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第六話…… 『またあした』

バリィイイインッ!


………


っ! ……………………


……?


「……結界が、 消えた…… いや、 壊された……」


市内の小学校を目の前にした交差点にて、 赤信号から走り出したセダンの後部座席に座る村宿冬夜(むらやどとうや)は、 距離が近づいた事によりその曖昧な結界の輪郭を徐々に掴み始めていた折、 その結界の消滅反応を感じた……


スゥー…… キィッ、 ガチャッ! ……


小学校の傍にあるバス停の駐車場へと車を停車させたのは運転手で、 冬夜の所属する組織の同期であり、 冬夜よりも少し年上の、 威鳴千早季(いなりちさき)である


彼は首を捻りながらとぼけた様に言った


「えっ? それってどいこと? もしかして…… 終わり? 仕事終わりっ!?」


はぁ……


冬夜は溜息を着くと答えた


「そうですね…… 小学校に発生した隠す結界の対処と被害者が居ればその救助に来た訳ですから、 その結界が破壊されたのならこっちの仕事は終わりですね…… まあ、 何も出来なかった訳ですけど……」


冬夜は少しだけ力無く言う、 そこに威鳴が疑問を口にした……


「……でもさ、 誰が結界を破壊したのさ? それに結界に閉じ込められた子が居るって言ってなかった? 一応確認に行った方が良くない? 調査でさ」


冬夜は首を横に振る


「俺達はアポを取って来た訳じゃありません、 特に小学生が居るこの時間に敷地の中やその周辺を彷徨くのも不審です、 ここに長時間車を停車させるのも良くない最悪通報されます…… 特にこんなあからさまな外装の車だと……」


威鳴の自家用車のセダンは子供騙しの様なメッキ部品を至る所に付け、 社外品パーツで車検ギリギリに加工してある、 中にはジャラジャラと色々付いているし…… 極めつけ、 普段はズンズンと煩いのだが、 流石にそれは切らせた、 何がなんでも……


まあ、 それはともかく……


「……確かに閉じ込められてた子の事は心配ですが、 呪いや穢れが付着している訳では無いなら俺に出来る事は無いし、 強引に外側から破壊された所を見るに、 取り憑かれたという事も無いでしょう、 おそらく、 その儀式ごと吹き飛んでるでしょうから……」


後部座席の冬夜の目が光る……


「……うん、 結界が消えた今でも視えないと言う事は本当に《噂》の妖魔は消滅したんだと思います…… それに、 結界を破壊した者…… いや子には心当たりはありますし……」


多分……


冬夜の脳裏に雪の様に白い髪の少女が浮かぶ、 知り合いの明山家族の次女……


「……それって明山雪ちゃんの事?」


威鳴の言葉に冬夜は頷く、 彼も少女の事は知っている、 しかし、 二人には彼女に対する奇妙な違和感があった……


「……不思議な子だよなぁ、 俺達知り合いだけどさ、 冬夜君も何でしょ? 俺達、 明山家族や、 あの雪ちゃんとどんな関係があったんだろうな、 それが思い出せない……」


ガチャッ、 ブルゥンンッ!! ……


威鳴が再度エンジンを掛けると、 長居は無用とセダンは駐車場を一回りし出ていく、 掃除中と思われる竹箒を持った小学生が数人コチラを見たのに対し、 運転席の威鳴が小さく手を振り来た道を進んでいく、 スモークガラス越しの小学校の景色は、 しかしついさっきよりずっと明るく健全に見えた


冬夜は威鳴の言葉に続ける


「そうですね、 親も明山夫妻とは特に関わり無かったですし、 お姉ちゃんの茜ちゃんは俺より五つも年下、 ギリ小学校は被ってるけど…… って感じです、 勿論まだ小学生の雪ちゃんの事は殆ど知りません……」


にも関わらず……


「初めて会った気がしない…… なんて言ったら変ですけど、 なのにどこで知り合ったのかは、 何だか煙に巻かれた様に不明瞭です…… これは確実な異常の様な気もするし、 これが普通の様な気もする…… もうよく分かりません」


それと……


「雪ちゃんの身に宿す力のレベルは、 本人が無意識的でその殆どを知覚して居ない状況に比べて、 全く比例しない程に強く異質です、 俺の叔父さんですらチラッと彼女を見て顔を引き攣らせてました……」


プロの霊媒師として評価される叔父が、 まるで大社に納められた神器の様だと彼女を評価した時は、 流石の冬夜も眉を顰めた……


「……そこに居るだけで妖魔を祓う程の神聖か、 小学生の女の子を評価するのには随分不釣り合いだな~」


何処か気の抜けた様な威鳴の言葉に、 ルームミラー越しに冬夜はうなづいた


「……甘樹街の惨劇や、 頻発する妖魔被害、 彼女も惨劇を体験した子です、 そう言った物、 これから世界が向かっていく方向の、 何処までも変わった道程を象徴する様な、 特異点…… 彼女もまた惨劇の大きな被害者かもしれない」


やっぱり……


「一度ちゃんと話をしてみるべきかもしれないですね、 コチラに巻き込みたくないと思って居たけど、 あんな力があれば逆に妖魔の方が放って置かないでしょう、 抵抗する力を身につけなくては、 俺達は奴らに一方的にやられてしまうばかりですからね」



「そだね、 その時は俺に任せないさい、 俺、 子供の相手は得意なんだよね~」


…… はぁ


威鳴の言葉に冬夜は溜息を着く


「それって仕事をサボりたいだけじゃないですよね? この後だって真っ直ぐ事務所に帰って下さいねっ」


ぇっ!?


