第6話「視られる者たち」
放課後の委員会室に、奇妙な沈黙が広がっていた。
誰も席を立とうとはしなかった。普段なら活動終了の時間を意識し始める頃なのに、七人の視線はすべて大型モニターへ向けられている。画面には、学が偶然発見した一つの記録が表示されたままだった。文書名も、作成者も、保存された年月日もない。ただ、通常の行政資料とは明らかに異なる管理画面の中に、「STATE;0」という文字列だけが存在している。
それは、たった一つの言葉だった。
けれど、その一つの言葉が、それまで彼らが調べてきたものをすべて別の意味に変えてしまっていた。
「……STATE;0」
司が画面を見つめながら、もう一度その名前を口にした。
「第0期と関係してると思う?」
「可能性は高い」
学は即答した。
「少なくとも、同じ記録体系の中にある。しかも『参照可能記録――一件』って表示されてる。普通の行政文書なら、こんな管理のされ方はしない」
学は画面を拡大しながら、表示されている情報を一つずつ確認していく。普段なら、その作業には迷いがない。しかし今回は違った。キーボードを操作する指が何度も止まり、画面を見つめる時間が長くなっている。
それを見ていた燈縭が、椅子の背にもたれた。
「学くんでも、そんなに慎重になるんだね」
「慎重になってるんじゃない。変なんだよ」
「何が?」
「アクセスした記録がない」
その言葉に、茜が顔を上げた。
「どういう意味?」
「この記録そのものには、参照可能な記録が一件ある。なのに、誰がいつ参照したのかという履歴が残ってないんだ。いや、正確には……」
学は画面を切り替えた。
「履歴が存在しないんじゃない。履歴そのものが別の場所に保存されてる」
「それは普通じゃないの?」
穰介が訊く。
「普通なら、関連資料と同じ管理体系に置く。わざわざ履歴だけ別系統にする理由がない」
学の説明を聞きながら、颯が資料を手元へ引き寄せた。
「つまり、第0期に関する記録は、現在の行政文書とは別の仕組みで管理されているということですね」
「そう。しかも、単純に古いから別管理ってわけじゃない。現在もその仕組みが動いてる」
「現在も?」
暁が反応した。
「うん。ここを見て」
学が画面の端に表示された小さな項目を指した。
「最終更新日時が昨日になってる」
誰も言葉を返せなかった。
昨日。
兵頭が委員会室を訪れ、第0期について話した日と同じだった。
偶然なのか。
それとも――。
「昨日、誰かがこの記録に触れた」
燈縭が静かに言った。
「私たちが第0期を知ったのと、ほとんど同じタイミングで」
「そう考えるのが自然だと思う」
学は頷いた。
「でも、誰が触ったのかは分からない」
「だったら、調べればいい」
穰介が言うと、颯がすぐに首を横へ振った。
「待ってください。ここから先は、昨日までとは少し事情が違います」
「どこが?」
「私たちが見つけた資料の中に、現在も更新されている記録があるなら、それは過去の歴史資料ではありません。現在進行形の国家情報です。だからこそ、権限の確認が必要です」
颯はそう言って、自分の端末を開いた。
「国家参与特別委員会には広範な資料照会権限があります。ただし、すべての情報を無条件で取得できるという意味ではありません。特に国家機密に関わる情報については、閲覧そのものより、取得後の管理責任が問題になります」
「つまり、見ることよりも、その後どう扱うかが重要ってこと?」
司が訊いた。
「はい。昨日、兵頭さんも同じようなことを言っていました。『知った後に何をするのか』という話です」
司は黙って画面を見つめた。
兵頭の言葉が、今になって別の意味を持ち始めている。
あのときは単なる警告だと思っていた。しかし、もし第0期に関する情報が現在も管理され、しかも昨日更新されているのだとすれば、兵頭は彼らがどこまで踏み込むかを知っていたのかもしれない。
「だったら、正式に確認しよう」
暁が言った。
「兵頭さんに、STATE;0へのアクセスについて確認する」
「でも、また止められるんじゃない?」
燈縭が訊く。
「その可能性はある」
暁は頷いた。
「それでも、勝手に進む理由にはならない。私たちが持っている権限を使うなら、その権限を正しく使う必要がある」
その言葉に、颯が頷いた。
「賛成です」
「俺も」
司も続いた。
「話せるうちは、まだ敵じゃない」
いつもの言葉だった。
しかし、今回は少しだけ違って聞こえた。
これから向き合う相手が敵なのか味方なのか、それすらまだ分からない。だからこそ、最初から敵と決めつけない。司にとって、それは単なる理想論ではなく、自分たちが国家へ関与するための最低限の姿勢だった。
七人はその日のうちに兵頭へ連絡を取った。
――翌日。
放課後の委員会室に再び兵頭が姿を見せたとき、彼は扉を開けるなり、昨日とは違う七人の表情を見て足を止めた。
