第12話「僕らが決める国家」
――学校。
委員会室に表示された《STATE;0》の文字は、しばらく誰にも消されることなく画面の中央に残り続けていた。
その下には、現在の参与者が答えなければならない政府要求が表示されている。内容そのものは簡潔だった。《特別学生国家参与制度に関する内部資料を、政府の指定する方針に従って取り扱うこと》。そして、その条件として明記されたのが《参与者による独自判断:不要》という一文だった。
これまで七人が追ってきた第0期の記録。
国家の要求を拒否した七人。
その結果として失敗したと記録された制度。
そして現在、その同じ制度を受け継いだ自分たちの前に、まるで過去を再現するような要求が突きつけられている。
司は画面から目を離さなかった。
「……まず、確認しよう」
静かな声だった。
「俺たちは、まだ政府要求そのものを詳しく知らない」
「そうだね」
学が頷く。
「今表示されてるのは概要だけ。対象資料が何なのか、なぜ政府が独自判断を必要としないと指定しているのか、その理由も分からない」
「だったら、今ここで回答する必要はありません」
颯がすぐに言った。
「政府要求への回答を求められているとはいえ、判断材料が不足しています。法務官としては、情報が不十分なまま承認することには反対です」
「俺もそう思う」
穰介が続ける。
「中身も分からないのに、従うか従わないか決めろって言われても無理だろ」
茜は腕を組みながら、画面をじっと見つめていた。
「ただし、問題は時間だと思う」
「時間?」
暁が尋ねる。
「このシステムは、私たちに判断を要求している。おそらく政府側も、何らかの回答を待っている。時間をかければ、その間に別の動きが起きる可能性がある」
「政府が先に資料を処理する、とか?」
燈縭が言う。
「それもある。あるいは、私たちの権限そのものが制限される可能性もある」
その言葉を聞いた瞬間、学が画面を確認した。
「……一つ、変なところがある」
「何?」
「この案件、政府から送られた正式な通知なのに、送信元が普通の行政機関になってない」
学が画面を拡大する。
そこには、通常なら表示されるはずの担当機関名がなかった。
代わりに表示されているのは、ひとつの分類番号。
これまで何度も見てきた、あの番号だった。
「またこれか」
司が呟く。
教育予算の資料。
安全保障関連文書。
行政監査記録。
第0期の資料。
そして今回の政府要求。
すべてを繋いでいた番号が、再び目の前に現れている。
「やっぱり、これが鍵だ」
学が言った。
「この番号は、特定の行政分野を示してるんじゃない。もっと上の階層にある記録を分類してる。だから教育にも、安全保障にも、国家参与制度にも出てくる」
「つまり、この番号が付いている資料には共通点がある」
燈縭が言った。
「そう」
「じゃあ、その共通点は何?」
学は黙り込んだ。
これまでの資料を一つずつ思い返している。
そして、しばらくしてから画面に複数の記録を並べた。
「全部、国家の判断に関係してる」
「国家の判断?」
茜が聞き返す。
「教育予算は、国が政策として何に金を使うか。安全保障は、国が危険をどう判断するか。行政監査は、国の機関が何を問題と認識するか。そして第0期は、国家参与者が政府の要求に従うかどうか」
学は一つずつ指を動かした。
「全部、『国家が何を正しいと判断したのか』に関係してる」
その言葉に、司はゆっくり顔を上げた。
「……だったら、この番号は」
「国家判断に関する記録をまとめるための分類なんじゃないかと思う」
学が答えた。
「だとしたら、STATE;0もその一部になる」
颯が資料を確認する。
「でも、STATE;0という名前自体には、まだ意味が分かりません」
「それを知るには、アクセスするしかない」
茜が言った。
「そして、そのためには政府要求への回答が必要」
全員が黙った。
話は結局、最初の問題へ戻ってくる。
政府要求に従うのか。
独自判断するのか。
それとも、第三の判断を選ぶために、政府要求そのものを自分たちで判断するのか。
「……一つ聞いていい?」
燈縭が口を開いた。
「もし政府要求に従うことが正しいと分かったら、私たちは従うの?」