「ええっ! ちょっ、 昼休憩は!? 昼寝五分しかしてないんだけどっ!? ねぇっ、 まだ土飼さんに連絡入れてないんでしょ? どっかで休もうよ~」



「ダメです、 今から連絡するので直帰して下さい、 土飼さんが気を利かせて休憩時間をくれない限り昼休みは無しです、 いいですね?」


ええええええっ!!


「……真面目だなぁ、 お兄さん、 土飼さんが気を利かせてくれるとはとても思えないよぉ~」


ぶぅん……


「あっ、 ちょっと、 あからさまにアクセル抜かないで下さいっ、 三十キロっ、 トロトロ運転で帰って少しでも就業時間に食いつこうとしないで下さい!」



「やだ、 これ最後の抵抗だから……」


……そうして、 過急に妖魔退治へと出動した村宿冬夜は、 運転手、 威鳴千早季の最後の抵抗のトロトロ運転に静かに腹を立てながら何処かスッキリとしない気持ちをぶら下げて仕事へと戻る……


……因みに、 威鳴の抵抗によりふたりは午後の仕事を十三分削る事になったが、 後に冬夜の暴露により威鳴のサボり癖が露呈し、 その後カミナリが堕ちることになった………


「っ、 冬夜君酷いよぉ~」


ドガァアアアンッ!!! ………………


……………



………………………………………………………



………………………



……


「……うん、 それで、 学校から連絡が来てね、 愛美ちゃん迎えに行って、 うん、 その後お医者さんに連れていったんだけど、 体に特に異常は無くてね、 多分軽度の熱中症だったんじゃないかって、明日は問題なく学校行けると思う」


……………………


………カチッ ……カチッ ……カチッ


僅かに開けた瞳、 そのぼんやりとした視界で壁がけのパステルグリーン調の掛け時計に目を向けると、 午後二時過ぎを針が示している、 学校では五時間目の授業を皆受けている所だろうと思う……


………はぁ ……


今日何度目かの溜息を着く、 藤里愛美(ふじさとあみ)はそんな時間に家で自分の部屋の天井を見上げていた、 電話の着信音と共に部屋を出た母の声量を抑えた様な声が部屋の外から僅かに聞こえる、 きっと電話の相手は父だろう、 そうして暫くすると声は止み、 再び部屋の扉が開く……


ガチャッ……


こちらに歩いてくる母に問う……


「……お父さん、 心配してた?」



「そりゃね、 緊急連絡先の第一候補はお父さんになってるから、 お父さんから電話来た時は血相を変えた声だったけど…… でも大丈夫だって伝えたら安心したみたいだったわ」


すたっ……


母がベッドの縁に腰掛け、 不意に手を伸ばすと愛美の頭を撫でた……


「……私も心配した、 お医者さんが、 熱中症は寝不足も起因した原因のひとつかもって言ってたから、 愛美ちゃん昨日あんまり眠れなかったんでしょ? ……私も無理させずに休ませたら良かったね、 ごめんね……」


降りかかる母の声には何処か影が指していた、 それがただ申し訳無かった、 少しでも安心させるには今は母が言う通りに少しでも休む他無い……


「……うん、 お母さんごめん…… 眠くなってきたから私寝てるね」


母の手が名残惜しい様に離れるとベッドから立ち上がった


「うん、 今はゆっくり休んで、 そうだ、 夕飯何が良い? お母さん買い物に行くけど欲しい物ある?」



「……ううん、 あぁ…… ハンバーグが良い」


母は頷くと小さく手を振って部屋を後にする……


……ガチャンッ …………


………………


後ろ手にしまった扉、 再び部屋が静まり返る、 ベッドの中で目を閉じた愛美は母が階段を降りていく音を遠目に聴きながら、 呼吸を整える……


微睡みの中…………………


………………


ぱちっ


「……だめ、 眠れる気がしない…… はぁ、 熱中症か……」


……熱中症 ……


そんな訳が無い………………


ただの熱中症な訳が無い……………


今でもはっきりと思い出せる、 果ての無い薄暗い全く知らない竹林、 血の着いた刀を構える落ち武者、 ひとりでに転がる石ころと、 サンバでも踊るように意志を持って揺れ動く竹、 奇妙に語り掛ける声、 古い小屋の中で妙に迫って感じた……


金縛り……


っ、 はぁ……………


正直とても疲れている、 散々走り回ってかいた汗も、 身体中汚した土汚れも…… 今ではまるで無かった様に…… あれは暑さに酩酊した視界が瞼の裏に見せた幻覚……


いいや、 そんな事はまるで否定の材料にはならない、 昨晩から続いた酷い金縛り、 そしてお昼休みの竹林での出来事、 これらはただの幻覚とか妄想とかそんなものじゃない……


