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第十五話…… 『理の外』

……会延矢(あのや)駅は城下町の色を残した古い町並みだ、 メインは現存するお城だが、 街並み自体も観光地であり、 主に食べ歩きや露天が並んでいて面白い……


季節は十月も後半、 秋風が吹き始める頃、 時刻は十六時過ぎ、 外は日が傾き始めている、 早くも灯る提灯の光は客寄せの赤、 酒場としても賑わうからだ……


……そんな街並みの中に二人の男女が居た、 やや早歩きの男性とそれを追いかける女性は息を切らしている……


ねぇっ!


「ちょっ、 ちょっと待ってよっ、 ぴやっち! ねえってば!」


女性が、 男性の腕を漸く掴んで止める、 力を入れて、 ようやっと男性は足を止めた……


「はぁっ、 はぁっ…… ねえぴやっち、 いきなり一人で帰っちゃう何てどうしたの? パンケーキだって食べてないし…… もしかして私の事嫌いになった?」


女性は務めてしおらしい声を出す、 しかし男性は多くは語らなかった……


「……悪い、 でももう帰るぞ、 るるか」



「あっ、 うん…… わかった……」


女性は男性に対していつでも従順な態度を取っている、 それは男性が何時でも気の良い男で軽いので、 話を合わせておけば大抵上手く行くし、 故に、 互いに不満も生まれずらい……


しかし、 機嫌が悪い時や、 何かあった時男性は何時もの性格とは裏腹に言葉少なく閉じこもる性格があるのを知っている、 以前の知り合いにこの男性と付き合いの有る子が居たが、 しつこく聞き出そうとしたところしばかれたと言う話を聞いた


なのでそういう時こそ従順な態度が吉だ、 女性は素直に頷くと男性の少し早い歩幅に合わせて会延矢駅を目指して歩いた………


………………………



……


タッ………


……その背後、 三十メートルの位置を、 ローファーが叩く、 学校指定の物だ、 ブレザーに身を包んだ制服姿の女子高生が、 前を歩く男女二人を密かに着けていた……


……ふと、 男女が路地を折れる、 あの路地は特にお店も無く人通りが少ない、 駅を目指す道は沢山あるがこの道は知る人ぞ知るショートカット、 大通りでは無くこちらへ迷いなく歩く様を見て、 おそらく目的はこの路地だろうと当たりを付けた……


……やるならここだ、 女子高生は路地を目指して歩きながらスクールバッグをガサガサと漁る、 プラスチックと紙包装で包まれた…… 先程ショッピングモールのスーパーで購入した、 包丁…… キッチン包丁だ、 その包みを剥がし、 バックの中で柄を握る……


……やらなきゃ ……殺さなきゃ


あの男は、 打たれるべきにも関わらず打たれない、 因果の外に存在する杭だと彼女は言った、 そうでない者が在るべくしてその杭を打つ側へとなり、 因果の果たす事の出来ない報いを代わりに引き受けるべきだと言った……


自分に対して、 それを成して欲しいと………


……ザッ


女子高生が路地の入口にて覗く、 路地に他に人は見えない、 都合が良い、 まさに因果が融通してくれた様な巡りか、 理すらあの命に対しての報いを望んで居るのだ……


ふぅ………


グッ!


包丁の柄を強く握り、 路地へ足を進めた所でスクールバッグから包丁を取り出す、 チラリ、 白銀の新品の刃に鈍い光が返る、 コチラの足音に、 のんきな前のふたりは気が付かない……


少しずつ歩幅を早くして、 近づく、 追い抜きざまに突き刺す、 狙いを定めろ、 何処でも言い訳では無い、 確実にあの生命を断罪出来る箇所を、 見極めろ……


タッ


……目の前、 十メートル …… 八メートル ……


ッ


ここだっ!!


ダッ!!


二人に接近、 女子高生が足に力を込める、 深く突き刺すにはどうしても勢いが必要だ、 数メートルの助走、 腰だめから放つ、 背骨を避けた急所っ


っ


(……死ねっ! あの子に刃向かった事を後悔してっ!)


頭に、 先程の、 よく知らないはずの少女の暗い顔が浮かぶ、 その顔を思い浮かべる度に使命感に背中を押されるっ、 やりきるっ、 殺し切るっ!!


ダダッ!!


……………………


踏み込んで………………………


………


っ……


………………スタッ! ……


………?


足音が、 空から降り立った様な足音が聞こえた、 それは奇妙な例えだがそう思った、 すぐ隣、 すぐ側……


……ふわっ


華やかな香りがした、 パタパタと女性服がはためいて、 髪がふわりと、 軽やかに舞って見せた……


……すらっ ……


細い腕がこちらに伸びた、 まるで自分の動きが止まって見える程、 多分こちらに向かう手は恐ろしい程に早かった……


あと四メートル、 刃が目的の二人、 その男性まで届くより前、 それがまだずっと遠くに感じる距離……


光を返す刃に…… 降り立った見知らぬ女性の手が伸びるっ


ッ


カシャァンッ!! …………


グッ、 グググッ! ……


っ!?


