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第45話 見送りの朝

 一週間は、あっという間に過ぎた。


 家族が辺境へ帰る日の、朝。


 ワタシは王都のタウンハウスの前で、父と母と兄を見送るために立っていた。


 空はよく晴れていた。馬車の支度は、すでに整っている。——別れの時が、近づいていた。



 最初に口を開いたのは、母エルマだった。


「ルキ。——体だけは大事にね。ちゃんと食べて、ちゃんと眠るのですよ」


「はい、母上」


 母はワタシの頬に、そっと手を添えた。


「母は、あなたを信じています。——あなたが選んだ道なら、きっと間違っていない。——ただ、無茶だけはしないでね」


「……はい。ありがとうございます」


 母の温もりに、ワタシは胸が熱くなった。


 それから母は、ふと思い出したように付け加えた。


「そうそう。——辺境に戻ったら、レオの縁談を進めなければならないし。セリアにも、そろそろ良いお話を考えてあげないと。——みんな、年頃だものねえ」


 母は、のんびりと笑った。


「あなたも。——いつか大切な人ができたら、ちゃんと母に紹介するのですよ?」


「……は、母上。それは、その」


 ワタシが口ごもると、母はふふ、と楽しげに笑った。


(——母上には、かなわないなあ)



 次に、兄ヴィルがワタシの前に立った。


 その表情は、相変わらず硬い。けれど——来た時の、刺すような冷たさは、もうなかった。


「ルキ」


「兄さん」


「……私はまだ、お前のしていることを、完全に認めたわけではない」


 ヴィルはまっすぐ、ワタシを見て言った。


「家を背負う長男として、お前の活動が危ういものだという考えは。——変わっていない」


「……はい」


「だが」


 ヴィルの声が、少しだけ和らいだ。


「あの商会で見た、働く者たちの顔。——あれは、忘れられん。お前が何を守ろうとしているのか。——少しだけ、わかった気がする」


 兄はワタシの肩に、ぽん、と手を置いた。


「無茶はするな。——困った時は、頼れ。私は、兄だ。——それだけは、忘れるな」


(——兄さん)


 ワタシは、こみ上げるものをこらえて頷いた。


 完全な和解では、ない。でも——来た時とは、確かに、何かが変わっていた。



 そして——父、ガイウス。


 父は腕を組んだまま、むっつりとした顔でワタシを見下ろしていた。


「ルキ」


「父上」


 父はしばらく、何かを言いかけてはやめ。——口下手な人らしく、言葉を探しているようだった。


 やがて父は、ぶっきらぼうにこう言った。


「……教会のことは、当主としてできる限りの手は打っておく。社交界の根回しもな。——お前一人に、背負わせはせん」


(——え)


 ワタシは驚いて父を見た。


 それは——叱責では、なかった。むしろ——。


「か、勘違いするなよ」


 父はワタシの視線に、ばつが悪そうに目を逸らした。


「これは、アーデルハイト家の当主として、家の不始末を収めるのが務め。——ただ、それだけのことだ。お前のためなどでは、断じてない」


(——父上)


 ワタシには、わかっていた。


 その不器用な優しさを。「家のため」と言いながら、本当は——息子を案じ、守ろうとしている、その親心を。


「……ありがとうございます。父上」


 ワタシが頭を下げると、父はふん、と鼻を鳴らして。それから——ぼそり、と言った。


「……体に、気をつけろ」


 たった、それだけの言葉。けれど——その中に、父のすべての思いが詰まっていることを、ワタシは感じた。



 馬車が、動き出す。


 ワタシはその場に立ったまま、遠ざかる馬車を見送った。


 家族は——ワタシの本当の活動を知らないまま、帰っていく。完全に認めてくれたわけでも、ない。


 でも。来た時と帰る時で、家族の心は、確かに——少し動いた。


 頭ごなしの否定から、「お前の守るものが、わかった気がする」へ。「お前一人に、背負わせない」へ。——その小さな変化が、ワタシには、何よりも嬉しかった。


(——いつか)


 ワタシは思った。


(——いつか、必ず、本当のことを話せる日が来る。その時は——胸を張って、ワタシの戦いを、家族に見てもらいたい)


 馬車が角を曲がり、やがて見えなくなった。


 ワタシはしばらく、その場に立っていた。


 春の風が頬を撫でていく。——冷たさの中に、確かな温もりを含んだ風だった。


 家族とのわだかまりは、まだ、すべては解けていない。


 でも——その氷も、少しずつ溶け始めている。


 ワタシはそう信じて——もう一度、前を向いた。


 やるべきことが、待っている。大神官との戦いが。本物の女神さまの心を、取り戻す戦いが。


 ワタシは深く息を吸って、商会へと足を向けた。

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