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帰る場所を守るために―国家災害統括特殊救助機関 "暁" の継承者達―  作者: HANA
第9章 その先も、ずっと

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第107話 断翼の誓


夏空はどこまでも澄み渡っていた。

神代家には朝から多くの弔問客が訪れ、玄関先には供花が途切れることなく並べられている。

祭壇の中央には、穏やかに微笑む神代蒼真の遺影。

その前では、隊員達が静かに手を合わせていた。

家族は朝から休む暇もない。

麗華は喪主として一人一人へ丁寧に頭を下げ、蒼志と悠真は弔問客の案内や関係各所への対応に追われている。

華凛と渚は受付へ立ち、来客名簿を受け取りながら何度も深く頭を下げていた。


誰も悲しむ時間などない。


それでも家族全員が、蒼真らしい最期になるよう懸命に振る舞っていた。

一方で、祭壇の少し離れた場所で黒い礼服に身を包んだ蓮は、静かに弔問客を迎え続けていた。


「……黒瀬」

聞き慣れた低い声に顔を上げるとそこに居たのは葛城だった。

白石と雨宮も、その隣に立っている。

しばらく誰も口を開かなかった。

やがて葛城が小さく息を吐く。

「……とうとう、行っちまったな」

蓮は小さく頷くだけだった。

「……はい」

白石は祭壇へ目を向け、少しだけ笑う。

「最後まで、神代らしい顔だな。苦しそうな顔、一つしねぇ」

雨宮も静かに頷いた。

「最後まで強ぇ奴だったよな」

蓮は遺影へ視線を向ける。

「……寝てるだけにしか見えねぇんですよ」


その言葉に三人は小さく笑った。

「今にも腹減ったって起きそうだ」

「そして冷蔵庫勝手に漁る」

「隊室でもいつもそうだった」


四人だけの、小さな笑い。

ほんの数秒だけ昔へ戻ったような空気だった。


笑いが静まると、葛城は蓮の肩へそっと手を置く。

「……黒瀬、よく最後まで隣にいた」

蓮は少しだけ目を伏せる。

「……補佐官だったんで……いや……」


それだけ言うと、それ以上は続けなかった。

葛城も何も聞かなかった。

長年共に戦った仲だからこそ、言葉にしなくても分かることがあった。


「失礼します」

振り返ると、奏と律が並んで立っていた。

二人とも礼服姿で、いつもとは違う静かな雰囲気を纏っている。

奏は祭壇へ一礼すると、蓮へ歩み寄った。

「……蓮さん」

「来たか」

「はい」

少しの沈黙の後、奏は遺影を見つめ、小さく笑った。

「蒼真さん……最後まで蒼真さんでしたね。メッセージも返信してくれて…」

「あぁ…まぁ、俺が代わりに打ってたけどな」

蓮が苦笑しながら答えると、その一言に奏は目を細めた。

「……やっぱり」

「でも、言葉は蒼真の言葉だったぞ」

「知ってました」

律も遺影を見つめながら小さく笑う。

「泣いたら、怒られそうですね」

蓮は鼻で笑った。

「間違いねぇ。笑えって飛び起きるかもしれねぇぞ」

その瞬間だけ、その場にいた全員の表情が少しだけ柔らかくなった。


風が吹き、祭壇の花が静かに揺れた。

蒼真はもういない。

それでも、彼が守り続けた場所には、今も多くの仲間達が集まっていた。


焼香が終わり、棺へ花を手向ける時間になった。

白い花々が静かに棺を埋めていく。

麗華は向日葵をそっと胸元へ添え、蒼志は父が愛用していた万年筆を静かに置いた。

悠真は、小さく笑って、蒼真の第一特務遊撃隊時代の隊証を、華凛は父へ手紙を添えた。


一人、また一人と最後の贈り物を置いていく中、蓮だけは、その場で立ち尽くしていた。

誰も急かす事はなかった。


蓮はゆっくりとポケットから外しておいたドッグタグを取り出す。

胸元にずっとあった重さを掌で最後に確認すると、小さく息を吐いた。


長年、肌身離さず身につけてきたドッグタグ。

第一特務遊撃隊に配属された初日に支給されたドッグタグ。

まだ何者でもなかった、19歳の日。

蒼真と拳を合わせ、互いに誓った証。


────────────


『この国を守る』

組手を終え、真っ直ぐな視線と拳を蒼真が向けながら呟いた。

俺も視線と拳を蒼真に合わせた。

ーこつん…。と拳が合わさった。

『誰も、死なせない』

俺がそう呟くと、蒼真は不敵に笑った。

『クソ蓮。誓えよ、ドッグタグに』

『お前も誓えよ、クソ蒼真』

そんな、19歳の青臭い約束だった。


────────────


何十年もの間、雨の日も雪の日も災害現場でも国家会議でも一度も外すことはなかった。

蓮は静かに手の中へ収まった銀色のプレートをしばらく見つめると、小さく笑った。


「……ガキの青臭い約束が叶うとはな」


その一言だけだった。

棺の中の蒼真の胸元には、首から外されたもう一つのドッグタグが静かに置かれている。

蓮はその隣へ、自分のドッグタグをそっと並べた。

二枚の銀色のプレートが寄り添う。

蓮は少しだけ指先で二つを揃えると、小さく鼻で笑った。


「……回収完了だ」

その声は、とても穏やかだった。

蓮は静かに棺へ手を添え、一度だけ目を閉じた。


「……お疲れさん」

それが、相棒へ贈る最後の言葉だった。


葬儀を終え、弔問客も少しずつ帰り始め、神代家にもようやく静かな時間が戻る。