……女性が、 小さな手で、 素手で包丁の刃を止めたっ

……


信じられない…………


グッ、 グッ! ……


女子高生は柄に力を込めるが、 押す事も引く事も出来ない、 流石に背後の音に気が付いた標的の男性の隣を歩くあの女性がチラリと後ろを振り返ったが、 背を向ける筈の包丁を掴んだ女性が、 まるで背後を見えている様にスッ と横に移動すると視界を遮った……


男性は振り向かず、 隣の女性も首を傾げて、 しかし興味無さげに立ち去っていく…… 標的がぐんぐん進んで行き遠ざかる、 あの先の角、 この路地を抜ければ人通りが多い駅前に続く大通りに出てしまう……


そうなれば、 奴を殺す機会が無くなってしまうっ!


バッ!


「っ、 誰ですかっ! 退いて下さいっ!」


女子高生が喉を潰しそうな声で叫ぶと、 女性はふいに手を開く……


グワッ!


っ!?


自分が無意識に力を込めて柄を引いていた、 女性がいきなり手を離すので、 その体は後ろ向きにつんのめって、 もつれた足でおしりから地面に落ちる


ドサッ!


っ……


「いっ…… たぁ…… このっ!」


女子高生はフラフラと立ち上がると包丁を目の前の女性に向けた、 あの子も言っていた、 大切なのはあの男を殺すこと、 それを邪魔する者が居るのなら、 その者も排除する、 これはしょうがない事だ……


すっ……


……不意に女性がこちらに指を指す、 それは包丁に向かって細い人差し指が向いていた……


「ふふっ、 やるの? そのなまくらで?」



「……買ったばっかりの包丁がなまくら? 何をっ………」


………っ!?


……包丁を見た、 そして気が付いた、 返す光が歪んで居る、 最初何がどうなったかと頭が混乱していた…… でもトリックアートの答えに気が付いた様に理解した……


包丁の刃が、 ひらがなの『つ』の字の様ににぐにゃんと完全に曲がってしまっている……


………


「………え? え? え?」


ただ疑問ばかりが溢れる、 急に現れた女性、 包丁を止める女性、 包丁を掌で曲げてダメにしてしまう女性……


……え?


疑問ばかりが湧く…… そもそも、 何故自分は、 こんな包丁を買って、 あの男性の後を着けて……


……殺す? ………


何を……


ッ


ガガッ!!


っ……


頭にノイズが走る、 先程の少女の顔が浮かぶ、 やってくれるかと彼女は聞いた、 私はそれに頷いた、 やらなきゃ、 殺さなきゃっ!!


シュンッ!


曲がったままの包丁を構えて、 それでも刃先を女性に向ける


!


目の前の女性が目を開く


「ちょっとちょっとっ、 まだやるのっ!? はぁ…… あの男と何があったのか知らないけど、 まだ花の女子高生でしょ? やめときなさいよっ……」


チッ


舌打ちが出る……


「うるさいなぁっ、 誰ですかっ! 関係無いでしょっ! 邪魔するなら貴方も殺しますよっ!」


これはっ


「誰かがやらなきゃ行けないんですっ! 誰かが下さなければならない鉄槌なんですっ! 因果の外側に居るアレのせいで、 世界の輪郭は歪曲してるんですっ!!」


………?


はぁ……………


目の前の女性は深く溜息を着いた、 心底疲れた様な顔だった……


「……えぇ、 最近の学生って皆そんな難しい事ばかり考えてるの? 『因果』とか、 『世界』とか、 『幸福』と『枷』とか…… 夢も希望も無いわねぇ」


女性は肩を竦めた


「こっちは『甘樹街の惨劇』で取り逃した単位を大学が補習の機会を作ってくれて、 それは助かったけど毎日とにかく忙しのにっ、 偶の休日に張り切って出掛けて見てみればっ、 雑貨屋に居た小学生ちゃんずも、 貴方もっ」


グッ


「ぜんっぜん可愛くないっ! あー もうっ! 全く、 私が誰かに気を使って一肌脱ぐなんてめずらしい事なんだからねっ」


バッ!


「訳分からない事を言ってないでっ、 邪魔するならっ、 死ねっ!!」


女子高生が使い物にならない刃物を大きく振りかぶって、 振り下ろすっ


フュンッ!!


風切り音、 歪んで居るとはいえ刃は残している、 当たれば人の柔肌を深く切り付ける、 綺麗に着飾った女性の服を裂き、 血飛沫を上げる……


ッ


刃が、 遂に女性を……


……しかし、 その前に、 女性は小さく口を開き、 呟く………


っ


「……ドライ・ドライグっ」


……ボッ!!


っ!?


……小さな、 薄い火が、 毛羽立った布の表面を焼き走って行くような、 熱が、 目の前の女性をチリチリと焼く様な……


……刃が、 ぶつかるっ


ブンッ!


ッ


ガキィンッ!! ………… カランッ……………


………………


???


硬い、 柔肌では無い、 女性の皮膚は恐ろしい程に硬い、 叩きつけた刃がまるで通らず、 弾かれた手から包丁は抜け落ちて飛んで行き、 高い音を立てて地面に落ちた………


……なにが、 起こった?


まさか…… 弾いたのか? 人間の皮膚が、 刃を?


