第61話 一枚の紙から
新商品で息を吹き返した、商会。——けれど。ワタシは、まだ考え続けていた。
もっと。もっと大きな。締めつけを、根本から覆すような——そんな何かを。
(——必需品でもなく、贅沢品でもない。誰もが欲しがり、しかも——この世界には、まだない、もの)
その時。ふと——ワタシの目に留まった、ものがあった。
書き物机の上の——一枚の羊皮紙、だった。
*
この世界で——文字を記すものといえば、羊皮紙が一般的だった。
けれど、羊皮紙は、羊の皮から作る。手間もかかり——とても高価だ。だから、文字を読み書きできるのは——貴族や、富裕な商人、聖職者。——ごく一部の者に、限られていた。
(——もし)
ワタシの胸が——高鳴った。
(——もし。もっと安くて、たくさん作れる紙が、あったら)
前世の記憶が、蘇る。木から作る紙。——大量に、安く生産できる、あの紙が、この世界にあれば。
文字は、もっと多くの人の手に届く。知識が——広まる。それは、商会の新商品、というだけではない。——この国のありようすら、変えうるものだった。
*
ワタシはさっそく、ニコや職人たちと——紙作りに取りかかった。
もちろん。「前世で知っていた」とは、言えない。だからワタシは、「こうしたらどうだろう」と、皆と試行錯誤するふりをしながら。少しずつ、記憶の中の製法を——形にしていった。
「まず——木を、細かく砕くんだ」
ワタシは言った。
木の枝や幹を——細かく割り、砕いていく。
「それを——灰汁で、長いこと煮る」
砕いた木を、大鍋で、ぐつぐつと煮込む。灰を溶かした水、灰汁の中で、じっくりと。——木が柔らかく、ほぐれていく。
「やわらかくなったら——叩いて、繊維をばらばらにする」
煮えた木を、臼で搗き、叩きほぐす。すると——木は次第に、細かな繊維の塊に——変わっていった。
「これを——水に溶かして」
ほぐした繊維を、大量の水に、溶かし込む。すると、水は——どろりと白く濁った。繊維が水の中を、ふわふわと——漂っている。
「——この水を、簾ですくって、薄く伸ばす」
ワタシは、木の枠に簾を張った道具で、その濁った水を、そっとすくった。簾の上に、繊維だけが——薄く、平らに——残る。
ゆらゆらと簾を揺らし——繊維を、均一に広げる。
「あとは——これを、乾かせば」
簾から、そっと剥がしたそれを、板に貼って、日に干す。水分が抜けて——繊維どうしが、固く結びついていく。
そして。——乾ききったそれを、板から剥がすと。
そこには。一枚の。白く、薄い——紙が、あった。
*
「……で、できた」
ワタシは——震える手で、その紙を掲げた。
最初は、失敗も多かった。厚すぎたり、破れたり——ぼろぼろになったり。何度も何度も——試行錯誤を繰り返した。
でも。ついに。納得のいく一枚が——できあがったのだ。
「旦那……これは」
ニコが——目を見開いて、その紙を手に取った。
「軽い……! それに、薄い。——羊皮紙とは、まるで違う。こいつに、文字が書けるのか?」
「ああ。——書けるよ」
ワタシはペンを取り——その紙に、さらさらと、文字を記してみせた。
インクは、にじむことなく。白い紙に——くっきりと、文字を刻んだ。
「……すげえ」
ニコが——絶句した。
「こいつは……羊皮紙より、ずっと安く作れる。それでいて——書き心地もいい。旦那……これは、とんでもないものだぞ」
*
けれど。——一つ、大きな問題があった。
「——材料の、木だ」
ワタシは言った。
「紙をたくさん作るには——大量の木がいる。でも、王都で木材を大量に仕入れれば——すぐに目をつけられる。大神官の締めつけが、そこにも及ぶ」
ニコが——唸った。
「違いねえ。——王都の商人を通せば、連中に筒抜けだ。何か別の手で、木を調達しねえと……」
(——木材。大量の木が採れる、ところ)
ワタシは——考えを巡らせた。
そして。——一つの答えに、たどり着いた。
(——辺境)
ワタシの生まれ故郷。アーデルハイト辺境伯領。魔物の脅威と隣り合わせの辺境。だが、その分——豊かな森林が、広がっている。
あそこの木材なら、王都の商人を通さず、直接仕入れられる。大神官の目の届かぬところで。——しかも。
(——父上に、頼めば)
*
ワタシは——筆を執った。
父、ガイウスへの——手紙だった。
商会の苦境。そして、紙という新しい品のこと。その材料に——辺境の木材を、仕入れたいこと。
書きながら——ワタシの胸は、揺れていた。
これまで、ワタシは、家族に、迷惑ばかりかけてきた。叱責され、心配をかけ——家門に泥を塗った。
なのに今度は、その家族に。「力を貸してほしい」と——頼もうとしている。
(——虫が、良すぎるかな)
ワタシは——少し、ためらった。
でも。これは、商会のためだけではない。辺境の木材が売れれば——豊かとは言えぬ、あの領地にも、利益が生まれる。家のためにも——なるはずだ。
ワタシは、意を決して、手紙を書き上げ、辺境へと——送った。
*
返事は——驚くほど早く、届いた。
父の筆跡で——短く。けれど、力強く。こう記されていた。
『木材の件。任せておけ。我が領の森を、存分に使うがよい。最良の木を、最良の価で、送ってやる。——お前一人に背負わせはせんと、言ったはずだ。よくぞ、頼ってくれた。——父より』
(——父上)
ワタシは——その手紙を、握りしめた。
目の奥が——熱くなった。
「よくぞ、頼ってくれた」。——その一言に、父のすべての思いが——込められていた。
ずっと、力になりたくても、なれなかった父。何もできないと——歯噛みしていたであろう父。その父に——ワタシは今、「頼る」ことができた。
そして、父は——それを、喜んでくれた。
*
ワタシは、しばらく。——その手紙を、見つめていた。
思えば。——遠い、道のりだった。
叱責され。心配を、かけ。すれ違ってきた、家族。「家門に泥を塗った」と、責められた、こともある。なのに——今。
ワタシは、家族に。「頼る」ことが、できた。そして、家族は。——それに、応えてくれた。商会のためだけでは、ない。辺境の木材が売れれば——豊かとは言えぬ、あの領地の、利益にもなる。ワタシの活動が、初めて——家の、力にもなる。
(——一枚の紙が)
ワタシは、手の中の、試作の紙を——そっと、見つめた。
まだ、薄く、頼りない。けれど。この一枚が。商会の活路を、開くだけでなく。——ずっと、すれ違っていた、ワタシと家族の心まで、つなごうと、している。
(——ありがとう。父上)
ワタシは、辺境の空の方角へ——そっと、頭を下げた。
紙作りは、まだ、始まったばかり。——これから。辺境の木材が届けば。本格的な、生産が、始まる。
この、小さな一枚が。——いったい、どこまで、広がっていくのか。
その先を思うと、ワタシの胸は。不思議と、温かな、高鳴りで——満たされていた。




