第5話 その才能、ワタシにしか視えてないやつだ
鑑定の儀から、二年が過ぎた。
十二歳になったワタシは、表向き、「ちょっと魔法が得意な、平凡な辺境伯三男」として、すっかり、定着していた。
我ながら、演技は、板についてきたと思う。
人前では、ほどほどの魔法しか使わない。質問されても、「うーん、よくわかんないですけど、なんとなく?」と、首をかしげてみせる。たまにわざと失敗して、「あちゃー」と頭を掻く。完璧な、凡人ムーブ。
(——うん。今日も、平凡。実に、平凡)
その裏で、ワタシは、夜ごと、力を、磨き続けていた。
もう、指先に光を灯すどころの話ではない。今のワタシなら、人目さえなければ——いや、その先は、まだ、口にするまい。とにかく、力は、順調に、育っていた。
誰にも、気づかれないように。
ただ一人を、除いて。
*
「……坊っちゃま」
ある夜のことだった。
屋敷の、誰も来ない、古い物置部屋。ワタシが、こっそり魔力の制御訓練をしていた、その背後から、静かな声がかかった。
ぎくり、と、ワタシは、固まった。
振り返ると、そこに、いたのは。
執事の、セバスだった。
白髪をきっちり撫でつけた、初老の男。アーデルハイト家に、長く仕える、家令。いつも、物腰やわらかく、けれど、何を考えているか、いまいち読めない人。
(——見られた)
ワタシの、心臓が、嫌な音を立てた。
今、ワタシがやっていたのは、「平凡な三男」が、できるはずのない、高度な制御訓練だ。言い訳のしようが——
「ご安心を」
セバスは、ふっと、目を細めた。
「私は、何も、見ておりません。坊っちゃまが、夜な夜な、何やら熱心に勉学に励んでおられる。——ただ、それだけのこと、にございます」
「……セバス」
「坊っちゃまが、ご自分の力を、お隠しになる。それには、きっと、坊っちゃまなりの、お考えがある。——老いぼれは、余計な詮索は、いたしません」
(——この人)
ワタシは、思わず、セバスの顔を、まじまじと、見た。
気づいていた。たぶん、ずっと前から。ワタシが、力を隠していることに。それでいて、何も言わず、誰にも告げず、ただ、静かに、見守っていた。
ワタシは、ためらった末に、ふと、その「目」を、開いてみた。
自分に課したルール——むやみに人を視ない。でも、この人のことは、知りたいと、思った。
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セバスチャン・ハルト(家令)
忠誠:アーデルハイト家、特に三男ルキウスへ厚い
感情の傾向:坊っちゃまの志を、密かに、尊んでいる
備考:※若き日、ある「事情」により、流民の子を救えなかった過去あり※
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「————」
ワタシは、息を、呑んだ。
救えなかった、過去。
——ああ。この人も、なのか。
この人もまた、ワタシと同じように、救えなかった誰かの面影を、胸の奥に、抱えて、生きているのか。
ワタシは、何も、聞かなかった。聞く資格は、まだ、ない気がした。
ただ、ワタシは、立ち上がって、セバスに、頭を下げた。
「……ありがとう、セバス」
「いいえ。——坊っちゃま」
セバスは、深々と、礼を返して、それから、ほんの少しだけ、声を、潜めた。
「もし、いつか。坊っちゃまが、何か、為そうとなさる日が来たなら。——この老いぼれの手も、どうか、お使いください」
それだけ言って、セバスは、静かに、部屋を、出て行った。
(——味方が、一人)
まだ、何も、始まっていない。何の約束も、交わしていない。
でも、ワタシは、確かに、感じた。
この、広い世界の中に、ワタシの「本当」を知っていて、それでも、傍にいてくれる人が、一人、いる。
それは——思っていたより、ずっと、心強いことだった。
*
その「鑑定」が、思わぬ形で、役に立ったのは、それから、数日後のことだった。
屋敷の、厨房。
ワタシは、こっそり夜食をくすねに行って——そこで、一人の、少年を、見かけた。
名を、トマ、といった。歳は、ワタシと、同じくらい。下働きの少年で、皿洗いや、水汲みばかりを、任されている。いつも、うつむいて、誰とも、目を合わせない。料理長に、よく、怒鳴られていた。「のろま」「使えない」と。