……いや、 いや、 何か、 変だ


女性を見る、 女性の皮膚には……


パリパリッ…… ペリペリッ


っ!?


まるで、 爬虫類の鱗、 それでいて風にふわりと先端が揺れる、 鱗の様な固い皮膚の上に羽毛のような柔軟で柔らかい羽毛、 鱗と羽毛のような、 人間の物では無い皮膚が覗いて……


パタパタッ ユラユラ~


……女性の背中に、 コウモリの様な羽根が見えた、 その下、 腰には、 揺れる、 あれは尾だ、 コウモリじゃない、 長く揺れる尾は、 翼と相まって、 まるでおとぎ話の中の……


龍…… の様だ……


ぁっ……


唖然として口を開く女子高生に、 目の前で半人半龍の女性がイタズラに細く微笑む


「ふふっ、 どうしたの? 見とれちゃった?」


くるんっ


女性が半回転して揺れる、 よく見れば子供と間違う程小柄で、 五センチは盛った厚底のブーツを履いて居る、 しかし見れば見る程、 女性らしく、 可憐さ、 美しさ共に揃った、 綺麗な女性だった……


……不思議だ、 なんだろう ……


カッカッカッ……


ッ…… あの少女が……………


……あの少女?


?


(……どんな子だっけ?)


ぼやけた記憶の中の少女の顔を忘れて、 目の前の女性に憧れた時、 心の中に打ち込まれた楔が……


ッ、 バリィンッ!!


……壊れる ……


………


ぁっ…………


「……あれ? 私、 何してたんだっけ…… あれ?」


自分は、 何か、 酷く恐ろしい事を………


スッ……


「はろ~ もしも~し、 大丈夫? 頭冷えた?」


っ!


目の前で女性が手を振る、 ハッとして前を向くと…… ん? あれ、 そう言えば、 この女性何処かで……


………ぁっ


「……もしかして、 ファッション雑誌『Arrow・Lea』の読モの……」


ん?


女性は少し驚いた顔をして、 すぐにイタズラに笑う


「あれっ、 読んでくれたの? 嬉しい~ 最近授業の合間に読者モデル始めたの、 まさかこんな新人を知ってくれてる人が居るだなんて」


いやいやいや…… 確かに、 以前から愛読しているファッション雑誌に彼女が読者モデルとして登場したのはここ一、 二ヶ月の事、 つまり超最近なのだが、 同じ女の自分も思わず見入ってしまうほど彼女は美人で、 既にネットではファンも居る、 人をあっという間に虜にさせる本物……


ぁぁっ……


女子高生が大口を開けて口をパクパクとさせる、 その頃にはすっかり先程のショッピングモール出の事や、 少女のこと、 自分が殺そうとした男性のことすらすっかり忘れていた……


……ピクピクッ


女性の耳、 よく見れば猫化の、 以前動画で見たカラカルと言う猫化の動物に良く似た長い耳が揺れた……


ふっ…… 女性が笑う……


「……さてと、 私が一肌脱いであげる必要も無くなったみたいだし、 私ももう帰るから、 あんた達も親を心配させない様に、 早めに帰りなさいよ~」


えっ…… ??? ……あんた達?


……ぉーい ……


? この声…………


「おーいっ、 あきーっ…… あっ、 あき居たっ! もうっ、 私を置いて一人で帰らないでよっ!」



「! あっ、 れんっ!」


先程までショッピングモールにて、 部活終わりに仲の良い友達とショッピングを楽しんで居た、 話題のパンケーキを食べようと列に並んで……


……その後、 なんだっけ? ……


友達のれんが隣に並ぶ……


「一緒に帰ろうよ?」


っ……


「……いきなり居なくなってごめん、 暗くなる前に帰ろうか、 あっ」


友達から目を逸らして、 反対側を見る……


! ……


そこにもう、 先程までの女性は居なかった……


「……どうした?」



「………ねぇ、 私さ、 モデルに会ったかも、 話しもしたかもっ!」


???


「……モデル、 さん? 誰?」


ふふんっ


「聞いて驚かないでよっ、 今話題のっ、 天成鈴歌(あまなりすずか)よっ! 超可愛かった! それに可愛いだけじゃ無かったんだっ! 彼女はね、 龍になれるのっ! 羽としっぽが生えてっ! かっこいいのっ!!」


……………………


「??? ……は? 何言ってんの? へんな事言ってないでサッサと帰ろ、 寝言は寝床で言ってよ」



「えっ!? 信じてない感じっ!? 酷くないっ!?」


あーだっ こーだっ! …………


…………………………………



………


女子高生二人の声が遠ざかって行くのを路地の上、 瓦屋根の上から見下ろした女性、 現役大学生でありながら読者モデルもこなす、 天成鈴歌は笑う


「ふふっ、 良い友だちが居るじゃない、 私のお助けは必要無いわね~ あっ」


スタッ……


地面に降り立つと、 曲がった包丁を回収する


「これは私が片付けといてあげる、 こんなの落ちてたら大騒ぎだからね、 感謝なさいね」


さてと……


「私も帰ろ」


そう言って、 女性もブーツの靴底を鳴らすと、 駅を目指して帰路に着く、 偶の休日が、 ある意味充実した事に内心苦笑いを浮かべながら……


……………………………………………



…………………………



……


ッ


カツンッ! ………………


フォークがベリーを刺し潰して、 赤黒い果汁が血飛沫のように皿を汚す、 唇を噛んでその様を睥睨していると、 向かいの席で首を傾げた友達が潜めた声で口を開く……


「……やっちゃん? どうしたの?ミントが苦かった?」


……?


