第8話「消失記録」
放課後の帝煌学園は、昼間とは違う静けさに包まれていた。
校舎の窓から差し込む夕暮れの光が廊下を長く横切り、普段なら部活動へ向かう生徒たちの声や足音が響いている時間にもかかわらず、旧校舎へ続く一角だけは妙に人の気配が薄い。そこには現在の授業や生徒会活動ではほとんど使われていない資料保管区画があり、その奥に、帝煌学園が長い年月をかけて保存してきた学校史料の資料庫が存在していた。
その扉の前で、戰國暁たち七人は立ち止まっていた。
前日の調査で存在が確認された《第0期》の資料。そして、そこに表示された謎の記録――《STATE;0》。
政府の資料を追っていたはずだった。
それがいつの間にか、自分たちが通っている学園そのものへと繋がっている。
「……ここが、学校側の記録を保管している資料庫か」
司が扉を見上げながら呟くと、隣に立っていた学が手元の端末を確認した。普段の彼なら、こうした未知の情報を前にすればすぐにでも調査へ移るところだが、今回は画面を眺める時間がいつもより長い。
「学校の正式な歴史資料として登録されてる。第0期関連資料についても、昨日確認した旧規則と一致してる。つまり、政府側が隠している資料を学校が勝手に保管しているわけじゃない。少なくとも制度上は、最初から学校側にも保存する役割があったみたいだ」
「だったら、どうして今まで私たちは知らなかったんですか?」
颯が問いかける。
学はすぐには答えなかった。
「そこが問題なんだよ」
その声に、いつもの軽さはなかった。
「資料が存在しないんじゃない。存在すること自体を、現在の生徒が知る必要がないようにされていた」
燈縭が資料庫の扉を眺めながら、小さく息を吐いた。
「つまり、隠されていたというより……忘れさせられてた?」
「近いと思う」
「それ、結構怖いこと言ってない?」
穰介が苦笑しながら言うと、茜が腕を組んだまま扉へ視線を向けた。
「怖いかどうかは、記録を見てから判断すればいい。問題は、なぜ第0期が現在の制度に繋がっているのか。そして、なぜ政府と学校の両方に記録が残されているのに、その存在が表に出ていないのか。それを確認する必要がある」
暁は六人の顔を順番に見た。
誰も退こうとはしていない。
ならば、委員長としてやることは一つだった。
「行こう。許可は出ている。なら、私たちは自分たちの権限で確かめる」
扉が開いた。
その瞬間、空気が変わった。
資料庫の中は薄暗く、棚には年代ごとに整理された大量のファイルや記録媒体が並んでいる。現在の学校生活からは想像もできないほど古い資料まで保存されており、紙の資料と電子化された記録が混在するその空間には、学校という場所が積み重ねてきた時間そのものが閉じ込められているようだった。
司は無意識に足を止めた。
「……学校って、こんなものまで残してるんだな」
「帝煌学園は国立だからね。普通の学校史だけじゃなく、国との関係に関する記録もかなり多いはず」
学がそう答えながら検索端末を操作すると、画面に目的の項目が表示された。
《特別学生国家参与制度・旧制度関連資料》
その文字列を見た瞬間、七人の表情が変わった。
現在の制度と、ほとんど同じ名前。
しかし、その横に表示されている年代は、現在の制度が成立したとされている時期よりも明らかに古かった。
「……やっぱり、今の制度より前に存在してる」
学が呟く。
茜が画面を覗き込む。
「制度の前身?」
「たぶん。ただ、名称だけじゃ断定できない」
「開ける?」
燈縭の問いに、学が操作を続ける。
ところが、画面に表示されたのは資料そのものではなかった。
《閲覧条件を確認しています》
一瞬、誰も言葉を発しなかった。
「……学校の資料庫なのに、閲覧条件があるのか?」
穰介が眉をひそめる。
学は画面を凝視した。
「いや……違う」
「何が?」
「この認証、学校側だけじゃない」
学の指が止まった。
「政府側の認証情報も要求されてる」
その言葉に、空気が張り詰める。
颯が一歩前へ出た。
「学校の歴史資料なのに、政府の認証が必要なんですか?」
「そういうことになる」
「それって、学校の資料としておかしくないですか?」
「おかしい」
颯の声が強くなる。
「国立学校の歴史資料であれば、保存主体が学校である以上、政府が閲覧を制限する根拠が必要になります。しかも、私たちは今、特別学生国家参与制度の権限に基づいて正式に閲覧許可を受けています。政府側の認証が必要なら、その理由を提示してもらわないと――」
「颯」
暁が静かに制した。
「分かってる」
颯は一度息を整え、画面へ視線を戻した。
「……失礼しました。ですが、確認は必要です」
「うん。颯の言う通りだよ」
司が頷いた。
