第14話「七人の最終判断」
画面に表示されていたカウントダウンが最後の数字へ到達した瞬間、委員会室の照明が一度だけ明滅した。七人が反射的に天井を見上げるより早く、正面の大型モニターが完全な黒へと切り替わり、これまで表示されていたSTATE;0の白い文字すら消えていく。まるで現在という時間そのものが一度切り離されたかのように、部屋の中から電子機器の作動音が消え、残されたのは七人の呼吸と空調の微かな音だけだった。
そして、暗闇の中央に一つの文字が浮かび上がった。
《第0期》
その下に、続けて記録日時が表示される。
だが、七人の誰もその日時を見てすぐに意味を理解することはできなかった。政府の資料でも、学校側の資料でも、第0期について具体的な年月日が記された記録はほとんど存在していなかったからだ。記録そのものが消されていたというより、意図的に断片化されている。だからこそ、この画面に表示されている日付は、七人が初めて目にする「第0期の時間」だった。
「……始まった」
司が静かに呟いた。
その声に反応するように、画面へ映像が現れる。
そこに映っていたのは、今の委員会室とは異なる部屋だった。現在の帝煌学園にあるものと似た構造ではあるものの、机や端末、壁面の表示装置など、そのすべてが少しずつ古い。だが、部屋の中央に設置された長机と、その周囲に七つの席が用意されていることだけは現在と変わらなかった。
七つの席。
それだけで十分だった。
誰の名前も映っていない。顔も見えない。画面に表示されているのは、それぞれの席に割り当てられた役職だけだった。
《参与代表》
《渉外担当》
《法務担当》
《情報担当》
《参謀担当》
《執行担当》
《監察担当》
暁が息を止める。
「……同じだ」
「役職まで同じですね」
颯が画面を見つめる。
「偶然とは考えにくい」
茜が答えた。
「第0期から現在まで、必要な判断機能そのものが変わっていないということ」
学は何も言わず、画面の端に表示されている記録情報を追っていた。そこには現在のSTATE;0とは異なる古い記録形式が並んでいる。その中に、ひとつだけ現在と同じ名称があった。
《国家参与制度》
だが、その直後に続く説明文を見た瞬間、学の表情が変わった。
「……待って」
「どうした?」
司が振り返る。
「制度の名称は同じ。でも、目的の欄が違います」
画面を拡大すると、そこにはこう記されていた。
《目的――国家機関による意思決定の妥当性を、独立した参与者によって検証すること。》
現在の制度概要とは明らかに違っていた。
今まで七人が聞かされてきた制度は、学生が国家運営へ広く参与するためのものだった。独立した判断主体であることは説明されていたが、制度そのものが「国家機関の意思決定を検証する」ことを第一の目的としているとは明示されていない。
司が画面を見つめながら言った。
「最初から、監視するための制度だったってことか」
「監視という言葉は少し違う」
燈縭が答える。
「検証。判断が正しいかどうかを、別の立場から確かめるための制度」
彼女は少しだけ間を置いた。
「だから、政府の味方でも敵でもない」
その言葉に、司が小さく頷いた。
映像が進む。
七人の第0期参与者が、政府側から提示された一枚の資料を確認していた。音声は記録されているらしいが、最初は一部の情報が伏せられている。顔も名前も表示されない。それでも七人が資料を読み、互いに意見を交わし、何度も記録を確認している様子から、単純な承認作業ではないことだけは明確だった。
しばらくして、記録上の政府要求が画面に表示される。
《参与者による確認を求める。》
その下に、さらに複数の項目が続いた。
《関連情報の外部共有を禁止すること。》
《政府指定範囲を超えた調査を行わないこと。》
《提示された方針について、参与者として協力すること。》
颯の眉が動く。
「……これ」
「第9話で兵頭さんが話していた内容と一致する」
学が答えた。
これまで断片的にしか分からなかった政府要求が、初めて第0期自身の記録として表示されている。
そして、その次の瞬間、記録上の参与代表が立ち上がった。
音声が再生される。
だが、その声は意図的に加工されていた。性別すら判別できないような処理が施されている。
