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第50話 灯のともる場所

 守りに入った日々は、静かだった。


 派手な動きはできない。買い付けは続けているけれど——新たに隷紋を解くことは、控えている。——もどかしさはある。けれど、その分。商会の日常を、ゆっくりと味わう時間が生まれていた。



 その日。商会の、休憩の時間。


 仲間たちは、めいめいに寛いでいた。メイアが新しい薬草茶を淹れ、ラントが年下の子たちに、細工のこつを教えている。年老いたあの元奴隷の女性は——今ではすっかり商会に馴染んで、包み物の合間に、子どもたちの繕い物をしてやっていた。


 ささやかな、けれど——温かい光景だった。


「——なあ、旦那」


 ニコが、薬草茶をすすりながら言った。


「こうして見てるとよ。——うちも、ずいぶん大所帯になったもんだ。最初は、辺境の、あの鍛冶場でよ。あんたと、おれと、フィーと。——数えるほどしか、いなかったのにな」


「……そうだね」


 ワタシは、湯気の立つカップを手に、しみじみと頷いた。


 思えば——遠くまで来た。たった一人、こっそり奴隷の鎖を解いていた、あの頃から。——今や、こんなにもたくさんの仲間が、同じ灯を囲んでいる。



「そういえば」と、ニコが思い出したように言った。


「辺境から、便りが来てたぜ。——例の、最初に解放した連中からだ」


「! ——みんな、元気にしてる?」


 ワタシは、思わず身を乗り出した。


 辺境の拠点。——ワタシたちの原点。


 いちばん最初に鎖を解いたのは、フィーだった。あれは、屋敷の中でのこと。——けれど、第二、第三と解放を重ね、仲間が増えていくにつれて。秘密の活動には、人目につかない場所が、必要になった。


 そこで使い始めたのが——セバスが見つけてきた、領都外れの、打ち捨てられた古い鍛冶場だった。あそこが、ワタシたちの、最初の隠れ家になった。


 けれど——さらに人が増えるにつれて、鍛冶場だけでは手狭になった。隣り合う古い納屋や物置に住まいを広げ、それでも足りず——やがて、拠点の奥、森にほど近い一帯を、少しずつ切り拓いていった。畑を作り、家を建て。解放した人たちと、共に。


 今では、そこが彼らの新しい暮らしの場だ。ニコとメイアが育てた後継者たちが、切り盛りしてくれている。最初に救った人たちの多くは王都には出ず、あの開拓の地で、新しい暮らしを営んでいた。


「ああ。——元気どころか、よ」


 ニコは便りを広げて、にやりと笑った。


「あいつら。——すっかり根を下ろしてる。畑を耕して、家畜を飼って。——小さな村みたいになってるらしいぜ。中にゃ、所帯を持った奴もいてな。——去年、赤ん坊が生まれたんだとよ」


(——赤ん坊)


 ワタシの胸が——じんわりと温かくなった。


 かつて鎖につながれ、明日をも知れぬ身だった人が。今は——土を耕し、家族を持ち、新しい命を育んでいる。


 奴隷だった頃には、望むことすらできなかった未来。それをあの人たちは——自分の手で、掴み取っているのだ。



「便りには、こう書いてあったぜ」


 ニコが、便りの一節を読み上げた。


「『ルキさまへ。おかげさまで、私たちは毎日、しあわせに暮らしています。生まれた娘は——胸を張って生きていけるよう、育てます。いつか、この子が大きくなったら、教えてやりたい。お前は、たくさんの人の優しさの上に、生まれてきたのだ、と』」


 便りには万一に備えて、互いに、際どい言葉は書かない決まりだ。「自由」も、「隷紋」も、そこには一言もない。——それでも。行間から、あふれてくるものが、あった。


 ワタシは——言葉を失った。


 目の奥が——熱くなる。


 ワタシが辺境で蒔いた小さな種。それは、ワタシの知らないところで——こんなにも大きく、こんなにも温かく、実を結んでいた。


 一人を救う。それは——その人一人の人生だけを変えるんじゃない。その人が築く家族。生まれてくる子ども。——その、すべての未来を照らすことなのだ。


(——ああ)


 ワタシは、込み上げるものをこらえながら、思った。


(——ワタシのしてきたことは。——間違って、いなかった)



「……いい便りだね」


 ワタシがようやく、そう言うと。フィーが、そっと隣に来た。


「ルキさま。——わたしも。あの子たちと、同じです」


「フィー?」


「ルキさまにもらった自由を——大切に生きてます。毎日、しあわせです。——だから」


 フィーは、はにかみながら。けれど、まっすぐに言った。


「ルキさまのしてきたことは——たくさんのしあわせを、生みました。それは——絶対に、間違ってなんか、いません」


(——フィー)


 ワタシは——胸がいっぱいになった。


 守りに入って、動けない日々。「これでいいのか」と、迷うこともあった。


 でも。——この灯は確かに、たくさんの人の暮らしを、家族を、未来を——照らしている。


 それを守るためなら。——今、耐えることにも、きっと意味がある。



 その夜。ワタシは、辺境への返事をしたためた。


 『便り、ありがとう。——赤ん坊の誕生、心からおめでとう。どうか、その子に、たくさんの愛情を』


 ——そして、自由の尊さを。……そう書きかけて、ワタシは筆を止めた。それは、便りには書けない言葉だ。でも——書かなくても、きっと、届いている。


 筆を置いて、ワタシは、窓の外の夜空を見上げた。


 遠い辺境の空にも——きっと、同じ星が瞬いている。


 あの土地で、今しあわせに眠っている人たちがいる。ワタシたちの灯から分かれた小さな灯が、あちらでも確かにともっている。


(——守りたい)


 ワタシは、改めて思った。


 この灯を。辺境の灯も、王都の灯も。——一つ残らず。


 たとえ、どんな大きな影が、立ちはだかろうとも。


(——ワタシは、守ってみせる)


 その決意は、静かに、けれど揺るぎなく——ワタシの胸に、ともっていた。


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