「……見つけたか」
その一言で、燈縭の目が細くなる。
「何をですか?」
「いや」
兵頭は苦笑した。
「何でもない」
「兵頭さん」
司が立ち上がった。
「確認したいことがあります」
「聞こうか」
「昨日、俺たちは第0期について確認しました。その後、資料の中から『STATE;0』という記録を見つけました」
兵頭の表情から、わずかに笑みが消えた。
その変化はほんの一瞬だった。
けれど、燈縭は見逃さなかった。
「STATE;0……」
兵頭がその名前を繰り返す。
「それを、どこで見つけた?」
「昨日見せてもらった記録の関連資料です」
「そうか」
兵頭はそれ以上何も言わなかった。
「アクセスしてもいいですか?」
司が訊く。
「……何のために?」
「第0期と現在の国家参与制度の関係を確認するためです」
「それだけか?」
「それが今の目的です」
兵頭は司を見つめた。
「お前、嘘はついてないな」
「はい」
「そうか」
兵頭は椅子へ座った。
「なら、俺から一つだけ聞かせてくれ」
七人が兵頭へ視線を向ける。
「お前らは、今の制度が正しいと思ってるか?」
予想していなかった質問だった。
誰もすぐには答えなかった。
現在の国家参与特別委員会は、彼らに大きな権限を与えている。普通の高校生には到底持てないほどの権限だ。それでも、これまで七人は、その制度そのものを疑ったことはなかった。
少なくとも、疑う必要があるとは考えていなかった。
「……正しいかどうかを判断するのは、まだ早いと思います」
最初に答えたのは颯だった。
「制度が何のために作られたのか、その経緯も知らないまま、正しいとか間違っているとか決めることはできません」
「私は、必要だから存在していると思ってる」
暁が続けた。
「でも、必要だと思うことと、何も疑わないことは違う」
燈縭が微笑む。
「さすが委員長」
「茶化さないで」
「茶化してないよ」
燈縭は画面を見た。
「私たちが知りたいのは、制度が正しいかどうかじゃない。誰が、何のために、この制度を作ったのか。それだけ」
兵頭は七人を見回した。
その視線には、昨日までとは違うものがあった。
「……分かった」
兵頭が立ち上がる。
「一件だけなら、確認できるようにする」
颯がすぐに反応した。
「正式な権限に基づいて、ですか?」
「ああ」
「アクセス制限は?」
「記録そのものを見るだけなら問題ない。ただし、複製と外部への持ち出しは禁止だ」
「承知しました」
颯が頷く。
学はすぐに端末を操作し始めた。
画面に新しい認証画面が表示される。
しかし、その瞬間だった。
「……あれ?」
学の指が止まった。
「どうした?」
茜が訊く。
「認証が通らない」
「権限不足?」
「違う」
学は画面を見つめた。
「認証そのものは通ってる。でも、記録が開かない」
「どうして?」
「分からない」
学が何度か操作する。
画面にはエラー表示が出る。
だが、その内容は単純なアクセス拒否ではなかった。
そこには、妙な一文が表示されていた。
――現在の参与者による参照を確認。
学の顔から表情が消えた。
「……現在の参与者?」
司が画面を見る。
「どういう意味?」
「分からない。こんな表示、普通は出ない」
学がもう一度操作すると、今度は画面の中央に別の文章が現れた。
――STATE;0は、国家参与制度に基づく参照対象です。
そして、その下にもう一行。
――参照者情報を記録しました。
部屋の空気が凍った。
燈縭がゆっくりと兵頭を見る。
兵頭は画面を見たまま、何も言わなかった。
「……兵頭さん」
燈縭の声が低くなる。
「これ、どういう意味?」
「俺にも分からない」
「本当に?」
「本当だ」
兵頭の返事は早かった。
しかし、燈縭は納得していなかった。
学が突然、端末から目を離した。
「待って」
「何?」
「参照者情報っていうのが……」
学は画面を確認した。
「俺たち七人の名前が出てる」
「え?」
司が画面を覗き込む。
そこには確かに、七人の名前が並んでいた。
戰國暁。
零宮司。
進藤颯。
片町学。
望月茜。
堅橋穰介。
八乃森燈縭。
全員の名前が、正式な記録として表示されている。
しかも、それだけではなかった。
「参照日時……昨日になってる」
学が呟いた。
「俺たちが最初に見つけた時間だ」
颯が息を呑む。
「でも、おかしいです」
「何が?」
「昨日、私たちはこの記録にアクセスしていません」
全員が黙った。
そうだった。
彼らが「STATE;0」という文字列を発見したのは昨日だ。しかし、その記録そのものを開いたわけではない。
存在を確認しただけだ。
それなのに、システム上では七人がすでに「参照者」として登録されている。
「つまり……」
茜が画面を見つめる。
「私たちが見つけたんじゃない」
彼女の声が、静かに落ちた。
「向こうが、私たちを見つけた可能性がある」