声に、 視線を上げると二人用の丸テーブルの向かいに座る藤里愛美(ふじさとあみ)が顔を覗き込むので慌てて顔を逸らした……


っ……


「……何でもない、 私はミント、 嫌いじゃ無いから…… 苦いけど……」



「そうなのっ!? 私は、 ほら…… 飾りだし……」


見れば愛美のお皿には、 端の方にミントの葉がちょこんと避けられて居る、 まあ実際、 食べても食べなくても誰も、 文句も言わないだろうが………


………


新椥八依(にいなぎやちよ)は机に置かれた大きな平皿の、 上に盛り付けられたパンケーキに目を落としながら先程の事を振り返る……


……愛美に誘われ、 二人でショッピングモールへと遊びに来ていた八依達だったが、 この、 ショッピングモール内に新しくテナント入りしたパンケーキの美味しいカフェへ入店する際にアクシデントが起きた……


ガラの悪い男性が愛美へとぶつかり、 更には、 あろうことかコチラが男性の前へと割り込みをした様に言い出したのだ、 とても話の通じる様な相手では無かった、 今では目当てのパンケーキを食べご満悦の愛美も、 先程まではすっかり気落ちした様な顔をしていた……


……男性は声を張って子供の二人に対して恫喝しただけでは終わらず、 最終的にはその拳を握って振り下ろして来た……


……あの時の、 恐怖に染まった友人の顔が頭から離れない、 自分がすぐ隣に居て、 余裕を持って対処出来た筈にも関わらず、 結局自分は冷静では無く、 やり方を最大限に間違えた……


二人に怪我は無かった、 今回は運良く男性が非を認め退いてくれた…… と言う事に、 八依の力で場を収めたが、 一時は怒りと衝動であの男性をその勢いのままに殺してやろうと本気で拳を振るったにも関わらず、 愛美にそれを停められ、 自分の中の獣のような殺人衝動が彼女に対して垣間見えただろう事が、 酷く怖くなった……


……自分は未だ、 力を持ち、 振るう側となったにも関わらず、 『人間』と言う根底の弱さを捨てる勇気が無い……


(……私は、 レイナーリにも、 魔王にも、 なれない……)


グッ……


拳を握る……


カチャンッ カチャッ


目の前で、 ときめいた顔でナイフとフォークを握りパンケーキを頬張る愛美を見て、 自然と上がりそうになる口角を不格好に押さえつける、 自分に彼女の隣で笑う資格なんてもう無い……


……手に持つナイフの鏡面に歪んだ自分の顔が映る……


…………


上手くいかない……


(……さっきの高校生の子も失敗したみたい、 あの男を殺し損ねたし…… それに、 私の支配下を脱して居る……)


何が起きた? ……ちょっとやそっとでは八依の能力、 『業魔刑(ごうまきょう)・径漣冥祇(けいれんみょうぎ)』の隷属支配の能力下から抜け出す方法は無い筈、 特になんの力も抵抗力も無い現代人には……


有るとすれば……


(……明山雪(あかやまゆき)の様な魔力に対抗する力を持つ者との接触…… この世界の神秘は知らないけど、 さっき隷属が剥がされた時の感覚はレイナーリの記憶に似た様なのが有る、 多分間違いない……)


この世界の……


(……能力者(ノウムテラス)だ)


『甘樹街の惨劇』によって、 この世界に齎されたのは、 モンスターと言う化け物と、 かの異世界の『勇者』と『魔王』の戦い…… そして、 『魔王』や八依も使うかの世界の原初のエネルギー『魔力』……


かの世界で常に人間は『魔王』に対して劣勢だった、 何故なら人間は『魔力』と言うエネルギーに適応できなかったからだ…… 『魔力』に適応した者こそ、 長い歴史の中での進化、 淘汰の連続を繰り返し、 その力に手を伸ばした者、 一般的に向こうの世界で言う『モンスター』であり、 魔力に未適応な、 危険な『動植物』とも全く分けて分類される……


人間が『魔力』に適応出来なかったのは単純に環境のせいだ、 賢い人間は他種族との無駄な戦闘を避け常に安息の地を探し彷徨い続けた、 争いに勝って進化したのではなく、 争わずに繁栄した種族だ…… まあ、 『モンスター』以外の魔力適応外の生物の殆どが同様にソレだが……


人間は神々の信仰や精霊との契約、 そして長い歴史の中で『魔力』を式に直し、 『魔法式』つまり『魔法』と言う力を使うに居たり、 本来その身が受けるはずの代償を媒介により適応では無く、 対応して手に入れた


『モンスター』どもは一部、 龍等の知能的な頂上生物を除けば無意識に『魔力』を使用して身体強化をしている事が殆どで、 『魔法』を使ってくる訳ではない、 勿論そんな複雑な式を理解する事も不可能だ


