第10話「国家参与の選択」
翌朝、帝煌学園にはいつもと変わらない時間が流れていた。
昇降口には登校してきた生徒たちの声が響き、廊下には授業開始を知らせる準備をする生徒たちが行き交っている。窓から差し込む朝の光は昨日までと何も変わらず、教室へ向かう生徒たちの表情にも、国家機密や第0期といった言葉を意識している様子はない。ここにいるほとんどの生徒にとって、帝煌学園は優秀な生徒が集まる国立高校であり、それ以上でもそれ以下でもない。
その当たり前の景色の中を、司は一人で歩いていた。
昨夜、ほとんど眠れなかった。
頭の中に残り続けているのは、資料庫で表示された最後の文字だった。
《現参与者による第0期再現可能性――監視を開始します》
あれが政府による監視なのか、それともSTATE;0という記録システムそのものによる自動的な処理なのか、まだ分かっていない。しかし、どちらであったとしても一つだけ確かなことがある。
自分たちは、すでに「調査する側」だけではなくなっている。
第0期と同じ七つの役職を持ち、第0期と同じ七人という人数で国家に参与している。そのうえで、かつての七人が拒否した判断を、現在の自分たちが再び迫られている。
それが偶然だとは、もう思えなかった。
「司」
背後から声を掛けられ、司が振り返る。
暁が歩いてきていた。その表情は普段と変わらないように見えたが、司には分かった。彼女もまた、昨日のことを考え続けていたのだ。
「おはよう、暁」
「おはよう。昨日のこと、考えてた?」
「ずっと」
司が苦笑すると、暁も小さく息を吐いた。
「私も」
二人はしばらく並んで歩いた。
教室へ向かう途中には、普通の学校生活が広がっている。友人同士で話す声、授業の準備をする音、部活動の予定を確認する生徒たち。国家の仕組みを揺るがしかねない秘密を追っている自分たちも、この場所ではただの高校生として一日を過ごしている。
その二重性が、司には妙に重く感じられた。
「……俺たちが何を調べてるか、みんなは知らないんだよな」
「知らない方がいいこともあると思う」
暁はそう言ってから、少しだけ間を置いた。
「でも、昨日の表示を見て思った。私たちは知らないうちに、大きなものの中へ入っていたのかもしれない」
「第0期の七人も、最初はそうだったのかな」
「分からない。でも、少なくとも最初から国家に反抗するつもりだったとは思えない」
暁の言葉に、司は頷いた。
第0期の記録に残されていたのは、国家の要求を拒否したという事実だけだった。
彼らがなぜ拒否したのか。
何を知ったのか。
その先に何があったのか。
まだ何も分かっていない。
ただ、司は一つだけ気になっていた。
第0期の七人が国家の要求を拒否したのなら、現在の制度はなぜ、その七人と同じ役職を残したのか。
失敗した制度を廃止するのではなく、形を変えて再び学生を選んだ理由は何なのか。
それがどうしても理解できなかった。
委員会室へ入ると、すでに学、茜、穰介、燈縭、颯が集まっていた。
颯は資料を机の上に並べながら、七人分の飲み物を確認している。学は端末を操作し、茜は昨日の記録を読み返していた。穰介は椅子に座ったまま大きく伸びをし、燈縭は窓の外を眺めている。
いつもの光景だった。
だからこそ、司は少しだけ安心した。
「おはよう」
「お、やっと来たか」
穰介が手を上げる。
「昨日のせいで寝不足じゃない?」
「お前もだろ」
「俺はいつでも眠いから問題ない」
「それ、問題あると思いますけど……」
颯が苦笑する。
そのやり取りに、少しだけ空気が戻った。
しかし、学が端末を机へ置いたことで、再び全員の表情が引き締まる。
「調べた」
「何か分かった?」
茜が尋ねる。
学は画面を七人へ向けた。
「昨日の《現参与者による第0期再現可能性》って表示について、システム上の意味を調べた。ただ、STATE;0そのものの内部仕様にはアクセスできない。だから完全な意味までは分からない」
