第48話 灯に集う人々
ヨハンの一件を、世論でしのいだ後。不思議なことが、起き始めた。
アステリア商会の評判が——むしろ、上がったのだ。
*
教会に糾弾され、大物貴族に妨害され、それでも屈せず。慈悲深い神官のために、立ち上がった商会。——その姿が、いつしか王都の人々の心を掴んでいた。
「なあ、知ってるか。あのアステリア商会。——教会に目をつけられても、びくともしねえらしいぜ」
「ああ。しかも、あそこで働いてる連中。——元は、行き場のなかった者ばかりなんだとよ。それが今じゃ、生き生きと働いてる」
「見に行ったことがあるが。——いいもんだぜ。みんな、笑ってんだ。あんな幸せそうに働く場所。——なかなか、ないよ」
商会の前には、少しずつ、人が集まるようになっていた。
品物を買いに来る客だけではない。——ただ、商会の様子を見に来る人。働く者たちの笑顔に惹かれて、訪れる人。中には、「自分も、ここで働けないか」と訪ねてくる人まで現れた。
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ワタシは——その光景に、戸惑っていた。
「……なんだか。人が、増えたね」
ワタシがそうこぼすと、隣でニコが、にやりと笑った。
「当たり前だろ。——うちは今や、王都でいちばん評判の商会だぜ。『あそこには、何か本物がある』ってな。みんな、惹かれて来るのさ」
「本物……」
「ああ。——考えてもみろよ、旦那。教会に睨まれても、貴族に妨害されても、それでも弱い者を見捨てず、商売もまっとうにやってる。——そんな商会、ほかにあるか?」
ワタシは——言葉に詰まった。
ニコの言うことが、よくわからなかった。ワタシはただ、やるべきことを黙々とやってきただけだ。誇るようなことなど、何も——。
「旦那は、いつもそうだ」
ニコが、呆れたように笑った。
「自分のやってきたことの大きさを——ちっともわかっちゃいねえ。けどな。——周りは、ちゃんと見てるんだぜ。あんたが積み上げてきたものを」
(——そう、なのかな)
ワタシには、まだぴんと来なかった。
*
その日。商会の片隅で。
ワタシは、一人の老人が、じっと工房の方を見ているのに気づいた。
みすぼらしい身なりの、老人だ。客には見えない。ワタシは声をかけた。
「あの……何か、お探しですか?」
「ああ、いや」
老人は慌てて、首を振った。それから、ぽつりと言った。
「ただ……見てた、だけさ。あそこで働いてる、連中をな」
老人の視線の先では、解放された仲間たちが、例の分業の仕組みで、めいめいの仕事に励んでいた。みな、穏やかな顔で。
「わしも……奴隷でな」
老人は、襟元を少しずらして見せた。皺だらけの首に——古い隷紋が、刻まれていた。
「歳を食って、働けなくなって。主には、とうに捨てられた。——隷紋だけ背負ったまま、道端で野垂れ死ぬのを、待つだけの身さ。でも……ここの連中を、見てるとな」
老人の目に——涙が滲んだ。
「ああ、世の中にも。——こんな場所があるんだ、って。奴隷の身でも、歳を取ってても。——笑って生きられる場所が。それを見られただけで。——わしはなんだか、救われた気がするんだよ」
(——っ)
ワタシは——言葉を失った。
ワタシの商会は、ただそこにあるだけで——誰かの希望になっている。直接救った人だけではない。それを遠くから見ている人の、心まで。——照らしていたのだ。
*
「——あの。よかったら」
ワタシは、その老人に言った。
「うちで、働きませんか。歳を取っていても、できる仕事はあります。——一つの工程だけ、でいいんです。あなたにも、きっとできることがある」
老人は——目を見開いた。
「わ、わしを……雇ってくれるのか? こんな老いぼれを?」
「はい。——ここは、そういう場所ですから」
老人は——くしゃくしゃの顔で、何度も何度も頭を下げた。
その姿を見ながら、ワタシは、胸の奥が、じんわりと温かくなるのを感じていた。
ニコの言葉が、少しだけわかった気がした。
ワタシが積み上げてきたもの。それは——いつのまにか、ワタシの知らないところで、たくさんの人の心に届いていたのかもしれない。
*
——けれど。その温かな高まりの影で。
ワタシは——気づいていた。
最近、商会の周りをうろつく影が、以前よりずっと増えていることに。
ボルツ伯爵の間者とは、どこか違う。——もっと洗練された、もっと底の知れない、気配。
(——大神官、か)
ワタシの背筋に、冷たいものが走った。
商会が大きくなり、評判が高まるほど。——あの底知れぬ影もまた、確実に、こちらへ迫ってきている。
光が強くなるほど——影もまた、濃くなる。
ワタシは、集う人々の温かな笑顔と、忍び寄る冷たい気配の——その両方を感じながら、静かにこぶしを握った。
(——守らないと。この灯を)
高まる希望と、迫り来る危機。
その両方を、ワタシは、胸の奥で、確かに感じていた。——遠くない、いつか。あの底知れぬ影と、正面から、ぶつかる時が来る。
その予感だけが——日に日に、濃くなっていた。