だからこそ人間は消して常に劣等生物だった訳では無かった…… 『魔王』が現れるまでは…… 『魔王』は魔力に完全適応した『モンスター』以外の全く新しい存在であり、 生物の環境内での弱肉強食、 淘汰による殺しとは全く別、 人間を殺すと言う意思呑みで降り掛かる最大級の火の粉だった、 戦いを避けて繁栄した人間の前に降り立った越えることの出来ない巨大な壁……


人間は初めて弱者として生き方では対処出来ない絶対的な劣等を味わう、 『魔王』に蹂躙され続ける、 『人間』と言う種の終わり……


……でもそうはならなかった、 世界の理、 『神々』が人々を救った本来観測者として不干渉を貫く神が一世界の、 一種族に救いを向けた時点で、 何処から訪れた『魔王』と言う存在その物が、 『神々』の理の外から来訪した、 対処しなければならない因果の外側の力だと分かった


神は人に『勇者』と言う力を授けた、 『勇者』は魔王の扱う『魔国式結界』を百二十パーセント切り裂く退魔の剣、 同時に、 神は原初より世界に溢れる『魔力』を元に再構築した全く新しいエネルギー『ミクロノイズ』を世界に放った、 『勇者』と言う力すら『ミクロノイズ』により造られた物だったからだ


『魔王』の『魔力』に適応した『魔王軍』の者が、 八依の様な『業魔刑』を発現する様に、 人々の中に『ミクロノイズ』へと適応し能力を発現した者が居た、 それらをあちらの世界では能力者(ノウムテラス)と呼んでいた……


……


(……『甘樹街の惨劇』で『魔力』も『ミクロノイズ』もこの世界に今や存在する、 魔王軍(わたし)が居るなら、 能力者(ノウムテラス)が居るのも当たり前か……)


厄介だな……


八依の使う『業魔刑・径漣冥祇』の以前使い手、 魔王軍四天王の一人、 智学轢(ちがくれき)のレイナーリも、 隷属支配下の部下共々、 野良の能力者(ノウムテラス)に軍の横腹を食い破られ、 交戦も虚しく首を取られた……


『魔力』はアナログでマニュアル的だ、 どんな形でも作れるがそれ相応の練度が必要で大抵の者がその度量を対して鍛え上げることもまま成らないまま死を迎える……


『ミクロノイズ』による発現する能力はその方向性を発現と同時に決定され多方面的では無く柔軟では無いと言う欠点はあるが、 能力その物が効力を補完してくれる為、 能力発動と共に、 常に高く安定した出力を発揮する、 これは『魔法』ならば超高度と言われる結界術に関しても方向性によってはデフォルトで完備した能力なることさえある……


便利だ、 だが厄介な事に『魔力』に適応した者程『ミクロノイズ』の恩恵には肖り辛いし、 『魔王』や『魔王軍』の者からすればそもそもが猛毒だ、 殲滅する為に存在するエネルギーなのだから……


もう一つ欠点をあげるとすれば、 能力が発現し能力者(ノウムテラス)となれる逸材が極端に少ないと言う事だ、 あんな者共が山ほど居たなら勇者と魔王の戦いを描く歴史書の本も、 ずっと早く刊行が終わり、 内容もページも薄く済んだ筈だ……


本当に……


(……嫌になるほど、 何も上手く行かないな……)


はぁ…………


……


深い溜息が出る、 向かいの彼女がこちらをチラリとと見た……


「……やっちゃん? どうしたの? 食べる手が止まってるけど……」


ううん……


八依は言葉を先読みして首を横に振る


「……大丈夫美味しいよ、 嫌いな訳じゃ無いし、 お腹が苦しい訳でも無い……」


…………


ねぇ……


不意、 八依はパンケーキにナイフを入れて血飛沫のようなベリーに赤黒く汚れた部分を切除する、 それと同時に小さく愛美へと問いかけた


?


愛美は首を傾げて言葉を待つ様だった…… 赤く染まったパンケーキを八依は口に放り込むと、 律儀にナイフとフォークを置いて行儀よく待つ愛美を他所に頬張った、 見た目とは裏腹に甘酸っぱいベリーの香りが、 パンケーキのバターと、 滝の様なメープルシロップと混ざって、 許容しがたい幸福な甘味がする……


ごくっ…… ふぅ……


喉を鳴らして飲み込むと、 続けて八依は紅茶の入ったカップに手を伸ばす、 カップを口につけて傾ける、 暖かいお茶の香ばしさが甘さを優しく流して調和する……


ふはぁ…… カチャン……


八依はカップを置くと、 未だ待つ愛美に視線を向ける……


「……そろそろ要件を話したら良い」


……?