『私たちは、政府から提示された方針そのものを否定しているわけではありません』
その一言に、七人は一斉に画面へ視線を向けた。
『しかし、政府が必要だと判断したことを、そのまま国家にとって必要なこととして扱うことはできません』
司が目を細める。
続く言葉は、今まで七人が議論してきたことと驚くほど似ていた。
『私たちが判断するのは、政府に従うかどうかではありません。政府が示した判断が、国家にとって妥当なのかどうかです』
映像の中で、別の参与者が何かを尋ねる。
『では、政府要求を拒否するのですか』
代表が答える。
『まだ判断していません』
暁がその言葉に反応した。
「……まだ?」
画面の中の七人は、政府要求を拒否することすら即断していなかった。
その事実は、現在の七人が想像していた第0期とは違っていた。
第0期は政府と対立した。
第0期は要求を拒否した。
その結果、制度上の「失敗」とされた。
これまで残されていた情報だけなら、そう理解することもできた。
しかし、実際の第0期は最初から政府に反発していたわけではない。提示された情報を確認し、要求の内容を検討し、その必要性を自分たちで判断しようとしていた。
つまり、第0期の最初の判断は「拒否」ではなかった。
「判断する」ことだった。
「これ……今の私たちと同じだ」
暁が呟いた。
司が彼女を見る。
「政府の要求そのものを疑う。でも、最初から否定もしない」
「うん」
暁は画面を見たまま答えた。
「だから第0期は、私たちと同じところから始まってる」
映像がさらに進む。
七人は政府側から提示された資料だけでは判断できないと結論づけ、独自に関連情報を確認することを決めていた。
しかし、その直後に記録が一度停止した。
画面に警告が表示される。
《第0期最終参与記録――第二段階へ移行します。》
そして映像が切り替わった。
今度は同じ部屋ではなかった。
暗い廊下を、七人の参与者が歩いている。誰かが資料を抱え、別の誰かが端末を操作し、先頭を歩く人物が何度も後ろを振り返っている。具体的な場所は記録されていない。だが、その映像が政府から提示された資料の確認だけではなく、七人自身による調査活動だったことは明らかだった。
学が画面を凝視する。
「これが……独自調査」
「政府の指定範囲を超えて調べたってことか」
穰介が言う。
「そういうことだね」
学が答える。
「ただ、何を調べていたのかはまだ分からない」
画面の映像が止まる。
そして、一つの文書が表示された。
《調査対象――国家参与制度》
全員が息を呑んだ。
司が思わず立ち上がる。
「自分たちの制度を調べてた?」
学は頷いた。
「そうみたいです」
颯が画面を見つめる。
「でも、政府要求は政策への協力だったんですよね。どうして制度そのものを?」
茜が答える。
「そこに疑問があったからじゃない?」
彼女は腕を組みながら考える。
「政府が提示した要求だけを見るなら、従うか拒否するかの二択で終わる。でも、第0期はその要求を出している側と、自分たちを参加させている制度そのものを調べた。つまり、『なぜ私たちはこの判断を任されているのか』まで遡った」
燈縭が静かに頷く。
「そして、それを調べた結果が……STATE;0だった」
その瞬間、画面に新しい記録が表示された。
《第0期参与者による制度調査――記録開始。》
さらに、その下に一つの項目が現れる。
《調査目的――国家参与制度の設置理由を確認する。》
七人は言葉を失った。
これまで第0期は、現在の制度の前身だと思われていた。
だが違う。
少なくとも第0期の参与者たちは、自分たちがなぜ選ばれ、なぜ国家に関わる権限を与えられているのか、その理由そのものを疑問に思っていた。
国家が高校生に国家運営への参与権限を与える。
その制度は、あまりにも特殊だった。
だからこそ、彼らはその理由を調べた。
そして――。
画面に表示された次の一文を見た瞬間、学の顔から表情が消えた。
《調査結果――国家参与制度は、国家機関によって国家機関自身を判断することが困難となった場合に備えて設置された。》
「……国家機関自身を、判断できない?」
颯が呟く。
