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第62話 貴き人々の紙

 辺境から木材が届き、商会は——本格的に、紙の生産を始めた。


 安く、質のいい紙。——これは必ず売れる。ワタシは、そう信じていた。


 ——けれど。現実は、そう甘くはなかった。



「……ぜんぜん、売れねえな」


 ニコが、難しい顔で唸った。


 市場に紙を並べてみた。——けれど、人々の反応は——芳しくなかった。


「なんだ、このぺらぺらの紙は」


「羊皮紙のほうが丈夫だろう。こんな見慣れないもの。——すぐ破れちまうんじゃ、ないか?」


「安いのには、わけがあるんだろ。——やめとくよ」


 人々は——新しい紙を、警戒していた。


(——そうか)


 ワタシは——思い知った。


 どんなに優れたものでも——見慣れない新しいものは、すぐには受け入れられない。人は、慣れ親しんだものを——信用する。新しいものには——まず、疑いの目を向ける。


 いくら安くて便利でも、「得体の知れないもの」と思われているうちは——誰も、手を出さない。


「どうする、旦那。——このままじゃ、せっかくの紙が、宝の持ち腐れだぜ」



 ワタシは——考えた。


 どうすれば、人々の警戒を——解けるのか。


(——信頼。——誰かの、お墨付きが、いる)


 ワタシは——一つの策を、思いついた。


 人は——「権威ある誰か」が認めたものを、信用する。たとえば——名のある貴族が「これは良い品だ」と、使ってみせれば。


 「あのお方が使うものなら」と——人々の見る目も、変わるはずだ。


(——それなら)


 ワタシの頭に——二つの顔が、浮かんだ。


 クラリスティア。——そして——故郷の両親、だった。



 ワタシはまず、クラリスティアに——手紙を書いた。


 卒業して、社交界で改革派として動き始めた彼女。——その人脈は、今やワタシたちにとって——貴重な力だった。


 事情を知ったクラリスティアからは——すぐに、返事が来た。


 『面白いお話ね。——任せてちょうだい。この紙の良さ。わたくしが、社交界で——広めてみせるわ』


 彼女は——さっそく、動いてくれた。


 お茶会や、夜会の席で、さりげなく——その紙を使ってみせる。美しい便箋として。——あるいは、詩を書きつけた一枚として。


「あら、クラリスティア様。——その紙は?」


「ええ。——新しい紙ですの。軽くて、書き心地もよくて。——とても重宝して、いますのよ」


 「氷のバラ」と謳われる——美しく、聡明な令嬢が、さらりと使うその紙は。——たちまち、貴婦人たちの——好奇の的になった。



 そして——故郷の両親も、動いてくれた。


 父ガイウスは——付き合いのある貴族たちに、サンプルの紙を配った。


 無骨な父らしく、回りくどい口上は抜きで。——ただ、こう言ったという。


「我がアーデルハイト家が——扱う品だ。質は保証する。——使ってみろ」


 辺境伯、という——確かな後ろ盾。その名のもとに配られた紙は——貴族たちの間で、少しずつ——試され始めた。


 母エルマも——親しい夫人たちに、「とても便利なのよ」と——柔らかく勧めてくれた、らしい。


 家族が——商会の紙のために——一肌、脱いでくれている。


(——父上。母上)


 ワタシは、その報せを聞いて——胸が熱くなった。


 かつて。「家門に泥を塗る」と——叱責された、ワタシの活動。その活動から生まれた紙を、今、家族が——誇りを持って、世に広めてくれている。


 あのすれ違いは——もう、確かに——溶け始めていた。



 効果は——じわじわと。けれど、確実に——現れ始めた。


 「オルブライト侯爵家のご令嬢が、愛用」。「アーデルハイト辺境伯家、お墨付き」。——そういう評判が、貴族社会で広まると。


 あれほど警戒されていた紙が——急に。「価値ある品」として——見られるように、なったのだ。


「あの紙。——使ってみたら、なかなか良いものだったぞ」


「軽くて扱いやすい。——それに、安い。これは……羊皮紙より、便利かもしれん」


 一度使ってみれば——その良さは、すぐにわかる。「新しい」という警戒さえ解ければ——紙の便利さは、本物だった。


 貴族たちがこぞって求め始める。——すると今度は、それを真似て、裕福な商人たちも——買い始めた。


 評判は——上のほうから、徐々に——広がっていった。



「……たいしたもんだ、旦那」


 ニコが、感心したように言った。


「力ずくでも、安売りでもない。——『信頼』で売る、ってわけか。あのお高くとまった貴族さま方を——うまいこと、使ったもんだ」


「使った、なんて。——人聞きが、悪いな」


 ワタシは、苦笑した。


「クラリスティアさんも、父上たちも——心から協力してくれたんだ。——ワタシは本当に、いい仲間と家族に——恵まれている」


 新しいものが受け入れられるには——時間がかかる。でも——信頼できる誰かが、橋渡しをしてくれれば。その壁は——越えられる。


 クラリスティアと、家族。——その信頼の力で、紙はようやく——世に出る第一歩を、踏み出したのだった。



 とはいえ——まだ。紙が行き渡っているのは、貴族や——一部の富裕な層だけ。


 ワタシが本当に届けたいのは——もっと、たくさんの人々。文字を学びたくても、羊皮紙が高くて——諦めていた、市井の人々の手にこそ。


(——これからだ)


 ワタシは——窓の外を、見つめた。


 貴族の間で得た評判を、足がかりに。——次は、もっと広く。もっと多くの人へ。


 一枚の紙が——歩み始めた。その行く先には、きっと——もっと大きな何かが、待っている。


 そんな予感が——ワタシの胸を、静かに満たしていた。

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