愛美が更に首を傾げた、 八依は続ける……


「いつになったら切り出すのかと思ってずっと待っていたけど、 その前に今日が終わってしまいそうだから、 仕方なく私が聞いてあげた…… 私に話があるんじゃ無いの? だから休日に態々呼び出したんでしょ?」


…………


「……迷惑だった?」



「はぁ…… そんな事が言いたいんじゃ無いよ、 別に私は暇だったし迷惑でもない、 それなりに楽しかった…… 色んなお店に行って、 色んな話をした…… でも、 愛美ちゃんはまだ、 今日のこの、 本題にまだ入っていない…… でしょ?」


愛美は口を開いて、 しかし閉じてしまう…… 八依はそれを待ってあげる程礼儀正しくは無かった……


「……まだ勇気が出ないんだね、 焦れったい…… 素直に聞いたら良いじゃん」


そう……


「明山雪に何をしたのか…… でしょ?」


………………っ


ぇっ………


愛美が目を大きく見開いてこちらを見る、 余程予想外だったのだろうか……


「……なんでっ」



「なんでって…… 話してたじゃん、 えっと…… 隣のクラスの……… あぁ、 椛橋(もみじはし)さん? ……と、 あの子から聞いたんでしょ? 私が明山雪を誘拐したんだって」


っ!?


「っ、 椛橋さんはっ、 そこまで言ってないよ………… っ、 どうして…… やっちゃん、 私が椛橋さんと話をしてた事…… あの時やっちゃんはもう、 理科室に居たんじゃ……」


ふんっ


八依は鼻を鳴らすと、 その手を耳に当てる……


「居たよ? 誰よりも早く着いていた、 愛美ちゃん達は一番最後だったね…… 簡単だよ、 私は耳が良いの、 学校中…… いや、 このショッピングモールの端から端まで、 建物裏の影で高校生かな? 男女が人目を忍んでキスしてる音すら聞こえるよ…… ガキだね」


ふふふっ……


……


八依が耳に付けた手を下ろすと、 再びフォークを握った、 彼女はナイフへ一瞬目を向けたが、 何だか面倒くさそうな顔をしてパンケーキをフォークで崩し切った……


……ギュッ ……愛美は机の下で拳を握った


「……ごめんね、 影口に聞こえたよね…… でもっ、 信じて欲しい、 私はやっちゃん事を悪く言ったり、 疑って居たりする訳じゃ……」


ッ


カチャンッ!


っ………


八依がパンケーキを削り切った勢いのまま皿を叩く、 音が妙にすぐ耳元で鳴ったかと思う程大きく聞こえた……


「……疑ってよ、 なんで疑わないの? ……はぁ、 答え合わせの時間ね…… 明山雪の所在を私は知っている」


ぇっ………


……愛美何かを言う前に、 八依は次々と言葉を繰り出す


「……あの子から、 一昨日の昼休み、 学校の竹林で明山雪から聞いたでしょ? 妖魔に襲われ、 結界へと閉じ込められて、 パクリッ…… 食べられる寸前だったって……」


パクッ……


八依がパンケーキを頬張る、 その顔は何の感動もない、 甘味も、 美味しい幸せな気持ちも、 何も映さない嘘つきの鏡みたいだ……


「……聞こえてたんだ、 確かに雪ちゃんからはその話を聞いた、 お化けは確かにこの世界に居て、 本当に人を襲っている…… 私がされたみたいに…」


えぇ


「でね、 お化けの話はどうだって良いの…… 私が言いたいのはつまり、 結界術の構築の話、 あの妖魔は他の妖魔を使って結界の強度を上げて居たけど、 私は他人の承認を糧に強い閉じ込める為の結界を構築した………」


………?


「え? えっと…… 私…… は……?」


ふっ


八依は鼻で小さく笑う


「そう、 分かる? 私もあの妖魔と同じ様な結界術を扱えるの、 力は違う、 あれらはこの世界の天然のパワーを使っている、 私はこの世界の物でない『魔力』による結界の構築」


カツンッ カッ カカッ ッ


八依がフォークの先端をベリーに刺して、 滴る赤い果汁で白いお皿に円を描く、 それは一昨日、 確かに雪が、 愛美に結界の説明をした時と奇しくも似ていた……


スッ……


八依は添えられたホイップクリームを少しフォークの先端で掬うと、 ベリーの中心に閉じ込める……


ふふっ


「……明山雪は、 私が構築した結界に閉じ込めた…… って自白したら今度は私に忌避の目を向けてくれる?」


っ……


「……何で?」



「簡単だよ、 愛美ちゃんも刮目したでしょう? あぁ、 それとも気を失って居て見ていない? ……明山雪の身に宿す潔白の力は、 妖魔共を経ったの一撃で粉砕する、 いやそれどころか、 あの存在その物が居る地点が彼女の無意識にも関わらず、 穢れが只管に漂白されて行くのよっ」


漂白……


「あの子の力には神と言う理が示した確かな『正義』がある、 そして理に準じない者を強制的にこの世界の汚れや、 穢れとして攻撃を始める、 あの子、 明山雪はね、 最早この世界のリセット装置にすらなるの……」


「あの子の力は極まれば、 『世界』と言う色すら白紙に戻しかねない、 何故なら力の発露は彼女の意志による、 もしも彼女が世界を呪う事があるのなら、彼女よりずっと昔から存在するこの『世界』すら、 彼女にとっての穢れとなり、 仮説は眉唾でも笑い話でも無くなる……」