暁が答える。
「当然だと思う」
燈縭が少し意外そうに目を向けた。
「反対しないんだ?」
「政府だから従うわけじゃない。正しいと判断したから従う。それだけ」
暁は真っ直ぐに画面を見つめた。
「私たちの役割は、政府に反対することでも、政府を守ることでもない。国家に参与して、必要な判断をすることだから」
その言葉に、司も頷いた。
「俺も同じ。政府の要求だから拒否するっていうのは、第0期の逆をやってるだけだと思う」
「逆?」
「うん。政府が間違っていると決めつけて、最初から反対するなら、それも結局は自分たちで判断したことにならない。政府を信じるのも、疑うのも、理由が必要だ」
颯が静かに頷く。
「その考え方なら、法務官としても納得できます。法は、政府に従うためだけにあるわけではありません。政府の行為が適法かどうかを確認するためにもありますから」
「情報官としては、もっと単純」
学が言う。
「事実が足りない。だから今は決められない」
穰介が笑った。
「なんだよ、それ。結局みんな同じじゃん」
「いや、違う」
茜が穰介を見る。
「私たちが同じなのは、結論じゃなくて、結論を急がないという一点だけ」
「それで十分じゃない?」
穰介は肩をすくめた。
「少なくとも、俺はそれなら賛成」
そのとき、委員会室の扉が開いた。
兵頭だった。
「まだ答えは出してないか」
「はい」
司が答える。
「兵頭さん。政府要求の詳細を教えてください」
兵頭は七人を見回した。
「それはできない」
「なぜですか?」
颯がすぐに反応する。
「理由を説明してください。私たちには国家参与制度に基づく判断権限があります」
「分かってる」
兵頭は落ち着いたまま答えた。
「だからこそ、詳細を話せない」
「どういう意味?」
司が尋ねる。
兵頭は一度、扉を閉めた。
「今から話すことは、政府側の正式な説明じゃない。俺個人の立場として聞いてほしい」
その言葉に、七人の表情が変わる。
「この案件を出したのは、現在の政府組織の中でも、君たちに直接説明できない位置にいる連中だ」
「……誰ですか?」
茜が尋ねる。
「それは言えない」
「理由は?」
「俺が言えば、君たちが調べる前に答えを与えることになるからだ」
燈縭が目を細めた。
「つまり、私たちが自分で見つける必要がある?」
「そういうことだ」
兵頭は端末へ視線を向けた。
「ただし、一つだけ教えておく」
七人が兵頭を見る。
「今回の政府要求は、国家参与制度そのものを守るために出されたものだ」
「制度を?」
暁が聞き返す。
「ああ」
兵頭は頷いた。
「君たちが調べている第0期の記録。その存在が、今の制度にとって都合が悪いからだ」
司の目が鋭くなる。
「第0期の何が?」
「第0期の学生たちが、最後に何を判断したのか」
「でも、それはもう分かってる」
学が言う。
「『拒否』ですよね」
「違う」
兵頭は首を横に振った。
「それは政府側に残された記録だ」
「……?」
「第0期の学生たちが本当に拒否したものは、政府の要求そのものじゃない」
兵頭の言葉に、司は息を止めた。
「じゃあ、何を拒否したんですか?」
兵頭は答えなかった。
代わりに、自分の端末を操作した。
委員会室の大型画面へ、一つの古い記録が表示される。
《第0期・最終参与判断》
その下に、これまで何度も見てきた《拒否》という文字がある。
しかし、兵頭はその表示をさらに展開した。
《政府要求――拒否》
《情報公開――拒否》
《独自調査――継続》
三つの記録が表示された。
「……三つ?」
学が驚く。
「今まで、最後の一つは隠されてた」
兵頭が言った。
「第0期の学生たちは、政府要求を拒否したあとも、調査を続けた」
司は画面を見つめた。
「じゃあ、最終的に何を見つけたんですか?」
兵頭の表情が変わった。
「それが、STATE;0だ」
委員会室に沈黙が落ちる。
これまでSTATE;0は、謎の記録名として何度も現れてきた。
第0期。
現在の参与者。
政府の監視。
すべての中心にあるにもかかわらず、その正体だけは分からなかった。
「第0期の学生たちは、最後にSTATE;0へ到達した」
兵頭が続ける。