「でも、何かは見つけたんだね」
燈縭が言う。
「うん」
学は画面を切り替えた。
「国家参与制度には、参与者の活動記録を評価する仕組みがある。これは現在の制度でも同じ。政府との交渉、政策への提言、緊急案件への対応、情報の扱い方なんかが記録される」
「評価されてるの?」
穰介が眉を上げる。
「ある意味ではね。でも、成績みたいな単純な評価じゃない。制度の目的に沿って行動したかどうかを記録するものらしい」
颯が資料を覗き込む。
「制度の目的……ですか?」
「そう。そこが重要なんだ」
学が画面を拡大した。
そこには、現在の特別学生国家参与制度に関する基本理念が記されていた。
《学生参与者は、国家機関の補助者ではなく、国家運営に対する独立した参与主体として行動する》
誰もが、その一文を見つめた。
司が静かに言う。
「独立した参与主体……」
「つまり、政府の言うことを聞くために選ばれてるわけじゃない」
学が続ける。
「少なくとも制度上はね」
颯がすぐに反応した。
「それなら、第9話で兵頭さんが話していた第0期の件と矛盾しています」
「そう」
学が頷く。
「第0期の学生たちには、政府から『指定された範囲を超えて調査するな』という要求があった。でも現在の制度理念を見る限り、学生が政府の指示に従うこと自体が目的じゃない」
茜が資料を見ながら考える。
「つまり、第0期の失敗を受けて、現在の制度ではそこを明文化した?」
「たぶん」
「だったら、制度は第0期の問題を解決してるんじゃない?」
穰介が言った。
一瞬、全員が黙った。
確かに、その通りにも思える。
第0期で学生と政府が衝突した。
だから現在の制度では、学生を独立した参与主体として位置づけた。
ならば、第0期の失敗は制度改革によって解決されたことになる。
しかし、燈縭だけは首を傾げていた。
「……本当に?」
「何か引っかかる?」
司が聞く。
「うん」
燈縭は資料を指で軽く叩いた。
「この文章、いつ作られたの?」
学が調べる。
「現制度の成立時期と同じ。正確には、制度再編時に制定されてる」
「じゃあ、第0期の失敗を受けて作られたんだね」
「そう考えるのが自然」
「でも、それなら昨日の《第0期再現可能性》って何?」
燈縭の問いに、学の指が止まった。
「現在の制度が第0期の問題を解決したなら、同じことが起きる可能性を監視する必要なんてないはずだよ」
「……」
「それに、STATE;0は私たちの判断を見てる。第0期と同じ七人、同じ役職。そして昨日の表示では、第0期が『拒否』で、私たちは『未確定』だった」
燈縭は画面を見ながら続けた。
「つまり、このシステムが確認したいのは、私たちが制度を正しく運用できるかどうかじゃない。第0期と同じ状況になったとき、私たちがどう判断するかなんじゃない?」
司の背筋に、冷たいものが走った。
茜も同じことに気づいたようだった。
「……第0期と同じ状況を、現在の参与者に与えるつもり?」
「まだ分からない」
学が答える。
「でも、その可能性はある」
そのとき、委員会室の扉がノックされた。
全員の視線が集まる。
入ってきたのは兵頭だった。
「おはよう」
「おはようございます」
七人がそれぞれ挨拶を返す。
兵頭はいつものように軽い調子で入ってきたが、机の上に広げられた資料を見ると、その足を止めた。
「……もうそこまで調べたか」
「兵頭さん」
司が立ち上がる。
「一つ確認したい」
「何だ?」
「今の制度は、第0期と同じ失敗を繰り返さないために作られたんですよね?」
兵頭は答えなかった。
その沈黙を見て、司は確信した。
「違うんですか?」
「違うとは言ってない」
「でも、全部は答えてない」
「君たちは本当に容赦ないな」
兵頭は苦笑した。
「制度が第0期の反省から作られた。それは事実だ。ただし、第0期の問題を完全に解決したわけじゃない」
「何が残ったんですか?」
暁が尋ねる。
兵頭は七人を見回した。
「国家と参与者の関係だ」
