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帰る場所を守るために―国家災害統括特殊救助機関 "暁" の継承者達―  作者: HANA
第9章 その先も、ずっと

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第102話 The Driver’s Seat

その日、神代家のリビングでは昔話に花が咲いていた。

紬が蒼真と麗華の2階の寝室から見つけ出したアルバムを開いた事でアルバム大会が始まってしまったのだ。


「父さん、これ!」

悠真が掲げた1枚の写真にはサーキットのピットに停まる白いスポーツカーの前で、満面の笑みを浮かべる19歳の蒼真と笑顔の麗華が並び、その隣には腕を組み、呆れ顔の蓮やピースをする白石が写っていた。

「若っ!」

「蓮さんも若い!」

「麗華さん、綺麗!」

渚も写真を食い入るように見つめていた。

その様子に蒼真は少し照れくさそうに頭を掻いた。


「あー……みんなで行った時な」

「父さん、本当にサーキットで走ってたんだ」

確かに神代本邸のガレージには長年、蒼真のサーキットカーが保管されているが、動いた事は一度も見た事はなかった。

「サーキットで走ってるの見たことない」

悠真も蒼志の言葉に頷いた。

「子ども出来てから行ってねぇよな、蒼真」

「右足を骨折してからだよね?サーキットに行かなくなったの」

懐かしそうに写真を見つめる蒼真に変わり、蓮と麗華が答えた。

「そんなに上手かったの?」

悠真が尋ねると蓮が即答した。

「速かった」

短い一言だったが、それだけで十分だった。

蒼真が写真から視線を外すとやっと口を開いた。

「まぁ10歳からサーキットには連れてってもらってた」

「10歳?!免許は??」

「最初はカート。免許要らねぇよ。で、訓練生だったけど、免許取ってからは訓練が休みの日に橘さん捕まえて連れてってもらった」

「訓練所の運転シュミレーターでも速度出すわ、ドリフトしようとしてた」

蒼真の言葉の後で、蓮が呆れたように補足をした。

余計な事を言うなよ。と蒼真が蓮を睨みつけていた。

「見たかった…父さんのドリフト…ん?シュミレーターってドリフト出来るの?」

「いや、出来なかった」

蒼真のひと言にリビングは笑いに包まれた。

紬はよく分からないようで首を傾げている。


「動画とかないんですか?」

渚が身を乗り出して聞くと、蒼真は当然のように答えた。

「あるぞ」

「「「あるの!?」」」

 蒼志、悠真、渚の声が揃い、蒼真は小さく笑った。

「確か、パソコンに入れたか?」

「その後、多分…雨宮辺りがDVDにしたんじゃないかな?」

「ちゃんとデータ化してあるんですね…」

渚が目を輝かせていた。

渚も車が好きなのか、それとも一度も蒼真が運転しているのを見たことがないから興味があるのか。

普段のサバサバした様子とは少し違っていた。

「見たい!」

「多分、本部」

悠真が言うと蒼真は少しだけ笑ったが、不意にその笑顔が少しだけ寂しげに揺れた。


「……運転禁止されたの、辛かった」


その一言で部屋の空気は静かになった。


誰も責めることはしない。

理由は全員知っているから。

呼吸状態の悪化から禁止された運転

大丈夫だと思ってても何が起こるかは分からない。

だから蒼真自身も、二度とハンドルは握らないと決めている。


「分かってる」

蒼真は苦笑しながら言葉を続けた。

