱』
少し呆れた蓮の声が聞こえてくる
「下がった」
『測ったか』
「測った」
『何度』
「36.8」
『……そうか、じゃあ出てこい。俺、今抜けれないからタクシー…』
「蒼志いるから大丈夫」
『…そうか』
僅かに安心したような蓮の声だった。
蒼真は通話を切ると椅子から立ち上がり黒いコートを羽織ると2階の蒼志に声を掛けた。
「蒼志ー本部送ってけー」
「……はぁーい」
少し寝ぼけた蒼志の声が返ってくると蒼真は書斎に戻り、机の上に残された資料へ最後に目を落とした。
全国で起きる災害への違和感。
まだ形にならない何かが引っ掛かっていた。
そして書類を鞄へとしまうと蒼真は書斎の電気を消した。
引き出しの中には検査データ。
机の上には神代グループの書類。
今、向かうべきは決まっている。
黎明の総統としての仕事だ。
「蒼志の運転、久しぶりだな」
「いつも蓮さんだもんね」
本部への道を蒼志の運転で向かう中、2人は親子の会話を楽しんでいた。
蒼志は蒼真に似たのか、車に興味を持った。
購入する時も蒼真に相談してきてくれて、買う本人より父親の蒼真が目を輝かせながら、国家会議並に熱弁していた。
「体調はもういいの?」
「熱は下がった」
「……ねぇ、父さん」
「ん?」
「……最近、寝れてる?」
運転をしながら蒼志は気になっていた事を蒼真にぶつけた。
体調不良の前から、夜中にリビングに居たり書斎に居たりする蒼真の姿を見ていたのか、医者としての勘なのか。
信号で止まり、蒼真を見つめる蒼志の目は真剣だった。
「……寝れてる」
「そう……」
「疑ってんのか」
「いや、無理しないで欲しいだけ」
今は医者と患者という見方ではなかった。
息子として父が無理をしない事を願っているだけだった。
「それより……」
「何?」
「このマフラー中途半端な音するから、違うの入れろよ」
蒼志は思わず吹き出した。
こっちは本気で体調が気になっているのに、父は真剣にマフラーの入れ替えを進めてくる。
それも、国家災害統括責任者なのに。
「父さんって本当に車バカだね」
笑いながら蒼志が言うと蒼真も少し笑う。
「車は人生だろ」
蒼真の言葉に蒼志は呆れたように笑った。
「父さんだけだよ、そんな事言うの」
「言うだろ」
「言わない」
蒼志が即答すると信号が青に変わり、車がゆっくり動き出す。
窓の外には見慣れた街並みが流れていく。
しばらく沈黙が続いたが不思議と気まずくはない。
子供の頃から何度もこうして父と車に乗った。
遠征、旅行、買い物。
免許を取る前は助手席には母が座って欲しいと言う父の言葉を無視して助手席に座った。
運転席の父はため息をつきながらも「車は良いもんなぁ」と頭を撫でながら笑ってくれた。
そして、運転する父の横顔が大好きだった。
今は自分が運転席に座っている。
そんな小さな変化を蒼志はふと思い出した。
「そういえばさ」
「ん?」
「この前、悠真が父さんの車勝手に洗ってたよ」
「マジか」
蒼真が少し驚いた顔をする。
「何も言ってなかったぞ」
「言ったら止めると思ったんじゃない?」
「止めるな」
「絶対止める」
蒼志が笑うと蒼真も少しだけ口元を緩めた。
「アイツ、昔からそうだよな」
「父さんの事好きだからね、なんだかんだ」
蒼志は何気なく言った。
だが蒼真は少しだけ視線を窓の外へ向ける。
「……まぁ、優しい子だからな、悠真も」
その返事がどこか照れ臭そうで蒼志は思わず吹き出した。
「何笑ってんだ」
「別に」
「嘘つけ」
「父さんってさ」
蒼志は少し考えてから言葉を続けた。
「昔より丸くなったよね」
その言葉に蒼真が眉を寄せる。
「そうか?」
「うん」
即答だった。
「俺が小さい頃なんてもっと怖かった」
「覚えてねぇ」
「俺は覚えてる。華凛がまだ小さくて…俺と悠真が喧嘩して母さんが疲れちゃってさ…父さんに電話したら、すぐ帰ってきて、2人とも怒られたんだよ。怒った父さん…マジで怖かった…顔が違かった」
「………あー、麗華が泣いて電話してきた時か」
「そう、母さん泣いててさ…母さんを泣かせるな!って…父さんの剣幕は本当に凄かった。でもさ、その後…」
「「声大きい!華凛、寝たのに起きる!!」」
蒼真と蒼志の声が重なり車内に小さな笑いが零れる。
「…呼ばれて帰ったのに、怒られた」
ははっと蒼真が懐かしそうに笑った。
本当は聞きたい事もあった。
最近眠れているのか。
本当に大丈夫なのか。
無理をしていないのか。
でも今は聞かない。
今は医者じゃなくてただの息子だ。
だから蒼志は話題を変えた。
「今度さ」
「ん?」
「時間出来たらドライブ行こうよ」
蒼真は少し意外そうな顔をした。
「俺と?」
「父さん以外誰が居るんだよ」
蒼志は苦笑する。
蒼真は数秒だけ黙ったあと、小さく笑った。
「……考えとく」
「それ断る時のやつ」
「違う」
「絶対そう」
本部の建物が見えてきた。
親子の時間も終わりが近い。
だが不思議と悪くなかった。
蒼志はハンドルを握りながら、隣の父親をちらりと見る。
総統。
神代家当主。
黎明の怪物。
そんな肩書きではなく。
ただの父親として。
「着いたよ、父さん」
「おう」
蒼真は短く答えると車のドアへ手を掛けた。
そして降りる直前。
「蒼志」
「ん?」
「運転、上手くなったな」
そう言い残して車を降りていく父の姿を蒼志はしばらく呆然としながら見送ったあと、小さく笑った。
「……ずりぃなぁ」
いつか自分が父親となった時、あの人の背中に追いつけるのか。
答えは出ている。
追いつけっこない。
いや、父の背中に追いつく必要はないんだ。
だって、俺は神代蒼志で父は神代蒼真だから。