あの鬼気迫る、 身の縮み上がるような恐怖、 死の恐怖…………


……溜息が零れるのは単純に、 その恐怖が今でも確かに残っていて、 体が疲れていて眠れば楽だと分かっていても、 心の奥底で眠る事を怖がっている故だ……


だが、 同時に、 今は昨晩や今朝方から密かに感じていた重苦しさが無い、 疲れこそあるが、 あれは倦怠感とは別のもっと違う重力が体に掛かっていて、 竹林での最中、 それは正にピークを迎えていた所だが、 今、 やはりそれは影も形も感じない


まるで吹き飛んで消えた様に…………


そう………


………


『……ふふっ、 愛美ちゃんみ~つけたっ!』


……


あの、 雪の様な少女、 明山雪の、 新雪に反射する目が痛い程の眩さが、 私を照らした時、 闇の中に潜む暗い物が、 召される様に消えていくのを確かに感じた……


大袈裟かも知れないが、 憔悴しきった私の心は、 あの瞬間、 彼女の笑顔に強く胸を脈打って、 惹かれた、 こんな事を言うのは変だが、 これはときめきに近いんだと思った……


……あの後、 血相を変えた担任の先生と、 隣クラスの彼女の担任もとんできて、 私は担任の先生に救護されて保健室へ、 彼女はきっと、 安堵した教師に叱られていたのを遠目で見送った……


………


ぁぁ…………


去り際、 未だ開ききらない視界で少しだけ振り返った時、 腕を組んだ男性教師の目を盗んで、 こちらに気が付いた彼女は小さく手を振って、 口をぱくぱくと開いた


『またあした』


多分、 そう言った………


うん……


なんだろう、 すごく、 胸が高鳴る、 初めこそ、 ただ自動会長として、 義務感の様な曖昧な気持ちで決意した彼女への接触は、 でも今は違う、 もっと、 もっと……


それこそ、 明日が楽しみで眠れない様な…………


「……ふふっ、 もっと、 話したいな、 ちゃんと、 友達になりたいな…… 明山、 雪ちゃん……」


…………


不思議と、 彼女の事を想った時、 あの眩さが自分を守護するみたく、 意志とは反対に勝手に落ちた瞼は、 素直に受け入れる様に、 期待に膨らむ心に、 体は少しでも応える様に……


すぅ…… すぅ………


愛美は、 カーテン越しの柔らかい午後の薄日を浴びて、 規則正しい寝息を立て、 気が付けば意識は、 眠りに着いていた………………


……………………………………………



……………………………



……


はぁ……


今日何度目かの溜息が零れる……


「また溜息、 大丈夫、 やっちゃん?」


下校時間、 放課後は子供達にとって大切な時間、 はしゃぎ、 走って自分達を抜かしていく男子の背を見送る、 談笑しながら笑うグループをも男子達は抜かしていく……


しかし、 ここに歩く二人にはそんな笑顔が無かった、 それはいつもの三人組が、 今日の下校ばかりは一人欠けてしまって居るからだろうか……


溜息を着いた少女、 新椥八依(にいなぎやちよ)は曖昧な作り笑を作ると首を横に振った


「ぁ…… ごめんね、 景子ちゃん…… でも、 愛美ちゃんが心配で……」


八依の言葉に隣の、 佐々木景子(ささきけいこ)も深く頷いた……


「まあ、 そだよね、 私も愛美ちゃんが熱中症で倒れたって聞いて、 本当に焦ったよ、 勢いよく教室を飛び出して行くと思ったら、 まさか外で男子と混ざって遊ぶなんて…… 珍しい事もあったものだね~」


語尾を務めて弾ませた様な景子の声、 多分感じてる事は同じだ、 私達は何時もの三人組だ、 何時だって三人で、 どこにでも、 なんとでも戦える、 この二人と居れば、 どんな状況でも乗り越えられる……


そんな、 様な、 漠然とした全能感と言うか、 このまま三人仲良く何時までも居たいと言う純粋な願望、 未来に向かう、 煌びやかな青春の煌めき色……


に、 混じる、 墨を落とした様な不安色、 薄く滲むこの気持ちは、 自分の内側からこんこんと湧いて出来(いでく)る


……これは、 本の少しの、 焦りに焦がれる、 嫉妬心………


………


「………多分……」


?


小さく声に出た呟きに景子は首を傾げる………


そう……


「愛美ちゃん、 多分、 明山雪ちゃんと話をする為に昼休みに外に行ったんだと思う、 明山雪ちゃんはうちのクラスの男子ともよく遊ぶでしょ?」


あー………


「……確かにそうかも、 そう言えば今日も、 田中達が愛美ちゃんの事、 言いに来てた、 居なくなった! って、 もうっ! 居なくなる訳無いじゃんっ! ちゃんと最後まで責任持って探せって感じだよねっ! もうっ」


景子が拳を握って怒る様に苦笑いを浮かべつつも、 ほんの少しだけ同じ事を八依も思った……


……それにしても


景子が続ける


「……つまり、 愛美ちゃんは、 雪ちゃんと話が出来たって事? 出来たのなら良かった…… いや良くないか、 だいたい私達三人で行こうって約束してたのに、 どうしてあの子は一人で行っちゃうかな~ 終いには熱中症になってるしっ、 はぁ……」


