第85話 旅支度
帰郷を決めてから、ワタシはまず——商会のことを、整えた。
ワタシがしばらく留守にしても、商会が滞りなく回るように。その手配を、きちんとしておく必要があった。
*
「——というわけで、ニコ。——留守の間、商会を、任せてもいいか?」
「おう、任せとけ」
ニコは——どん、と、胸を叩いた。
「だんながいなくたって、商会は——ちゃんと回してみせるさ。——こちとら、伊達に番頭、やってねえ」
その頼もしい返事に、ワタシは微笑んだ。
思えば、出会った頃のニコは、損得でしか物を考えない、口八丁の男だった。それが今では——商会の屋台骨を、任せられるほどに。
(——みんな、成長したな)
ワタシがいなくても、商会は回る。それは、寂しいことではなく——むしろ、誇らしいことだった。
*
「仕入れの段取りは、メモにまとめておいた。取引先への挨拶は——ラントに、頼みたい」
「お、おれが、ですか?」
ラントが——目を、丸くした。
「ああ。——もう、立派にできるだろう。お前なら」
「……はい! ——がんばります!」
ラントの顔が、ぱっと輝いた。かつておどおどしていた少年が、今では——取引先を任されるまでに、なった。
一つひとつ仕事を割り振りながら、ワタシは——実感していた。
この商会は、もうワタシ一人のものではない。みんなで支える——一つの家族なのだ、と。
*
「それで、だんな。——誰を、連れていくんだ?」
ニコが、尋ねた。
「ああ。——辺境出身の何人かを、連れて帰ろうと思う。——久しぶりに、故郷を、見せてやりたくて」
商会には、辺境で解放され、後になって王都へ出てきた者も——何人か、いる。かつて、あの辺境でワタシが鎖を解き、しばらく故郷の村で暮らしたあと、「もっと広い場所で働きたい」と、ニコやメイアを追って、王都に来てくれた仲間たち。——彼らの中には、あの村に、家族や、かつて轡を並べた仲間を残してきた者も、いる。帰郷は、彼らにとっても——きっと、待ちわびた、嬉しい報せのはずだ。
その話をすると——辺境ゆかりの面々は、ぱっと顔を、ほころばせた。
「いいんですか? ——久しぶりに、故郷が見られる」
「ああ。——家族にも、会えるぞ」
「そりゃあ、嬉しいなあ。——母さん、元気にしてるかな」
みんな、懐かしそうに、笑い合っていた。離れて暮らす故郷も、家族も——たまには、顔を見たいもの。その、ささやかな願いが——叶うのだ。
*
「あの……ルキさま」
そこへ——フィーが、おずおずと——声を、かけてきた。
「わたしも、ご一緒しても——いいですか?」
「フィーも?」
「はい。——あの場所、わたしにとっても、懐かしくて。救ってもらったあと、しばらく——あの屋敷で、過ごしましたから。それに……」
フィーは——少し、頬を染めた。
「みんなと一緒に、旅ができたら——楽しいなって」
その無邪気な願いに、ワタシは微笑んだ。
「もちろん、いいよ。——フィーも、おいで」
「! ——やった!」
フィーが——ぱあっと、笑顔になった。
あの辺境の地で、ワタシはフィーを救った。それから、しばらく——あの子は、屋敷でワタシたちと過ごした。だからフィーにとっても——あの土地は、懐かしい場所のはずだ。
もっとも——救われる、もっと前。本当に幼い頃の記憶は——あの子の中には、ない。それでも今は——商会の仲間として、晴れやかに、あの地を再び訪れる。それは——きっと、良いことのはずだ。
*
「では、わたしも——ご一緒、しますね」
穏やかにそう言ったのは——薬師の、メイアだった。
「メイアも、来てくれるのか?」
「ええ。——長旅ですもの。道中、誰かが——体調を崩すかも、しれません。薬師が一人いれば——安心、でしょう?」
メイアは——優しく、微笑んだ。
「それに——辺境の土地には、王都では手に入らない——珍しい薬草も、あると聞きます。この機会に——少し、仕入れてこられたら、と」
「なるほど。——それは、心強い。ぜひ、頼むよ」
薬師のメイアが同行してくれるなら、道中も安心だ。ワタシは、ありがたく思った。
*
こうして——帰郷の面々が、決まった。
ワタシ。フィー。メイア。——そして、辺境出身の数人。
それから——家令の、セバスチャンも。
「坊っちゃまの、久方ぶりのお国入りです。——供の一人も、おらぬわけには、まいりますまい」
そう言って、セバスは——にこやかに、同行を、申し出てくれた。
思えば、セバスにとっても——あの辺境は、長く仕えた、懐かしい土地。それに——王都と故郷を、陰で繋いでくれていたのは、ほかならぬ、この人だ。久しぶりに、あの地を踏みたい思いも——あるのだろう。
「ぜひ、頼むよ。——セバスがいてくれると、心強い」
王都には——ニコやラントたちが残り、商会を——守ってくれる。
「じゃあ、留守は頼んだぞ。ニコ」
「おう。——任せとけって。だんなこそ——久しぶりの里帰りなんだ。——ゆっくり、してきな」
「ありがとう」
ワタシは——笑って、頷いた。
出発は数日後。それまでに——旅の支度を、整える。
馬車を手配し、道中の食料を積み込み、みんなの荷物をまとめる。
久しぶりの、故郷への旅。卒業の報告をして、家族と過ごし——王都の屋敷を使い続ける許しを、もらう。
やることは、はっきりしている。
*
準備を進めながら、ワタシの胸は——少しだけ、弾んでいた。
久しぶりに会う家族。父上は、母上は、兄上たちは——元気だろうか。
手紙ではやり取りをしていたけれど、直に顔を見るのは——本当に久しぶりだ。
そして、フィーやメイアたちと、みんなで行く旅。きっと——賑やかで、楽しいものになるだろう。
(——いい旅に、なりそうだ)
ワタシは——窓の外の空を、見上げた。
穏やかな春の空が、どこまでも広がっていた。
けれど——その空の、ずっと遠くに。ほんのかすかな、影の気配のようなものを——ワタシは、ふと感じた。
気のせい、だろうか。——胸の奥に、ちりっと、小さな引っかかりが残る。
その正体が何なのか。——この時のワタシには、まだ——わからなかった。