「事故起こしたら終わりだ。だから乗らねぇ」

一拍置いて、小さく笑う。

「……でも、やっぱり運転禁止って言われてから、辛ぇ」


その本音に、誰も軽口を返せなかった。


しばらくリビングには沈黙が流れた。

紬はどうしたのだろうと、少しだけ悲しそうな顔をしてソファに身体を預ける蒼真の隣に座った。

やがて蒼真が紬の頭を撫でながら、遠慮がちに口を開いた。


「……なぁ、蒼志」

「なに?」

「……もう1回だけ、運転席に座りたい」

穏やかな声だった。

「あと蓮の運転で、助手席乗りてぇ」

蓮がちらりと蒼真を視線を向けた。

そして蒼真は蒼志をまっすぐに見つめ、少し照れくさそうに笑って続けた。

「運転はしねぇ。座るだけ」


蒼志はすぐには口を開けなかった。

蒼真はその反応に少し俯いた。

担当医として考えるなら、心臓への負担や酸素、移乗…もし途中で体調が悪化したらと、頭の中で条件を一つずつ組み立てていく。

だけど、息子としてなら、父の願いを叶えたい。

やがて蒼志は大きく息を吐いた。


「……条件付き」

蒼真がその声に顔を上げる。

「体調のいい日に。途中で苦しくなったら、その場で中止して、すぐに戻る。俺も一緒に行く」

少しだけ間を置いて、決意したようにまっすぐ蒼真を見つめた。

「その条件を全部守るなら、行こう」

 蒼真の目が少しだけ見開かれる。

「……ほんとか?」

「うん……昔、ドライブ行こうって俺誘ったけど時間なくて行けなかったし…条件守れるなら」

蒼真はすぐに頷いた。

「守る。絶対、守る。お前との約束も守らねぇとな」

その返事は、少年のように素直だった。

その様子に蓮は苦笑しながら頭を掻く。

「久しぶりに乗るか?」

「悪くねぇだろ?」

蒼真が蓮に不敵な笑みを見せていた。

蓮は小さく笑った。


────蒼真はやっぱり、変わらない。

運転禁止になってから、ドライブに連れてけと言われて、よく夜の高速を走らされた。

蒼真がまだ運転してる時は助手席に乗せられ、仕事の鬱憤を晴らす蒼真に付き合わされた。

そんな時は決まってこんな不敵な笑みを浮かべていた。


「決まりだ。担当医の許可もあるしな」

少しだけ面倒くさそうに蓮は言った。

それも、昔と同じだった。

そんな2人を蒼志は穏やかな目で見つめていた。


この何気ない約束が、きっと忘れられない一日になるのだろうと。


その日の夕方、窓から差し込む夕日がリビングを優しく染めていた。

麗華と渚は食器を片付け、紬と悠真はソファに座ったまま携帯を眺めて動画を見ているようだ。

蒼志は蒼真の酸素流量を確認しながら、小さく頷いた。


「今日は疲れた?」

「……いや、楽しかった」

蒼真は満足そうな顔をしていた。

その一言だけで十分だった。

皆が笑って、写真を見て、昔話をして。

くだらないことで笑って。

それだけなのに、不思議と胸が満たされる一日だった。


静かな時間が流れ、夏の虫の声が聞こえる。

窓辺の風鈴が小さく鳴っている。

蒼真は窓の外を眺めながら、小さく呟いた。

「外に行ける」

ベッド脇の椅子に座っていた蓮はふっと笑った。

「ガソリン満タンにしといてやるよ」

「あと俺の好きな曲流せよ」

「ジジィがユーロビート流すのかよ」

「久しぶりだからいいだろ」

「……しゃーねぇな」


その何気ない約束に、誰も口を挟まなかった。

きっと、この家族全員が同じことを願っていた。

その日が、ちゃんと来ますようにと。


蒼志も、胸の内でそっと呟く。

(……体調、整えないとな)