「ここまで来て、権限の問題を曖昧にするわけにはいかない。俺たちは制度を調べてるんだから、制度そのものに従って調べる必要がある」
そのときだった。
画面の表示が切り替わった。
《国家参与特別委員会・現参与者による閲覧申請を確認》
《権限照合――承認》
《STATE;0への接続を許可します》
学が息を呑んだ。
「……今、STATE;0って」
「出たね」
燈縭の声が低くなる。
前日に政府側の記録で確認した名称と同じだった。
しかも今回は、政府の端末ではない。
帝煌学園の資料庫から、同じ名称が表示されている。
「学校と政府が、同じ記録を共有している……?」
司が呟く。
茜は首を横に振った。
「共有とは限らない。むしろ、同じものを別々に管理している可能性がある」
「どういうこと?」
「第0期に関する記録が政府だけに存在するなら、学校がここまで厳重に管理する理由がない。逆に学校だけが持っているなら、政府の資料に同じ番号が存在する説明がつかない。だから考えられるのは、最初から政府と学校の双方を跨ぐ記録として作られているということ」
学がその言葉を聞いて、すぐに検索画面を切り替えた。
「……あった」
表示された資料のタイトルを見て、七人が画面へ集まる。
《第0期・特別学生国家参与制度実施記録》
その下には、短い説明文があった。
《本記録は、第0期参与者による国家参与活動、および制度実施過程において発生した事象を記録したものである》
「参与者……」
暁がその言葉を繰り返した。
第0期には、確かに学生がいた。
それは第7話で刹那から聞いた情報とも一致している。
だが、さらに下へ進んだ瞬間、画面の内容が異様なものへ変わった。
参与者名簿。
そこに並んでいたはずの名前が、すべて黒く塗り潰されている。
人数だけが残されていた。
そして、その人数を見た瞬間、学の表情が凍った。
「……七人」
司が画面を見つめる。
「今の私たちと同じ?」
「そうなる」
学の指がわずかに震えた。
「第0期の参与者は……七人だった」
穰介が冗談を言おうとしたのか、口を開きかけた。しかし、その表情を見て言葉を飲み込む。
七人。
現在、自分たちも七人。
ただの偶然なのか。
それとも――。
「待って」
燈縭が画面の端を指差した。
「名前は消されてる。でも、役職は残ってる」
七人分の欄には、現在の委員会と同じ七つの役割が表示されていた。
委員長。
渉外官。
法務官。
情報官。
参謀官。
執行官。
監察官。
「……役割まで同じ」
茜の声が初めて揺れた。
颯は黙ったまま画面を見つめている。
現在の国家参与特別委員会が、この七つの役割を採用していることは偶然ではなかった。
制度そのものが、最初からこの形を前提として作られている。
つまり、自分たちは知らないうちに、かつて存在した七人と同じ場所に立っていた。
司が資料をさらに読み進めようとした、その瞬間だった。
画面が突然暗転した。
《閲覧可能範囲を超えています》
「は?」
穰介が思わず声を上げる。
学が再認証を試みるが、画面には別の表示が現れた。
《第0期資料・重要記録》
《現在の参与者による閲覧を推奨しません》
その文字を見た瞬間、燈縭が目を細めた。
「……推奨しない?」
「閲覧禁止じゃない」
颯がすぐに気づいた。
「『推奨しません』です。つまり、閲覧する権限自体は私たちにある」
「だったら、なんでこんな表示を?」
司が画面を睨む。
学が答えるより早く、次の文章が表示された。
《第0期参与者は、国家参与制度の運用に失敗した》
その一文だけで、資料庫の空気が凍った。
第7話で玄一郎が語った言葉と一致している。
第0期は失敗した。
それが現在の制度を生み出した理由だった。
だが、その下に続いた文章は、彼らがこれまで聞かされていたものとは明らかに違っていた。
《ただし、失敗の原因は参与者の能力不足ではない》
七人の視線が画面に集中する。
次の一文が表示された。
《参与者は、国家の要求に従うことを拒否した》
司の目が見開かれた。
颯が息を呑む。
暁は何も言わず、ただ画面を見つめていた。
そして、最後の一文が表示される。
《第0期は、国家を運営するための制度ではなかった》
その瞬間、画面が完全に消えた。
暗い資料庫の中で、七人の姿だけがガラスに映る。
誰も、すぐには口を開かなかった。
やがて司が、静かに言った。
「……じゃあ、俺たちは何のために、この制度を受け継いでるんだ?」
答えは返ってこなかった。
ただ、暗転した画面の中央に、一瞬だけ別の文字が浮かび上がった。
《STATE;0》
そして、その下に。
《次段階への移行条件を確認しました》
表示は、それだけだった。
――第8話 完




