第7話「照会」
――翌朝、帝煌学園の空は、昨日までと変わらない青さをしていた。
校門を抜ける生徒たちはいつものように友人と話しながら校舎へ向かい、廊下には授業開始を知らせる時間を気にする足音が響いている。窓から差し込む朝の光も、教室に並べられた机も、黒板に書かれた授業予定も、何一つとして異常には見えない。国家の中枢に関わる特殊な権限を持った生徒たちが、この学校にいることさえ、外から見ればただの噂に過ぎない。
けれど、国家参与特別委員会の七人にとって、その「普通」は昨日までとは少し違って見えていた。
委員会室へ向かう途中、暁は何度か校舎の壁や掲示板へ視線を向けた。そこに何かが隠されていると決めつけているわけではない。ただ、これまで何気なく通り過ぎていた場所の一つ一つが、昨日までとは違う意味を持つ可能性を考えるようになっていた。
第0期。
STATE;0。
そして、自分たち七人を「参照者」として登録した記録。
国家の制度を調べているはずなのに、なぜか調査対象は自分たちの足元へ戻ってきている。
「おはよう、委員長」
後ろから声をかけられ、暁が振り返る。
司、学、茜、穰介、燈縭が揃って歩いてきていた。その少し後ろには颯の姿もある。颯は六人に追いつくと、軽く頭を下げた。
「おはようございます」
「おはよう、颯」
司が自然に返す。
七人はそのまま委員会室へ向かった。
扉を開けると、昨日の資料はすでに整理されていた。学が保存した内部記録も、端末の中に残っている。だが、彼は席につくなり、昨日保存したデータを開くことはしなかった。
「今日は、国家の記録を直接追わない方がいいと思う」
学が言った。
「どうして?」
茜が訊く。
「昨日の最後の表示を見ただろ。『次回参照条件を満たしました』ってやつ。あれが何を意味してるのか分からない状態で、同じ場所を掘り続けるのは危険だと思う」
「学くんにしては珍しく慎重だね」
燈縭が言うと、学は少しだけ眉を寄せた。
「慎重じゃなくて、情報が足りないだけ。俺たちは第0期について何も知らない。制度が始まった経緯も、そのときに誰が関わったのかも分からないまま、国家の記録だけを追っても、同じところを回る可能性がある」
「じゃあ、どこを調べる?」
穰介が訊いた。
学は少し考えてから、机の上に一枚の紙を置いた。
「学校」
その一言に、司が視線を落とした。
「帝煌学園?」
「そう。現在の特別学生国家参与制度に選ばれる学生は、帝煌学園から出ることが多い。少なくとも俺たちが知る限り、この学校は制度とかなり深く関係してる」
「でも、それは帝煌学園が国立の名門校だからじゃないの?」
茜が訊く。
「それだけなら問題ない。でも、ここには国家参与制度に関する設備も資料もある。しかも、制度の実務を知っている教師や学校側の人間もいる」
学がそこで一度言葉を止めた。
「だったら、制度が始まる前の記録も、この学校に残ってる可能性がある」
颯がすぐに反応した。
「第0期の記録が、学園側に?」
「可能性の話だけどね」
「それなら、学校側の記録を確認するのは理にかなっています」
颯が頷く。
「国家機関の資料とは別系統で保存されている記録なら、比較することで第0期の位置づけが分かるかもしれません」
「問題は、誰に聞くかだね」
燈縭が言った。
「先生たち全員が知ってるわけじゃないだろうし、下手に聞き回れば逆に不自然になる」
「それなら、私が行く」
暁が答えた。
「生徒会長の刹那先輩に聞こう」
その名前が出た瞬間、司たちも納得した。
鬮醍院刹那 (きゅうどういん せつな)。
三年生であり、生徒会長。そして国家参与特別委員会を生徒会側から支える立場にいる。制度そのものの参加者ではないが、委員会の活動を把握できる数少ない学生の一人だ。
何より、彼女はこの学校の内部事情をよく知っている。
「確かに、刹那先輩なら学校の記録について知ってる可能性がある」
司が言う。
「ただ、刹那さんが知らないことなら、別のところを当たる必要がある」