担当医として、息子として父の小さな願いくらいは、叶えてあげたい。

夕日が沈み始める頃、蒼真は安心したように目を閉じた。


願いが叶うその日を信じて。



数日後、珍しく朝から蒼真の機嫌は良かった。

和室の障子が開き、夏の柔らかな風が吹き込むと風鈴が、ちりんと鳴った。

ベッドの上で目を覚ましていた蒼真は、天井を見つめたまま小さく笑う。

「行けるか」

その声に、隣でカルテを確認していた蒼志が顔を上げる。

「体調はどう?」

「悪くねぇ」

先程測定した数値を一つひとつ確認していく蒼志。

そして、再度父の顔色、体温、呼吸を確認すると父を見た。

「……行けそうだね」

その一言に、蒼真は少しだけ口角を上げた。

「よし」

まるで遠足の日を迎えた子どもの様な反応に蒼志は思わず笑ってしまった

「そんなに楽しみ?」

「楽しみ」

「子どもみたい」

「65歳になったけど、心は19歳って事にしといてくれ」

「若すぎでしょ」

2人が笑っていると、廊下から蓮の声がした。

「蒼真、行くぞ」


蒼志に車椅子に移乗してもらい、玄関を出ると夏の空気を胸いっぱいに吸い込もうとして、小さく咳き込む。

それでも、その表情は晴れやかだった。

蓮が助手席のドアを開け、2人に支えられながら乗り込むと嬉しそうな顔をする蒼真。

そんな父を見ながら蒼志は静かに後部座席へ乗り込んだ。


担当医として、そして――

父との、大切な思い出を作る息子として。


車はゆっくりと街を走っていた。

窓の外には、見慣れた景色が流れていく。

何度も走った道。

家族と出掛けた道。

災害現場へ向かった道。

どの景色も、蒼真の人生そのものだった。


助手席で外を眺めながら、蒼真は穏やかに笑う。

「いい景色だな」

「毎日見た景色だろ」

蓮は笑ったが蒼真は真面目な顔だった。

「乗る場所が違うと見えるもんが違う」


その一言に蓮は何も返さず、ただ静かにハンドルを握り続ける。

後部座席では、蒼志が酸素飽和度を確認したり、途中で仕事のメールの確認をしていた。


車内にはエンジン音だけが心地よく響き、しばらく沈黙が続いていたが、その静けさを破ったのは、蒼真だった。

「……蒼志」

「うん?」

メールの確認をしていた蒼志が顔を上げると、バックミラー越しに目が合う。

蒼真は少し照れくさそうに笑って、口を開いた。


「Я горжусь тобой.」


蒼志は一瞬きょとんとした。

「……父さん?え…なんて言ったの…?」

「ロシア語」

「それは分かる」

蒼真は悪戯っぽく笑った。

「秘密だ」

「教えてよ…」

「嫌だね」

そのやり取りに、蓮が小さく笑う。

「相変わらずだな」

蒼真はバックミラーから視線を前方へと向けた。

「……蓮」

「なんだ」

蒼真は少しだけ息を整え、静かに言葉を紡ぐ。


「Ты мой брат.」


「……ロシア語か」

「ロシア語だ」

「そうか」


それだけだった。

蓮は意味を尋ねなかった。

車内は再び静かになると、蒼志が不思議そうに二人を見る。


「蓮さん、聞かないの?」

「言わないなら、聞かねぇ」

短く、それだけ答える蓮を蒼真は鼻で笑うと車窓の外へと視線を戻した。


そして車は神代本邸へと到着する。

蓮はガレージの前に車を停め、車椅子をトランクから取り出し、蒼志がガレージのシャッターを開けてくれた。

ガレージが開くと、そこにはかつて蒼真と共に走ってきた、真っ白な2台の車。

サーキットカーと何年も乗り続けた愛車のスポーツカーが、そこにはまだ変わらず保管されていた。


車椅子に乗り、2台を見つめる蒼真の目は懐かしそうに、輝いていた。


そして、ゆっくりと蓮と蒼志に支えてもらいながら、サーキットカーの運転席に座る。

静かにハンドルを握って、シフトに左手を置いた。足もアクセルとクラッチに置くと、当時の記憶が蘇る。


唸るエンジン。

マフラーのバックファイヤーの音。

タイヤのスキール音と白煙。

全て、鮮明に蘇りそれだけで、蒼真は笑顔だった。


スポーツカーも同じように座り、ハンドルとシフトへ手を置く。

そして、誰も乗っていない助手席に視線を向ける。


────────

「……待ってた」

