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幕間 わたしのはたいせつなもの フィー視点

 わたしには昔——名前が、なかった。

 いえ。あったのかもしれない。でも——奴隷だった頃のわたしには、それを思い出すことも許されなかった。ただの「商品」。番号で呼ばれるもの。それが、わたしだった。

 ルキさまが——「フィー」と、名前をくれた。

 それが、わたしのはじめての、もの、だった。

 今のわたしは、たくさんのはじめてに囲まれている。

 あたたかい寝床。おなかいっぱいのごはん。——そして。「ありがとう」と言ってもらえること。「あなたが大事だ」と言ってもらえること。

 奴隷だった頃には考えられなかった。——わたしが、誰かに必要とされるなんて。

 でも、今は。商会で働いて、みんなの役に……いえ。

(——役に立つ、立たない、じゃ、ない)

 わたしは、心の中で言い直した。

 ルキさまが教えてくれた。「役に立つから大事なんじゃない。フィーが、フィーだから大事なんだ」と。——だから、わたしはただ、ここにいる。みんなと一緒に。それでいいのだ、と。

 この国を変えようとする道には——とても大きな壁があると。ルキさまは言った。

 怖くないと言えば、嘘になる。このしあわせな日々が、また壊されてしまうのではないか。——そう思うと、胸がぎゅっとなる。

 でも。わたしは——決めている。

 ルキさまの隣に、いる。——どんなに怖くても。何があっても。

 あの日。「あなたの自由を、ルキさまのために使うと決めた」と言った。あれは、誰かに言わされた言葉ではない。——わたしが自分で、はじめて自分の意思で選んだこと。

 奴隷のわたしには、「選ぶ」ことなど、できなかった。——でも、今のわたしは、選べる。だから、わたしは選ぶ。ルキさまの隣を。

 ……ルキさまのことを考えると。

 わたしの胸は、あたたかくなって——少しだけ、せつなくなる。

 この気持ちが、なんなのか。わたしには、まだ、よくわからない。

 ただ。ルキさまが笑うと、わたしもしあわせになる。ルキさまが疲れていると、わたしが支えたくなる。ルキさまがいない毎日なんて——もう、考えられない。

 これが——「すき」という、ことなのかな。

 わからない。でも——大事にしたい。この気持ちを。わたしのはじめての、この想いを。

 ——時々。不思議なことが、ある。

 ルキさまの商会で、貴族のクラリスティアさまと話していると。——なぜか懐かしいような、あたたかいような、不思議な感覚になる。

 クラリスティアさまの所作。言葉づかい。気高いけれど優しい、その佇まい。——それを見ていると、胸の奥がきゅう、とする。

 まるで——遠い遠い昔。わたしもあんなふうに、誰かに傅かれていたような。——そんなありえないことを、ふと思ってしまう。

(——変なの)

 わたしは、首をかしげた。

 奴隷だったわたしが、貴族のような暮らしをしていたわけがない。きっと——気のせいだ。

 でも。その感覚は時々、ふいに訪れて——わたしを戸惑わせる。

 まるで、わたしの忘れてしまった——どこか遠い記憶が、静かに何かを訴えているかのように。

 わからないことは、たくさんある。

 この想いの名前も。あの不思議な感覚の正体も。

 でも——一つだけ、確かなことがある。

 わたしは。ルキさまと、みんなと。このあたたかい場所を、守りたい。

 その壁が、どんなに大きくても。——わたしは、退かない。

 もう、何も選べなかった、あの頃のわたしじゃない。

 わたしは——自分の足で立っている。自分の意思で、ここにいる。

(——ルキさま)

 わたしは窓辺で、夜空を見上げた。

(——わたし、頑張ります。あなたの隣で。あなたと、みんなの灯を、守るために)

 星が——やさしく瞬いていた。

 まるで、わたしの決意を、そっと見守っているかのように。

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