思わずと言った感じに景子から溜息が零れた、 自分の思っても言葉に出来ない小さな声を、 堂々と代弁してくれる景子に八依は口角をあげるが、 だからこそ言えなかった……


お昼休み、 昇降口、 下駄箱から自分のスニーカーを取り出した愛美は、 偶然通りかかった八依に、 あからさまに外へ出向く理由を誤魔化した様に見えた、 愛美のそれは八依にとってとても分かりやすく、 分かりやすいからこそ、 本当は寂しかった……


…………


「そう言えばさ、 やっちゃんはいつ戻ってきてたの? ほら、 帰ってこない愛美ちゃんを探して見るって教室飛び出してったじゃん? 私帰って来てないと思って先生に言っちゃってさ」


そう、 しかし見つかったのは愛美と雪だけ、 八依は居らず教師は焦った様だが、 その後しれっと自分の掃除当番の場所で掃除をしていたと教師に言われ、 景子は思わず教師に頭を下げた、 思い違いで大変焦らせてしまったと思ったからだ……


…………


八依は少し沈黙したが、 こちらを見た景子に平坦な声で答えた


「……ごめん、 教室に戻って無いの、 チャイムの音に焦ってね、 そのまま直行しちゃった、 ほら、 私の掃除場所、 今は外掃除だから……」


あぁ………


景子は納得した様に頷く、 確かに、 何も一度教室に戻る必要は無いのだ……


「戻れば良かったよね、 心配かけてごめんね、 景子ちゃん……」



「あっ、 いいのいいの、 全然、 私も一緒に行けなくてごめんね、 二人で行ってれば…… まあ本当にそれはいいの」


それで……


「でもやっちゃん愛美ちゃんは見つけられ無かったんだよね? 竹林の方は行かなかったか」


…………


「……うん、 竹林の方には行かなかった、 私薄暗い所、 苦手なの……」



「ああ、 わかるわかる、 あの竹林なんか暗くて怖いよねっ…… っと」


景子はそう区切ると立ち止まった、 景子の見た目のオシャレな家が立ち並ぶ比較的新しい区画住宅地が見える、 景子が手を振った


「じゃあまたねやっちゃんっ、 プリントお願いね、 愛美ちゃんに会えたらよろしく言っといてね~」


景子が手を振る、 今日の五、 六時間目に出た宿題のプリントは八依が届ける事になっている、 八依は手を振ると景子の背中を見送った……


……………………………………



……………


ピンポ~ン……


……ガチャ


「あら、 八依ちゃん、 こんにちは、 愛美に宿題のプリント、 持ってきてくれたの?」



「ぁっ、 はい、 こんにちは、 はい、 こっ、 これ、 愛美ちゃんに、 渡して下さい………」


愛美の母は見かける度に何時も笑顔の人だと思う、 いつもにこにこと笑っていて、 そんな彼女にすら、 自分は緊張して上手く喋れないのが嫌になる程……


「ありがとうね、 愛美に渡しとくわ、 ちょっと今は疲れて眠ってるみたいだから…… ふふっ、 可愛い寝顔してたわ、 スマホで写真撮っちゃった、 見る?」


……ふっ


「……愛美ちゃん、 怒るんじゃないですか?」



「多分ものすっごいプリプリ怒るかも、 心配させてくれたお返しよ」


カタカタ……


愛美の母がポケットから取り出したスマホで一枚画像を開くとこちらに見せた…… 本当だ、 いつもしっかりしてる彼女からは想像も出来ない程ふにゃっとした顔をしている、 こんな顔もするのか、 確かに可愛い寝顔だ……


「……八依ちゃん、 愛美と仲良くしてくれてありがとね、 あの子、 今日みたいに無理する時あるから、 これからも見ててくれる?」


愛美の母はそう切り出す、 それは勿論、 愛美がそれを望む限り、 ずっと、 ずっと、 隣に居たいと、 こちらが強く願う程には……


……うん


「……はい、 私達は、 友達、 ですから」



「ふふっ、 そっか、 お願いね…… じゃあ、 ありがとうね、 またね」


手を振る愛美の母に軽くお辞儀をして歩き出す、 庭を出て、 今度こそ自分の家へと向かい歩く………


……………………



…………


……歩き出して本の五、 六分程の距離で帰り着く、 ここは父が若くしてローン組み、 これからの未来を描いたマイホーム…… では無い


母方の祖母が暮らす古い平屋住宅だ、 父の念願のマイホームは、 多分、 もう無い……


金木犀の香りがする祖母の庭は丁度、 黄色の小さな花があちらこちらに迎えてくれる、 自分はこの場所が好きだが、 自分の居るべき場所はここじゃないと、 そんな事を思う……


帰りたいと思っても帰る場所は無い……


……あの日、 もうすぐ三ヶ月が経とうとする、 『甘樹街の惨劇』と呼ばれた恐ろしい災害、 自分の生家、 父のマイホームは正に甘樹街の中心部から程離れた住宅街にあった


あれは五月の連休、 その日はなんにも変わらない当たり前の日々、 そんな一日の始まりだった、 難しい討論番組や、 執拗い程の通販番組の耳に残る電話番号の語呂合わせ、 視界の端に母が洗濯物を広げる姿が見えた……


……父はその日も仕事だった、 普通の人とはまた違う生活リズムで、 土日こそ仕事の人だったし、 平日の中日は自分よりも起きるのが遅かった、 父の職場は街の外だ


……あれは何時頃の事だっただろう、 あの騒動の始まりはなんだったのだろう、 それはきっと人それぞれに違うのだろうが、 自分は、 開いた宿題の文字が、 日中少し熱を持ちだした日差しと春眠に、 心地よく微睡んでは霞んで見えた頃……


その瞼を、 叩いて開く程の、 痛烈な、 衝突音……


……ッ!


