第74話 ひらく扉
紙が広まって、少しずつ、王都の景色が——変わり始めていた。
いちばん大きな変化は——子どもたちに、訪れていた。
これまで、文字は、羊皮紙が買える、一部の者だけのもの。貧しい子どもには——学ぶ機会すら、なかった。
でも。安い紙があれば。子どもたちは——文字を、学べる。
*
その日。ワタシは——商会の一室を、のぞいた。
そこでは、解放された子どもたちが、床に座り込んで——紙に、文字を書いていた。
「ルキさま! 見て、見て! 名前、書けるようになったんだ!」
一人の男の子が——得意げに、紙を掲げた。
たどたどしい、けれど、確かに、そこには。その子の名前が——記されていた。
「すごいじゃないか。——上手に、書けてる」
ワタシが褒めると、男の子は——ぱあっと、顔を輝かせた。
「へへ! あのね、おれ——もっといっぱい、字を覚えるんだ。——そしたら、本だって読めるようになるんだろ?」
「ああ。——もちろんだ」
ワタシは——微笑んだ。
名前すら、持たなかった子どもたち。その子たちが今——自分の名前を書き、本を読むことを——夢見ている。
*
「ルキさま」
メイアが——そばに来て、子どもたちを見ながら言った。
「あの子たちね。——前は、自分の名前さえ、知らなかった子も、いたんですよ。奴隷には、名前なんて——必要ない、って。——そう、されていたから」
(——っ)
「でも、今は——自分の名前を、誇らしげに書いて。『これが、ぼくだ』って——笑うんです」
メイアの声は——優しかった。
名前を書く。ただ、それだけのこと。でも、その子たちにとっては——「自分が、ここにいる」という——確かな証なのだ。
文字は、その子たちに、「自分」を——与えていた。
*
商会の外でも——同じことが、起きていた。
ある日。ワタシが街を歩いていると、路地の一角で、子どもたちが集まっているのが——見えた。
近づいてみると、年上の子が、小さな子どもたちに——文字を教えていた。安い紙を、囲んで。
「いいか。これが、『あ』。——こう、書くんだ」
「あー、むずかしい!」
「だいじょうぶ。——何回も書けば、覚えられるよ」
子どもたちは——夢中で、紙に文字を書き付けていた。
(——ああ)
ワタシの胸が——熱くなった。
かつて、文字は、一部の特権だった。学ぶことは——許された者だけのもの。
でも、今は、こうして、路地裏でも。子どもたちが、自由に——文字を、学んでいる。
*
その中に——見覚えのある母子が、いた。
いつか、商会に、「子どもに文字を教えたい」と、紙を求めに来た——あの、母親と子どもだ。
「あら、あなたは……!」
母親は——ワタシに気づくと、深々と頭を下げた。
「その節は——本当に、ありがとうございました。おかげさまで、この子、すっかり文字を覚えて。今では——ほかの子に教えるほど、なんですよ」
見ると、あの時、小さかった子どもが。今では——年下の子たちに、得意げに——文字を、教えていた。
「すごいね。——先生に、なったんだ」
ワタシが声をかけると、その子は——照れたように笑った。
「うん! あのね——字が読めるとね、いろんなことがわかるんだよ。すごく、たのしいんだ! だから——みんなにも、教えてあげたくて」
*
(——扉が)
ワタシは——その光景を見ながら、思った。
(——開いていく)
紙は——ただの商品では、なかった。
それは、知識への扉を、開く鍵。これまで——身分や貧富で、固く閉ざされていた扉。その扉が今——一枚の紙によって——子どもたちの前に、開かれていく。
文字を知った子どもは、本を読む。本を読んだ子どもは——考える。考える子どもは——いつか、世界を——変える力に、なる。
今、ここで、文字を学んでいる子どもたち。その小さな手から、きっと——新しい時代が、生まれていく。
(——すぐには、何も変わらないかもしれない)
ワタシは——思った。
(——でも。この子たちが大きくなる頃には——きっと、世界は——少しましに、なってるはずだ)
*
その夜。ワタシは——窓辺で、星空を見上げていた。
昼間、見た子どもたちの笑顔が——胸に、残っていた。
名前を書けるようになった男の子。路地で文字を教え合う子どもたち。——先生になった、あの子。
みんな、目を、輝かせていた。文字を知る喜びに。——知識の扉が開く、喜びに。
(——ワタシは)
ワタシは——静かに、思った。
(——いい種を、蒔けたのかもしれない)
奴隷を解放する。——それは、一人ひとりの鎖を、解くこと。
でも、文字を、知識を広めることは——もっと大きな、鎖を解くことなのかもしれない。「生まれですべてが決まる」という——千年続いた——見えない鎖を。
その鎖を解く鍵を、今、子どもたちが、その手に——握り始めている。
ワタシは——星空に、誓った。
(——この子たちの未来を——守りたい)
ひらき始めた扉の向こうに——どんな世界が、待っているのか。
それを思うと、ワタシの胸は、温かな希望で——満たされていった。




