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第72話 便りのぬくもり

 紙の生産が軌道に乗り——辺境伯領が、潤い始めた頃。


 ワタシと、故郷の家族との間では——一つの習慣が、生まれていた。


 手紙の、やり取りだ。


 木材の取引の連絡。——その事務的な書状に。いつからか——家族からの私信が、添えられるようになっていた。


*


 その日も——辺境から届いた荷に、一通の手紙が、紛れていた。


 まずは——父、ガイウスの筆跡。


 相変わらず——武骨で、角ばった字だった。


 『木材の件、滞りなく進んでおる。案ずるな。——領は、お前の紙のおかげで、大いに潤っておる。領民も、みな喜んでおるぞ。よくやった』


 たった、それだけの——短い文。けれど——ワタシには、わかった。


 不器用な父が、この一行を書くのに——どれほど、照れくさい思いをしたか。「よくやった」。——あの父が、文字にして、そう言ってくれた。それだけで——胸が、温かくなった。


*


 次に——母、エルマの手紙。


 こちらは——父とは対照的に、柔らかく丸みのある字で——長々と、綴られていた。


 『ルキ、元気にしていますか。ちゃんと、食べていますか。夜更かしは、していませんか。——あなたは昔から、無理をする子でしたから。母は、それが心配で、なりません』


(——母上)


 ワタシは——思わず、苦笑した。


 どんなに大きなことをしていても、母にとってワタシは——いつまでも、手のかかる息子なのだ。


 『商会のことは、こちらにも聞こえてきます。大変なことも、多いでしょう。——でも、無理だけは、しないで。困ったことがあれば、いつでも母にお書きなさい。——あなたの味方ですからね』


 その一文に——胸の奥が、じんと熱くなった。


 遠く離れていても——母のまなざしは。いつも——ワタシに、注がれている。


*


 母の手紙に——姉、セリアの一筆が、続いていた。


 ふんわりとした、優しい字。


 『ルキ、お久しぶり。——元気にしてるかしら。姉さんね、あなたのことを考えると、いつも——小さかった頃を、思い出すの。魔法を覚えたばかりで、夜通し練習して。——目の下に、真っ黒なクマを作って。ふふ、パンダさんみたいで、心配したのよ』


(——姉上)


 ワタシは——思わず、噴き出した。


 もう、何年も前のことなのに。姉の中では、ワタシは——いつまでも、あの、無茶をする幼い弟のままらしい。


 『無理を、していませんように。——ちゃんと、笑えていますように。姉さんは、いつも、それだけを——祈っています。あなたの笑った顔が、姉さんは、いちばん好きなんだから』


 おっとりとした、姉らしい——けれど、まっすぐな言葉。ワタシの頬が——ゆるんだ。


*


 最後に——兄、ヴィルの手紙が、あった。


 几帳面な——けれど、どこか温かみのある字。


 『ルキ。お前の商会の評判は、王都の知人を通じて、よく耳に入る。——立派なものだ』


 兄の手紙は——いつも、簡潔だった。けれど。


 『以前の、私の言葉を——今でも、悔いている。お前の活動を、家の重荷だと——そう、決めつけていた。あの頃の私は、何も見えていなかった』


(——兄上)


 『今は、はっきりとわかる。お前は、お前の信じる道で、人を救っている。——それは、誇るべきことだ。兄として、お前を誇りに思う。——体だけは、大切にしろ』


 ワタシは——その手紙を、そっと胸に当てた。


 かつて——ワタシの前に立ちはだかった兄。その兄が今は——こうして、文字を通じて——歩み寄ってくれている。


*


 そして——手紙の、いちばん端に。ぶっきらぼうに、殴り書きされた——一行が、あった。


 次兄、レオの字だった。


 『……ちゃんと寝てんのか。無理すんな。以上』


(——っ、ふふ)


 たった、それだけ。用件も、前置きも——何もない。


 でも——ワタシは、知っている。この、ぶっきらぼうな次兄が。昔から——口ではつっけんどんなことを言いながら。夜中にワタシが泣けば、誰より早く、様子を見に来てくれたことを。


 「以上」の二文字の奥に——不器用な兄の、確かな心配が——透けて見えた。


 父とも、また違う。——けれど、これも。まぎれもない、アーデルハイト家の——愛情の形だった。


*


 ワタシは——筆を執った。家族への、返事を書くためだ。


 もちろん——使うのは、自分たちで作った、あの紙。安価で、軽く——いくらでも書ける、紙だ。


(——不思議なものだな)


 ペンを走らせながら——ワタシは、思った。


 かつて、文字を記すのは——高価な羊皮紙の上だけ。庶民が気軽に手紙を交わすことなど——できなかった。


 でも——今は。この紙があるから。ワタシと家族は——こうして、遠く離れていても——心を通わせることが、できる。


 ワタシの作った紙が——巡り巡って、ワタシ自身と家族を——繋いでくれている。


 なんだか——胸が、温かくなった。


*


 ワタシは——一枚の紙に、家族への想いを綴った。


 父へ——「お役に立てて、嬉しいです。領が潤ったと聞いて、安心しました」。


 母へ——「ちゃんと食べて、休んでいます。心配しないでください。母上も、お体を大切に」。


 姉へ——「あのクマの話は、もう忘れてください。ワタシも、ちゃんと笑って過ごしています。姉上の笑顔も、ワタシは大好きです」。


 兄ヴィルへ——「あの頃のことは、もう気にしないでください。兄上にそう言ってもらえて、本当に嬉しいです」。


 そして——次兄レオへ。ワタシは、少し考えて——こう、書いた。


 「ちゃんと寝ています。兄さんも、無理しないで。——以上」。


 きっとレオは、これを読んで。ふん、と鼻を鳴らしながら——それでも、ちょっとだけ、口元をゆるめるのだろう。そんな気がした。


 一文字、一文字に——会えない分の想いを、込めて。


 書きながら——ワタシは、思った。


 いつか——直接、会いに行きたい。この紙でなく——自分の口で、伝えたいことが、たくさんある。


 まだ——打ち明けていないことも。ワタシの本当の力のことも。——活動の、すべても。


 いつか——そのすべてを、話せる日が——来るだろうか。


 でも——それは、きっと——もっと、先のこと。


 今は——この便りのぬくもりを、胸に抱いて。——前に、進もう。


*


 書き上げた手紙を——荷に、託す。


 次の木材の便とともに——この想いが、辺境へ、届くだろう。


 そして、また——家族からの返事が、来る。


 その繰り返しが——ワタシには、たまらなく——愛おしかった。


 遠く離れていても——一枚の紙が、ワタシと家族の心を——確かに、結んでいる。


(——ありがとう)


 ワタシは——辺境の空の方角へ、そっと——微笑みかけた。


 会えなくても——繋がっている。その温かな実感が——今日も、ワタシを、前へと進ませてくれる。

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