第11話「第三の判断」
委員会室の空気は、時間が止まったように静まり返っていた。
机の中央に置かれた端末には、二つの選択肢が表示されている。《政府要求に従う》と《独自判断を行う》。どちらも簡潔な言葉でしかないのに、その二つの文字列が持つ意味は、これまで七人が調べてきた第0期の歴史と重なり合うことで、単なる選択肢ではなくなっていた。そして、そのすぐ下には、薄く表示されたままの《――第三の判断:未解放》という文字がある。
司は画面を見つめながら、腕を組んだ。
「……これを選べってことか」
「そう見えるね」
学が端末を操作しながら答える。
「ただ、普通の行政案件とは明らかに違う。政府から正式に送られた案件なのに、STATE;0が別の判断システムを起動してる。しかも『選択結果は、今後の国家参与制度に反映されます』なんて、通常の参与案件には存在しないはずの文言まで出てる」
「だったら、選んじゃ駄目ですよね」
颯が画面を確認しながら言った。
「少なくとも、何を意味するのか分からないまま選択するのは危険です。私たちには国家参与制度に基づく権限がありますけど、その権限を使って何かを決定する以上、判断の根拠を確認する必要があります」
「そうだな」
暁も頷いた。
「私たちは、第0期と同じ選択をするためにここにいるわけじゃない。まして、何も分からない状態でどちらかを選ぶ理由もない」
穰介が画面を覗き込みながら、珍しく真剣な顔をしている。
「そもそもさ、これって本当に二択なのか?」
「どういう意味?」
茜が尋ねる。
「政府の要求に従うか、自分たちで判断するかって書いてあるけど、独自判断をすること自体が、政府の要求に反対することになるとは限らないだろ。調べてみて政府の要求が正しいと思ったら従えばいいし、間違ってると思ったら別の方法を選べばいい。なのに、この画面だと『従う』と『独自判断』が最初から対立するものみたいに並べられてる」
その言葉に、茜がゆっくり頷いた。
「確かにそう。選択肢の作り方そのものが不自然」
燈縭が端末へ顔を近づける。
「たぶん、このシステムは私たちの行動を判断してるんじゃないよ」
「じゃあ何を?」
「私たちが、どういう考え方で選ぶのかを見てる」
燈縭の言葉に、司は画面を見直した。
第0期の記録。
七人の参与者。
国家の要求。
そして、現在の七人。
もしかすると、このシステムが比較しているのは、単純な行動結果ではないのかもしれない。
第0期の七人が「拒否」という判断をしたことだけを記録しているのではなく、その判断に至った考え方そのものを、現在の七人に重ねようとしている。
「……第0期は、何を選んだのかじゃなくて、何を基準に選んだのかが重要だったのかもしれない」
司がそう言うと、学がすぐに資料を検索し始めた。
「待って。第0期の最終参与判断について、もう一度見てみる」
画面には、昨日確認した記録が表示される。
《第0期:拒否》
それだけだった。
だが学は、その下にある関連記録を一つずつ開いていく。いくつかは権限不足で閲覧できず、いくつかは削除済みとして表示される。しばらくして、学の指が止まった。
「……これ」
「何かあった?」
暁が近づく。
「最終参与判断の直前に、別の判断記録がある」
画面には、古い記録番号とともに、短い項目が表示されていた。
《国家要求に対する参与者協議》
「協議?」
颯が尋ねる。
「うん。第0期の七人は、政府から要求を受けたあと、すぐに拒否したわけじゃない。まず協議してる」
茜が画面を見ながら言った。
「当然でしょうね。国家機密に関わる案件なら、七人の中でも意見が分かれたはず」
「その協議記録は?」
「ほとんど残ってない。でも、一つだけ概要がある」
学が表示を切り替える。
そこには、三つの言葉が並んでいた。
《法的妥当性》
《国家的必要性》
《国民への影響》
颯が目を見開く。
「……これ」