学が答えた。
「その場合は?」
暁が訊く。
「学校長側」
学が答える。
その名前を直接口にしなくても、全員が誰を指しているのか分かった。
我妻玄一郎 (あがつま げんいちろう)。
帝煌学園の学校運営に関わる学園長。国家や企業とも繋がりを持つ人物。そして、刹那の叔父でもある。
現在の制度と学園の関係を考えるなら、無視できる存在ではない。
「まずは刹那さんからにしよう」
暁が決めた。
「それで分からなければ、正式な手続きを踏んで学校側の資料を確認する」
「了解」
司が頷いた。
昼休み、生徒会室を訪れると、刹那は一人で書類を整理していた。
「暁?」
顔を上げた刹那が、少し驚いたように目を瞬かせる。
「どうしたの?」
「少し聞きたいことがあるの」
「国家参与の仕事?」
「それに関係してる」
刹那は暁の表情を見て、何かを察したようだった。
「分かった。座って」
七人は生徒会室へ入り、刹那の向かいに座った。
普段の学校生活なら、三年生の生徒会長と二年生、そして一人の一年生がこうして一緒に話しているだけに見える。しかし実際には、国家に関わる権限を持つ委員会の活動について話し合っている。
その二重性が、今の帝煌学園という場所を象徴しているようにも思えた。
「それで、何を調べてるの?」
刹那が訊く。
司が口を開こうとしたが、暁が先に答えた。
「第0期について」
刹那の手が止まった。
それはほんの一瞬だった。
しかし、燈縭には十分だった。
「知ってる?」
燈縭が訊く。
「……聞いたことはある」
刹那はそう答えた。
「ただ、詳しくは知らない」
「どこで聞いたの?」
学が続ける。
「学校の古い資料を見たとき。確か、今の国家参与制度とは別に、制度が始まる前の記録が少し残っていた」
「やっぱり」
学の目が鋭くなる。
「学校にあるんだ」
「あると思う。でも、普通の生徒が見られる資料じゃないよ」
「どこにある?」
「それは分からない」
刹那は首を横に振った。
「私が見たのも、たまたまだったから」
その言葉に、暁が反応した。
「たまたま?」
「生徒会の古い資料を整理していたときに、一度だけ見たの。今から何年も前の記録で、その中に『第0期』という言葉があった。でも、当時の私は制度のことを今ほど知らなかったし、深く考えなかった」
「STATE;0という言葉は?」
司が訊いた。
刹那の表情が変わった。
「……それは知らない」
「本当に?」
「うん」
刹那は少し考えてから続けた。
「ただ、第0期については一つだけ覚えてる」
「何?」
「資料の中に、参加した学生について書かれていた」
その言葉に、七人の視線が集まった。
「学生……?」
学が確認する。
「そう。だから、制度の最初から学生が国家に関わっていたんだと思ってた。でも、詳しい内容は残っていなかった。名前も、活動内容も、ほとんど削られていたから」
学は黙り込んだ。
第0期には参加者がいた。
これは昨日、兵頭からも示唆された。
しかし、刹那が持っていた情報は、それをさらに裏付けていた。
「その資料、今は?」
茜が訊く。
「生徒会にはないと思う」
「どうして?」
「学校の資料庫へ移されたから」
刹那はそう言って、少し考える。
「たしか、玄一郎叔父さんが整理に関わっていたはず」
その名前が出た瞬間、燈縭が司を見る。
司も同じように燈縭を見る。
学は端末を閉じた。
「学校側に聞くしかないね」
刹那が頷いた。
「ただ、一つだけ気をつけて」
「何?」
「第0期について聞くときは、誰にでも同じように話さない方がいい」
刹那の声は、それまでより低かった。
「どうして?」
「理由は分からない。でも、私がその資料を見たとき、父……総一郎が学校側に何度か来ていた時期と重なってた」
暁の表情が変わる。
鬮醍院総一郎 (きゅうだいいん そういちろう)。
国家参与制度の特別監査を担う人物であり、刹那の父親でもある。
現在、父娘の関係は良好とは言えない。
