第52話 王宮からの使者
それは、あまりにも突然だった。
ある日の昼下がり。商会に——一台の立派な馬車が、横づけされた。
紋章入りの馬車。——ただの貴族のものではない。それを見た瞬間、商会の空気が——凍りついた。
馬車から降りてきたのは、仰々しい装束をまとった使者。その者はワタシの前に進み出ると——うやうやしく、一通の書状を掲げた。
「ルキウス・フォン・アーデルハイト様。——王宮より、火急の召喚でございます」
(——え)
ワタシは一瞬、言葉の意味が——理解できなかった。
王宮。——召喚。
その二つの言葉が、頭の中で結びついた瞬間。——ワタシの背筋に、氷のようなものが走った。
*
書状には、こう記されていた。
——ルキウス・フォン・アーデルハイト、ならびに、その父、辺境伯ガイウス・フォン・アーデルハイトを王宮に召喚する。速やかに、参内せよ。
「……父上、も」
ワタシは、呆然と書状を見つめた。
ワタシだけではない。当主である父も。——共に呼ばれている。
使者が立ち去った後。商会には——重い沈黙が落ちた。
「……旦那」と、ニコがかすれた声で言った。「こいつは……どういうことだ。王宮、だぞ。一介の商会の主が——王に呼ばれるなんて」
ニコの顔は——青ざめていた。
無理もない。ワタシたちはこれまで、貴族や教会を相手にしてきた。——でも、王宮は、この国の頂。次元が違う。
*
ワタシは——必死に、頭を巡らせた。
なぜ、今、王宮が——ワタシを呼ぶのか。
(——いや。違う)
ワタシは悟った。
これは——王の意思では、ない。
先日、ヨハンが言っていた。「追い詰められたあのお方は、必ず別の手を打ってくる」と。——これだ。
大神官。——あのお方がついに、「王の権威」を持ち出してきたのだ。
世論では、もうワタシたちを抑えられない。教会の声でも。——ならば。この国でただ一つ、誰も逆らえぬ力。「王の名」を使って——ワタシたちを抑え込みにかかってきた。
(——なんてことだ)
ワタシの手が——震えた。
王に逆らうことは——「反逆」だ。教会に楯突くより、はるかに重い。下手をすれば——一族もろとも、罪に問われかねない。
大神官は——自らは影に潜んだまま。「王」という最強の看板を、ワタシたちに突きつけてきたのだ。
*
その夜。
ワタシはすぐに、辺境の父に、事の次第を知らせる早馬を出した。——だが、書状はすでに、父のもとにも届いているはずだった。
そして——ワタシは、仲間を集めた。
「王宮に、呼ばれた。——父上と、二人で」
ワタシが告げると、皆の顔がこわばった。
「これは——大神官の差し金だ。間違いない。世論で押されたあのお方が、『王の権威』を使って、ワタシを抑え込もうとしている」
「……ルキさま」
フィーが不安げに、ワタシの袖を握った。
「だ、大丈夫、なんですか。王宮、なんて。——もし、そのまま捕まえられたり、したら……」
その声は、震えていた。
ワタシは——フィーの手に、そっと自分の手を重ねた。
「大丈夫。——たぶん、すぐにどうこうされる、わけじゃない」
ワタシは、努めて冷静に言った。
「向こうの狙いは、ワタシを脅すこと。『王が見ているぞ』『大人しくしろ』と——釘を刺すつもりだろう。いきなり罪に問うほど——まだ、こちらに決定的な証拠は、ないはずだ」
でも——内心では。ワタシも——不安だった。
相手は、王宮。何が起こるか——本当のところは、誰にもわからない。
*
「——だが」
クラリスティアが、口を開いた。
彼女の顔は、さすがに貴族令嬢らしく、冷静だった。
「悪いことばかりでは、ないわ、ルキウス」
「……というと?」
「考えてもごらんなさい。——あなたはこれから、この国の王に、直接お目にかかる。それは——めったにない機会よ」
クラリスティアの緑の瞳が——鋭く光った。
「大神官は、あなたを脅すために、王の前へ引きずり出すつもりでしょう。——でも。その場には、王がいる。大神官の傀儡だとしても——王は、王。この国でただ一人、大神官の上に立ちうる御方」
(——っ)
「もし——その王に。あなたの思いが、少しでも届いたなら。——形勢は、大きく動くかもしれない」
ワタシは——はっと、した。
そうだ。——これは、危機でありながら。同時に——またとない機会、でもある。
この国の頂に立つ人物に、直接、声を届けられる。——そんなこと、普通なら、あり得ない。
*
ワタシは——深く、息を吸った。
恐怖は、ある。罠かもしれない。脅しかもしれない。——でも。
(——行くしか、ない)
逃げれば、それこそ「やましいことがある」と認めるようなもの。——堂々と参内し、何が待っていようと、受けて立つ。
そして——もし。万に一つ、王の心に、何かを届けられる機会があるなら。——ワタシは、そのすべてを賭ける。
「——行ってくる」
ワタシは、皆を見回して言った。
「父上と共に、王宮へ。——どんなことが待っていても。ワタシは、ワタシの信じる道を、曲げない」
仲間たちの顔に——不安と。けれど、確かな信頼が、にじんでいた。
こうして——ワタシは、生まれて初めて。この国の頂、王宮へと、足を踏み入れることになった。
何が待っているのか。——まだ、わからない。
ただ、胸の奥で。——これは、ただの脅しでは終わらない。そんな確信めいた予感だけが、静かに、研ぎ澄まされていた。