「は?何を?誰を?」

「いや、あんたをだよ」


麗華は目を丸くした。

時刻は午後21時を過ぎている。

一体、いつから待ってたというのか。


「…腹減った。飯いこ」

「は?なんで」

「理由いるか?」

「いる」

「………治療のお礼…」

ぽつりと俯きながら蒼真が呟くと、麗華は笑ってしまった。

職務なのだから麗華にとって治療する事は当たり前。

ありがとうと言ってくれる患者は多いが、お礼にご飯に行こうなどと誘ってくる人間は麗華の中では前代未聞だった。


「いいよ、お腹減ってるし、ご飯行こ」

麗華は自分の車へと歩き出すが、蒼真に腕を引かれた。

「…何?」

「俺ので行く。乗れ」

「……つーか、あんた年下なんだから敬語使え。命令すんな」

「……はい」


蒼真は言えなかった。

あんたを3時間近くここで待ってて、車が別々なんて拷問だ。なんて言えるわけがない。


だけど、女の車に乗り込むのも違うし…ならば引き止めて自分の車に乗せてしまおう作戦に出た。


が、怒られた。


どうも麗華の前だと自分の調子が狂ってしまう。

そして…麗華の腕を咄嗟に掴んでしまった…。

掴まれたのが嫌だったのだろうか…。


「なーんてね、敬語なんて堅苦しいし、いらないよ。で、あんたの車どれ?」

麗華がそう言うと蒼真は少しほっとしたようだ。


「あれ」

蒼真が指さしたのは白のスポーツカーだった。

「なんか、あんたって超高級車に乗ってそうなのに」

「車はMTのスポーツカーが1番楽しいだろ」

なんで高級車?と首を傾げる蒼真に麗華はまた笑った。

やっぱり、この人は家が名家とかあまり関係ない人間なのだと感じた。


蒼真の車に乗り込み、お店はどこでもいい。言われて、車を走らせた。


────────


助手席を見つめた蒼真は穏やかな優しい表情をしていた。

蒼真が何を思ったのかは蓮にも蒼志にも分からなかった。

けれど、大切な思い出なのだということだけは伝わってきた。


帰り道、助手席の蒼真はいつの間にか静かな寝息を立てていた。

蓮がバックミラーを見ながら、蓮が呟く。

「寝た」

「……蓮さん」

「ん?」

「ありがとうございました。父さんの願いを叶えてくれて」

「……そんなつもりねぇよ。俺はいつもの蒼真の我が儘に付き合ってるだけだ。気にすんな」

蓮の言葉に蒼志は苦笑いした。


まったく、この人も素直じゃない。

2人揃って不器用だ。


眠る蒼真をそのまま起こさず、車はゆっくり神代家へ戻った。


「ただいま」

玄関を開けると、麗華が笑顔で迎えてくれた。

「おかえり、蒼真。楽しかった?」

蒼真は少年のような笑顔で頷いた。


「うん。最高だったよ」


本当に嬉しそうな蒼真の笑顔を見て、麗華は安心したように微笑んだ。


しかし、その日の夕方だった。

夕食の時間になり、蒼志が蒼真のベッドに食事を運ぶと、蒼真は少し息苦しそうに目を閉じていた。

「父さん?」

蒼志もすぐに蒼真の手首に触れた。

「……熱い」

体温計を脇へ挟み、しばらくして鳴った電子音。

38.1℃と表示される体温に蒼志の表情が変わる。


「疲労か……」

酸素飽和度を測ると朝より少し低く、呼吸も浅い。

「父さん、少し酸素を上げるからね。……無理してたの?」

それでも当初の予定より早く切り上げた。

本当は蒼真が昔から好きな場所にも行くつもりだった。だが、向かう途中で軽い不整脈が起きた。

もしかしたら、蒼志が気がつくより前から無理をしていたのかもしれないと蒼志は思ったのだ。


「……してない。約束は守ってた…」

そして、蒼真は息を整えながら、小さく笑う。


「今が苦しくても、行かなかった方が……後悔した」


蒼志は酸素流量を調整しながら、父の顔を見つめた。

苦しいはずなのに、満足した穏やかな表情を浮かべている父。

今日の外出は、想像していた以上に体へ負担を掛けていた。

それでも────

蒼真の表情に後悔はなかった。


「……楽しかったんだ」


蒼真がぽつりと呟いたその一言だけが、その日のすべてを物語っていた。




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