学が画面を読み進める。
「もっと正確に言うなら、国家機関の判断が国家機関自身の利益と一致してしまった場合、その判断を外側から検証する仕組みが必要になる……そういう意味だと思います」
司が黙り込む。
それは、これまで七人が経験してきたことと奇妙なほど一致していた。
政府が政府自身の要求を正当化する。
国家機密だから公開できない。
国家のためだから従ってほしい。
国家安全保障上必要だから、それ以上の調査は不要だ。
それらの判断が、本当に国家全体の利益と一致しているのか。
その問いを誰がするのか。
国家機関だけでは、その判断を完全に外側から検証することができない。
だから、学生が選ばれた。
しかし、それだけではなかった。
画面に、さらに文章が表示される。
《国家参与者は、国家機関の意思決定を否定するために存在するのではない。》
《国家参与者は、国家機関の意思決定を肯定するために存在するのでもない。》
《国家参与者は、その判断が国家のためのものなのかを問い続けるために存在する。》
暁が目を伏せる。
「……私たちが、ずっとやってきたことだ」
「そうだね」
司が答えた。
「でも、それなら一つだけおかしい」
「何が?」
燈縭が司を見る。
司は画面を指した。
「政府は第0期を『失敗』として扱った。でも、この記録を見る限り、第0期は制度の目的通りに動いてる」
誰も反論できなかった。
第0期は政府要求を確認した。
その必要性を疑った。
独自調査を行った。
そして制度そのものの存在理由まで調べた。
それは制度の目的に反する行動ではない。
むしろ、制度の目的を徹底した結果だった。
「じゃあ、なぜ失敗になったんですか?」
颯が尋ねた。
その問いに答えるように、画面が切り替わった。
《第0期――最終判断記録》
七人の視線が集中する。
しかし、そこに表示されたのは、これまで見てきた政府要求への拒否ではなかった。
まず最初に表示されたのは、三つの判断だった。
《政府要求――拒否》
《情報公開――拒否》
《独自調査――継続》
既に兵頭から聞いていた記録と一致する。
だが、その下には、これまで誰も見たことのない第四項目が存在していた。
《国家参与制度――再評価》
茜が目を見開く。
「……再評価?」
学がすぐにデータを確認する。
「今までの政府記録にも、学校記録にもありません」
「じゃあ、第0期が最後に判断したのは……」
司の言葉が止まる。
その先を、暁が引き取った。
「自分たちが参加している制度そのものだった」
画面が暗転する。
そして、最後の記録だけが白い文字で表示された。
《第0期参与者最終判断》
《国家参与制度は、国家を判断するために必要である。》
その一文を見て、七人は一瞬だけ安堵した。
しかし、次に表示された文章が、その意味を完全に変えた。
《ただし、国家参与制度そのものが国家によって判断される状態になった場合、この制度はその役割を失う。》
颯が息を呑む。
「制度そのものが……判断される?」
その瞬間、現在のSTATE;0が反応した。
画面右下に新しい表示が現れる。
《第0期最終判断――現在の参与者へ引継ぎます。》
七人の名前が、役職とともに順番に表示された。
《戰國 暁――参与代表》
《零宮 司――渉外担当》
《進藤 颯――法務担当》
《片町 学――情報担当》
《望月 茜――参謀担当》
《堅橋 穰介――執行担当》
《八乃森 燈縭――監察担当》
そして最後に、全員の名前を囲むように一つの文章が表示される。
《第0期の判断を、現在の参与者は引き継ぐことができます。》
その下には、二つの選択肢が現れた。
《引き継ぐ》
《再評価する》
誰もボタンを押さなかった。
これまでSTATE;0は、七人に判断を迫ってきた。
政府要求に従うのか。
独自判断を行うのか。
そして第三の判断として、政府要求を独自検証するのか。
だが、今回の二択はそれらとは意味が違っていた。
第0期の判断を、そのまま正しいものとして受け継ぐのか。
それとも、第0期が出した判断さえも、自分たちの視点から改めて検証するのか。
司がゆっくりと息を吐いた。
「……なるほど」
暁が司を見る。
「何?」
「STATE;0が最初から俺たちにやらせたかったことが、少し分かった」