その総一郎が、過去の第0期に関する資料が存在していた時期に学校へ来ていた。
「それって、偶然じゃないかもしれない」
燈縭が言った。
「私もそう思う」
刹那は静かに答えた。
「だから、調べるなら気をつけて」
「分かった」
暁が立ち上がった。
「ありがとう、刹那」
「ううん。何か分かったら教えて」
「もちろん」
七人が生徒会室を出ていく。
廊下へ戻った瞬間、学が口を開いた。
「かなり大きな情報が出た」
「第0期に学生がいたこと?」
司が訊く。
「それもそう。でも、それ以上に気になるのが、学校の資料庫に残ってるってこと」
茜が続ける。
「つまり、第0期は政府だけが管理していたものじゃない」
「帝煌学園も関わっていた」
燈縭が言った。
七人は委員会室へ戻り、すぐに学校側の資料閲覧について確認を始めた。
颯が規程を調べ、学が学校内部の記録管理体系を確認し、茜が第0期と現在の制度との共通点を整理していく。司は必要なら学校側との交渉に入れるよう準備し、穰介はそれぞれの作業を眺めながら、いつものように軽口を挟みつつも、誰より周囲へ注意を払っていた。燈縭はそんな六人の様子を見ながら、時折、端末の画面ではなく委員会室そのものを観察していた。
やがて、颯が一つの規程を見つけた。
「ありました」
「何が?」
暁が訊く。
「学園の歴史資料についての規定です。一定期間を経過した行政・教育関連資料は、学校側で保存される場合がある。ただし、国家参与制度に関連する資料については、政府側の保存規程が優先されるとあります」
「つまり、学校にあっても政府の管理下にある場合がある?」
「はい」
颯は頷いた。
「ですが、逆に言えば、学校側が独自に保存している資料も存在する可能性があります」
「それなら、正式に学校へ照会しよう」
暁が言った。
「待って」
学が止めた。
「どうした?」
「この規程、変だ」
学は画面を拡大した。
「国家参与制度に関する資料の保存について、途中から規定が変わってる」
「いつ?」
「現在の制度が始まった時期じゃない」
学はさらに古い版を表示した。
「もっと前だ」
画面には、過去の校内規程が表示されていた。
そして、その中に一つだけ現在の規程には存在しない項目があった。
――特別参与関連資料については、学園独自の保存体系を設ける。
「……学園独自?」
司が呟く。
「うん」
学が頷く。
「今は消えてる。でも、昔は明確に書かれてる」
「つまり、以前は学校側が独自に資料を管理していた」
茜が言う。
「そう考えられる」
燈縭が画面を覗き込む。
「だったら、学校に第0期の記録がある可能性はかなり高いね」
そのとき、委員会室の扉が開いた。
全員が振り返る。
入ってきたのは、我妻玄一郎だった。
「随分と熱心だな」
その声を聞いた瞬間、空気が変わった。
玄一郎は七人を見回し、机の上に並べられた資料へ視線を落とした。
「学校の古い保存規程か」
「はい」
司が立ち上がる。
「我妻さんに確認したいことがあります」
「第0期のことだろう?」
その瞬間、誰も言葉を返せなかった。
玄一郎は静かに椅子へ座った。
「刹那から聞いたか」
「はい」
「そうか」
玄一郎は一度だけ目を伏せる。
「なら、隠しても仕方がないな」
学が身を乗り出した。
「第0期の資料は、この学校にあるんですか?」
「ある」
即答だった。
その一言に、七人の緊張が一気に高まった。
「どこに?」
茜が訊く。
「資料庫だ。ただし、お前たちが考えているような形では残っていない」
「どういう意味ですか?」
颯が訊く。
「第0期の記録は、現在の国家参与制度の資料として整理されていない」
「では、何として?」
玄一郎は少しだけ間を置いた。
「学園史だ」
学が眉をひそめる。
「学園史……?」
「そうだ。第0期に関する記録の一部は、国家制度の記録ではなく、帝煌学園に在籍していた学生たちの活動記録として保存されている」
司が訊く。
「なぜですか?」
「それは私にも分からない」
