第49話 核心へ迫る影
その調べは、これまでとは、明らかに質が違った。
「——旦那。まずいことに、なってきた」
ある夜。商会の奥の一室で、ニコの声は、いつになく硬かった。
「商会を嗅ぎ回ってる連中。——ボルツの間者なんかとは、桁が違う。手口が丁寧で、執拗だ。金の流れ。仕入れの記録。解放した連中の身元。——一つひとつ、丹念に洗ってやがる」
(——大神官の、手の者か)
ワタシの背筋が、こわばった。
ボルツ伯爵の間者は、雑だった。だから、攪乱でしのげた。——でも、今度のは違う。教会という巨大な組織の、その頂点が、本気でワタシたちを調べにかかっている。
「特に——」と、ニコは声を潜めた。「連中がいちばん気にしてるのが、あんた自身だ、旦那。『アーデルハイトの三男は何者か』『どうやって奴隷を選んでいるのか』——そこを、執拗に探ってる」
(——鑑定)
ワタシの心臓が、冷たく跳ねた。
ついに——核心に、手が伸び始めている。
*
ワタシはすぐに、仲間を集めた。
ニコ、セバス、メイア、フィー。そして——クラリスティア。緊急の相談だった。
けれど、その前に。ワタシには、一つ決めたことがあった。
ニコたちは、活動を共にする中で、ワタシの「視る力」を、とうに知っている。けれど——クラリスティアには、まだ打ち明けていなかった。彼女は、ワタシが何かを隠していると察しながら、踏み込まずに待っていてくれた。
でも——もう。彼女も命がけで、この戦いに加わってくれている。隠したままでは、いられない。
「——クラリスティアさん。あなたに、まだ話していないことがあります」
ワタシは、彼女をまっすぐ見た。
「ワタシには——『鑑定』の力があります。人の本質や才能、物の来歴。そういったものを視ることができる。女神アステリアさまから、いただいた技能なんです」
クラリスティアの緑の瞳が、わずかに見開かれた。
「……やはり。何かあると、思っていたわ。あの商会の目利き。対抗戦であなたが見せた、相手の動きがすべて見えているような、あの体さばき。——そういうことだったの、ね」
彼女は、責めるでも、驚き騒ぐでもなく——ただ静かに、頷いた。
「打ち明けてくれて、ありがとう。——わたくしを信じてくれた、ということでしょう」
その落ち着いた受け止めに、ワタシは胸が熱くなった。
彼女は、それ以上は——問わなかった。ワタシがその力で、商会の者たちに何をしてきたのか。——聡い彼女のことだ、薄々、察してはいるのだろう。それでも——あえて、踏み込まない。「あなたが話してくれる時を待つ」と、いつか言ってくれた、その言葉の通りに。
その距離の取り方が、今はありがたかった。彼女をこれ以上、危険なことに——巻き込まずに、済む。
*
話が、商会のより深いところへ——差しかかった時。
クラリスティアが、すっと立ち上がった。
「——わたくしは、ここで失礼するわ」
「クラリスティアさん……?」
「あなたたちには、あなたたちにしかできない話が、あるのでしょう。——わたくしが、聞かない方がいいことも。それくらい、わかるわ」
彼女は、穏やかに、けれどきっぱりと言った。
「わたくしは、わたくしにできることをする。社交界の、世論の後ろ盾。——それで、あなたたちを支える。だから——あなたたちは、あなたたちの戦いをなさい」
知るべきでないことには、踏み込まない。それが互いを守ることだと、彼女はわかっていた。
「……ありがとうございます。クラリスティアさん」
彼女はふっと微笑んで、部屋を後にした。
残ったのは、活動の核心を共にしてきた者たちだけ。ワタシは改めて、皆を見回した。
「敵は——ワタシが奴隷を選ぶ、その『目』に、注目し始めている。もし、この『鑑定』に気づかれたら——その先まで、芋づる式に、たどられてしまう」
(——見過ごされた才能を見抜いて買っていたことが露見すれば。そこからさらに、深く探られて。——隷紋のことまで、たどり着かれるかも、しれない)
それだけは、絶対に避けねばならない。
部屋に、緊張が走った。
「……どうする、旦那」
「これまで通りでは——通用しないかもしれない」
ワタシは、慎重に言葉を選んだ。
「相手は、教会の頂点。ボルツ伯爵とは訳が違う。生半可な攪乱は——かえって怪しまれる。だから——」
*
「——徹底的に、『凡庸』になる」
ワタシは、決めた。
