第45話 見送りの朝
一週間は、あっという間に過ぎた。
家族が辺境へ帰る日の、朝。
ワタシは王都のタウンハウスの前で、父と母と兄を見送るために立っていた。
空はよく晴れていた。馬車の支度は、すでに整っている。——別れの時が、近づいていた。
*
最初に口を開いたのは、母エルマだった。
「ルキ。——体だけは大事にね。ちゃんと食べて、ちゃんと眠るのですよ」
「はい、母上」
母はワタシの頬に、そっと手を添えた。
「母は、あなたを信じています。——あなたが選んだ道なら、きっと間違っていない。——ただ、無茶だけはしないでね」
「……はい。ありがとうございます」
母の温もりに、ワタシは胸が熱くなった。
それから母は、ふと思い出したように付け加えた。
「そうそう。——辺境に戻ったら、レオの縁談を進めなければならないし。セリアにも、そろそろ良いお話を考えてあげないと。——みんな、年頃だものねえ」
母は、のんびりと笑った。
「あなたも。——いつか大切な人ができたら、ちゃんと母に紹介するのですよ?」
「……は、母上。それは、その」
ワタシが口ごもると、母はふふ、と楽しげに笑った。
(——母上には、かなわないなあ)
*
次に、兄ヴィルがワタシの前に立った。
その表情は、相変わらず硬い。けれど——来た時の、刺すような冷たさは、もうなかった。
「ルキ」
「兄さん」
「……私はまだ、お前のしていることを、完全に認めたわけではない」
ヴィルはまっすぐ、ワタシを見て言った。
「家を背負う長男として、お前の活動が危ういものだという考えは。——変わっていない」
「……はい」
「だが」
ヴィルの声が、少しだけ和らいだ。
「あの商会で見た、働く者たちの顔。——あれは、忘れられん。お前が何を守ろうとしているのか。——少しだけ、わかった気がする」
兄はワタシの肩に、ぽん、と手を置いた。
「無茶はするな。——困った時は、頼れ。私は、兄だ。——それだけは、忘れるな」
(——兄さん)
ワタシは、こみ上げるものをこらえて頷いた。
完全な和解では、ない。でも——来た時とは、確かに、何かが変わっていた。
*
そして——父、ガイウス。
父は腕を組んだまま、むっつりとした顔でワタシを見下ろしていた。
「ルキ」
「父上」
父はしばらく、何かを言いかけてはやめ。——口下手な人らしく、言葉を探しているようだった。
やがて父は、ぶっきらぼうにこう言った。
「……教会のことは、当主としてできる限りの手は打っておく。社交界の根回しもな。——お前一人に、背負わせはせん」
(——え)
ワタシは驚いて父を見た。
それは——叱責では、なかった。むしろ——。
「か、勘違いするなよ」
父はワタシの視線に、ばつが悪そうに目を逸らした。
「これは、アーデルハイト家の当主として、家の不始末を収めるのが務め。——ただ、それだけのことだ。お前のためなどでは、断じてない」
(——父上)
ワタシには、わかっていた。
その不器用な優しさを。「家のため」と言いながら、本当は——息子を案じ、守ろうとしている、その親心を。
「……ありがとうございます。父上」
ワタシが頭を下げると、父はふん、と鼻を鳴らして。それから——ぼそり、と言った。
「……体に、気をつけろ」
たった、それだけの言葉。けれど——その中に、父のすべての思いが詰まっていることを、ワタシは感じた。
*
馬車が、動き出す。
ワタシはその場に立ったまま、遠ざかる馬車を見送った。
家族は——ワタシの本当の活動を知らないまま、帰っていく。完全に認めてくれたわけでも、ない。
でも。来た時と帰る時で、家族の心は、確かに——少し動いた。
頭ごなしの否定から、「お前の守るものが、わかった気がする」へ。「お前一人に、背負わせない」へ。——その小さな変化が、ワタシには、何よりも嬉しかった。
(——いつか)
ワタシは思った。
(——いつか、必ず、本当のことを話せる日が来る。その時は——胸を張って、ワタシの戦いを、家族に見てもらいたい)
馬車が角を曲がり、やがて見えなくなった。
ワタシはしばらく、その場に立っていた。
春の風が頬を撫でていく。——冷たさの中に、確かな温もりを含んだ風だった。
家族とのわだかまりは、まだ、すべては解けていない。
でも——その氷も、少しずつ溶け始めている。
ワタシはそう信じて——もう一度、前を向いた。
やるべきことが、待っている。大神官との戦いが。本物の女神さまの心を、取り戻す戦いが。
ワタシは深く息を吸って、商会へと足を向けた。




