第38話 大きく、なりすぎた灯
ボルツ伯爵との一件の後。ワタシたちは、より慎重に活動を続けた。
敵に目をつけられた以上、下手な動きはできない。けれど——止まるつもりも、なかった。救いを待っている人がいる限り、ワタシたちの灯は、ともし続ける。
そうして——さらに、一年ほどが、過ぎた。
学院に入ってから、もう一年半。ワタシは、十七歳になっていた。学院では相変わらず「そこそこの三男」を演じ、休日には商会へ通う。その暮らしは、変わらない。
変わったのは——『アステリアの灯』の、規模だった。
*
この一年で『アステリアの灯』は、ワタシ自身が驚くほど、大きくなっていた。
辺境の、後継者たちが守る拠点と、王都のアステリア商会。その両輪で、解放した仲間は——もう、数えるのも難しいほどに増えていた。
そして——この一年で。ワタシたちの活動には、もう一つ、大きな変化があった。
誰を、買い取るか。——その選び方が、変わったのだ。
思えば、始めた頃のワタシは。鑑定で、埋もれた才能を持つ者を、選んで買っていた。限られた資金で、活動を続けていくために。買った者が商会の力になってくれれば、その稼ぎで、また次の一人を救える。——そういう、算段のもとに。
それは、間違いではなかったと思う。あの頃は、そうするしか、なかった。
でも——ずっと、胸の奥に、小さな棘が刺さっていた。
鑑定で「選ぶ」ということは。裏を返せば、「選ばれない」誰かがいる、ということだ。才能のあるなしで、救う順番を決めている。——それは、「役に立つかどうか」で人を値踏みする、この世界の論理と。どこかで、地続きなんじゃないのか。
だから——商会が育って、稼ぎが安定してきた頃。ワタシは、方針を変えた。
もう、才能では、選ばない。
目についた者から、手の届く者から、順に。老いも若きも、丈夫も病弱も、器用も不器用も——区別なく。すべての奴隷を、少しずつでも、解放していく。
購入も、ワタシの鑑定頼みを、やめた。ニコが商いのついでに市を回り、フィーが記録を整え、それぞれの目と判断で、買い取っていく。ワタシの「特別な目」がなくても——この活動は、もう、回るのだ。
「——ま、正直、目利きの旦那がいねえと、たまに『とんだ掘り出し物』を掴むこともあるけどよ」
ニコは、そう言って笑った。
「けど、いいのさ。うちが買うのは『才能』じゃねえ。『人』、だからな」
(——ニコ)
その言葉が、じんと、胸に染みた。
才能があるから、救うんじゃない。人だから、救う。——ようやく、ワタシたちの活動が、ワタシの本当の願いに、追いついてきた気がした。
商会の石けんや薬や細工物は、王都だけでなく、近隣の街々にまで知られるようになった。それに伴って、扱う品も、雇う人手も、どんどん増えていく。一年前とは、比べ物にならない、賑わいだった。
嬉しい悲鳴——とは、まさにこのことだった。
「——ルキの旦那。正直、人手が追いつかねえ」
ある日、ニコが帳面を睨みながら唸った。
「解放した連中を、商会で働かせちゃいるが。みんながみんな、手先が器用なわけじゃねえ。鍛冶や細工は、覚えるのに何年もかかる。——増えた人手を、どう生かすか。頭が痛えよ」
(——そうだな)
ワタシは考え込んだ。
鎖を解いた仲間は、増える。でも、その全員がラントのような特別な才を持つわけではない。長く奴隷だった者の中には、心や体を病んで、すぐには難しい仕事に就けない人も多い。
その人たちに、どう居場所と稼ぎを与えるか。——これは、組織が大きくなったからこその、新しい悩みだった。
そして、ワタシの前世の記憶が、また一つ、答えを囁いた。
*
「——工房を、工程ごとに分けてみよう」
ワタシは言った。
「一人が、最初から最後まで全部作るんじゃなく。作業を細かく分けるんだ。『この部品を付ける』『ここを磨く』『これを箱に詰める』——一人が、一つの工程だけを担当する」
「ほう?」ニコが首をかしげた。
「そうすれば——複雑な技術を何年もかけて覚えなくても。一つの決まった作業だけなら、すぐに覚えられる。手先が不器用な人でも、体が弱い人でも。——自分にできる一工程を、受け持てる」
ニコの目が——かっ、と見開かれた。
「……なるほど! それなら、解放したばかりの、まだ何もできねえ連中も、すぐに戦力になるってわけか!」
「うん。それに、みんなで流れ作業にすれば、一人で作るより、ずっとたくさん、早く作れる。——人手が増えれば増えるほど、たくさん作れるようになる」
これは前世では、当たり前の「分業」の仕組みだった。けれど、この世界の職人は、たいてい一人で一から十まで作る。だから——このやり方は、画期的だった。
もちろんワタシは、「前世で知った」とは言わない。「こうしたら、いいんじゃないかな」と、ニコと相談して編み出したように見せる。
*
分業の仕組みは——見事に、はまった。
これまで「何もできない」と肩身の狭い思いをしていた仲間たちが、「自分にもできる仕事がある」と目を輝かせた。
ある年老いた元奴隷の女性は、ただ、出来上がった石けんを布で包む。それだけの工程を任された。
「……あたしみたいな年寄りでも。役に立てるんだね」
彼女は皺だらけの手で、ていねいに石けんを包みながら——ぽろぽろと涙をこぼした。
(——ああ)
ワタシは胸が熱くなった。
「役に立つ、立たない」で人を値踏みする、この世界で。「自分にもできることがある」と。「ここに、いていいんだ」と。——そう思える場所。
分業は、ただ商会を効率化する仕組みではなかった。それは——どんなに弱い人でも見捨てない、ための仕組みだったのだ。
*
こうして『アステリアの灯』は、ますます大きくなっていった。
でも——ワタシの胸の奥には。頼もしさと同時に——かすかな怖さも、芽生え始めていた。
大きくなるということは、それだけ目立つということ。隠しきれなくなる、ということ。
辺境で一人、こっそり始めた活動。あの頃は誰の目にも留まらなかった、小さな灯。それが今や——王都の商業を揺るがし、数えきれない人々の暮らしを支え、そして、たくさんの敵を生む、大きなうねりになりつつあった。
(——ワタシは)
ワタシはふと、夜空を見上げた。
(——どこまで、行くんだろう)
一人ずつ救う。その小さな願いは、いつの間にか、もっと大きな何かに——この国の仕組みそのものを揺るがす何かに、変わろうとしていた。
その行き着く先に、何が待っているのか。ワタシには、まだわからない。
——けれど。もう止まれないことだけは、はっきりとわかっていた。