「そこで何を見たのかは、政府側にも完全には残っていない」
「完全には?」
「記録そのものが、途中で分割されたからだ」
学がすぐに反応する。
「分割?」
「政府、学校、そして別の場所に」
「別の場所?」
兵頭はそれ以上答えなかった。
司は、その沈黙の意味を考える。
政府。
学校。
そして、もう一つ。
第0期の記録が三つに分けられたのなら、これまで見つけた資料だけでは全体像が分からないのも当然だった。
「だから、政府は私たちに調査をやめさせようとしている」
燈縭が言った。
兵頭は否定しなかった。
「第0期の記録を三つすべて繋げれば、現在の制度がどうして存在しているのか、その理由まで分かってしまう可能性がある」
「それが困るんですか?」
颯が尋ねる。
「政府にとって都合が悪いのか、それとも国家にとって都合が悪いのか」
兵頭はしばらく黙った。
「……その違いを、君たち自身で判断してほしい」
その言葉を最後に、兵頭は委員会室を出ていった。
扉が閉まる。
七人はしばらく誰も動かなかった。
やがて学が、静かに端末を操作する。
「……見つけた」
「何を?」
司が尋ねる。
「政府側の資料に、第0期の記録分割について痕跡がある」
画面には、複数の記録番号が表示されている。
そのうち一つは、現在の政府資料。
一つは、帝煌学園の資料庫。
そして最後の一つには、場所を示す情報がなかった。
ただ、その記録名だけが残されている。
《STATE;0――第三記録》
「第三記録……」
茜が呟く。
「学校でも政府でもないなら、どこにある?」
学が画面を拡大した。
すると、そこに一つの情報が表示された。
《保管責任者――国家参与制度》
「……制度そのもの?」
司が呟く。
「つまり、第三記録は政府にも学校にもない」
燈縭が言う。
「私たちが今いる、この制度の中にある」
その瞬間、端末が鳴った。
《政府要求への回答期限を確認》
《残り――一時間》
「一時間……?」
穰介が画面を見る。
「急に期限が出てきたぞ」
学が慌てて確認する。
「さっきまでなかった。今、設定された」
「政府が?」
「分からない」
暁が立ち上がる。
「だったら、決めよう」
六人の視線が集まる。
「私たちは、政府に従うか反対するかを先に決めない。政府要求そのものを自分たちで判断する」
「第三の判断?」
司が確認する。
「そう」
暁は頷いた。
「私たちは国家参与者なんだから。国家の要求を、そのまま受け取るためにいるんじゃない。何が国家に必要なのかを考えるためにいる」
颯が静かに笑った。
「……それなら、法務官として異論ありません」
「情報官としても」
学が続ける。
「参謀としても」
茜が頷く。
「執行官としても異議なし」
穰介が笑う。
燈縭も頷いた。
「監察官として、ちゃんと疑うよ」
最後に司が暁を見る。
「じゃあ、決まりだな」
七人はそれぞれの端末を操作した。
《政府要求への回答》
画面に、二つの選択肢が表示される。
《承認》
《拒否》
その下に、第三の判断が現れた。
《政府要求を独自検証する》
司がそれを選択する。
画面が切り替わった。
《第三の判断を承認》
《現参与者七名による独自検証を開始します》
《STATE;0へのアクセス権限――付与》
七人の端末すべてに、同時に新しい画面が表示された。
《ようこそ》
《第0期参与者の最終記録へ》
その文字を見た瞬間、誰も声を出さなかった。
しかし、次の一文が表示されたことで、司は息を呑んだ。
《あなたたちは、第0期と同じ判断をしました》
そして、さらに続く。
《したがって、これより先は国家参与制度の通常権限では閲覧できません》
画面が暗転する。
その中央に、ただ一つの文字列が浮かび上がった。
《STATE;0――第0記録領域》
その下に表示されたのは、これまで見たことのない一文だった。
《閲覧者が国家を判断してください》
七人は、その言葉を前にして立ち尽くした。
国家が自分たちを監視していたのではない。
国家は、ずっと問い続けていたのだ。
――国家とは、誰が決めるものなのか。
そして今、その答えを出す権利が、七人の高校生に渡された。
――第12話 完