神は一体何と明山雪を戦わせる為にあの力を彼女に齎したのだろうか? そして何より、 ならば何故そんな存在がここで平然と学生等やっているのだろう? 神のこと等知らないが力の異質さを見れば、 事が済んだなら回収してしまえば良いのではないか? それが面倒なら消してしまえば良い……


なんにせよ……


「……明山雪は私の戦いの邪魔になる、 ただそれだけ」


あっけらかんと言って見せる、 正面の愛美は口を開いては閉じ、 その目を揺らす、 何を思うのだろう? いや、 きっと彼女は理解できないのだ、 まだ何も理解出来て居ない、 何故そんなことをするのか、 戦うとはなんなのか、 そんな事を今考えて……


……ねぇ


「……やっちゃんは、 雪ちゃんが怖いの?」


…………………


「………は?」


……声が少しだけ揺れた、 違うあまりにもとぼけた様な事を聞くので脳が停止しただけだ


「……私が? さっきの話聞いてた? 封印したんだよ結界でっ、 閉じ込めたのっ、 愛美ちゃんは、 愛美ちゃんを閉じ込めた妖魔が愛美ちゃんを怖がると思うの? こっちはっ、 力を振る側だっ、 振るわれる側じゃ無いっ!」


っ………………


愛美が息を飲んだのが分かった、 震える口で彼女は再び口を開く……


「やっちゃん…… ごめん、 私は確かに、 今日、 この話をする為にやっちゃんを誘った、 でもなかなか切り出せなくて…… 楽しい雰囲気に甘えて、 言葉が重かった、 私から話さなきゃいけなかったのに、 ごめんね……」


……愛美の声は、 未だに、 棘の一つも無い、 丁寧に角を取り除かれた、 柔らかい新品のパスタオルの様なフワフワとした心地がする声だった、 こちらを包もうとする熱が、 今の八依には不快だった………


「やっちゃん…… 私には、 やっちゃんがどうして雪ちゃんの事を…… 結界に閉じ込めたのか、 やっちゃんが何に悩んで、 何と戦って居るのか…… 分からない、 ごめんね、 分からないの……」


……それで良い、 訳が分からないと突き放してくれたら良い、 無理に合わせる必要は無い、 私と、 貴方達は、 全く違うのだから…………


……


スッ……


不意に愛美のカーディガンが優しく擦れて、 ふわりと揺れた熱の中にアンティークのシルバーが映る…… 愛美がフォークを持った手を伸ばし、 崩れた八依のパンケーキをスッと差し掬うと、 ベリーの結界と閉じ込められたホイップを攫う……


パクっ…… うんうん……


「っ、 う~んっ、 ベリーも美味しいね~ 甘さの中に酸味がアクセントになって最高っ~」


………ぁっ


愛美は八依のパンケーキを頬張ると頬に手を当てて揺れた、 彼女のツインテールがフワフワと揺れる……


「やっちゃんも私の方も食べて? チョコレートバナナっ」


愛美は丁寧にナイフで切ったパンケーキにチョコソースとホイップを載せたカットバナナを添えると、 フォークで掬って、 逆の掌を下に添えて八依の方へと差し出す……


「はいやっちゃんっ、 美味しいから食べてっ」


ぇっ……


「いやっ、 だから…… 私は………」


たらぁ~ ……


あっ


「やっちゃん急いでっ、 チョコソースが垂れちゃうっ」


っ!?


「ちょっ、 あぁもうっ!」


っ、 パクっ………


……!


瞬間、 鼻に抜けるビターなカカオチョコレートの香りとホイップクリームの相性抜群の甘味が舌上にて振る舞われる……


………チュッ ……


……金属食器は手の熱が伝わると聞く ……愛美の手から、 熱伝導した温もりが、 舌先から離れても、 八依の内側、 口内へと残された……


噛めば、 パンケーキの柔らかな食感の中に、 しっとりした優しいまろやかな甘さのバナナが香り、 求めてはいけないはずの幸福を、 必死に咀嚼する感覚に胸が焼ける様だった…………


ごくんっ………


喉を落ちていく…… 腹の中からじんわりと広がる熱に、 今はただ、 歯をガタガタと鳴らして震える……


ふふっ……


「美味しい? 顔を見れば分かるものだね…… やっちゃんの顔………」


ガタッ!


「やめてっ! ………そんなじゃ、 無い………」


………


愛美の声を遮る、 ようやく絞り出した拒絶…… 見せれば見せる程に、 必死に隠す内側が露呈していく様に……


「……やっちゃん ……どうして、 私を…… ううん、 日常を遠ざけたいの? ……今日の、 雑貨屋さんでやっちゃんが言った、 『幸福』と『枷』の話の時もそうだったよね…… どうして…… 独りになりたがるの?」


ぁっ………


「っ、 わ、 私はっ、 皆とは違うっ……」



「同じ人なんか何処にも居ないよ、 皆違ってみんな良い、 誰にもいい所と悪い所が有る、 世界は足し引きの関係で出来てて、 でも、 だからこそ、 この世界は皆が鏡で、 皆が違う方向を向いてるからこそ…… 何処から見ても輝くんだよ」


…………


だから………


「………だからっ、 それは…… 理に於ける流転の話でしょっ…… ははっ、 愛美ちゃんってばずっとそうっ、 愛美ちゃんが語るのは規則正しい世界の、 流れの中に輝く、 そっち側の話だっ…… 何時だって、 愛美ちゃんは理の外に目を向けた事なんて無いでしょ?」


………理、 の外……


「ただ肥える者、 ただ飢える者、 ただ妄信的な者、 ただ非現実的な者…… 足し引きは無く、 表裏も無い、 生まれなければ死ねない筈の者が、 死を失って共に生を失う者…… 愛美ちゃんの語るそれに、 ソレらは入っているの?」


果たして……


「……本当に愛美ちゃんは ……私の話をしているの?」


……………ぇ?


