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第76話 もし生きていたら

 グレイのつては——確かだった。


 数日後、彼から、あの執事の居所が——知らされた。


 王都の外れ。うらぶれた路地の奥に。その人は——ひっそりと、暮らしているという。


 わたくし、クラリスティアは——人目を避け、その家を訪ねた。


*


 戸を叩くと、しばらくして。痩せた白髪の老人が——顔を、のぞかせた。


 その目には——強い警戒の色が、あった。


「……どなた、ですかな。わしのような者に——何の、ご用で」


「突然の訪問を——お許しください」


 わたくしは——丁寧に、頭を下げた。


「わたくしは、クラリスティア・オルブライト、と申します。——あなた様が、かつて、ヴァレンクール家にお仕えであったと——伺って、参りました」


 その瞬間。老人の顔から——血の気が、引いた。


「……っ。——人違いです。わしは、そのような家、知りません。お引き取り、ください」


 戸を閉めようとする、その手は。明らかに——震えていた。


*


「お待ち、ください!」


 わたくしは——とっさに、言った。


「わたくしは、あなた様を、害する者では、ありません。ただ——どうしても、あの家のことを——知りたいのです」


「……なぜ」


 老人は、戸の隙間から、探るように——わたくしを、見た。


「なぜ、今さら、あの家のことを。あれは——触れてはならぬ、忘れ去られた家。——詮索すれば、身が危ういのですぞ」


 その言葉に——わたくしは、確信した。


 この老人は、何かを、知っている。そして——それを、恐れている。


「……わたくしには、気にかかる人が、おります」


 わたくしは——静かに、言った。


「ある少女です。——銀色の髪の。その子の面影が、どうしても、ヴァレンクール家の肖像画と——重なるのです」


 老人の目が——大きく、見開かれた。


*


 長い沈黙の後——老人は。ふう、と、息を吐いた。


「……お入りください。こんなところを——人に見られても、困りますでな」


 狭い、薄暗い部屋に——通された。


 老人は——ぽつり、ぽつりと、語り始めた。


「わしは、確かに、ヴァレンクール家に仕えておりました。長く、執事を務めて——あの、誇り高いご一族に」


 その声には——深い懐かしさと、悲しみが、にじんでいた。


「魔法に秀でたご一族で——それは、それは、気高い家でした。当主様も、奥方様も、お優しく、使用人にも、分け隔てなく接してくださる。——本当に、良いご主人で、ございました」


*


「あの日——何が、あったのですか」


 わたくしが問うと、老人の顔が——苦痛に、歪んだ。


「……当主様ご夫妻は、あの日——辺境へ、旅に出られました。何でも——大切なご用が、おありだ、とかで」


(——辺境へ)


「ですが——その旅の途中で、馬車が、崖から、転落した、と。報せが、届きました。ご夫妻は、お二人とも——帰らぬ人に」


 老人の声が——震えた。


「そして——時を同じくして。お屋敷に残っていたご一族も、次々と、亡くなられた。一夜のうちに。——まるで、何かに、薙ぎ払われるように」


「そんな……」


「わしは、たまたま、その夜——使いで、屋敷を離れておりました。だから、難を逃れた。ですが——戻った時には、もう。——何もかも、終わっていたのです」


*


 老人の目に——涙が、にじんだ。


「おかしい、と——思いました。ご一族が、一度に、亡くなるなど、あまりに、不自然。なのに——その死は、ろくに公にもされず。調査も——曖昧なまま、うやむやにされていった」


 その声に——恐怖が、にじんだ。


「わしは、悟りました。これは——とてつもなく大きな力が、裏で動いている、と。逆らえば、わしも、消される。だから——逃げました。身を隠し、息を潜めて——今日まで」


(——やはり)


 わたくしは——息を、呑んだ。


 ヴァレンクール家の滅び。その裏に、巨大な何かが、あった。グレイ殿すら知らぬ——闇が。


*


「あの……」


 わたくしは——意を決して、尋ねた。


「当主様ご夫妻には——お子様は、いらっしゃらなかったのですか」


 老人の表情が、ふっと、和らいだ。そして、また——深い悲しみに、沈んだ。


「……おられました。可愛らしい——お嬢様が、お一人」


(——!)


「まだ、ほんの幼い——銀色の髪の。それは、それは、愛らしいお子様で。当主様ご夫妻の——宝物、でした」


「その子は……どうなったのですか」


「あの旅に、ご一緒されておりました。ですから——きっと、ご両親とともに——あの崖で」


 老人は——目を、伏せた。


「お亡くなりに、なったのでしょう。——むごいことです。あんな幼いお子様まで。——遺体すら、見つからなかった、と聞きました」


*


(——遺体すら、見つからなかった)


 わたくしの心臓が——大きく、跳ねた。


 遺体が、見つからなかった。それは——つまり。


「あの……その、お嬢様は。今——生きておられたら、おいくつに、なられますか」


 老人は——少し考えて。


「……そう、ですな。あれから、もう十年以上。今、生きておられたら——ちょうど、十五、六くらいで、ございましょうか」


(——っ!)


 わたくしの全身に——震えが、走った。


 十五、六歳。銀色の髪。——遺体が、見つからなかった娘。


 すべてが——フィーと、重なる。


*


「……どうか、なさいましたか。ご令嬢」


 老人が——怪訝そうに、わたくしを見た。


「あ……いえ」


 わたくしは——慌てて、平静を装った。


 まだ、確証は、ない。銀髪の少女など——他にも、いるかもしれない。年頃が合うのも——偶然かも、しれない。


 でも、遺体が見つからなかった、ということは。——あの子が、生き延びた可能性も——ゼロでは、ない。


(——フィー)


 わたくしは、心の中で、あの少女の顔を——思い浮かべた。


 もし、もし本当に、あの子が——ヴァレンクール家の、生き残りのお嬢様だとしたら。


「……貴重なお話を。ありがとうございました」


 わたくしは——深く、頭を下げた。


「あなた様のことは——決して、口外いたしません。どうか——ご安心、ください」


 老人は——ただ静かに、頷いた。


 その目には、長年抱えてきた悲しみと。——そして、かすかな、何か——わたくしがもたらしたものへの、戸惑いが——浮かんでいた。


*


 その帰り道。


 わたくしの胸は——激しく、高鳴っていた。


 まだ、確証は、ない。けれど——あまりにも多くのことが、符合していた。


 銀色の髪。年頃。——見つからなかった遺体。


(——もし)


 わたくしは——思った。


(——もし、あの子が、本当に——あの、滅ぼされた公爵家の——ただ一人の、生き残りだとしたら)


 それは、とてつもないことだった。あの子は、ただ——奴隷として、買われてきただけの少女では、ない。失われた名門の——血を引く者。


 そして、その家を滅ぼした何者かが——今も、どこかに——いる。


 わたくしは、確かめねば、ならない。けれど——どうやって。


 逸る心と、慎重さの間で。わたくしは——揺れていた。


 ただ、一つ——確かなことが、あった。


 あの、小さな引っかかりは。もはや、ただの勘では——なくなっていた。

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