玄一郎の答えは淡々としていた。
燈縭はその顔をじっと見つめていた。
「……本当に?」
玄一郎が燈縭を見る。
「どういう意味かな」
「第0期の資料があることを知っているのに、どうして『分からない』って言えるのかなと思って」
玄一郎はしばらく燈縭を見つめた。
「監察官らしい質問だな」
「ありがとう」
「褒めたつもりはないが」
「知ってるよ」
燈縭は笑った。
玄一郎は小さく息を吐き、視線を資料へ戻した。
「第0期の記録について、私が知っていることは多くない。ただ、一つだけ言える」
「何ですか?」
暁が訊いた。
「現在の制度は、第0期の失敗を踏まえて作られた」
その言葉が、委員会室に落ちた。
七人の表情が一斉に変わる。
「失敗……?」
司が訊いた。
「何があったんですか?」
「それは、記録を見た方が早い」
玄一郎は立ち上がった。
「正式な手続きを踏めば、資料の閲覧申請は通せる。ただし、全てを見られるとは思わない方がいい」
「どうして?」
学が訊く。
「記録が残っているのは、そこに書かれた内容だけではないからだ」
玄一郎は扉の前で立ち止まった。
「第0期の記録は、読む者によって意味が変わる」
そう言い残して、玄一郎は委員会室を出ていった。
扉が閉じたあと、七人はしばらく沈黙していた。
やがて、司が静かに言う。
「……第0期は失敗した」
「その失敗を踏まえて、今の制度が作られた」
茜が続ける。
「そして、その記録がこの学校に残っている」
颯が資料を整理する。
「なら、正式な閲覧申請を出すべきです」
「うん」
暁が頷いた。
「ただ、今回は前より慎重に行こう」
学が画面を見つめる。
「第0期が失敗した理由を知ることが、今の制度を理解する鍵になる」
「そして、それがSTATE;0に繋がってる可能性もある」
司が言った。
誰も否定しなかった。
その日の活動終了後、学は委員会の内部記録へ一つの申請を追加した。
――帝煌学園保存資料庫・第0期関連資料閲覧申請。
送信ボタンを押す。
通常なら、それで終わるはずだった。
しかし、数秒後。
学の端末に通知が届いた。
学は画面を見たまま、動かなかった。
「……どうした?」
司が訊く。
学は画面を七人へ向けた。
そこには、閲覧申請の受付結果が表示されていた。
申請受付――承認。
しかし、その下にもう一つの表示がある。
閲覧対象――第0期関連資料。
そして最後に、見覚えのある文字列が表示されていた。
STATE;0。
学の顔から血の気が引いた。
「……また出た」
誰も声を上げなかった。
ただ、画面の中で「STATE;0」という文字だけが、静かに表示され続けていた。
その瞬間、燈縭が小さく息を吐く。
「ねえ、みんな」
「何?」
司が振り返る。
燈縭は画面ではなく、委員会室の扉を見ていた。
「この申請……私たちが出したから承認されたのかな」
誰も答えられない。
「それとも――」
燈縭はゆっくりと視線を戻した。
「最初から、承認されることが決まってたのかな」
夕暮れの光が、委員会室の窓から差し込んでいた。
その光の中で、七人はまだ知らない。
彼らがこれから読むことになる第0期の記録は、過去に起きた出来事を説明するためだけに残されていたものではない。
その記録は、現在の制度を生み出した理由を記すと同時に、制度が再び同じ過ちを繰り返さないために残されたものだった。
そして何より、その記録の中には――。
現在の七人と、奇妙なほど似た立場にいた「誰かたち」の存在が記されていた。
まだ、彼らはそれを知らない。
ただ一つ確かなのは、今日から第0期は「過去の謎」ではなくなったということだった。
帝煌学園そのものが、その答えを抱えている。
そして七人は、ついにその扉を開く権利を手に入れた。
問題は、その扉の向こうにあるものが、彼らの知りたい「真実」なのか、それとも――現在の制度を根底から揺るがす「証拠」なのか。
それを知るのは、まだ少し先のことだった。
――第7話 完