その言葉に、司が眉を動かした。
「第0期の学生たちは、政府の要求を拒否した。それによって制度そのものが大きく揺らいだ。政府側は、学生に広い権限を与えることの危険性を認識した。一方で、学生を単なる政府の指示役にしてしまえば、この制度の存在意義そのものがなくなる」
「だから、独立した参与主体という立場を作った」
颯が言う。
「そうだ」
兵頭は頷く。
「ただし、独立させれば必ず政府と意見が衝突する。その衝突を避けることはできない」
「それなら、この制度は最初から政府と衝突する可能性を抱えているんですね」
「その通り」
兵頭の答えはあまりにもあっさりしていた。
司はしばらく黙っていた。
そして、あることに気づく。
「……だったら、第0期は失敗したんじゃない」
兵頭の目が細くなる。
「どういう意味だ?」
「第0期が政府と違う判断をしたから制度が壊れた。それを『失敗』と呼んでる。でも、今の制度理念を見る限り、政府と違う判断をすること自体は制度違反じゃない。むしろ独立した参与主体として当然のことなんじゃないですか?」
兵頭は答えなかった。
司は続ける。
「だったら、本当に失敗したのは学生じゃなくて、学生と政府が違う判断をしたときに、それを受け止められなかった仕組みの方なんじゃないですか?」
委員会室の空気が静かに変わった。
暁は何も言わず、司を見ている。
颯は資料へ視線を落とし、茜は腕を組んだまま考え込んでいた。学は黙々と司の言葉を記録し、穰介は珍しく冗談を挟まず、燈縭だけが兵頭の表情を観察している。
やがて兵頭が口を開いた。
「……その考え方を、第0期の学生たちも持っていた」
司の表情が変わる。
「彼らは、政府と意見が違うことを問題にしたんじゃない。意見が違ったときに、政府が学生へ『従え』と言ったことを問題にした」
「じゃあ、現在の制度は……」
颯が言葉を止める。
兵頭が続けた。
「同じ問題が起きても、学生が政府と違う判断をできるようにするために作られた」
そこまで聞いたところで、学の端末から通知音が鳴った。
全員が振り向く。
画面には、政府から送信された正式な通知が表示されていた。
《国家参与特別委員会宛》
《特別学生国家参与制度に基づき、緊急参与案件を付与します》
学が内容を開く。
そこには一件の案件が表示されていた。
《案件区分:国家機密関連》
《参与目的:政府方針への協力》
《参与者による独自判断:不要》
その文字を見た瞬間、誰も言葉を失った。
兵頭の表情も変わる。
「……これは」
颯が画面を凝視した。
「『独自判断不要』って……」
「あり得ない」
兵頭が低く言った。
「現在の制度で、そんな条件を付けた参与案件を出すことは――」
その言葉を遮るように、画面が切り替わった。
《STATE;0》
《第0期再現可能性:高》
《比較対象となる参与判断を開始します》
司が息を呑む。
画面の下には、さらに一つの選択肢が表示された。
《政府要求に従う》
《独自判断を行う》
二つの選択肢。
それだけだった。
暁が画面を見つめる。
「……これ、私たちに選ばせてるの?」
燈縭が静かに答える。
「違うよ」
彼女は画面の端に表示された小さな文字を指差した。
そこには、誰も今まで気づかなかった一文が記されていた。
《選択結果は、今後の国家参与制度に反映されます》
司はその文字を見つめた。
第0期の七人が拒否したもの。
現在の七人に与えられた二つの選択肢。
そして、その判断によって「今後の制度」が変わるという表示。
これは単なる案件ではない。
国家が、自分たちの判断を待っている。
いや――。
自分たちに判断させようとしている。
司はゆっくりと顔を上げ、六人を見る。
「……これが、第0期の続きなのか」
誰も答えなかった。
ただ、画面だけが静かに二つの選択肢を表示し続けていた。
そしてその下には、まだ誰にも選ばれていない第三の項目が、薄く表示されていた。
《――第三の判断:未解放》
――第10話 完