蓮は縁側へ腰を下ろし、小さく息を吐いてタバコに火をつけようとした時だった。

「……蓮くん」

穏やかな声がして振り返ると蒼真の母、澪がいた。

昔より背は少し小さくなり、白髪も増えた。

それでも、その優しい笑顔は五十年前と何も変わらない。

澪は蓮の隣へゆっくり腰を下ろし、蓮はタバコをしまった。

しばらく二人とも黙ったまま庭を眺め、風だけが静かに吹いていた。


やがて澪が、小さく口を開く。

「……蓮くん」

「はい」

「ずっとありがとう」

蓮は少しだけ首を傾げた。

澪は遠くを見るような目で、小さく笑う。

「ずっと、蒼真と一緒にいてくれて」

その言葉に、蓮は静かに目を伏せた。

「15歳であなたと黎明で出会うまでね…」

澪は懐かしそうに笑う。

「蒼真、家に友達なんて連れてこなかったのよ」

「……」

「休みの日は部屋へ引きこもってばかりで……この子、このままどうなっちゃうんだろうって、本当に心配したの」

少しだけ笑い声が混じっていた。

「でも、蓮くんと出会ってからは違った。訓練が休みになると、『蓮と出掛ける』『蓮、連れてくから、飯よろしく』だったもの」

蓮の口元が少しだけ緩む。

「家へ来ると、2人ともいつも騒がしくて…麗華ちゃんが来るまでは、本当に男の子2人だったわね」


思い出すだけで笑ってしまう。

そんな優しい笑顔だった。

澪はそっと蓮の手を包む。


「だからね蓮くんも、私の息子よ」


その一言に、蓮は俯いた。

何かを言おうとしても、喉が詰まって言葉が出てこなかった。

ようやく絞り出した言葉は、とても蓮らしかった。

「…………澪さんの飯…美味かったです」

蓮は一度息を吐いてから、続けた。

「……また、食いたい」

澪は目尻を下げ、優しく笑った。

「いつでも来なさい」

少しだけ声を強くする。

「バカ息子」


その瞬間、蓮は思わず笑った。

少しだけ、肩を震わせ潤んだ瞳で。


「……はい」


それ以上の言葉は出なかった。

澪は何も言わず、ただ蓮の背中を優しく撫で続ける。

蒼真はいなくなった。

それでも、この家は変わらない。

ここは今も、蓮が帰って来られる場所だった。


神代家を後にした蓮は、車を走らせ黎明…暁の独身寮へと戻った。

退任しても、今さら引っ越すのは面倒で悠真と蒼志に掛け合ったら、あっさりと「そのまま住んでください」と許可をもらった。


1階の廊下の一番奥。

104の鍵を蓮はポケットから取り出した。

カチャリ──。

静かな音を立てて扉が開くと蓮はゆっくりと部屋へ入り、静かに扉を閉めた。


その瞬間。

世界から音が消えた。


蓮は少し古びた机の引き出しを開け、1枚の写真を取り出し見つめた。

そこには笑顔で肩を組み、笑い合う自分と蒼真の姿。

第一特務遊撃隊の配属記念に葛城が撮ってくれたものだ。


組手で毎日のように殴り合った日々。

勝敗のない訓練で競い合った日々。

夜中まで将来を語り合った夜。

総統になるなんて、想像もしなかった頃。

笑って。

喧嘩して。

馬鹿やって。

そんな、若い時代。


蓮は小さく笑うと呟いた。

「……ただいま」

静かな部屋へ自分の声だけが響く。

蓮は立ったまま目を閉じた。


静かだ。

静か過ぎる。

何十年もこれが当たり前だったはずなのに。


ゆっくりと歩き、いつものベッドへ腰を下ろす。

マットレスは何年も前に替えられているのに、それでも、そこに遊びに来た蒼真が座っているような気がした。


蓮は拳を握り、深く息を吸う。

吐く。

────大丈夫だ。


そう自分に言い聞かせた。

……けれど。


「……クソ」


握った拳が震えだし、その一言と同時に、張り詰めていた何かが音を立てて切れた。

蓮は顔を覆う。

肩が震えて、息が詰まる。

声を押し殺そうとしても、どうしても漏れてしまう。

「……っ……」

涙が止まらない。

五十年間、どんな時でも。

どんな災害も、任務も、蒼真は隣にいた。


それが当たり前だった。


だからこんなにも静かな部屋が、こんなにも苦しいなんて知らなかった。

蓮はそのまま床へ座り込むと、額をベッドへ預け、強く握り締めた拳をマットレスに叩きつけた。


「……おい……」

誰からも返事なんてない。

静寂だけが返ってくる。


「……組手、まだ引き分けだろうが」

震える声だけが部屋へ溶けていく。


「……勝ち逃げすんなよ……」

その瞬間、蓮は堪えきれず、声を上げて泣いた。


誰にも見せることのなかった涙。

誰にも聞かせることのなかった嗚咽。

15歳から50年間。

人生の半分以上を共に歩いた神代蒼真を失った、黒瀬蓮の涙だった。


窓の外では、夏の風が静かに吹いていた。

独身寮の104号室には風鈴の音は鳴らない。

それでも蓮には、不思議と聞こえた気がした。


『……俺の勝ち』


あの日と同じ、少し意地の悪い笑い声が。

蓮は涙を拭いながら、小さく笑う。


「……俺の負けか…」


そう呟いた104号室には、もうあの頃の笑い声は戻らない。


それでも、この部屋には確かに残っていた。

15歳の少年2人が交わした約束と、50年分の時間が。





挿絵(By みてみん)

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