……この世界にはエネルギーがある、 光の粒子が空を切り、 駆けては彼方へ向かい去る、 命の誕生する時に光の粒子は溢れ、 命を看取る様に光の粒子は爆ぜて消える……


……ふと、 八依を見た時に、 光の届かない深い闇を見た事を思い出す、 世界の光が届かない程の深い日陰に咲く花があるとして、 風に揺れて見せたとて、 一体そこに花が咲いているなど誰が知ろう……


………


……それでも、 闇へ踏み出す為に、 私は今日、 ここに立つ


「……なら、 教えてよ…… 距離を取られるだけじゃ分からないよ、 私には、 まだ内も、 外も区別が付かないよ…… ねぇ……」


私はただ……


「私はただ、 やっちゃんと一緒に居たいだけっ、 隣で一緒に笑って、 泣いて、 時間を過ごしだけっ」


内も、 外も、 そんな事は知らない……


「私はっ…… やっちゃんがどんな姿でも、 ただ、 『友達』で居たいのっ!」


………


ぁぁ…… 分かるよ、 凄く良く分かる………


彼女が手を差し伸べたなら、 その手は私が心の底から求める手だ、 彼女が私に身を寄せるなら、 それは私も心の奥底から寄り添いたい貴方だ……


……貴方は簡単にそれを差し出す、 でも、 簡単に受け取れるくらいなら初めから強く渇望等しない……


渇いているから水を求める、 飢えているから血肉を探す…… そうして、 ようやく見えた水面に水鏡、 私は自分の顔を見る……


そこに映るのは…… 痩せ細って、 牙を剥き出した獣面、 貴方は何処までも人のまま、 盲目的な貴方は私の獣牙に気がつけない……


彼女の差し出した綺麗な手と、 私が伸ばしかけた血に塗れた手が、 触れ合って良い筈も無く、 触れれば傷を付けてしまう事が分かり、 怖いから……


何故、 遠ざかっても、 貴方は傍に寄り添うのか? 何故、 汚らわしい者を見る目で私を見ないのか、 何故……


何故、 もう元には戻れないのに…… 貴方は残酷なまでに、 あの頃と変わらない目を私に、 向けてしまうのだろうか………


………………


はぁ……


もう、 もういいだろう……… 中途半端に人の様を演じるのはやめろ、 盲目的で疑念を知らない彼女は、 嘗てを残した私の側面だけを見て何の疑いもなく駆け寄ってしまう


……私が中途半端に、 人を捨てられ無いから、 彼女は騙されてしまうのだ……


私は獣だ…… 獣に化粧をしても、 獣である事は隠せない、 獣は獣らしく、 私は私らしく……


人である事を、 やめにしよう…………


……………


カチャンッ………


カトラリーを叩く音、 目の前の、 味のしない糖質の塊を無心で腹に封じる、 フォークを振るっては、 血のようなベリーに押し付けて食う……


「……愛美ちゃん、 早く食べなよ」



「っ……… やっちゃ……」


カランッ……


フォークがお皿を叩く……


「……この後、 まだ時間ある? ……あるなら一つ映画を観ていかない? 大丈夫、 そんなに長い映画じゃ無いから、 二十分後には上映が始まる、 急いで」


えっ……


「ぁっ、 映画…… えっと、 私は……」


はぁ……


「……教えてあげるよ、 私の事を、 本当に知りたいと愛美ちゃんが思うなら…… きっとその映画を見れば、 愛美ちゃんは私の正体に気が付く、 私の化けの皮を剥がす勇気が、 愛美ちゃんにあるならだけど?」


っ………


!


カチャンッ、 パクッ、 パクパクっ……


もぐもぐ、 ごくんっ……


「……うん、 分かった、 行こうっ」


……握るフォークの先端がぶれて見えたのは多分手が震えて居るからだ、 それでも、 これは、 彼女の方から伸ばしてくれた手だ、 一寸先すら見えない暗闇から彼女がそれでも風に混ぜた花の香だ


暗闇に足を進めなくては彼女の顔が見えないなら、 手に持つランタンの光が震えながらでも岩壁を照らして前を進もう、 闇に吹く滞った空気が、 弱い光の領域を今にも侵す、 背筋が冷える様な感覚の中、 それでも……


この手を、 闇に伸ばし、 私は、 深淵を測る……


……今はただ、 この後に待つ戦いに備えて、 蓄える様に優しい甘さのパンケーキを口にほうばっては腹に収めた……

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