第62話 貴き人々の紙
辺境から木材が届き、商会は——本格的に、紙の生産を始めた。
安く、質のいい紙。——これは必ず売れる。ワタシは、そう信じていた。
——けれど。現実は、そう甘くはなかった。
*
「……ぜんぜん、売れねえな」
ニコが、難しい顔で唸った。
市場に紙を並べてみた。——けれど、人々の反応は——芳しくなかった。
「なんだ、このぺらぺらの紙は」
「羊皮紙のほうが丈夫だろう。こんな見慣れないもの。——すぐ破れちまうんじゃ、ないか?」
「安いのには、わけがあるんだろ。——やめとくよ」
人々は——新しい紙を、警戒していた。
(——そうか)
ワタシは——思い知った。
どんなに優れたものでも——見慣れない新しいものは、すぐには受け入れられない。人は、慣れ親しんだものを——信用する。新しいものには——まず、疑いの目を向ける。
いくら安くて便利でも、「得体の知れないもの」と思われているうちは——誰も、手を出さない。
「どうする、旦那。——このままじゃ、せっかくの紙が、宝の持ち腐れだぜ」
*
ワタシは——考えた。
どうすれば、人々の警戒を——解けるのか。
(——信頼。——誰かの、お墨付きが、いる)
ワタシは——一つの策を、思いついた。
人は——「権威ある誰か」が認めたものを、信用する。たとえば——名のある貴族が「これは良い品だ」と、使ってみせれば。
「あのお方が使うものなら」と——人々の見る目も、変わるはずだ。
(——それなら)
ワタシの頭に——二つの顔が、浮かんだ。
クラリスティア。——そして——故郷の両親、だった。
*
ワタシはまず、クラリスティアに——手紙を書いた。
卒業して、社交界で改革派として動き始めた彼女。——その人脈は、今やワタシたちにとって——貴重な力だった。
事情を知ったクラリスティアからは——すぐに、返事が来た。
『面白いお話ね。——任せてちょうだい。この紙の良さ。わたくしが、社交界で——広めてみせるわ』
彼女は——さっそく、動いてくれた。
お茶会や、夜会の席で、さりげなく——その紙を使ってみせる。美しい便箋として。——あるいは、詩を書きつけた一枚として。
「あら、クラリスティア様。——その紙は?」
「ええ。——新しい紙ですの。軽くて、書き心地もよくて。——とても重宝して、いますのよ」
「氷のバラ」と謳われる——美しく、聡明な令嬢が、さらりと使うその紙は。——たちまち、貴婦人たちの——好奇の的になった。
*
そして——故郷の両親も、動いてくれた。
父ガイウスは——付き合いのある貴族たちに、サンプルの紙を配った。
無骨な父らしく、回りくどい口上は抜きで。——ただ、こう言ったという。
「我がアーデルハイト家が——扱う品だ。質は保証する。——使ってみろ」
辺境伯、という——確かな後ろ盾。その名のもとに配られた紙は——貴族たちの間で、少しずつ——試され始めた。
母エルマも——親しい夫人たちに、「とても便利なのよ」と——柔らかく勧めてくれた、らしい。
家族が——商会の紙のために——一肌、脱いでくれている。
(——父上。母上)
ワタシは、その報せを聞いて——胸が熱くなった。
かつて。「家門に泥を塗る」と——叱責された、ワタシの活動。その活動から生まれた紙を、今、家族が——誇りを持って、世に広めてくれている。
あのすれ違いは——もう、確かに——溶け始めていた。
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効果は——じわじわと。けれど、確実に——現れ始めた。
「オルブライト侯爵家のご令嬢が、愛用」。「アーデルハイト辺境伯家、お墨付き」。——そういう評判が、貴族社会で広まると。
あれほど警戒されていた紙が——急に。「価値ある品」として——見られるように、なったのだ。
「あの紙。——使ってみたら、なかなか良いものだったぞ」
「軽くて扱いやすい。——それに、安い。これは……羊皮紙より、便利かもしれん」
一度使ってみれば——その良さは、すぐにわかる。「新しい」という警戒さえ解ければ——紙の便利さは、本物だった。
貴族たちがこぞって求め始める。——すると今度は、それを真似て、裕福な商人たちも——買い始めた。
評判は——上のほうから、徐々に——広がっていった。
*
「……たいしたもんだ、旦那」
ニコが、感心したように言った。
「力ずくでも、安売りでもない。——『信頼』で売る、ってわけか。あのお高くとまった貴族さま方を——うまいこと、使ったもんだ」
「使った、なんて。——人聞きが、悪いな」
ワタシは、苦笑した。
「クラリスティアさんも、父上たちも——心から協力してくれたんだ。——ワタシは本当に、いい仲間と家族に——恵まれている」
新しいものが受け入れられるには——時間がかかる。でも——信頼できる誰かが、橋渡しをしてくれれば。その壁は——越えられる。
クラリスティアと、家族。——その信頼の力で、紙はようやく——世に出る第一歩を、踏み出したのだった。
*
とはいえ——まだ。紙が行き渡っているのは、貴族や——一部の富裕な層だけ。
ワタシが本当に届けたいのは——もっと、たくさんの人々。文字を学びたくても、羊皮紙が高くて——諦めていた、市井の人々の手にこそ。
(——これからだ)
ワタシは——窓の外を、見つめた。
貴族の間で得た評判を、足がかりに。——次は、もっと広く。もっと多くの人へ。
一枚の紙が——歩み始めた。その行く先には、きっと——もっと大きな何かが、待っている。
そんな予感が——ワタシの胸を、静かに満たしていた。