「今の私たちの役割にも繋がってる」
学が答える。
「第0期の七人は、この三つを基準にして政府要求を検討したらしい」
暁が静かに画面を見つめる。
「じゃあ、第0期は最初から政府に反対していたわけじゃなかった」
「うん」
「要求された内容を調べて、その必要性を考えて、法的に問題がないか確認して、そのうえで判断した」
「たぶん」
司はそこで、昨日の兵頭の言葉を思い出した。
――彼らが拒否したのは、「国家のためなら真実を隠していい」という考え方だった。
その言葉が、今になって別の意味を持ち始めていた。
第0期の七人は、国家を否定したわけではない。
政府を嫌っていたわけでもない。
ただ、国家の要求という理由だけで、自分たちの判断を決めることを拒否した。
だからこそ、彼らは政府と衝突した。
「……だったら、今の二択もおかしい」
司が言った。
「政府に従うか、独自判断するかじゃない。俺たちはまず、政府の要求が何なのかを調べて、それが本当に必要なのかを判断するべきだ」
「その通り」
颯が頷く。
「制度上も、その方が正しいと思います。独自判断というのは、政府に逆らうための権限じゃありません。国家に参与するために、自分たちで判断する権限です」
茜が腕を組んだ。
「つまり、最初から選択肢が間違っている」
その言葉を聞いた瞬間だった。
端末の画面が変化した。
《判断内容を再確認します》
《現在の参与者は、二つの選択肢のいずれも選択していません》
燈縭が目を細める。
「……反応した」
画面の下に、新たな表示が現れる。
《第0期との判断過程に相違を確認》
《第三の判断――解放条件を一部充足》
「一部?」
穰介が画面を覗き込む。
学が急いで解析する。
「まだ全部じゃない。でも、第三の判断を出すための条件が設定されてる」
「何をすればいい?」
暁が尋ねる。
学は表示された条件を読み上げた。
「『政府要求の内容を確認すること』……『参与者全員による独立協議を行うこと』……それから、『政府要求に対する賛否を目的としない判断理由を提示すること』」
司が息を呑んだ。
「賛成か反対かじゃなくて、理由を示せってことか」
「そうみたい」
「なら、やることは決まったね」
暁が言った。
「まず、政府から与えられた案件そのものを確認する」
七人が画面へ向き直る。
《国家機密関連》
《参与目的:政府方針への協力》
《参与者による独自判断:不要》
先ほどから表示されている内容だった。
だが、学が詳細情報を開いた瞬間、画面の表示が変わった。
《案件詳細》
《対象:特別学生国家参与制度に関する内部資料》
司の表情が変わる。
「……制度そのもの?」
「そう」
学が続ける。
「しかも、ただの内部資料じゃない。『制度運用上の重大な不整合に関する記録』って書いてある」
颯が画面を覗き込む。
「不整合……?」
「具体的な内容は伏せられてる。でも、資料の分類番号がある」
その番号を見た瞬間、七人の顔から血の気が引いた。
それは、これまで追い続けてきたものと同じだった。
最初に教育予算資料の中で発見された、あの不可解な分類番号。
教育。
安全保障。
行政監査。
そして第0期。
別々の分野に存在していたはずの記録を繋いでいた番号が、今度は特別学生国家参与制度そのものの内部資料に付けられている。
「……ここに繋がってたんだ」
学が呟く。
茜はすぐに考えを整理し始めた。
「これまでの調査結果を繋げると、あの番号は特定の政策分野を示しているわけじゃない。複数の行政分野にまたがる、何らかの共通記録を示している可能性が高い」
「つまり、最初に見つけた教育予算の数字のズレも、第0期も、全部同じところへ繋がってる」
司が言う。
「そうなる」
燈縭が答えた。
「そして今度は、私たち自身の制度がその記録の対象になってる」
穰介が椅子から立ち上がった。
「じゃあ、政府は俺たちに何を調べさせようとしてるんだ?」