ガシャアアアンッ!! …………………


……………


っ


見開いた目と、 強ばる体、 レースのカーテンから外を見てもこの部屋からでは方向が違うのか何も分からなかったが、 すぐ後に焦った様な階段を踏み抜く足音が聞こえて、 現れたのは母だった


『……八依ちゃんっ、 早くっ、 逃げるわよっ!!』


?


逃げるとは? 何故そんなにも焦ってるのか? 何か起きたのか? 今の衝突音は? 何、 なんだ………


この…………


ッ


ウギャアアアアアアアアアッ!!!! ……………


っ!?


この、 唸り声は………


っ


パシッ!


『……っ、 早くっ!!』


母が手を引いた、 何も持ち出す事は出来なかった、 着の身着のまま、 訳も分からぬまま、 ただ母の普段よりずっと、 気遣う優しさが感じれない程の力でぐいぐいと引かれ、 滑り落ちる様に階段を降りると、 スニーカーを履いて外に出た……


第一印象は匂いだった、 煙臭い様な、 鉄臭い様な、 何だか嗅ぎなれない匂いが辺りに漂っている、 狭い砂利庭は空でミニバンは勿論父が仕事に使っている


母は躊躇う事なく手を引いて走り出す、 よく見ればまだエプロンを付けたままで、 母の腰でいつも通り、 母の癖の斜め向きを向いた蝶々結びが揺れている


パシャリッ、 昨晩振った雨が作る水溜りを踏み抜くと、 揺れた湖面にぼやけた自分の姿が映る、 と同時に、 水鏡は、 頭上、 空を何か大きな影が通り過ぎたソレを映す……


バサンッ!


っ!?


『……ひぃっ!?』


母から音にならない声が漏れて足が止まる、 大きな羽音にそちらを見れば…… 見た事も無い程、 家の屋根と同じぐらいの大きさの巨大な鳥がコチラを睨み見下ろして居た


ベチャッ……


鳥が口から吐き出したのは、 生臭い、 骨の覗く人の腕、 そこから零れた血が、 水溜まりにぼんやり溶けていく……


……小さいながら、 何も分からないながら、 一つだけ思った事、 いや理解出来た事は…… 今自分はここで、 この化け物に殺されるのだと、 言う事だけ……


…………


ッ


グギャアアアアアアアアアアアッ!!!!


ッ、 ドガァアアアアンッ!!!


!!


っ!?


……と思ったその時、 不意に地面が弾けて、 飛び上がったのは鳥よりも更に大きな蜥蜴の様な巨大獣、 家の影に潜んで居たのか、 大口を開けて反応の遅れた鳥を捉えると、 そのまま叩きつけた


ッ


バゴジャァアアアアアンッ!!!


ゴォオォンッ! …………


土煙、 見慣れた住宅街、 知り尽くした自分の帰る、 家族の帰るあの場所は、 経ったの一間で、 化け物の腹の下で、 瓦礫と化した……


グッ!


『……走ってっ!!』


思い出した様なヒステリックに響く母の声に腕を引かれて、 そこからは何を考えるでも無く走り出した、 蒸した様な温い空気に、 街は既に悲鳴と血腥さで満ち満ちていた


……多分、 生きて逃げ切れたのは、 災害用の甘樹シェルターを起点に再開発された区画に住んで居たからだ、 きっと、 税金の無駄だと散々政治家を叩いた大人達も、 この時ばかりは手を合わせて感謝したろう


金が掛かっただけある地下シェルターは、 確かに化け物共の毒牙から人々を守る強度を持ち、 多くの悲しみと死を生み出した惨劇の中で、 それでも人間の『備える』と言う未来への投資、 その強さが、 正にその時火を吹いて、 勝ち抜いた戦績


今、 自分がここにこうして、 生きて居る、 それが、 永遠に続く人の歴史の中の、 血にまみれて築かれた、 この今と言う瞬間の、 勝利の証明となっている……………


………


ガチャッ ………


……金木犀の庭園、 あの花の包む様な秋の頃を思わせる香りから、 ドアノブを捻って祖父母の家に入れば、 途端に、 形容し難い…… 生家や、 学校等とは違う、 不思議な…… 木の匂いか、 湿気やカビの匂いか、 それともお線香の匂いか、 漬物の匂いか……


そんな匂いが混じった、 そう、 言うなれば祖父母の家の匂いに変わる、 嫌いな匂いでは無い、 寧ろ温かさがあって、 冬は石油ストーブの独特な匂いも混じって落ち着く、 素直に……