司は画面を見たまま続ける。
「第0期と同じ答えを出させたいんじゃない」
茜が顔を上げる。
「……判断することそのものを、引き継がせたい?」
「たぶん」
燈縭が小さく笑った。
「だったら、ここで『第0期が正しかったです』って終わったら、意味ないよね」
「そういうこと」
暁はしばらく黙って画面を見つめていた。
目の前にあるのは、過去の七人が残した判断だった。
その判断は、現在の七人と同じ七つの役割を持つ者たちによって下された。
そして、その判断によって制度そのものが一度揺らいだ。
だが、過去の判断が正しかったからといって、現在も同じ判断をすべきとは限らない。
国家も、制度も、社会も変わっている。
ならば、現在を生きる七人が過去の答えをそのまま受け取るだけでは、彼ら自身が第0期の意思決定を模倣するだけになってしまう。
暁が、ゆっくりと口を開いた。
「……再評価する」
六人の視線が集まる。
「第0期が何を判断したのかは、もう分かってきた。でも、私たちは第0期じゃない。今の国家を見て、今の制度を見て、今の私たち自身で判断する必要がある」
司が笑った。
「それでこそ、俺たちの判断だな」
「はい」
颯が頷く。
「第0期の判断を尊重することと、第0期の判断に従うことは違います」
「情報として引き継ぐ。でも、結論までは引き継がない」
学が続ける。
「そのほうが、この記録の目的にも合っていると思います」
茜も頷いた。
「過去の判断を絶対視した時点で、独立した判断ではなくなる」
「だったら決まりだな」
穰介が椅子に座り直す。
「過去がどうだったかは分かった。次は俺たちの番だ」
燈縭が画面へ手を伸ばす。
「じゃあ、押すよ」
彼女の指が《再評価する》へ近づく。
その瞬間、STATE;0の画面に新しい警告が表示された。
《警告》
《再評価を選択した場合、現在の国家参与制度そのものが評価対象となります。》
さらに、その下に続く。
《評価対象――国家参与制度》
《評価者――現在の参与者》
《評価基準――第0期最終判断》
そして最後に、これまでとは明らかに違う一文が表示された。
《再評価の結果によっては、国家参与制度の継続を否定することが可能です。》
部屋の空気が変わった。
それは、単なる歴史の確認ではなかった。
過去を知るための記録でもない。
STATE;0が七人に提示しているのは、制度そのものを判断する権利だった。
そして、その判断が下された場合――。
現在の国家参与制度そのものが、存続する理由を失う可能性がある。
燈縭の指が止まった。
司が画面を見る。
颯が息を呑み、学は無言で記録を保存し、茜は表示された条件を何度も読み返していた。穰介も、暁も、誰一人として軽々しく選択できる状況ではないことを理解している。
国家を判断する。
そのために作られた制度を、さらに自分たちが判断する。
そして、その制度を必要としないという結論さえ、この場所では認められている。
暁が静かに言った。
「……私たちは今まで、国家に参与することが目的だと思っていた」
七人の視線が彼女へ集まる。
「でも、違うのかもしれない」
暁は画面に映る《国家参与制度》の文字を見つめた。
「この制度が必要なのかどうかを判断することまでが、私たちの役割なんだ」
誰も言葉を挟まなかった。
そして、燈縭が最後に《再評価する》を選択した。
画面が一瞬白く染まり、STATE;0の文字が中央に浮かび上がる。
《現在の参与者による再評価を開始します。》
その下に、さらに一行が表示された。
《第0期には存在しなかった、現在の国家に関する情報を開示します。》
七人の表情が変わる。
そして、その直後。
《再評価第一項目――国家参与制度が現在も必要である根拠を提示してください。》
画面の中央に、七人がこれまで一度も見たことのない巨大な記録領域が開いた。
その最初の資料名には、ただ一つだけ、現在まで繰り返し現れてきたあの番号が表示されていた。
――第0期と、現在を繋いでいた、あの記録番号が。
そして、その横には初めて正式な名称が表示される。
《STATE;0――国家判断記録》
七人は、ついにその名前の意味へ手を伸ばし始めた。
――第14話 完