その時も、トマは、料理長に、こっぴどく叱られて、厨房の隅で、小さく、なっていた。
(——なんとなく)
ワタシは、その背中に、鑑定を、向けた。
本当に、なんとなくだった。
でも、浮かんだ文字を見て、ワタシは——目を、見開いた。
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トマ(下働き)
習得スキル:なし
潜在素質:【調香】★★★★★/【鋭敏な味覚・嗅覚】
備考:本人も周囲も、その才に気づいていない
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(——調香。星五つ。最高ランクだ)
ワタシの、ゲーマー脳が、はじけた。
調香。香りを、見極め、調合する才能。それも、星五つ——この世界で、ワタシが今まで鑑定した中でも、ずば抜けた、数値だった。
(この子……皿洗いなんか、やってる場合じゃ、ないぞ)
トマが、「のろま」なんじゃ、ない。
水汲みや皿洗いが、たまたま、この子の才能と、何の関係もなかっただけだ。鼻が、利きすぎるから、厨房の強い匂いに、いつも、気を取られていた。それを、「ぼんやりしている」と、誤解されていただけ。
誰も、気づかなかった。
この子自身も、気づいていなかった。
(——でも、ワタシには、視える)
ワタシは、トマの隣に、しゃがみこんだ。
「ねえ、君。——いい鼻、してるね」
「……え?」
トマが、びくっと、顔を上げた。怒鳴られると思ったのか、肩を、すくめて。
「今日のスープ、香草、いつもより、ちょっと多くない? 君なら、わかるでしょ」
トマの目が、丸く、なった。
「……わ、わかる、けど。なんで、坊っちゃまが」
「やっぱりね」
ワタシは、にっと、笑った。
「君、鼻が、すごくいいんだ。それ、ものすごい才能だよ。皿洗いより、ずっと、向いてることが、あると思う」
トマは、ぽかんと、ワタシを見ていた。
たぶん、生まれて初めてだったのだろう。「のろま」じゃなく、「才能がある」と、言われたのは。
その目に、じわり、と、何かが、滲んだ。
*
それから、ワタシは、ちょっとだけ、動いた。
料理長に、「あの子に、香辛料の管理を任せてみたら?」と、さりげなく、提案した。もちろん、「平凡な三男のなんとなくの思いつき」を、装って。
半信半疑で、トマに、香辛料庫を任せてみた料理長は——一週間後、目を、丸くすることになる。
トマは、香りだけで、傷みかけた香辛料を、一発で、見分けた。産地の違いも、調合の最適も、誰に教わるでもなく、言い当てた。
「お、お前……なんで、今まで、黙ってた!」
「だ、だって、誰も、聞いて、くれなかったから……」
うつむいていた少年は、今では、厨房で、いちばん、頼られる存在に、なりつつある。背筋を、伸ばして。前を、向いて。
その姿を、厨房の隅から、こっそり、眺めながら。
ワタシは、一人、胸の中が、じんわりと、温かくなるのを、感じていた。
(——一人)
(手の届く範囲から、一人)
たいしたことは、していない。檻を、開けたわけでも、世界を、変えたわけでもない。
ただ、誰にも、視えていなかった才能を、視て。ただ、その背中を、ちょっとだけ、押した。それだけ。
でも。
(——これだ)
ワタシは、確信した。
これが、ワタシの、戦い方だ。
派手じゃない。誰にも、気づかれない。ただ、埋もれた誰かを、視つけて、掬い上げる。一人ずつ。手の届く範囲から。
前世で、ゲームの中で、何百時間も、やってきたみたいに。
(——アステリア)
ワタシは、夜空を、見上げた。
星が、瞬いている。あの女神が、今も、どこかで、見ているだろうか。
(ワタシ、たぶん、見つけたよ。ワタシに、できること)
まだ、小さな、一歩だ。
誰に、誇れるものでもない。明日には、また「平凡な三男」の仮面を、かぶり直す。
それでも。
ワタシは、もう、迷わなかった。
視えるのなら、視よう。掬えるのなら、掬おう。一人ずつ。手の届く範囲から。
——それが、ワタシの、選んだ道だ。
夜風が、頬を、撫でていった。
ワタシは、もう一度だけ、星を見上げて、それから、静かに、自分の部屋へと、戻っていった。




