第77話 あの日の面影
「——というわけ、なの」
ある夜。商会の一室で、クラリスティアは——ワタシに、執事から聞いた話を、すべて語ってくれた。
ヴァレンクール公爵家。魔法に秀でた、誇り高い一族。当主夫妻が、辺境への旅の途中、馬車の事故で亡くなったこと。屋敷の一族も、一夜にして滅んだこと。そして——その夫妻には、幼い娘が、いたこと。
「魔法に秀でた一族」——その一言が、ワタシの、記憶の奥を、揺さぶった。
(——そういえば)
初めて、フィーを鑑定した、あの日。ワタシは——覆い隠された名前と、あの奇妙な隷紋のことばかりに、気を取られていた。だが——確か、あの子の潜在素質は。
【魔法素質】——星、六つ。
ワタシが、それまで見たことも、なかった数字。星五つが最高だと思っていた、その上をいく——規格外の、才。あまりに他のことが異常すぎて、ワタシは——あの、並外れた魔法の素質のことを、いつしか、頭の隅に——追いやってしまっていた。
でも——もし。あの子が、魔法の名門の血を、引いているのだとしたら。あの、星六つの素質にも——説明が、つく。
点と点が——静かに、線で、繋がっていく。その符合が——かえって、恐ろしかった。
「銀色の髪の——その子の遺体は、見つからなかったそうよ。そして、今、生きていたら。ちょうど——フィーと、同じくらいの年頃」
(——っ)
ワタシは——言葉を、失った。
*
「ルキウス」
クラリスティアは——まっすぐ、ワタシを見た。
「あなたに——確かめたいことが、あるの。あなたは、フィーを、どこで、どんなふうに——救ったの?」
その問いに、ワタシは——あの日のことを、思い返した。
まだ解放活動を始めて、間もない頃。一番最初に救った——あの少女のことを。
「……奴隷商の、ところだった」
ワタシは——静かに、語り始めた。
「裏通りの——薄汚れた、奴隷商の檻。その片隅で、あの子は、膝を抱えて——うずくまっていたんだ」
*
今でも——はっきりと、覚えている。
痩せ細った体。汚れた、けれど。よく見れば——銀色の、美しい髪。そして——光を失った、紫色の瞳。
その子は——何を聞いても、ほとんど答えなかった。
「名前を聞いても——首を振るだけ。どこから来たのかも、わからない。年も——はっきりしない。奴隷商に聞いても、『どこぞで拾われて流れてきた、身元の知れないガキだ』と。——それしか」
「身元が……知れない」
クラリスティアの声が——緊張を、帯びた。
「ああ。——記憶が、ないようだった。自分が誰なのかも、どこから来たのかも、何も、覚えていない。ただ——ぼんやりと、そこにいるだけ」
*
ワタシは、あの時のことを——昨日のことのように、思い出せる。
値がつかない、と、奴隷商に、粗末に扱われていた、あの子。このままでは——遠からず、命を落とすだろうと。一目で——わかった。
だから、ワタシは、迷わず、あの子を買い取った。そして——人知れず、あの子の首の鎖を、断った。
その経緯までは——クラリスティアには、言わない。彼女には、ワタシに人を見抜く力があることまでしか、話していない。あの子たちの首の鎖をどうやって解いているのか——その一線は、まだ、明かせなかった。
「あの子は、最初——ずっと、怯えていた。誰のことも、信じられない、というように。でも——少しずつ、心を開いてくれて。今では——あんなに、明るく笑うようになった」
ワタシは——目を、伏せた。
「フィー、という名前も——ワタシがつけたんだ。あの子は、自分の名前すら——思い出せなかったから」
本当は。——あの子の名は、鑑定でも、大部分が靄に覆われて、視えなかった。まるで、何かの力が、守り隠すように。かろうじて読み取れたのは——「フィ」という、ほんの断片の響き、だけ。だから、ワタシは、その響きから——「フィー」と、名づけたのだ。
*
話を聞き終えたクラリスティアは——しばらく、黙っていた。
やがて——絞り出すように、言った。
「……符合、しすぎているわ」
「ああ」
「銀色の髪。——記憶がない。身元が知れない。年頃も合う。そして、あの肖像画との——面影」
クラリスティアの声は——震えていた。
「ルキウス。——わたくしは、確信し始めている。フィーは、あの、滅ぼされたヴァレンクール公爵家の——ただ一人の生き残り。——そうとしか、思えないの」
*
ワタシは——胸が締めつけられる思いだった。
もし——それが、本当なら。
あの子は、ただ不運にも奴隷にされた、わけではなかった。——一族を滅ぼされ、記憶さえも失って——たった一人、この世に放り出された——悲劇の生き残り、だったのだ。
あんなに無邪気に笑うあの子の奥に、そんな、むごい過去が——隠されていた、なんて。
(——フィー)
ワタシは——あの子の笑顔を、思い浮かべた。
胸が——痛んだ。
*
「……でも」
ワタシは——顔を、上げた。
「まだ、確証はない。——証も、証拠も、何もない。ただ、状況が——符合している、だけだ」
「ええ。——その通りよ」
クラリスティアも——頷いた。
「銀髪の子どもなど——他にも、いるかもしれない。すべてが、偶然の一致、という可能性も——ゼロでは、ない」
「それに……」
ワタシは——ためらいながら、言った。
「仮に、本当だとしても。——それを、フィーに——どう、伝えればいい?」
*
部屋に——重い沈黙が、流れた。
フィーは、今、何も、知らない。自分の出自も——過去も。ただ、商会のみんなと——明るく、幸せに暮らしている。
そこに、「お前は、滅ぼされた公爵家の娘だ」と。「お前の一族は、皆殺しにされた」と——突きつける。それは——あまりにも、残酷では、ないか。
「あの子の、今の幸せを——壊したくない」
ワタシは——ぽつりと、言った。
「でも——もし、これが本当なら。あの子には、知る権利が、ある。自分が——何者なのか。どこから、来たのか」
「ええ」
クラリスティアは——静かに、言った。
「だからこそ——慎重に、ならなければ。確証を得るまでは、フィーには、何も、言わない。そして——伝えるとしても。あの子が——受け止められるように——細心の注意を、払って」
*
その夜。クラリスティアが帰った後、ワタシは——一人、考え続けた。
フィー。——あの、銀色の髪の少女。
一番最初に救った子。共に歩んできた、大切な仲間。そして、淡い想いを寄せてくれていることにも、ワタシは——気づいていた。
その子が、もしかしたら——失われた名門の、血を引いているかもしれない。
(——どんな真実だろうと)
ワタシは——思った。
(——あの子は、あの子だ)
公爵家の娘であろうと、なかろうと、フィーは、フィー。あの、明るい笑顔の女の子。——それは、何も——変わらない。
でも、もし。あの子の過去に——大きな悲劇と、それをもたらした何者かが、いるのなら。
ワタシは、その真実を、突き止めねば、ならない。そして——あの子を、守らねば。
窓の外には、銀色の月が、静かに——輝いていた。
まるで——あの子の、髪の色のように。




