第37話 決着の、ない決着
ラントを取り戻してから、数日が過ぎた。
あの夜、捕らえられた用心棒たちは、「人攫い」の罪で衛兵に引き渡された。表向きは——それで一件落着、だった。「アステリア商会の使用人が人攫いに遭い、無事救出された」。記録には、そう残るだけ。
けれど、ワタシたちは知っていた。これは——何の決着でもない、ということを。
*
「——案の定だ」
ニコが、苦い顔で報告した。
「捕まえた連中は、誰もボルツ伯爵の名を吐かなかった。いや、吐けねえのさ。末端の雇われ者だ。直接の繋がりなんざ、残しちゃいねえ。——ボルツ本人は、涼しい顔で知らぬ存ぜぬ、だとよ」
「……だろうね」
ワタシはため息をついた。
予想はしていた。あの狡猾な男が、自分に累が及ぶようなヘマをするはずがない。ラントを攫ったのも、すべて「末端が勝手にやったこと」。そういう筋書きになっている。
法では裁けない。証拠がない。——これが、権力と金を持つ者の強さだった。
「悔しいが——今回は、ここまでだな」と、ニコは言った。「ラントが無事だっただけ、良しとするしかねえ」
ワタシは頷いた。けれど、胸の奥には、重いものが残っていた。
*
ボルツ伯爵との攻防は、勝ったわけでも、負けたわけでもなかった。
ラントは取り戻した。正体も守りきった。——その意味では、ワタシたちのしのぎ勝ち、と言える。
でも——ボルツ伯爵は無傷だ。そして、これではっきりした。あの男は、ワタシたちを明確な「敵」と見定めた。今後も、手を変え品を変え、狙ってくるだろう。
それに——もっと気がかりなのは。
(——あの、言葉)
ワタシは、捕らえられる前に用心棒の頭が漏らした言葉を、思い出していた。
「お頭からの言いつけ」。——ボルツ伯爵。けれど、ボルツ伯爵の、さらに上。クラリスティアが言っていた、「もっと大きな力」。それが、この一件に関わっていないと——言い切れるだろうか。
ワタシたちの灯は、気づかぬうちに——もっと深い闇の視界に、入り始めているのかもしれない。
*
——けれど。暗いことばかりでは、なかった。
この一件を経て、『アステリアの灯』の結束は、いっそう固くなっていた。
ラントは、すっかり元気を取り戻し——いや、以前よりずっと明るくなった。あれほどの怖い目に遭いながら。「ルキさまたちが助けに来てくれた」という、その事実が。彼の中で、何かを変えたようだった。
「……おれ、決めたんだ」
ある日、ラントはワタシに、ぽつりと言った。
「おれも、いつか。誰かを助けられる人に、なりたい。ルキさまたちが、おれを助けてくれたみたいに。——だから、もっと頑張る。鍛冶も、商会の仕事も」
その目には、もう、攫われた時の怯えはなかった。あるのは——自分の足で立とうとする、強い光だった。
(——ああ)
ワタシは胸が熱くなった。
救われた者が、また誰かを救おうとする。フィーが、そうだったように。ニコが、メイアが、そうだったように。——その灯の連鎖は、確かに、ラントにも受け継がれていた。
ボルツ伯爵は、ワタシたちの灯を消そうとした。
でも——消えるどころか。灯は、また一つ、強く燃え始めていた。
*
事件が落ち着いて、最初の週末。その夜、王都のタウンハウスの一室に、仲間たちが集まった。
ニコがいて、セバスがいて、メイアがいて、フィーがいて、ラントがいて。——そして、わざわざ顔を出してくれた、クラリスティアも。
ささやかな、けれど温かい集まりだった。ラントの無事を祝う。みんなで、メイアの薬草茶を飲みながら。
「——みんな。今回は、本当にありがとう」
ワタシは頭を下げた。
「ワタシ一人だったら、絶対にラントを助けられなかった。みんながいてくれたから。——ワタシは、力を隠したまま戦えた」
「水くせえぞ、旦那」ニコが笑う。
「そうですとも」セバスが頷く。
「わたしも……お役に立てて、嬉しいです」フィーが、はにかむ。
クラリスティアは、相変わらず少しつんとした顔で。けれど、ぽつりと、こう言った。
「……次は、もっと早く報せなさい。——心配、するでしょう」
その言葉に、ワタシは思わず笑ってしまった。
氷のバラが——「心配する」と言ってくれた。それが、どれほどすごいことか。
(——ワタシは、恵まれてるな)
ワタシは、集まったみんなの顔を見回した。
戦いは、終わっていない。ボルツ伯爵も、その奥に潜む大きな影も。これから、もっと手強くなっていくだろう。
でも——ワタシには、こんなにも頼もしい仲間がいる。
(——だったら。負ける気が、しないな)
ワタシは薬草茶を一口飲んで、静かに、次の戦いへの覚悟を固めていた。
灯は——もう、ワタシ一人のものではない。
たくさんの手で守られ、受け継がれていく。——そういうものに、なっていた。