でも、 心は何処か浮つく、 リラックスする事は無い、 母方の祖父母の家は、 自分の家からも近く、 何かと顔を出す事は多かった、 特に盆や正月、 普通の家のしきたりは分からないが、 我が家では母方の祖父母の家に顔を出す


父の実家は遠く、 父方の祖母は既に亡くなり、 父方の祖父は施設に入っていて、 他に兄弟は居ない、 親戚という親戚が集まる事も無いから、 以前一度、 父に着いてお墓に手を合わせに行ったきりだ、 家も住む人を無くした途端、 魂が抜けた様に朽ち始めた、 それをどうするかと、 父と母が夜更けに話し合って居るのを見た事があった……


まあ何にせよ、 そんな理由から、 特にこの、 母方の祖父母の家は、 何処か特別な日に来る場所と言う気持ちがあった、 豪勢な料理が並んだり、 すき焼きを食べたり、 普段は父母とはしない温度帯の、 当たり前の日常を、 祖父母に報告する、 何処か、 夢の様な場所……


……でも、 今、 自分はここに居る、 勿論ベッドは無く畳に敷布団、 お気に入りのぬいぐるみも無く、 使い慣れた水道や、 シャワーから出る水の量すら違う、 自分は今、 特別の中に息をする、 もうずっと、 当たり前の日常の中に自分は居ない……


………ガラッ


「おば…… 橙子(とうこ)さん、 ただいま」



「あら、 八依ちゃん、 おかえり、 それより今おばあちゃんって言おうとしたでしょ?」


っ……


曇ガラスの引き戸を開けると、 おかってに立つ祖母が大きな瓶に黄緑の梅をおたまで掬って混ぜている、 あれは梅ジュース様だ、 梅干しの方は混ぜなくても良いと前に言っていた、 砂糖を満遍なく溶かす為にジュース作りは良く混ぜる、 あれは最近祖母が自分の為に漬けてくれている梅シロップだ


祖母は『おばあちゃん』呼びを嫌う、 年は年だが女性らしい人だと思う、 肌のケアや化粧は欠かさないし、 服だって何処かオシャレだ、 肌年齢も実年齢より若いそう、 腰だって曲がってない……


以前までは年に数度会う程度だったので、 『おばあちゃん』呼びを我慢していた様だが、 この家で暮らすならせっかくだから名前で呼んでくれと言われて、 橙子さんと呼んでいる、 私はそれに対して最初困惑したが、 それでも相変わらず面白い人だと思った……


「お母さんにも挨拶してくるね」



「ええ、 お願いね」


……踵を返して歩き出す、 以前はこの家の奥の方まで来る事は無かった、 基本的に居間で過ごし、 御手洗やキッチンは行くがその程度、 寝室や、 客室には先ず行かなかった


ズザッ……


客室の襖を引く、 ここは今自分達の寝室だ、 両親と自分、 三人が眠る部屋、 昔母が使っていた部屋は都合よく物置にされたらしく、 空いている調度良い部屋は客室しか無かった


……客間の中は障子が閉じられ薄暗かった、 湿気のせいか停滞した様な温さが顔に張り付いて来るようだが、 一転して足元は死んだ様に冷たい空気が這っていた……


母は、 薄暗い客間で、 閉じられた障子越しに外を向いていた、 何が見える訳では無い、 日の染みる和紙の模様を目で追うかのように、 一日中寝巻きで、 ああして布団の上に座っている……


…………


「……お母さん ……ねぇ、 お母さん………」


反応が無い、 耳が聞こえない訳じゃない、 自分の世界に入り込んでしまって居るのだ、 こうなってしまってはなかなかコチラには気が付かない……


ザッ……


畳を踏む、 驚かせない様になるべく足音を立てずに母に近ずく、 直ぐ後ろに立っても、 母はこちらを向かなかった……


っ……


「ね、 ねぇ、 お母さん、 ただいま………」


そう言って母に伸ばした手、 その手が母に触れる時、 不意に母は痙攣を起こす様に震えると、 勢いよくコチラを向いた


バッ!


っ……


血走った目に睨みあげられ、 萎縮した八依を、 母は伸ばされた腕を取るどころか、 その手を弾く……


バンッ! ……


「っ、 きゃあああっ!! 近付かないでっ、 殺人鬼っ!!」


……母が体を蹲めて叫ぶ、 痛々しい程の声に八依は思わず泣きそうになった……


…………


……『甘樹街の惨劇』、 あれで、 母は壊れた……


苦しいシェルターでの避難生活は、 何時弾けてもおかしくない程、 大きな音に怯え、 誰もが震え、 失った人、 遺された人、 誰もが苦しみに藻掻いていた……


そんな中でも、 母は何時だって自分の前では気丈に見えた、 不安な時は笑って見せて、 どんなときも、 八依の事だけ考えて居てくれた……


……でも、 母が丈夫な訳では無いと分かっていた、 父は居なかった、 二人とも決して口にはしなかったけど、 一人会社へと行っていた父はどれだけ待ってもシェルターへ自分達を迎えに来てくれる事はなかった