穰介の表情から、いつもの軽さが完全に消えた。
「……それ、かなり嫌な話じゃない?」
司は答えなかった。
画面に表示された自分たちの名前を見つめている。
国家へ干渉する権限を与えられた高校生たち。
制度の過去を追い始めた七人。
そして、彼らが調べ始めた瞬間から、すでに記録されていた参照者情報。
偶然では説明できない。
「兵頭さん」
暁が静かに呼んだ。
「この制度には、私たちが知らない監視の仕組みがあるんですか?」
兵頭はしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「……監視、とは少し違う」
「じゃあ、何ですか?」
「記録だ」
「誰の?」
「制度に関わった人間の」
その答えに、学が反応した。
「過去の参加者も?」
「そうだ」
「第0期の参加者も?」
兵頭の表情が変わった。
ほんの一瞬だった。
けれど、その反応だけで十分だった。
学は確信した。
第0期は、単なる制度の試験運用ではない。
そこには「参加者」がいた。
そして、その参加者たちは現在の制度とは違う何かに関わっていた。
兵頭は画面から目を逸らした。
「今日はもう帰れ」
「まだ何も終わってません」
司が言った。
「分かってる」
「だったら――」
「だから帰れと言ってる」
兵頭の声が初めて強くなった。
「お前らが見つけたものは、もうお前らだけの問題ではない」
委員会室の空気が張り詰める。
「第0期を調べるなら、これから先は、国家参与制度そのものを疑うことになる。政府も、制度も、そしてお前ら自身が選ばれた理由さえな」
兵頭はそう言って扉へ向かった。
しかし、最後に一度だけ振り返る。
「……それでも調べるなら、覚えておけ」
その目は、昨日までとは明らかに違っていた。
「国家は、情報を隠すだけではない」
兵頭は静かに言う。
「誰が情報を探しているのかも、記録している」
扉が閉じた。
残された七人は、しばらく動かなかった。
やがて学が画面を見つめながら、ゆっくりと息を吐く。
「……俺たち、もう記録されてる」
「最初から?」
茜が訊く。
「分からない。でも、昨日の時点では確実に記録されてる」
燈縭は画面に表示された七人の名前を見つめた。
「だったら、これから私たちが何をするかも記録されるのかな」
「たぶん」
学が答えた。
「じゃあ、逆に利用できる」
司が言った。
全員が彼を見る。
「記録されているなら、俺たちが何を考えて、何を調べて、何を判断したのかも残る。だったら、隠れて動く必要はない」
颯が司を見る。
「正式な記録として残す、ということですか?」
「ああ。俺たちは国家参与特別委員会として動いてる。なら、正しい手続きを踏んで、全部記録に残す」
暁が静かに頷いた。
「それが私たちのやり方」
彼女は画面へ視線を戻す。
そこには、七人の名前が並んでいる。
まるで国家の巨大な記録の中に、彼らの存在が最初から組み込まれていたかのようだった。
「学」
「ん?」
「この記録、保存しておいて」
「いいの?」
「外部には出さない。委員会の内部記録として保存する」
「分かった」
学が操作を始める。
その直後、画面に新しい文字が表示された。
――記録を保存しました。
そして、その下に続く一文を見て、学の指が止まった。
――第0期参照者として登録しました。
「……え?」
学の声に、全員が画面を見る。
そこには、さっきまで存在しなかった項目が追加されていた。
第0期参照者――七名。
暁は、その文字を見つめた。
自分たちは第0期を調べている。
そう思っていた。
だが、もしかすると違う。
彼らが第0期を調べ始めた瞬間から、国家の側ではすでに別の処理が始まっていたのかもしれない。
そして、誰がその処理を開始したのかは、まだ分からない。
委員会室の窓の外では、夕暮れの帝煌学園が静かに赤く染まっていた。校庭では部活動を終えた生徒たちが帰り支度をし、廊下からはいつもの学校生活の音が聞こえている。何も知らない生徒たちにとって、この場所はただの高校だ。
けれど七人は、もう知ってしまった。
この学校には、国家へ繋がる道がある。
そしてその道を歩く彼ら自身もまた、国家の記録の中に組み込まれている。
学が最後に画面を閉じようとした、その瞬間だった。
モニターの端に、一瞬だけ別の文字が浮かんだ。
――STATE;0
その下に、小さく一行だけ表示される。
――次回参照条件を満たしました。
学が画面を開き直す。
しかし、もうその文字は消えていた。
「……今の、見たか?」
学が訊く。
七人は誰も答えなかった。
ただ、全員が見ていた。
そしてその瞬間、誰もが同じことを理解していた。
第0期は、過去ではない。
彼らが触れたことで、何かが動き始めたのだ。
その事実だけが、夕暮れの委員会室に残されていた。
――第6話 完