「幸い——奴隷の買い付けは、もう一年も前から、才能では選んでいない。ニコとフィーに任せて、区別なく買っている。……あの方針が、期せずして、今、ワタシたちの盾になってくれてる」
才能があるから救うんじゃない。人だから救う。——あの時の転換が、思わぬ形で、敵の目からワタシたちを守っていた。連中がいくら「今」の商会を洗っても、そこにあるのは——目利きの冴えなど、どこにもない、ごく普通の商会の姿だけなのだ。
「だが、旦那」と、ニコが案じた。「連中が洗ってるのは、『今』だけじゃねえぜ。——昔の帳簿まで、さかのぼられたら。あの頃の『掘り出し物』続きは、どう見たって、不自然だ」
「わかってる。——だから、これからは、それを上書きしていく」
ワタシは言った。
「『普通の商会』としての日々を、地道に、積み重ねる。時が経てば経つほど、昔の成功は、『たまたま運の良かった時期』に見えていく。——目立つことは、何もしない。それと——ワタシ自身も。鑑定を使うのは、極力、控える」
セバスが、深く頷いた。
「賢明なご判断かと。——光をわざと弱める。嵐が過ぎるのを待つ。古来、身を守る知恵でございます」
「それと——もう一つ。いちばん、苦しい決断だけど」
ワタシは、一度、言葉を切った。
「しばらくの間——隷紋を解くのを、やめる」
皆が、息を呑んだ。
「奴隷を買うのは、続ける。ひどい主のもとから、市場から、一人でも多く、引き取る。給金も、休みも、これまで通り。一人の人間として、扱う。——でも、首の隷紋には、手をつけない。……今は」
「……本気か、旦那」
ニコの声が、低かった。
「うん。——今、うちでいちばん危ないのは、『隷紋のない奴隷』が、これ以上増えることだ。敵は、まさにそこを探してる。なら——増やさなければいい。買った人は、隷紋を残したまま、雇う。そうすれば、うちは、どこからどう検められても——『奴隷を人並みに扱う、変わり者の商会』でしか、ない」
建前が——そのまま、本当になる。
皮肉な話だった。ワタシたちがずっと隠れ蓑にしてきた、「奴隷のまま、人として扱う」という看板。それをしばらくは——嘘偽りなく、そのまま、やるのだ。
*
「……ルキさま」
フィーが、おずおずと口を開いた。
「その人たちの、首の鎖は……解いて、あげられないのですか。——ずっと?」
「——ずっとじゃ、ない」
ワタシは、はっきりと答えた。
「嵐が過ぎたら、必ず解く。一人残らず。……それにね、フィー。この決断をしながら、考えてたんだ。——隷紋を解くことだけが、救いじゃないのかもしれない、って」
フィーが、顔を上げた。
「隷紋があっても——殴られない。飢えない。給金をもらって、休みがあって、名前を呼ばれて。一人の人間として、扱われる。……それだけで、人の暮らしは、まるで変わる。まず、そこから。——鎖を断つのは、その先でいい」
言いながら、ワタシは——自分の言葉に、ふと、気づいていた。
(——これって。……国のかたちの話、じゃないか?)
一人ずつ、こっそり鎖を断つのではなく。鎖があったままでも、人として扱われる仕組みを、先に作る。——それは、いつかこの国そのものを変える時の、道筋そのものではないのか。
(——いつか。ワタシが、もっと大きな力を持てた、その時のための)
その雛形を。ワタシたちは今、この小さな商会で、作っているのかもしれなかった。
フィーは——しばらく俯いて。それから、こくり、と頷いた。
「……はい。——鎖があっても、人は、幸せになれる。それを、わたしたちが、見せるんですね」
「——うん。そういうこと」
*
こうして、ワタシたちは——守りに入った。
商会はあえて、目立たぬ商いに徹し。買い付けは続けながらも——新たに隷紋を解くことは、しない。
もどかしい日々だった。救い出した人の首に、鎖が残ったまま。それを知りながら——今は、解いてやれない。
でも。
(——今は、耐える時だ)
ワタシは、自分に言い聞かせた。
あの底知れぬ影が、こちらを見据えている。——下手に動けば、すべてを失う。だから——今は、息を潜める。光をわざと隠して。——嵐が過ぎるのを待つ。
けれど。——ワタシにはわかっていた。
これはあくまで——一時のことだ。いつか必ず、あの影と——正面から向き合う日が来る。
その時こそ、ワタシは——隠してきたすべてを、賭けることになるのだろう。
(——その日まで。この灯を。——消させは、しない)
ワタシは静かに、決意を新たにした。




