第73話 みんなのいる場所
紙が広まり——商会は、すっかり活気づいていた。
締めつけられていた頃が——嘘のように。今では毎日、たくさんのお客さんが訪れ、仲間たちは——忙しく、けれど楽しそうに、働いている。
その日。ワタシは——ふと手を止めて、商会のにぎわいを——眺めていた。
*
帳場では——ニコが、お客さんと楽しげに、掛け合いをしている。
「だんな、まいど! お、今日はいい紙が入ってますぜ。——なに、もう一束? へへ、毎度あり!」
元・詐欺師の口八丁が——今は、商会の立派な看板になっている。その軽妙な語り口に、お客さんも——つられて、笑顔になる。
工房のほうからは——メイアの声が、聞こえた。
「ラント、そっちの薬草。乾いたら、こっちに運んでね」
「あいよ、メイアさん!」
ラントが——元気よく、返事をする。すっかり——背が伸びた。出会った頃は、おどおどしていたあの子が。今では——商会の、頼れる若手だ。
*
昼が近づくと——みんなで、食卓を囲んだ。
大きなテーブルに——商会の仲間たちが、ずらりと並ぶ。
「いやー、今日も、よく売れたなあ」
「紙さまさま、だね。まったく」
「ラント、あんた、また背が伸びたんじゃないかい?」
「えへへ。——もう、メイアさんより、でかいぜ」
「生意気、言うんじゃないよ」
わいわいと——にぎやかな声が、飛び交う。誰かが軽口を叩けば——どっと、笑いが起きる。
ワタシは——その輪の中で、温かいスープをすすりながら——みんなの顔を、見回した。
*
ここにいるみんなの多くは——鎖につながれてきた人々だ。首の隷紋を、いまも残したままの者も——いる。孤児だった子も、行き場をなくして流れてきた者も。
名前も呼ばれず——物のように扱われ、明日をも知れぬ日々を——生きていた。
その人たちが今——こうして、一つのテーブルを囲み、笑い合っている。
好きなものを食べ、軽口を叩き、明日のことを語り合う。——そんな、当たり前の幸せの中に、いる。
(——ああ)
ワタシの胸が——じんわりと、温かくなった。
これだ。——ワタシが、守りたかったものは。——この光景、なんだ。
大きな理想とか、立派な大義とか。——そんなものより前に——ただ、このみんなの笑顔が——見たかった。
*
「どうした、だんな。——ぼーっと、して」
ニコが——ワタシの顔を、のぞき込んだ。
「あ、いや。——なんでもない。ただ……いいなあ、って——思って」
「あん?」
「みんなが——こうして、笑ってるのが。——いいなあ、って」
ワタシが言うと、ニコは——きょとんとして。それから——ふっと、笑った。
「変な、だんなだ。——でも、まあ。——わかるぜ、その気持ち」
ニコは——テーブルを、見回して。
「おれも昔は——人をだまして生きてた、ろくでなしだ。こんなふうに——あったかい飯を、仲間と囲める日が来るなんて。——思っても、みなかった」
その横顔は——少し照れくさそうで、でも——確かに、幸せそうだった。
*
「なあ、ルキさま」
ラントが——口をもぐもぐさせながら、言った。
「おれ、決めたんだ。——もっといろいろ覚えて、商会の役に立てるようになる。——ルキさまみたいに、困ってる人を、助けられるようになりたいんだ」
「ラント……」
「だから——いっぱい、教えてくれよな!」
その、まっすぐな目に。ワタシは——胸が、熱くなった。
かつて——誘拐され、怯えていたあの子が。今では——「誰かを助けたい」と、そう願うようになった。
救われた者が——今度は、救う側に。なろうとしている。
その変化が——何よりも——嬉しかった。
「ああ。——もちろんだ、ラント。いくらでも、教えるよ」
ワタシは——笑って、頷いた。
*
その夜。みんなが寝静まった後。ワタシは——一人、商会の窓辺に立っていた。
昼間のにぎわいが——まだ、耳に残っている。みんなの笑顔が——瞼の裏に、浮かぶ。
(——幸せだな)
ワタシは——しみじみと、思った。
戦いは——まだ、続いている。大神官との対決も。囚われの王のことも。——気の抜けない日々だ。
でも。——そのすべては——この、ためなのだ。
このみんなの笑顔を——守るため。この温かい場所を——失わないため。
かつて——たった一人で、誰にも言えぬ理想を抱えて——歩き始めた道。
その先に——今、こんなにも、たくさんの笑顔が——あった。
(——ワタシは——一人じゃ、ない)
ワタシは——夜空を見上げて、そっと微笑んだ。
この温かさがある限り——ワタシは。何度でも——立ち上がれる。
明日も、きっと——このにぎやかな笑い声の中で。ワタシは——また、歩いていくのだろう。
みんなの、いる、この場所で。




