第41話 それでも、ここにいる
ヨハンと出会い、大神官ベルゲンの名を知った、その数日後。
折しも——辺境から、一通の文が届いた。ニコが育て、辺境の灯を託した、あの後継者からだった。
「旦那。——辺境にも、嫌な噂が流れ始めてるらしい」
文を読んだニコの顔は、険しかった。
「教会が、アステリア商会を女神への冒涜だと触れ回ってる。その波が、とうとう辺境にまで届いてるそうだ。——『あの商会と関わる村は、女神の罰が当たる』なんて馬鹿げた話まで、出回り始めてるらしい。あいつも、相当心配してる」
「ご報告、痛み入ります」と、文を検めたセバスも、白い眉を寄せた。「ですが——どうやら、ことは私どもが思うより、ずっと大きいようですな」
(——ちょうど、いい)
ワタシも、ずっと考えていた。——大神官という途方もない敵を知った今、これは灯の皆に、きちんと話さねばならない、と。一人で抱えていい話では、ない。
ワタシは、王都にいるメイアとフィーにも声をかけた。そして——学院で、クラリスティアにも。「大事な話がある。——力を貸してほしい」と。
彼女は、ワタシのただならぬ様子に、すぐ頷いてくれた。「いいわ。——商会の後ろ盾として、聞く義理はあるもの」と。
こうして——その夜。
王都のタウンハウス。いつもの部屋に。ニコ。セバス。メイア。フィー。そして——クラリスティアが、集まった。
ワタシは、皆にすべてを話すことにした。
糾弾の本当の出どころ。——大神官ベルゲン。この国の信仰と政の、両方を握る頂点の存在。ボルツ伯爵すら、その駒に過ぎなかったこと。そして——これから、ワタシたちが戦う相手は、その途方もない影なのだ、ということを。
話し終えると、部屋には、重い沈黙が落ちた。
*
「……大神官、ベルゲン」
最初に口を開いたのは、ニコだった。その顔は、めずらしく青ざめていた。
「おいおい。商売敵の伯爵、なんてレベルじゃねえぞ。この国のてっぺんだ。——そんなのとやり合うって、本気か、旦那」
「……本気だ」
ワタシは頷いた。それから皆を見回して、言った。
「——だから。これだけは、言っておきたい」
ワタシは、ひとつ息を吸った。
「ここから先は、これまでとは比べものにならない危険になる。下手をすれば——命を落とすかもしれない。だから——もし、抜けたい人がいたら、今のうちに言ってほしい。ワタシは、引き止めない。——誰も、責めない」
それは、本心だった。
ワタシの理想に、みんなを巻き込んで、命まで危険に晒す。——その重さを、ワタシはちゃんとわかっていなければならない。
逃げ道を用意するのは、仲間への、せめてもの誠意だった。
——けれど。
*
「……旦那。おれを、見くびるなよ」
最初に答えたのは、ニコだった。さっきまでの青ざめた顔は、もう消えていた。
「確かに、相手はでかい。怖いさ。——けどな。おれは、あんたに拾われたあの日に、決めたんだ。この灯と心中するってな。——今さら、降りられるかよ」
「ニコ……」
「それに」と、ニコはにやりと笑った。「こんなでかい『化かし合い』。商売人として、降りる手はねえだろ。——相手がでかけりゃ、でかいほど。出し抜いた時が、最高に面白えのさ」
*
「私も、残ります」
次に、セバスが静かに言った。
「私は五十年、一人の娘すら救えなかった悔いを抱えて、生きてまいりました。——その悔いを晴らす、最後の機会。手放すはずが、ございません」
セバスは、深く頭を下げた。
「この老いた身。——どうか、坊っちゃまの行く道の、捨て石に。使ってくださいませ」
「……捨て石、なんて。言わないでよ、セバス」
ワタシは、声を詰まらせた。
*
「わたしも……残ります」
メイアが、両の手をぎゅっと握りしめて言った。
「わたしは……足が悪いからと見捨てられ、薄気味悪がられて生きてきました。——でも、ルキさまたちは。わたしを『薬師』として認めてくれた。居場所をくれた。——その恩を。こんな時に返さないで、いつ返すんですか」
彼女の声は震えていた。けれど、その目には、確かな覚悟が宿っていた。
「わたしの薬で、守れる命があるなら。——わたしは、最後まで戦います」
*
そして——フィー。
彼女はまっすぐに、ワタシを見て。静かに、けれどはっきりと言った。
「わたしは、ルキさまの隣にいます。——ずっと前から、決めています」
「フィー……でも、これは、本当に危険で」
「知っています」
フィーは、首を横に振った。
「でも——わたしは、ルキさまにもらった、この『自由』を。ルキさまのために使うと、決めたんです。あの時、自分で。——だから、これは。わたしが選んだ、ことです」
その薄紫の瞳に、もう、迷いはなかった。
かつて、何も選べなかったあの子が。今、自分の意思で、いちばん危険な道を——ワタシの隣を、選んでいる。
(——フィー)
ワタシは、胸がいっぱいになった。
*
最後に。クラリスティアが、ふっと息を吐いて言った。
「……まったく。誰も抜けないなんて。——困った人たちね」
けれど、その横顔は、どこか嬉しそうだった。
「言っておくけれど。わたくしは最初から、抜ける気なんてないわ。——大神官が相手? 上等よ。わたくしがずっと、変えたかったものの、いちばん奥に。ようやく、手が届くのだもの」
彼女はワタシを見て、微笑んだ。
「——一緒に戦いましょう。ルキウス」
*
ワタシは、皆の顔を見回した。
ニコ。セバス。メイア。フィー。クラリスティア。
誰も——抜けなかった。
みんな、それぞれの過去を背負い、それぞれの理由で。この、途方もない戦いに、残ることを——自分で選んでくれた。
(——ああ)
ワタシの胸に、熱いものがこみ上げた。
怖くないわけが、ない。相手は、この国の頂。あまりにも大きい。
でも。ワタシはもう、一人じゃない。
これほど頼もしい仲間たちが、同じ灯を囲んで、ここにいてくれる。
「——みんな。ありがとう」
ワタシは、深く頭を下げた。
「ワタシは、約束する。——必ず、この国を変える。誰も鎖につながれない国を。みんなと一緒に。——きっと、作ってみせる」
その夜の灯は。いつもより、ずっと温かく。そして力強く——燃えていた。