あんな化け物を見たのだ、 心の奥底で、 シェルターに居ない人がどうなったのか、 勝手に決めつけて居たような気がする……


たった二人の母娘、 母の肩にはどれだけの重しが乗っただろう、 手洗いにと立ち上がった母は何時だって目の下を赤くして帰って来たし、 眠る時は何時だって私を抱き締めて寝ていたが、 安心する私とは反対に、 母はもう私以外に縋る物が無いように、 何時だって震えていた……


……あの膨張した緊張が弾けたのは、 どんな時だったろう、 日の光が差さないこの地下シェルターと言う巨大な影の中に、 良くない噂が立ち込めた……


誰もがピリピリとしていた、 ただでさえ不安定な避難生活は、 最悪な物に代わり、 手を取り合う事で乗り越える筈の避難者は、 誰もが睨み牽制し合っていた様に思う………


……でも、 私達が決定的に変わったのは、 ある晩の事…………


……ジジッ!!! ………


………でも、 思い出そうとすると、 ノイズが走った様に忘れてしまう…………


………………


「……お母さん、 私だよ、 八依、 ただいま、 帰ってきたよ、 驚かせてごめんね……」


……ピタッ ……


母の震えが止まる、 申し訳ないとすら思う、 これは何時もの事だ、 でも、 これをしないと、 母は一向にコチラに気が付かない……


顔を上げた母は泣いていた、 八依は母に近ずく、 すると今度は、 母は逆に引っ張るように八依を抱き寄せた


「……八依 ……ちゃん、 よ、 良かった、 帰ってきたっ………」



「……うん、 ただいま」


しばらくそうして鼻を啜って居た母が、 不意に声を捻る、 少し、 暗い声だった………


「………八依ちゃん、 ねぇ八依ちゃん…… 驚かせ無いでよっ、 前にも言ったよね? 話しかける時はっ、 合図してよっ、 それともっ…… 態と、 お母さんを驚かせようとしたのっ…… ねぇ、 八依ちゃん……」


…………


「……ごめん、 ごめんなさい…… でも、 呼んだ、 外から呼んだよっ………」


………………


すっ……


母が八依を離す、 そうしてまた、 障子の模様を追いかけ始めた……


「…………今度はもっと大きい声で呼んでね、 聞こえないから………」



「……ごめんなさい」


母が停止する様にまた反応が無くなる、 八依は逃げる様に立ち上がると、 客間を出る、 でも、 何時も、 八依が去る時、 耳に小さく、 聞こえるかどうかの声で、 消え入る様に聞こえる、 八依の最も聞きたくない言葉……………


…………


「……………………八依ちゃん、 お母さんダメで、 ごめんね………………」


っ………


大好きな母が、 自分自身を貶めるこの言葉が、 八依は最も、 大嫌いだった…………………


…………………………………



………


夜、 母が寝静まり帰ってから父は帰宅した、 母が、 父を見ると攻撃的になって、 言葉を突き立てるからだ……


父は、 父もまた痛々しい程に憔悴していた、 父は何時も、 自分の事を一家の大黒柱だとか、 何があっても家族を守ると言っていた、 私は頼もしいと素直に思ったし、 母も鬱陶しそうにしながら、 何時もその口角は上がっていた……


……父は、 最も大切な時に、 母と私を守れなかった……


『甘樹街の惨劇』は未だ不可解な事ばかりの奇妙な騒動だ、 その最も代表的なのが、 被害地域の外に居た人達、 渦中の外に暮らす人達は、 その最中、 全く甘樹街を含む、 被害地域の事を誰も忘れた様だった事だ


誰かが、 惨劇の最中、 まるで、 街その物が、 所謂神隠しに合った様に、 誰もの頭の中から消えて無くなって居たのではと言った、 変なメガネを掛けた討論家だったが、 この時ばかりは鼻で笑われる程間違っては居ないと思った……


父は、 二人が渦中に苦しむ中、 帰るべきマイホームも、 二人の家族の事も、 何もかも全く忘れて、 不自然に、 不自然を不思議とも思わず、 会社やホテルで寝泊まりして過ごしていた……


……そんな終わりは不意に、 訪れた、 あまり覚えて居ないのだが、 誰かが言った、 救助が来たと、 物資が届いたり、 あれだけ鎮まり帰った静寂の街に、 サイレンやヘリのけたたましい喧騒が轟いた……


憔悴仕切った薄汚れた二人を、 綺麗に整えた父が目撃した時、 父は何を思ったのだろう、 そうしてこの祖父母の家へ転がり込んだ三人だったが、 父は何時だって自分の無力さに頭を抱えていた


以前母が、 父の事を酷く罵倒した時、 父が一言も言い返せなかったのを思い出す、 下を向いて自分の影に目を落とすしか無かった父の背中はあんまりにも小さく見えた……


それからと言う物、 夫婦は完全に、 接触を禁じる状況に成っている、 母があれだ、 せめて自分は父に角が無いように務めて普通に接するが、 父も何かに付けて力なく謝罪する事が増えた……