誰も答えられなかった。
そのとき、端末に新しい通知が表示された。
《第三の判断――解放条件を充足》
《現在の参与者七名による共同判断を要求します》
《以下の問いに回答してください》
画面中央に、一つの問いが現れる。
《国家の要求と、国家にとって必要な判断が一致しない場合、参与者は何を優先するべきか》
七人は画面を見つめた。
それは、単なる制度上の質問ではなかった。
第0期が最後に突きつけられた問い。
そして今、同じ七つの役職を受け継いだ自分たちへ渡された問いだった。
暁が最初に口を開く。
「私は、国家にとって何が必要なのかを判断することが、私たちの責任だと思う」
「俺は、対話を優先したい」
司が続ける。
「政府の要求が正しいか間違ってるかを決める前に、なぜそれを求めているのかを聞く。その理由まで分からないうちは、敵だとは判断しない」
颯は少し考えてから答えた。
「私は、法を優先します。ただし、法に適合しているだけで正しいとは限りません。法に基づいたうえで、その判断が誰にどんな影響を与えるのかまで考える必要があります」
学は端末へ目を向けた。
「私は、事実を確認したい。誰かの主張を信じるんじゃなくて、判断に必要な情報を可能な限り集める。それが情報官としての役割だと思う」
茜は静かに言った。
「私は、被害を最小限にすることを考える。国家の要求に従うことが正解とも、反対することが正解とも限らない。結果として誰が傷つくのかを比較して判断する」
穰介は腕を組みながら、少しだけ考えた。
「俺は、みんなが生きて帰れる選択をする。国家のためって言われても、そのために誰かを犠牲にするのが当たり前なら、俺はそれをそのまま受け入れるつもりはない」
最後に燈縭が答えた。
「私は、疑うよ。政府も、制度も、私たち自身も。誰か一人の判断を正しいと思い込んだ瞬間に、たぶん見えなくなるものがあるから」
七人の言葉が入力される。
画面が静かに処理を始めた。
《参与者七名の判断理由を確認》
《第0期判断との比較を開始》
数秒後、結果が表示された。
《一致率――判定不能》
「……判定不能?」
学が眉をひそめる。
「第0期と同じでもないし、違うとも言い切れないってこと?」
その直後、画面の中央に新たな文字が浮かび上がった。
《第三の判断を解放します》
全員が息を呑んだ。
《第三の判断――》
画面が一度暗くなる。
そして、ゆっくりと一つの選択肢が表示された。
《国家の要求を判断する》
司はその文字を見つめた。
政府に従う。
独自に判断する。
そのどちらでもない。
国家の要求そのものを、自分たちが検証し、判断する。
それこそが、この制度が本来持っていたはずの意味なのかもしれない。
しかし、その下に続いて表示された文章を見た瞬間、司は言葉を失った。
《ただし、この判断を実行した場合、参与者は国家機密に関する最高位情報へのアクセス権を取得します》
さらに、その直後。
《アクセス対象――STATE;0》
七人の視線が交差した。
これまで追ってきた謎が、初めて自分たちの手の届く場所へ現れた。
だが、それと同時に、画面にはもう一つの警告が表示されていた。
《警告》
《STATE;0へのアクセスは、第0期と同一の判断領域へ参与者を移行させます》
司は、その文章を見つめながら拳を握った。
第0期が拒否した理由。
現在の制度が作られた理由。
そして、自分たちが今いる場所。
すべてが一本の線で繋がろうとしている。
そのとき、画面の最下部に、誰も予想していなかった一文が表示された。
《アクセス権限を取得するためには、政府要求への回答を先に確定してください》
第三の判断は解放された。
しかし、それを選ぶためには、まだ一つの決断が必要だった。
第0期が最後に拒否した、その問いに。
今度は、自分たち自身が答えなければならない。
――第11話 完