…………


「……八依ちゃん、 洗い物手伝ってくれてありがとうね、 こっちはもう良いから、 お風呂に入って早めに寝なさい」


この異常の中で、 最も心を許せるのがいつしか特別しか無くなっていた、 父母の前で言葉を、 心を抑える八依にとって、 祖父母は数少ないこの家での安心だ………


「うん、 分かった……」


……それでも、 言えない事は多い、 それらを今はただ抱える、 お風呂で肩までお湯に浸かっても、 決して、 心の冷えまでは消えなかった…………


…………


音を殺して客間に入ると、 母を起こさない様に直ぐさま自分の布団へ入った、 溜息ばかりが出そうな中で、 暗闇ばかりの心中が、 それでも、 足元が確かに見えるのは、 躓かず、 歩き出す事すら怯えてしまわないのは……


目を閉じれば、 思い浮かぶのは………


(……愛美ちゃん)


藤里愛美は、 新椥八依にとっての光だったからだ、 彼女が独りの自分に話し掛けたのは、 彼女が自動会長だったからだけでは無い、 愛美は、 この周囲に角が立ち、 息をするだけで触れ、 ささくれだっては削られる様な苦しみの中にようやく見つけた、 角の無い人だ……


彼女に触れても痛くない、 寧ろ彼女の優しや、 強さは、 自然と涙が滲んで止まらない程に温かかった……


何時も、 眠る前には愛美の事を考える、 今日はどんな反応をしただろう、 どんな会話の中で、 どんなやり取りの中で、 どんな反応を見せただろう、 朝から順に振り返って行けば……………


………


『……あはは、 違うよ、 本当に大丈夫だから、 じゃあ私もう行くね』


……………


グッ! ……


思わず布団の中で拳を握った、 お昼休みに下駄箱で話した愛美は、 頑なに本心を隠した、 彼女の嘘は分かりやす、 最も分かりやすい角だった、 息が詰まる程に、 喉元に迫った刃の様に………


………ひっ ……


苦しさが息を止める、 体温が奪われて行くようだ、 あれは、 拒絶だったのでは無いかと思わずには居られない、 愛美に拒絶される、 それだけはどうしても耐えられない……


どうして…………


(……どうして、 愛美ちゃんは一人で、 あの子に会いに行っちゃったの、 どうして分かりやすい嘘で誤魔化したの、 どうして………)


……竹林で、 石碑に凭れる愛美を見つけた時、 自分は勿論直ぐに駆け寄ろうとした、 景子に語ったのは嘘だ、 自分は導かれる様に竹林に趣き、 惹かれ合う運命の様に眠り姫を見つけた……


だが、 あの時自分は息を飲んだ、 何かは分からない、 分からない言いようの無い恐怖を感じて茂みに身を隠した、 ジャワ ジャワ…… 落ちた竹の葉を踏み付けて向かって来たのは、 あの白い髪の、 明山雪……


そもそも、 どうして愛美はあの子に興味を持って話かけようなんて言い出したのだろう、 あの子が語った言い分すら、 誤魔化しばかりだった、 愛美はあの子の事になると、 八依に角ばかりを向けた、 もう愛美に付けられた心傷で、 息が泊まる程に苦しいっ


……


ダメだ、 ダメだよ……………


(……ダメだよ愛美ちゃんっ、 あの子と、 あの子と仲良くしちゃダメだ、 あの子にあれ以上接触しちゃダメだ)


もしも、 また……


竹林で、 愛美に何やら話し掛けた明山雪、 薄目で明山雪を見た愛美の目は……


恋に焦がれる様な目をしていた…………


……許せない、 あの目は知らない、 彼女は、 あんな目はしないの、 あれは、 明山雪が、 藤里愛美に掛けた、 魔法(のろい)………


…………


はぁ…… はぁ……


っ……


内側から身を焼く様な熱に、 荒い息のまま気が付けば閉じていた瞳、 闇に意識が溶けて行くと同時に……


………音が聞こえる ……


……


ガァアアンッ! ……… ガァアアアンッ! ………


……それは最初、 心臓の鼓動と同じ感覚で聞こえては、 まるで吸い込まれる様に意識が引きずり込まれる、 それでも眠れるのなら楽なのだが………


カァアアンッ…… カァンッ…… カツンッ…… カツンッ……


この時はそうではなかった、 音が変わる、 まるで足音だ、 足音が廊下を一歩ずつ歩き色の剥げた様なフローリングを叩く、 それは、 父のか、 それとも祖父母のか……


いや、 どちらも違う、 違う何者かの足音が一歩ずつ、 確実にこの客間を目指して歩いている、 漠然と思う、 足音の正体が、 ここに入ってきてはならない、 入ってきて、 もし、 万が一ソレに触れられようものなら……


自分は死ぬ…………………


っ


あの時、 あの避難の日、 見下ろした、 化け物を見た時に感じた、 冷たい気配が、 首筋に……


ぁ、 ぁ……


声が出ない、 ダメだ、 起きなきゃ、 起き上がらなきゃ、 ぁぁ、 これは……


(……っ、 体が動かないっ)


金縛り………


苦しい、 ああ、 苦しい、 怖いっ………………


……そう言えば、 怖いと言えば……


今日、 竹林で、 一瞬だけ、 でもくっきりと、 見えた、 何か黒いモヤの様な物は、 なんだったのだろう、 まとわり着いて見えたアレは、 なんだったのだろう…………

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